遥かな星のアドルフ

和紗かをる

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第6章「第二次タンネンベルク会戦」

6-5

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パウラは、自らの封印していた記憶を呼び覚ます。
 それは彼女がまだ一桁しか人生を過ごしていなかった当時の話。ポーランドはまだ合衆国ではなく、王国としてロシア=モスクワ二重帝国、ハプスブルグ大皇国の前身であるオーストリア王国、ムスリム帝国との戦争に度々敗戦し、内にペーネミュンデ大公爵と言う存在を抱えながら、下層に生きる者達は貧困に喘いでいた。
 パウラは下級貴族の家柄に生まれた影響から、本当の民衆の苦しさは知らずに生きていたが、それでも父親がムスリム帝国との海戦で死に、母親が実家へ財産を引き上げ、帰ってしまうと、貧困へと落ちざる得なかった。
 長女であった彼女は下に弟二人を抱えて、働くことも出来ず、使用人も逃げて荒れるに任せている屋敷の奥で、細々と残された食料を食べて日を過ごすしかなかった。
 何かしないとまずいと、このままで食料が無くなり、何より自分より幼い弟たちが死んでしまうと、そう思った彼女だったが、既に彼女の体は弟たちに可能な限り食料を回していたので衰弱が始まっていた。
 それでも大理石の床を這いながら、外の通りに出れば何か出来るかもしれない。それは全く彼女の幻想だったが、そうでもしないわけにはいかなかった。
 彼女には守るべき弟たちが居るのだから。数年前偶然から使用人の立ち話を聞いた、子供でも稼げる方法。
売春でもなんでも、彼女はやるつもりだった。
 そうして何とか玄関のドアにもたれながら、外を見た瞬間、彼女は自分の人生はここで終わったと確信した。
 温かい陽光の下、彼女の屋敷の前庭、父が生きていた頃は弟たちが木の剣であしらわれていたそこに、見知らぬ男たちがいてこちらを睨んでいたからだ。
 手に持っているのは、血を滴らせている剣や槍。
「山賊・・・・・・?」
「ん?なんだこんなぼろい屋敷にまだ生きてる奴が居たのかよ?俺たちは山賊なんて野暮な奴らじゃねぇ、俺たちは誇りある傭兵団、狼牙の塔だ!」
 男たちの数人がこちらにやってくる。手に剣や槍を持ちながら
「ひっ・・・・・・」
 悲鳴を出そうとしたが、ひりひりと渇いた喉から出たのは僅かな音でしかなかった。逃げようと思う体も、全く彼女の命令を無視して、動こうとはしてくれなかった。
「おいおいお嬢ちゃん、そんなにビビッてどうしたんだ?俺たちが怖いのか?」
 ニヤニヤとした髭面が迫る。
もう駄目だ。ぎゅっと目をつぶって来るべき痛みに備える。
 でも、そんな心の中のどこかで、彼女はほっとしている自分が居ることに気付いていた。
 これで終わる。これで弟たちの事を心配するのも、寝ようとしてもおなかが減って眠れない夜も、始終物音に怯えていた事も、その全部がこれで終わる。
 ああ、よかった・・・・・・。
 しかし、いつまでたっても彼女を父親の元へと運んでくれるはずの痛みはやってこなかった。
 恐る恐る目を開けてみると、十字の木の棒が立っていた。
「何だよピエトロ、新人の癖して俺たちがすることに文句があるってのか?この傭兵団の古株はどっちかわかってんだろうな?」
「私は、別に文句はございませんよ」
「はあっ、だったらどけよ?」
 彼女の視界は完全に十字の木の棒に遮られて怖い男たちの姿も、それに答えている静かな声の主の姿も見えない。
「お前らいいから止めておけ、こんな事をお嬢に知られたらお前ら絶対八つ裂きだぞ?こんなお嬢と同じ年みたいなのいじめたなんて聞いたら、お嬢より先に将軍がお前らをどうにかするかもしれねぇがなぁ」
「せっセルゲイさん、判りやしたよ、でもピエトロとの落とし前は・・・・・・」
「うるさい、コイツは俺が採用したんだ、文句があるなら俺が相手になる、いいからお前らちょっとこっち来い、ん?最近ためしに作ったマスケット銃束ねた新兵器が有るんだ試させろっ」
「えっちょっと、まじ冗談ですよね?そんな暴発しかしなさそうな武器止めたほうが」
「ほ~俺の芸術作品をけなすのかお前ら、いい度胸だ、さっきお前らが言ってたよなぁ、だれがこの傭兵団の古株だ?あぁ!」
「勘弁してくださぁ~い」
 その後、どたどたと男たちが逃げる音が聞こえた。
「大丈夫か?ここで救われたと思ったか少女?」
「えっ」
 十字架が外され、今度は黒いローブの中で銀色に輝く髪の毛と、そして対照的な金色の狼種特有の瞳があった。
「お前は救われていない、お前が救われたいと願い、命を軽々しく、自らに恥じる事ばかりで贖罪もせずに投げ出そうとした事に、神は大変にお怒りだ、その怒りを具現化するために神は私をお前の前に遣わせたのかもしれん」
 男の言ってることの意味は良く判らないが、つまりこの男は死んで楽になる事は許さないといっているのだろうか?
「なんで、そんな事言うの・・・・・・」
 先ほどは悲鳴も出なかったが、今回は小さいながらも言葉が出た。この男の持つ雰囲気に圧倒されたからかもしれない。
「私は神の御使いだ、いつの日にかこの地上に救世主が現れるその時まで、生きとし、生ける者の一人としての尊厳を守り、その救世主に認められ、共に歩む為に、決して卑下せず、自らに誇りを持って生きる者だ、だから私は人を救わない、人は救われるべきではない、救いを求めつつ、自ら贖罪を行い、そしていつの日にか救世主の横に侍り、共に歩む者でなくてはならん、お前はそれを放棄して楽な死を望んだ、そんな奴は私の周囲にいてはいけない」
「お兄さん、何、言ってる、か、わかんない」
「そうか・・・・・・ならばこれをやろう、まだ一冊しか写本できていないが、それでもこれを読み、お前がお前として誇り高く生きていれば、いずれ神はお前の前に救世主を現し、共に歩むように言うだろう」
「そう、その時、は、皆、一緒なのね?」
「そうだ、神と共に歩むと決め、自らを律し、贖罪をし続ける神の御使いは、皆一緒に歩むことになる」
「そう、良かった、お兄さんと、一緒、なのね・・・・・・」
 そこで彼女、パウラの意識はなくなり、失神した。
 その後、二人の弟たちは無事救助されたが、衰弱の後遺症から抜けられず、十五歳を迎えることなく他界した。一方パウラは新神教書と汚い字で記載してある聖書と共に、幼年学校寮に寄宿し、そこで優秀な成績を修めた功績と、子供の出来ないペーネミュンデ公爵夫人エーデルマイヤーの希望により、相続権を持たない子供、養い子となり、彼女の庇護の元、士官学校に進んだ。
 今の従兄弟でもあり、元許婚でもある隊長とは、まだペーネミュンデ公爵家が権勢を誇っていた時期に、わざわざパウラの家系に連なるものを公爵夫人が連れてきて、ゆくゆくはバルフット家再興をさせる目的で引き合わされた。
 しかしポーランド合衆国体制では、ペーネミュンデ公爵家も、貴族そのものも弱体化しているのでバルフット家の再興は沙汰止みとなり、許婚の話もうやむやになっている。
「これっ、覚えていないとは言わせないわよお兄さん!」
 パウラはいつも肌身離さず持っている真っ黒な新神教書の写本をピエトロの目の前に出す。
「ふうむ、これは、確かに私の聖書の写本、字も間違いないですね、でもそれがなんであなたの手に?」
「偶然?いいえ違うわ、お兄さん、あなたも言っていたじゃない、全ては必然だって、だから貴方と私の出会いは必然だって、だから、今、ここに・・・・・・・・」
 何か良くわからない感情が一気に網膜に溢れ、パウラの瞳から大粒の涙がとめどなく流れ出す。
「あ~あ、泣かせちまいやんの、意味わからんがピエトロ、この嬢ちゃんはお前の知り合いか?ってお前にこんな美人の知り合いが居る事自体が驚愕だが」
「うぇっと、私の知り合い、う~む、私は布教活動は致しますが、それでもこんな妙齢な女性に布教した覚えが無いのです」
「はっ、どう言ったって、こりゃお前の知り合いだろうに、しっかしこんな嬢ちゃんにお兄さんだぁ?宗教家で傭兵で、お前も妹好きの病気か?」
 そのせりふに、ピエトロ以外の男たちが一斉にセルゲイと、ピエトロを交互に見て、もう一回見て、最後にパウラの顔を見て大きくうなづく。
「同志よ・・・・・・」
「なんか、同じ傭兵団だし、同志なんだろうけど、すごく背筋が寒くなるのは気のせいでしょうか?それよりもっ、降伏勧告をしないっ」
 と、あせるピエトロだったが、すぐにその言葉を塞がれてしまう。
「お兄さ~ん」
 泣きながら、パウラが全身でピエトロに抱きついたせいで、彼は押し倒されてしまう。
 そんなこんなで、降伏勧告も出来ずに、ポーランド合衆国の大隊と、傭兵集団狼牙の塔、タンネンベルグ高原派遣隊は膠着状態に陥った。 
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