うつろな夜に

片喰 一歌

文字の大きさ
上 下
18 / 59
ある船乗りの懺悔

魔の海域にて

しおりを挟む

 航行を続けてしばらく、一人の船員が甲板に来て大きな声で言いました。

「なぁ、みんな聞いてくれ! あいつ、コンパスがおかしいって言うんだ」

 ぞろぞろと集まってくる乗組員たち。

「どうしたどうした」

「おかしいってどういう事だよ?」

「あぁ?」

 上背のあるキャプテンは、後ろからコンパスを覗き込みました。伸ばした髭が、計器の異常を訴えた船員のぴかぴかした後頭部に垂れています。

「なんともねぇじゃねぇか、よく見てみろ。これのどこが変だって?」

「えっ…………? ほんとだ。おかしいな……。さっき急にどこも指さなくなったから、てっきり壊れちまったもんだと」

 船員が視線を戻すと、コンパスは何事もなかったかのように真北を指し示していました。

「人騒がせだなー」

「まあ壊れてなくてよかったと思おう」

「見間違いじゃねぇの?」

 首を傾げるその船員をよそに、他の面々はそれぞれ持ち場に戻っていきました。しかし、彼の脳裏には振れ続ける針が焼き付いて離れません。その異常な様子が自分たちの未来を暗示しているように思えてならなかったのです。

「一応……注意しとくか」

 数分後、彼の不安は的中する事になります。



 一行を乗せたガレオン船は、別の海域に突入したところで足止めを食らっていました。

「おい……二時の方向って言ってたよなあ。え? どうなってる!」

 先ほどまでの和やかな雰囲気はどこへやら、強面のキャプテンの怒声が響きます。

「指示も聞いてましたし、そっちに舵切ってます!」

「船体が言う事聞かないんすよ!!」

「バカ言え! 貸してみろ。俺がやる!」

 船員たちの悲痛な叫びも意に介さず、船長は強引に舵輪を奪います。

「なぁ、オレたちゃココで終いか…………?」

「不吉な事言うなよ! テメーはなんでいつもそう後ろ向きなんだって!!」

「こんな状況だ。誰も前向きになんて考えらんねぇよ。おい、コンパスはどうだ? 相変わらずか?」

「……ダメだ。やっぱりどこも指しちゃくれねぇ」

 コンパスの針は再び、進む先を見失って振れていました。

「壊れちまったってのか? 近くに島もねぇ、こんな海のド真ん中で?」

 悪い事はそればかりではありません。今度は仮眠を取っていた船員が起き出してきたかと思うと、あくびを噛み殺しながら言いました。

「おい。なんかやけに揺れると思わないか?」

 ひとたび眠りに落ちると十発殴られなければ起きないほど寝汚い彼の登場に、船員たちは戦慄しました。彼らも薄々感じてはいたものの、異常な揺れを指摘する者はいなかったのです。

「いつもこんなもんだろ?」

「いいや、ここまでじゃねえよ……。地震か?」

「…………まずいな」

「久々に高値の付きそうなお宝が手に入ったってのに、巻き込まれちゃかなわねぇ! コイツを売っ払えばいくらになる……。お前ら、なんとしてでも切り抜けろ!!」

 キャプテンは船員たちではなく、あくまでも寄港した無人の村から持ち出した財宝の心配をしています。

「無茶言わないでくださいよ!」

「ああ、逃げ場なんてどこにもねぇだろ」

 一人の船員が諦めて寝転んだ瞬間、ありえない事が起きました。船が重石をつけられたように下に下に沈んでいくのです。

 船が沈み始める直前、数名の船員たちは、海面に沢山の巨大な気泡が発生する不気味な光景を目の当たりにしていました。彼らは幻の海洋生物が真下で待ち構えているのではないかと抱き合って震えていましたが、警戒していた突き上げはいつまでたっても訪れません。それどころか、船は海中に吸い込まれていきます。

 ここは世界各地に存在する魔の海域のひとつ。消息を絶つ船は数知れず。海底をくまなく探索しても、乗船していたはずの人々はおろか、船の残骸も見つかりません。天候の急変により転覆に至ったのだと仮定しても、そこを通ったはずの船舶が忽然と姿を消すというのは異常事態です。

 海坊主に丸呑みされたとか、レヴィアタンに襲われただとか、人々はたびたび起きる奇妙な事件を根拠のない都市伝説と結び付けて語りましたが、いずれの言説も真相に迫るものではありませんでした。彼らに牙を剥いたのは、伝説上の怪物などではなかったのです。

「なんだ!? なにが起こってる!」

「わかりませんよ!!」
 
「すげえ力で船ごと海底に引っ張られてるな……」

「このままじゃみんな御陀仏だ……」

 凶悪なキャプテン率いる海賊団も、自然現象の前では形無しです。彼らはなすすべもなく、運命を受け入れるほかありませんでした。

 水圧は船の至るところを破壊していきます。船内はなだれ込んできた海水に浸食され、仲間同士で相談する事もできず……もしできたとしても、貴重な酸素を無駄遣いすべきではありません。泳いで上を目指そうにも、水の流れには逆らえぬまま、あれよあれよという間に乗組員全員が生存不可能な状態に追い込まれました。あとは溺れるときを待つのみです。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

やがて海はすべてを食らう

片喰 一歌
ファンタジー
海底のとある王国に生まれた黄緑色の鱗を持つ人魚は、ひょんなことからかつて栄えた漁村に住む人間の少女と出会い、恋に落ちる。 特徴的な岩の前で逢瀬を重ねるふたりのあいだに起きた微笑ましいアクシデント。 そして、黄緑色の鱗を持つ人魚の好敵手である金色の鱗を持つ人魚の暗殺事件。 ふたつの出来事が思わぬ事態を引き起こし、ふたりを出会う前の世界へと押し戻していく。 『やがて海はすべてを食らう』の外伝、『うつろな夜に』もあわせてお楽しみください。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...