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うつろな夜に
『六角形』
しおりを挟む死に場所を探す。わたしの最期にふさわしいのは、どこだろう。『海』なんてれっきとした目的地のように掲げてはみたけれど、範囲が広すぎる。『おばあちゃんのため』と嘯きながら本当は自分のためだけに作り上げた楽園を出て、わたしはどこへ向かうのか。
でも、もうあそこにはなにもない。元々、わたしのものではなかった。お屋敷だってお洋服だって、厚意で譲ってもらっただけ。素敵な作品に囲まれて思い上がった罰かもしれない。
結局、わたしにはなにも残らなかった。……と思うけれど、こう表現しては語弊があるかもしれない。
海がある。幾多の命を孕む胎。すべてを呑み込む巨大な肚。今日の夕陽もとうに沈んでしまったけれど、永遠に失われたわけではない。六角形に平たい岩、両方ともが健在だ。まだここには世界がある。人間が手を入れずとも続いていく大自然。そのサイクル。
それらは誰のものでもなく、もちろんわたしのものでもないけれど、確実にわたしを構成する一部。わたしの一部は、この世界。この世界の一部は、わたし。一部なんて言い方は不遜なくらい、ちっぽけな存在だとしても。
ああ、そうそう。こんな寒い日に、おばあちゃんから贈られたブローチを彼に褒めてもらった事もあった。雪の結晶のつもりで作った職人さんには少し申し訳ない気もするが、わたしにとってこれは思い出の大岩の形。
彼には最初、珊瑚に見えたみたいだけれど、本当は雪の結晶だと前置きをしたうえで、待ち合わせ場所に指定している岩に見えると言えば、彼はブローチと六角形の大岩を交互に見て、それから…………。
その笑顔に想う。
ごめんなさい。わたしはずっと、あなたにふさわしくなかったかもしれない。絶対に認めたくはないけれど。いつもいつも気後れしていた。遠慮していた。最後の最後で一歩、踏み込んでいけなかった。ただの一度も。住む世界の違いを盾にして、わたしはあなたを遠ざけていたの。誰より大切な、愛しいひとを。
後悔の念を振り払うように、進む。進む。二本の足は呼び寄せられるようにあの岩場を目指していく。予想はしていた。ほとんど確信だった。わたしの目指す『海』なんて、最初から一択だ。船は出さなかった。いまはそんな気になれなかったから。爪先で水温を確認する手間も惜しい。飛び込む度胸はなかったけれど。行かなくちゃ。
足首、続いて膝まで浸かった。早く、早く。冷たい冷たい海中を進む。陸上の一歩と違う、あからさまな抵抗。押し戻さないで。わたしは前に進まなくちゃいけないの。たとえ死に行き着くのだとしても。もうそろそろ足が着かない深さになる。ここから先は泳がないといけない。
――――ただいま。聳える六角形に語りかけた。
平らな岩に上がってひと息つく。すっかりずぶ濡れになってしまった。それはいいとして、水を吸った衣類がこんなに重いなんて思ってもみなかった。想定以上に体力を消耗したわたしは、立ったまま大岩と向かい合う。勝手に一対だと思っていた二つの岩も見納めだ。わたしはこの岩たちと自分たちとを重ね合わせていたのかもしれない。平たい岩が六角形の岩を見上げているように見えるものだから。
わざわざ経由する意味もなかったけれど、来たかったんだから仕方ない。『海』といえば、ここの他にないの。少なくとも、結局は最後まで狭かったわたしの世界には。自嘲して笑い声を上げた。口を覆えば、左の手が胸元の異物に当たる。そうか、自分でも忘れていた。『なにもない』事はない。被害妄想が過ぎたようだ。
「…………ちゃんとひとつ、残ってたみたい」
昨日のコーディネイトにアクセントを加えたくて、最後にブローチを留めた。洗濯する前に外して、今日もまた……。
「よかった。今日の服は適当すぎて、このブローチは似合わないけど」
――――最期まで、わたしのそばにいてくれて、ありがとう。
せっかくつけてきたけれど、海水に浸してダメにするわけにはいかない。最後に残った贈り物を。おばあちゃんは『海風にさらされても、それから海に落としても大丈夫なように』と錆に強い素材のものを選んでくれたと言うけれど、わざと着けたままで海に入るわたしではない。……さっきはうっかりしていただけだ。
いずれ波にさらわれてしまうだろう。高波が発生したら、その時点で確実に海に呑まれる。でも、これほどまでに思い出を置いていくのに適した場所はない。わたしはほとんどすべてを失ったけれど、残ったすべてはこの場所に。海と陸との繋ぎ目に。
ブローチを丁寧に取り外し、ぶんぶん振って水気を飛ばす。拭き取る事ができればよかったが、ここに乾いた布はない。こんな雑に扱いたくなかったけれど、やむを得ない。いくらかましな状態になったところで、ブローチをわたしと彼が腰掛けていた位置より奥、なるべく中心に置く。大きな六角形にも負けずに輝く平たい岩の真ん中の小さな六角形に見送られたわたしは、再び歩き出した。死へ向かう道を。
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