うつろな夜に

片喰 一歌

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ある船乗りの懺悔

不可視の枷

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「……そういうものか?」

「残念なことに。ちなみに、人間に限った事でもないですよ。人魚も同じです。大半は自分の犯した罪を直視できません。もっと正しく言うと、『自分はいつでも正しいんだから、自分のした事が間違ってたはずがない』と思い込んでるお馬鹿さんばっかりなんですよ。…………って感じの説明なら、ピンと来たりします?」

 癖毛の男は、人魚の男が人間という種族に失望しているわけではないとわかり、胸を撫で下ろしました。

「まあ……確かに俺は自分のする事にそんなに自信は持てねえな。そもそも『正しい』と思えた経験があんまりないというか……。そこまで開き直れたら随分と生きやすそうだ」

「ですよね? あなたは『間違った行動を取った』自覚があって、そのうえで償う事を望んでます。たとえば、問題発言をしてしまったときに、それ自体を撤回するんじゃなくて、ちゃんと元の発言を全部残したうえで、どの部分に問題があったかを一点ずつきちんと解説しつつ謝罪していくような……。滅多にいないですよ、こんな頑固なまでに誠実な人。……これじゃあ逃げたくても逃げられないはずです」

「……お前は、俺が仕方なく向き合ってるとは思わないのか?」

「これっぽっちも。繰り返しになっちゃいますけど、あなたの逃げたい気持ちは、他の大勢の人とは全然違うところから発生してるものです。その罪悪感、少しくらい捨ててもいいんじゃないかなぁ」

「…………本当に?」

 癖毛の男はまだ釈然としないようで、立てた膝の上に左手を置き、右手は小石をころころ転がしています。焦点の定まらない両目は、彼の心模様を如実に表していました。
 
「命を擲つのは感心しませんし、もしそんな事をしようとしたら相手が誰でも全力で止めますけど、楽になりたいと思うのは別に悪い事じゃないと思いますよ。というか当たり前です。悪い事をしたからって、四六時中その事を後悔して後ろ向いて生きなきゃならない……なんて絶対ありえませんからね。そういう……なんでしょう、反省してる感じ? 求める人も多いですけど、そっちのほうが嘘くさいです。無関係な第三者にまで謝罪したり殊勝な態度を見せたりする事がパフォーマンスじゃなかったら逆にびっくりですね。外面なんて好きなだけ取り繕えますし。その逆で、平気そうな顔して引き摺っているあなたの悩みは疑う気も起きませんでした」

 人魚は力説します。彼の必死な様子に、癖毛の男はいくつもの固い結び目がひとつひとつ丁寧に解されていく心地をおぼえました。その結び目は、奴隷時代の枷とは違って目には見えませんでしたが、長きにわたって彼を縛り続けていたのです。

「あなたは『過ちを忘れる』事や『開き直って、どうってことない通過儀礼にしてしまう』事を恐れていたし、『自分の存在ごと葬って贖罪を済ませたつもりで逃げ果せる』事も……最初は第一候補だったんでしょうけど、選びませんでした。『罪を罪として受け止めて生きる』事が、あなたの出した答え。あなたの思う罪との向き合い方なんですね」

 ようやく口を閉じた人魚は、癖毛の男の返答を待ちます。内観を終えた彼の左膝に乗せていた肘はずり落ち、石を転がしていた右手も動きを止めていました。

「ありがとう……。だいぶ好意的な受け取り方をしてくれてるみたいだが、おおまかに言えばそうだ。ずっと後ろめたいと思ってた事を一切合切吐き出せたのもよかったんだろうし、やっと本当の意味で反省できた気がするよ。お前には救われっぱなしだな」

「いいえ。僕は……掛けてほしかったけど誰もくれる事のなかった言葉を他の人に掛ける事で自分も救われた気になりたいだけだと思いますから、感謝されるような事じゃないですよ」

 人魚は笑って言いましたが、その顔には寂しさが滲んでいました。癖毛の男はふと思います。そういえば、自分が一方的に話を聞いてもらうばかりで、よき相談相手であるこの人魚の抱える事情についてはほとんど知らないな……と。

 けれど、安易に尋ねていいものかと迷ってもいました。誰しも秘密にしておきたい事はあるものです。結局、いまはまだ自分の話の途中だからと癖毛の男は詮索をやめておく事にしました。あとでいくらでも話を聞く機会は来るはずです。

「たとえそうだとしても俺は救われたし、俺の考える償いも根本は同じ事なんだ」

「……っていうと?」

「罪を罪として受け止めて生きる……のはそうなんだが、実はその先があってさ。それだけだと弱いというか、償いとしてはささやかすぎる気がするんだよ」

「その先、ですか?」

「ああ。『生きてる人間にしか罪を償う事はできない』って言っただろ。俺の罪は『人から大切な物を奪った事』だ。そっくりそのまま返せればよかったが、それはもう叶わない。現物がねえからな。……で、代わりになにができるかを考えたとき、奪った以上に与えたいと思った」

 癖毛の男は、まだそこに留まろうとしている死の影を追い払わんと力強く語ります。偽物か本物かわからない宝の地図のごときその決意を、確実なものへと近付けるために。
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