誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第2章 夜明けの海辺

第9話 形成

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「うん……そうか。私には、そちらの視点が欠けていたようだ。まだ夜も明けないうちから一人で生まれ故郷を飛び出してきたような君が、出会いを恐れるはずもなかったか。むしろ、怖いのは別れのほうだったと。……なるほど、もっともな感傷だね。だけど、それだって別に、寂しいだけでもないんじゃないかと私は思っているんだよ」

 丸まっていく一方だった千鶴の背中は、そこで停止します。
 
「……? 寂しいだけじゃない……って?」

「増えたり減ったりしながら、少しずつ増えて、自分の一部になっていく……。そういうものなんじゃないかな、好きなことやものというのは」

 そして、萎れかけた花が元気を取り戻すように、ゆっくりと復活を遂げました。

「すべて抱えていけたら、いちばんいいかもしれないけれど、そんなわけにもいかないし。ある程度は、仕方のないこととして割り切っていくしかない。ヒトの記憶力は結構欠陥品穴だらけだからね。忘却だけじゃない。美化や捏造……。そのどれも、避けられはしないだろう」

 千鶴は、彼の瞳が海面のように揺れ動いたのを捉えました。

 ほんの一瞬のうねりは、ちょこんと顔を出したイルカの背鰭のように波間に消えて見えなくなりましたが、彼女はその揺らぎを見過ごすことができませんでした。

「それでも……だ。思い出せなくなる日がきたとしても、それを好きだった過去は、嘘にもならなければ、なくなりもしない。忘れてしまったものも含めて、大切だと思ったもの、大切にしていたものが、いまの君を形作っているはずだ。悲しむなとは言わないよ。でも、出会いも別れも恐れないでほしい。なにかを好きになるということは、好きになれる心があるというのは……とても素敵なことだと思うから」

 酸いも甘いも嚙み分けた賢者の口ぶりで語る彼も、過去としてしまうには惜しい思い出を、たくさん見送ってきたのでしょう。
 
 千鶴と同じように、不本意ながら立ち去った場所もあったかもしれません。

「……なんて、言ったはみたけど。飽き性の言い訳みたいで、あまりかっこよくはなかったかな」
 
「いいえ。本当にそうかもって思えました。忘れていくのも、ほんとにあったことが捻じ曲がって、違うものみたいになっていっちゃうのも、やっぱり悲しいし寂しいけど……。もしそうなっても、記憶のなかからなくなるだけで、どこかには残り続けるってことですよね。自覚できなかったとしても……」
 
 逆光を受けた彼が眩しくて、千鶴は手で日除けを作りました。
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