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ある船乗りの懺悔
楽園の在り処
しおりを挟む人魚の男は出会ったときから自分を人間として扱うのではなく、自分という個人として接してくれています。自分もそんな彼と同じで、彼の事を人魚として見るのではなく、目の前の彼個人に焦点を当てていたつもりでしたが、いまこの瞬間までは決してそうではなかったのだと悟り、忸怩たる思いに駆られました。
「この船を使って、あなたはなにをしようとしてるんです? ……ううん、違いますね。あなたは、この子をどんな風に輝かせてくれる予定なんですか? よかったら、教えてほしいなぁ」
そんな事など知る由もない人魚の男は、握手をしたまま考え事に耽ってしまった癖毛の男の顔の前で自由な左手を振ります。現実に戻った彼は人魚の右手を離すのと一緒に慚愧の念も一旦手放し、これからの展望を手繰り寄せました。
「その事だが、逃げ場のない奴を乗せられたらいいんじゃねえか……って考えてる。こんなに広いんだ。俺一人じゃもったいない。…………あ。いま気付いたんだが、一人じゃ操縦もできないんじゃないか? あと何人か集めるまで出航は待ったほうがいいな」
「あぁ! その事だったら、自動操縦機能とかいろいろ付けといたんで、心配しなくて大丈夫だと思いますよ。一人で大きな船を使いたい人がいないとも限らないし。先見の明ってやつですかね。ふふん」
誇らしげな様子が微笑ましい人魚の男でしたが、癖毛の男の気を引いたのは『自動操縦機能』という単語です。事もなげに放たれたそのひと言に彼は驚愕しました。時代は機械化の兆候が感じ取れるところまで進んでいましたが、全国規模で考えても、そういった自動化の技術などは最先端のものだったのです。そのうえ、生活のほとんどを海の上で過ごしている彼は雑事に追われており、世事には疎いほうでした。時代の移り変わりを感じ、胸をどきどきさせながら、人魚の男を尊敬のまなざしで見つめます。
「自動……? そんな技術があったとは知らなかったよ。しかも、こんなでかい乗り物まで動かせるのか」
「すごいでしょ? 長年の研究の成果です! 一般的にどういう扱いをされてるのかとか具体的な普及率……そもそも、いくつの国がそこまでたどり着いてるものなのかとかは全然知らないんですけどね。興味ないんで」
社交的で華やかな雰囲気に反して学者肌な人魚の男は、いつになく饒舌で生き生きとしていました。癖毛の男は彼の事を技術者だと思い込んでいましたが、むしろ理論の構築こそが彼の得意分野であり、本業は研究者なのかもしれません。誰かに語り聞かせる事に長年飢えていたのか、彼は次々と持論を展開していきます。
「便利な機械が出てきても手作業のほうが好きって人もかなり多いって聞いてますし、機械よりも人力のほうが向いてる作業とか工程とかも少なくないんで、臨機応変に使い分けられたらいいんじゃないかなぁ。新しいものが出てきたからって、すぐに古いものを捨てて完全に移行しなきゃいけないって事もないと思いますし」
「『絶対に使え』とは言わないんだな」
「あはは。そうですね、使う気削いじゃいそうで。使ってもらいたい気持ちは強いですけど、搭載したからって強制まではしませんよ。まぁでも、乗ってる人全員が疲れてる状況だって、長い航海の中じゃ何度もあるでしょうし……。そういうときに役に立ったら嬉しいなぁと思って! 備えあればなんとやら、です」
そう言って人魚の男は親指を上げましたが、ふと我に返ったらしく、次の瞬間には背泳ぎの姿勢を取ると、真っ直ぐ空を仰ぎ見ながら難しい顔でなにやらぶつぶつと独り言ちていました。
「……って、これ何十年前の情報だったかなぁ。もう百年近く前になるのかもしれません。いまはどうなってるのかなぁ……?」
「百年前ってえらく昔だな! 俺が生まれるずっと前だ」
癖毛の男は思った事をそのまま口に出しました。運命に翻弄されてきたとはいえ、彼はまだまだ青さの残る若者でした。
「あ、そっか……。そうですよね。人間と人魚だと寿命が全然違うんでした」
と、金色の美しい尾鰭で水面を叩いた人魚の男。彼は力の加減を誤ってしまったらしく、何食わぬ顔で話し続けましたが、跳ねた水飛沫と荒ぶる海面は、誤魔化しきれぬ動揺を映し出しているようでした。
「そうなのか?」
「はい。僕たちは結構長生きなんです。っていっても、厳しい生存競争を運良く潜り抜けた場合は……ですけどね。大半は自分で身を守れるようになる前に海の底に招かれます」
「その……いま言った『海の底に招かれる』ってのは、『死ぬ』事を婉曲して言ってるのか?」
癖毛の男は耳慣れない表現について尋ねました。各国が多種多様な文化を形成しているのと同じで、海の住人たちも独特な文明に生きているのだろうと思った彼は、ひとつでも多くその未知について学びを深めたかったのです。彼は、生きとし生けるものは未知の事象に対して恐怖を抱きやすいように作られている事、そしてその恐怖心が膨らんで破裂した先に差別や争いが起きるのだという事を承知していました。
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