31 / 59
ある船乗りの懺悔
生きたい理由
しおりを挟む「死にたい理由に興味はねえのに、生きたい理由は気にするのか? ……まあいいか。拒否権もなさそうだし。話し終わってからの苦情は受け付けねえからな」
「はい。そこは約束しますよ」
癖毛の男は人魚との会話の最中に見つけた答えを一語一語嚙み締めるように声に乗せていきます。
「…………『生きてる人間にしか罪を償う事はできないから』、だ」
「へぇ、そうですか? さっきまでは死んで償おうとしてたのに……。ひょっとして、死ぬのが怖くなっちゃいました?」
人魚の男は意地悪そうに片眉を上げて冷笑しましたが、もう額面どおりに受け取る癖毛の男ではありません。何度も自分の本音を引き出すために憎まれ役を買って出てくれている彼に感謝しながら言葉を継ぎます。
「ああ、きっとそれもある。死んだ先にはなにもない。生きていた頃の功績も。これは憶測に過ぎねえが……悲惨な記憶だらけだとしても、幸せな思い出まで持ってかれるのは惜しいじゃねえか。誰だってきっとそう思ってる。だから人は死を恐れるんだろうし、自害する事が贖罪になると考えるんだろう。俺もそう思ってた。…………けど、それは悲観に寄りすぎた極端な物の見方だ」
「……そう思った理由はなんですか?」
笑みを消し、鋭く切り込む人魚。訊かずとも見当はついていましたが、彼の目的は真面目すぎる癖毛の男の本音を引き出す事であり、思考を読んで得意げになる事ではありません。
「死ねば生前に犯した罪もなくなるだろ。実際には消えねえんだろうけどな。くよくよ悩む脳みそがなくなるんだから、少なくとも自分にとってはないものって事になる。俺の場合は『全部なくなれば、いつまでも渦巻いてる罪悪感も消えてちょうどいい』と思った……。だから死にたかったし、命を絶とうとしてたんだ。情けない話だけどな」
癖毛の男は数分前までの自分を恥じていましたが、断じて否定しようとはしません。彼は生きにくいほどに内省的な性分でした。その割には打たれ弱いところもありましたが、厄介な事に本人はまったく気付いていません。そんな状態のままですべて抱え込もうとすれば、彼がそう遠くないうちに精神を病んでしまうのではないかと懸念した人魚の男は、癖毛の男に己の弱さを自覚させるために苦心惨憺していました。
「なるほど。死んでなにもかもなくしてしまうよりも、この先も独りで全部の罪を背負って生きなければならないほうがつらかったって事ですか」
「ああ。あいつだけでも生きてたら、あそこまで思い詰める事もなかったかもしれねえが……そんな事言ったら『生き残っただけじゃ不満かよ?』なんてどやされそうだな」
癖毛の男は自分の右腕をちらりと見て、小さく笑います。当然、そこには傷のひとつも見当たりませんでした。
「そうですね。きっとそう言ったと思います。…………僕、あなたに謝らないと。言い過ぎました。ごめんなさい。いちいち指摘しなくても、あなたは勝手に自分を責めてしまう事に結構前から気が付いてたのに……」
人魚の男は、およそ初対面の人間への対応とは思えぬ手厳しい言い回しを選んできた事を詫びました。彼は、一度決めた事は徹底的にやり抜く性格でしたが、自分自身を見つめ直させるためとはいえ、少々度が過ぎていたと反省したのです。癖毛の男には、わかりやすくしゅんとした人魚がひと回りほど縮んでしまったかのように見えました。
「そんな風に謝らないでほしい。俺にはお前の視点が必要だった。でなきゃ、ずっとくよくよ堂々巡りして、死にたい死にたいって亡霊みたいに彷徨ってただろうさ。そこが海だったか陸だったかは見当もつかねえが、生きる理由を見失った人間より悲惨なものはこの世にない……」
いつのまにか地べたに胡坐をかいていた癖毛の男は、左膝を立てながら言います。
「うーん……それはどうかなぁ。あなたも他の大勢と同じように『死ぬ事で逃げたい、解放されたい』って思ってたのは本当なんでしょうけど、それって『生きてる限りは背負い続けてしまう真面目さ』に苦しんでたからじゃないですか? それなのに、『死んで重荷を下ろす事も許せない』って思い込んでジレンマに陥ってた……みたいな。ほんと勝手なイメージですけど。だから、全然情けなくなんかないと思うんです。罪を悔いるどころか、綺麗さっぱり忘れたり、自分のしでかした事の重大さに気付かずに他人を傷付けてのうのうと生きてたりする人間で溢れかえってるのに……」
人魚の男は先ほどまでの様子とは打って変わって冷ややかな目で吐き捨てます。侮蔑と嫌悪を帯びた声音に、癖毛の男は身が竦む思いがしました。直接その非難を向けられているわけではないとわかっているはずなのに、なぜか咎められている気分になってしまったのです。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
荷車尼僧の回顧録
石田空
大衆娯楽
戦国時代。
密偵と疑われて牢屋に閉じ込められた尼僧を気の毒に思った百合姫。
座敷牢に食事を持っていったら、尼僧に体を入れ替えられた挙句、尼僧になってしまった百合姫は処刑されてしまう。
しかし。
尼僧になった百合姫は何故か生きていた。
生きていることがばれたらまた処刑されてしまうかもしれないと逃げるしかなかった百合姫は、尼寺に辿り着き、僧に泣きつく。
「あなたはおそらく、八百比丘尼に体を奪われてしまったのでしょう。不死の体を持っていては、いずれ心も人からかけ離れていきます。人に戻るには人魚を探しなさい」
僧の連れてきてくれた人形職人に義体をつくってもらい、日頃は人形の姿で人らしく生き、有事の際には八百比丘尼の体で人助けをする。
旅の道連れを伴い、彼女は戦国時代を生きていく。
和風ファンタジー。
カクヨム、エブリスタにて先行掲載中です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
婚約者を想うのをやめました
かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。
「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」
最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。
*書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる