誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第2章 夜明けの海辺

第10話 得喪

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「うん。私はそう信じている。長々と話してしまったけれど、それだけ伝わっているのなら満点だ。退屈だったろう。すまなかったね」

 彼はそう言って、軽く頭を下げました。

「いいえ。むしろ、お礼を言いたいくらいです」 

 千鶴は、飄々とした釣り人を眺めて思います。

 急がず焦らずゆっくり構え、虎視眈々と獲物がかかるのを待つ経験の積み重ねが、如才なく、のんびりとした人柄を少しずつ育んでいったのだろうかと。

「お礼だって?」

 いまだって、それまでと同じ、淡々とした口調で聞き返すだけ。

 気分や感情の変化を目立った形で表出させない彼は、千鶴にとって、理想の話し相手となる可能性を秘めていました。

「はい。……考えてみたら、まだ好きかもって自覚したばっかりなのに、飽きる心配をするなんて気が早すぎましたよね。どっちかでいえば、凝りすぎる可能性について心配するほうが先だったのかもしれない……って、お兄さんのお話聞いてて、気付いたんです。うっかりしてました」
 
「凝りすぎる心配か。ふふ、本当にそのとおりだとも。ある程度好きにならないことには、飽きることもないだろうしね。君は元々、前向きに物事を捉えるのが得意なんだろう。いまの話の大部分は、必要のない助言だったかもしれないと思ってしまうくらいだ」

 と、彼はおもむろに立ち上がります。
 
「……だけど、そういうことなら、なおさらおぶっていくわけにはいかないか。好きなことをもっと好きになれる好機だし、短い道のりでも、君の楽しみを奪いたくはないからね」 

 そして、千鶴に手を差し延べました。
 
「そろそろ立てそうかな?」

 控えめに掴んだ指先は、幼き日に繋いだ両親の手に比べ、やや体温が低い気がしましたが、久方ぶりに触れたぬくもりに安らぎをおぼえながら、千鶴はぐっと足に力を込めます。

「ありがとうございます」
 
 十分に時間を与えられたおかげか、今度は立ち上がることができました。

「益体のない長話も、たまにはこうして役に立つことを考えると、捨てたものでもないのかもしれないな」

 さらりとした感触の手は、千鶴が安定して立つことができているのを確認して、するりと抜けていきました。

「……ああ、肝心なことを聞いていなかった。君、魚は食べられる?」

 ぬくもりの去った寂しさなど知り得ない彼は、変わらぬ様子で彼女に問いかけます。

「大好きです、お魚」

 山積みになっている問題はなにひとつ解決してはいませんが、千鶴は諸々の屈託を一旦忘れ、心からの笑顔を見せました。

「よかった。振るうほどの腕はないけれど、素材がいいからね。君にもきっと、ご満足いただけるんじゃないかな。楽しみにしていておくれ」

「はい!」

 最後にもう一度、海を見ておこうと振り返った千鶴が、彼に声を掛けられたあたりに目をやると、そこはすでにせり出した海水に飲み込まれており、最初から海の一部であったかのように見えました。
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