20 / 59
ある船乗りの懺悔
生還者
しおりを挟む「生存確率ゼロって事か。えらいとこを通っちまったんだな……」
「ゼロじゃないですよ。だって、あなたは生きてます! すごいなぁ。怪我だってそんなにしてないですし!」
この場に不釣り合いな明るい声音で励まされ、癖毛の男は苦笑します。確かに、木片にぶつけた部位を除き、彼はほぼ無傷でした。疲労も特には感じません。
「ほぼゼロじゃねえかよ。……って、ちょっと待て。下に国があるってどういう事だ? お前は一体…………ん?」
真顔に戻った男。癖毛の頭を傾けて、金髪の男の程よく焼けた剥き出しの上半身から少しずつ視線を下にずらしていくと、髪の大部分と同色の美しい鱗で覆われた下半身に行き着きました。
「びっくりしちゃいますよね。そうです。僕、人魚なんですよ」
「人魚っていたんだな……。というか……そうか、男の人魚か。人魚っていうと、どうしても女のイメージが強いんだが」
癖毛の男が正直に伝えると、人魚の男からは意外な言葉が出てきました。
「ですよねぇ。……っていうか、僕が人間でも女性の人魚に会いたいです! だって可愛いし」
「思ったより変な奴だ」
「あはは、すいません」
「俺のほうこそすまなかった。人魚ってのは、人間を海に引き摺り込む怪物だと思ってたよ……。まさか逆に助けられるとはな。噂ってやつは全部いい加減で困る。信じてた俺も間抜けだが」
「あ、そういう個体もいないわけじゃないと思います。でも、人間には近付きたくない人魚が多いんじゃないですかね」
癖毛の男から小さな子ども一人分ほどのスペースを空けて腰を下ろしていた金髪の人魚は、急に海に飛び込んだかと思うと、一度潜って、再び顔を出しました。
「人魚は人間が嫌いなのか?」
「好きか嫌いかでいえば、嫌いな個体が圧倒的に多いと思いますよ。海を汚す人とか、人魚をいやらしい目で見る人とかもいますからね。まぁ、そういう人は人間たちのあいだでも嫌われてそうですけど」
人魚の男は頭を軽く振って水気を払い、長い前髪をかき上げます。遠くを見つめる瞳は少しの感情も宿していませんでした。
「お前もそうか?」
「全部の人がそうってわけじゃないですし、人間ってだけで嫌ったりはしません」
人魚は先ほどよりも大きく首を横に振ります。
「……そうか。助けてくれたのがお前でよかった。ところで、いま座ってるこの島……島でいいんだよな? 船に乗ってるときにはなかった気がするが、見落としか? それとも、さっきいたとこからは離れてるのか」
彼は船体が海中に沈んでいくとき、ちょうど貯蔵庫の整理をしていました。なので、直接確かめたわけではありませんが、部屋の外で船員の一人が『近くに島もねぇ海のド真ん中』と大声で騒いでいるのを記憶していたのです。
「いや、すぐそばです。ここもさっきまではなかったと思いますよ。干潮のときにだけ現れる島ですね。岩肌が濡れてるでしょ? 普段は海の中にあります」
「なるほどな」
「といっても、あんまり安心できないんですけどね。満潮になる前に他の島に行かないと……。お体大丈夫そうなら、早めに移動しちゃいましょうか?」
ひと足先に海に入って準備万端の彼は、気遣わしげに癖毛の男の全身に視線を走らせます。せっかちだった相棒を思い出して、癖毛の男は微笑みました。
「気ィ遣わせてすまねえな。問題ないよ。道案内を頼めるか?」
「わかりました! 僕はあんまり力なくて乗せてあげられないんで、友達に頼んでみますね。近くにいるといいなぁ」
「友達?」
癖毛の男は、言うなり見えなくなってしまった人魚の波紋を数えて待ちます。
「…………お待たせしました!」
「全然待ってねえよ。そっちのツルツル肌の奴が連れてきてくれた友達か」
時間にして数分後。人魚の男は前とほぼ同じ位置に現れました。彼は癖毛の男に大量の水飛沫を浴びせてしまった事に気付かずに、彼の右隣に顔を出して上機嫌なイルカを撫でています。影を見るに、癖毛の男の身長の倍ほどもあろうかという体長のその友達は、期待のこもった目で彼のほうへ距離を詰めてきます。
「はい、僕の大切な友達の一人です!」
「そうか。知らねえ人間のためにありがとう。よろしく頼む」
彼はこれまでにも船に並走して泳ぐイルカの群れに遭遇する事はありましたが、実際に触れ合うのは初めてです。びちゃびちゃな服の裾を絞るのを中断し、近付いてきたイルカをそっと撫でてみると、気持ちよさそうに頭を押し付けてきたので、今度はもう少ししっかり撫でてやりました。
「すっかり仲良しですね。じゃあ、出発しましょうか。僕の島まで」
「ああ、よろしく」
癖毛の男が断りを入れてイルカの背に跨ると、快適な海の旅が始まりました。人魚はイルカと同じ速度を出しているにも拘らず、フォームを崩す事なく華麗な遊泳を見せます。彼の泳ぎや頬をくすぐる風、遮るもののない蒼海の絶景などを楽しんでいるうちに、三人は何隻もの船が並ぶ島に着きました。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
やがて海はすべてを食らう
片喰 一歌
ファンタジー
海底のとある王国に生まれた黄緑色の鱗を持つ人魚は、ひょんなことからかつて栄えた漁村に住む人間の少女と出会い、恋に落ちる。
特徴的な岩の前で逢瀬を重ねるふたりのあいだに起きた微笑ましいアクシデント。
そして、黄緑色の鱗を持つ人魚の好敵手である金色の鱗を持つ人魚の暗殺事件。
ふたつの出来事が思わぬ事態を引き起こし、ふたりを出会う前の世界へと押し戻していく。
『やがて海はすべてを食らう』の外伝、『うつろな夜に』もあわせてお楽しみください。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる