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第1章 最低最悪って、つまりは今の事だよな

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魔皇歴633年 レラジェ大陸 フォカロル郡 フェニステール地方。
 これが俺が異世界で転生を果たした場所だった。なんじゃそりゃってくらい聞いたことも無い場所だったが、これが地獄の様な灼熱地獄とかコキュートスの様な凍結地獄だったら、即死間違いなしだったかもしれない。だが幸いにもレランジェ大陸フォカロル郡、フェニステール地方と言う場所は、ゆったりと青空に雲が流れるのどかな田園風景で、さわさわと揺れる麦の穂が黄金の輝きを持っている。そんな田舎の理想郷みたいな場所だった。
 前世の忙しない生活とは違う、ここでは時間の流れが違うんだろうなと、その時は思っていた。そんな甘い話はなかった。やっぱり正規ルートでの異世界転生じゃない、俺は所謂密入国?いや密入世界か?の立場だと、異世界のんびり〇〇とか、スローライフ〇〇異世界とかは許してもらえないらしい。
 その証拠が、まずこの見た目。
 指は4本あり、かろうじて何かを掴むのには不便しない手。肌は赤黒を基調として、所々に白が混じる赤黒斑。頭は禿げ上がった禿頭状態で、身長は140センチ程度。
 つまり、俺は人間じゃない。人間の形とは大きく違う体。
 力は前世よりも強いが、しゃべるのには苦労する口と牙。
 水面で確認したが、俺は亜人でもなく、たぶん小悪魔、インプに分類される生物だと認識した。もしこれで俺しか居ない状況だったら、発狂する可能性もあっただろうけど、俺がこの世界に転生した時、俺と同じような赤黒い肌を持つ同族達が一杯いた。
 そのおかげで、俺は自らの見た目で悩むことも無く、今もまだ生きている。
 インプの生活と言うのは、魔族と言うには恐ろしく地味で、辛い。
 朝は日の出前に起きて、馬によく似た生物の世話を行い、それが終わると朝食の準備。前世で食べていたパンとは似ても似つかない薄くてかたいパンもどきを、ぬるい水と共に食べる。味など関係なく、ただ義務的に口の中に放り込む。そうでなければ一日の作業を越えることが出来なくなるからだ。
 食べ終わったらすぐに農作業。一面の麦畑をグループごとに世話する。恐ろしく原始的な方法で、単純に言って人力?魔力?どっちが正しいのか判らんが、手作業って事だ。機械は無し。トラクターも無し。さらに言うと、鍬などの専門用具は小悪魔等の低級な悪魔には配られずに、もう少し筋骨がしっかりしていて大柄な悪魔が使う。そもそもインプは通常指が3本しかない様で、その指の本数では道具を旨く扱うことが出来ないことも理由だ。俺の指は4本あるが、どうやらインプとしてはイレギュラーの様だ。
「今日中にここまでの作業を終わらせておくように!さぼった奴は殺す、頑張っても出来なかった奴は殺す、畑の肥やしに成りたくなければきりきり働けや!」
 俺のグループの指導役と言うか監視役と言うか、暴力担当の悪魔が叫ぶ。のろのろと同族インプが15匹ほど彼の号令で動き出すが、まったくやる気が感じられない。鞭で叩いて脅しても最下級の悪魔であるインプはこんなもんらしい。
 脅してくる悪魔もどうせ下級種族なので、15人で力を合わせればちょっと泣かせることも出来るとは思うけど、俺以外の14匹のインプにはそんな雰囲気は全くない。
 やる気がないくせに、逃げようとか仕返ししてやろうとかそんな気概を持つインプはどうやらいない様だ。
 かくいう俺だって、一人で下級悪魔の監視役にたてついて、痛い目は見たくない。
 実際にこの世界で働かされた初日に、ささやかな抵抗を試みたが、目から火花が散るほど殴られて飯ぬきにされた上、今そばで作業しているインプ共の厠掃除をさせられた。
 抵抗しても無駄。
 そんな空気の中、今日も一日が始まる・・・。
 せっかく異世界に来たのに、元の世界より糞じゃねぇか!
 異世界っていったらあれだぞ?現代社会の膿みたいな場所から飛び出した、マイナス要素だらけの少年が、何故か豪運に恵まれてキャッハウフフやイェ~イパリポ~とか言って、以前の世界の知恵を駆使して、豪遊する世界じゃなかったのかよ?
 こんなんなら異世界に来たいとか言わなきゃよかった。
 あのまま、あの変な猫の言う事なんか聞かずに、落ちながら消えていた方が良かったよ。
 自殺なんかしなきゃ良かった・・・。
 今更ながらに思うが、もうどうしようもない。
 このまま騙されたような異世界で、俺は小悪魔として何事も出来ずに、下級悪魔にいびられて、一生を終えるだけだ・・・。自殺はもうしない。もしもう一回自殺して、もっと酷い目に合うなんて御免だからな。
 そんな事を鬱々と考えながら、手だけは動かし長い爪で土をほじくる。指の数が違うせいで慣れない作業だが、それでも周囲のやる気なしインプ共に送れず作業できている。
 ふと、そんな作業を続けていると、土の向こう側から何かが近づいてくるのが見える。
 人間の頃よりも、インプの方が目は良いらしく100メートル先でも輪郭がぼけることなく見える。
 こちらに近づいてくるのは、踏まれたら一撃で殺されそうな頭に角を複数はやした四本足の馬が弾く白い馬車。
 畑が広がるこの場所で白い馬車はとても、綺麗で眩しく見える。あの馬車に乗っているのは誰だろう?この畑の持ち主である領主様の一族の誰かだろうか?
「おらっ、全員作業を止めて、一列に並べ!誰も口を開くなよ、いいかっ黙って直立不動だ、一言でもしゃべってみろっ、その口が見えなくなるまで殴ってやるからな」
 なんか低級悪魔が焦って指示出してくる。
 インプたちは焦っているような下級悪魔の叫び声に対しても、のろのろとしか反応しない。数匹のインプが下級悪魔の鞭で叩かれるが、それでも速度は上がらない。
 俺はそんなインプ共の動きに合わせつつ、遅れていると鞭で殴られない動きを心がける。
 かくしてインプ15匹と下級悪魔が白い馬車を出迎える。
 ごつい馬みたいな生物が曳いている癖して、馬車は出迎えの列からおおよそ2メートルの距離で停車。御者をしていた見るからに下級ではない悪魔が、うや卑しくドアを開ける。
 あの御者は召使レベルなんだろうけれど、それでも俺なんかには手が届かない。立派な黒いお仕着せの服を着て、手には黒革っぽいグローブまではめている。
 こっちは服とは名ばかりの襤褸を肩からかけているだけの状態だ。つまり生きている世界が違う存在って奴だ。
 そして、御者によって開かれたドアから降りて来たのは、真っ白いワンピースと、金色の巻き毛から2本の角がチョコンと出ている美少女悪魔だった。
 確実にお嬢様で、その肌は白く、見た目だけならば人間と大差がないし、アイドルでも上位に乱インできるくらいの輝きを放つお嬢様だった。もし俺が上級悪魔だったら絶対に声をかけて仲良くなろうとするだろう。今の俺は所詮小悪魔で、最下級のインプでしかないが・・・。
 そのお嬢様が、口元に白い布を当てながら、こちらを見ている。
 目線は厳しいってか、なんだろうあの目は。なんか見たくもない物を仕方がなく、嫌々見せられているような目。
 こちらが同じ悪魔である事を毛ほども信じず、汚らわしい生き物を見る目。現代風に言うならば虫けらを見る目って奴だ。
「もういいでしょワルドン、これでお父様が言いつけなさった罰は終わりよね、いつまでもこんな臭くて不潔で金地悪いところに居るのなんて耐えられないわ、もう悪いことはしないからこれで終わりにしましょうよワルドン」
「いいえ、お嬢様、旦那様の言いつけではお声をかけることまでが罰となっております、そこなどれでも良いですから、何か声をかけて終わりといたしましょう」
 馬車の中から、ワルドン?とか言うやつの声が聞こえてきて、それを聞いたお嬢様が表情を厳しくする。まるで排泄物を触れとでも言われたかのような表情。思わず悪態でも言ってやりたい衝動に駆られるが、ぐっと我慢。そんな事をすれば大変なことになる。
 ここで悪態を吐いて、それでお前は見所がある悪魔だ、ぜひ館で働いてほしい、等と言う異世界転生あるあるは期待するだけ無駄である事は、このお嬢様の顔と、恐らく同格の悪魔であるワルドンが馬車の中から出てこないことで判る。
 罰でもなければ小悪魔と一緒の空気さえ吸いたくないと言うところだろうな。
「仕方がないわ、本当に嫌だけれど、そこの、えっと端のでいいわ、ちょっと一歩だけ前に出なさい、そう、まえにでなさいって」
 俺の位置から一番遠いところにいるインプが声をかけられる。しかしかけられた方のインプは、自分がお嬢様に声をかけられるとは思っていなかったようで、全く動かない。
 やっとこさ自分が一歩前に出なければならないと気づいて、ゆっくりといつもの調子で前に出ようとするのと、その動きに業を煮やした下級悪魔が鞭を振り上げるのが同時だった。
「あっ」
 一歩前に出ようとしたインプを背後から殴ろうとした下級悪魔、その双方の動きで指名されたインプはその場で転倒してしまう。一歩前に出る為に片足でいた所を、背後から鞭で叩かれれば、バランスを崩すのは当たり前だ。
「えっ?」
 お嬢様の前にインプが倒れ、その拍子に一粒の泥が彼女の白いワンピースの端に小さなシミを作ってしまう。
「虫けらがっなんてことを!」
 御者が前に出てきて、転がったインプと自分の行為で何が起こったかまだ理解できずに鞭を持ったままの下級貴族を蹴り飛ばす。 
 いや、蹴られて飛んだのは下級悪魔だけで、インプの方は腹を輪切りにされて即死だった。下級悪魔の悲哀。上位の悪魔からの一撃はそれすなわち致命傷だった。
「もういいっ、お塔様の罰なんかし知らないわっ!汚らわしい、こんな奴、全部殺しちゃって!」
「承知仕りましたお嬢様!」
え?
 お嬢様の言動を理解するよりも早く、御者が一列に並んだインプ達を撲殺し始める。一撃で1匹が確実に殺されるので、俺の順番までそうは時間がない。
 やべぇ絶体絶命だ。屋上から地面に飛び降りるよりも、やっぱ殴られて死ぬ方が痛いだろうな・・・。
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