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終章 遥かなる安らぎの元へ
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豊前での風師山合戦から数年。
あの戦で大変なけがを負い、もはや戦働きが出来なくなった富田家輔は、戦場での負傷者と共に香椎宮に作られた救護所で応急措置をされた。運び込まれたのは香椎宮の広い境内に木と布で雨風をしのげるだけの掘っ立て小屋で、そこには戦で負傷した敵味方の武士が呻きながらも家輔と同じように応急措置を受けていた。
体は矢傷に侵され、思う様に動かすことはできないが意識だけは、はっきりしていた家輔は、敵だろうが味方だろうが関係なく助ける救護所の人間に驚いていた。
戦は初めてではなく戦場近くの救護所を見たことが無いわけではない家輔であるが、敵味方関係なく治療すると言うのは初めての経験だった。
そのうちに応急の救護所にいる人間は減っていった、応急処置の甲斐なく死んだり、もしくは回復したりしてこの場を去ったに違いない。
重病人だが、自分で動くことが出来ない家輔はうめき声や、父母を求めて鳴き声を上げる者の声が聞こえなくなった頃。
療養所が閉鎖されるとなって、この場所よりも名医がいるという出雲に移される事になった。
ただの武士であれば、農家にでも引き渡して養生を指示するだけであろう所を、態々他国である出雲まで移送すると言うのは、恐らく香椎宮に発足した紫微中台の中で義経の次に発言力を持った義高のおかげであろう。
一度見舞いに来た義高からは、それは大姫のお陰で自分には分不相応だが、それで身近な人を助けられるならばと嫌々立場についているだけだと言っていたし、また紫微中台権衛司という、近衛の武士を纏める役に任じられたが、近い内に解官するつもりだとも言っていた。
出雲に移ったのは巴御前と、戦に協力した出雲衆、それと家輔の様な重病人だけだった。
義経は二位の尼のとりなしで、安徳帝に謁見し、軍事の責任者たる紫微中台の紫微令を拝命し、雑多な寄せ集め状態の軍事部門の取りまとめに奔走している。その傍らには弁慶、山海、伊勢等の股肱の臣と、京の館にいた正妻、郷御前と、愛称の静御前の姿があった。
郷御前は鎌倉殿を仲人として縁を結び、義経が次第に京の地で頼朝の策に追い込まれていく中でも、母であり、頼朝の乳母でもある比企の尼に救いを求めて、夫を守った女性である。見目は麗しくないと言われたが、郷御前の愛称の通り、鄙の農家で明るく畑を耕しているような太陽の温かさを持っていた。
また、言わずと知れた静御前は、郷御前と相前後して京の義経の元に現れ、すぐに意気投合した後、愛妾として郷御前と共に京の義経の住まいを守った。この静御前、元々は白拍子と呼ばれる芸技をもつ娼婦の様な立場であったが、義経に会う数か月前に出雲の白江の仲間に出会って人生が開けたと言われている。
合戦のおり、山海と共に一翼を担って突撃した平維盛は、やはり慣れない戦で不覚を取り、左腕に切り傷を受け戦線を離脱。
その後、その傷から毒が回りそうになったところで、肩から先を斬り落とすことなってしまった。
これで好きな音楽とも離れなければならぬと嘆いたと言うが、いまは義経と対極の政を司る紫微中台、紫の大夫と呼ばれる重衡殿と共に、紫微中台の領国たる十か国統治に向けて活動していた。
因みに根尾砦の指揮官であった知盛は、大宰府守として、能登守教経は義経の副将となっている。
平家の元棟梁であった平宗盛は、紫微中台と都の後白河法皇との間を取り持つ出先機関、六波羅密寺にて活動している。生来なのか激論を仕掛けられても、ふらんふらんと言質を取らせずに紫微中台を守る姿勢は、沼間の内府とも呼ばれ一定の地位を得ている。
一方、平家討伐が画餅となってしまった鎌倉側は、九州で義経と単独和解した範頼を伊豆に幽閉した後に、北条政子の反論も聞かずに暗殺してしまった。
その流れから、以前からの坂東の武者たちは鎌倉殿の威光を恐れながらも、以前の様な忠節は働かず、つかず離れずといった状況になってしまった。これには奥州藤原氏の画策もあるようで、すぐに義経らに対して討伐の軍を起こすことはできなくなっている。
下手に動けば、奥州が動いて鎌倉が乗っ取られる可能性があるからだ。
歯噛みしながらも、流石苦労の人である頼朝は安房、上総、下総、武蔵、相模の在地土豪の家を周り、再度御家人衆の構築に動ている。
そんな鎌倉では、一つの事件が起こった。
頼朝が旗幟の怪しい千葉氏を威圧するため、なけなしの五千の兵を率いて出立した四日後、突如として体の弱かった大姫が急病を発し、知らせを受けた頼朝が腹心数名と大倉御所に戻った時には亡くなってしまっていたのだ。
義高を殺して無理に関係を解消させた引け目から、今後の大姫には必ず幸せな縁組をと、入内工作を大江広元に命じてもいた矢先の出来事だった。
涙にぬれた頼朝は、そこから一気に老け込み、坂東諸将をまとめ上げる熱意を失ったのか、後継を万寿、後の義家を指名し、後見を政子に託すと静かに息を引き取った。
実に、紫微中台発足から六年後の事であり、紫微令義経が望んでいた兄弟の対面はついに叶う事はなかった。
さて、義高はどうしていたかと言うと、紫微中台での高官は辞したものの、関係は切れることなく続き、惣監士と言う、紫微中台の名で各国を監察する役職の元、日の本の各地を転々としつつ、遥か北国に約束通り猫を主神とした社を建立したりしていた。
傍らにはもちろん、政子殿から譲り受けた珊瑚の数珠を片手に持った大姫が付き添っていたのは言うまでもない。
周囲には白江を中心とした出雲偲び衆や海野幸隆、望月重孝の姿もあり、旅ばかりの毎日でも幸せであった
「久しぶりだな、義次殿」
体中の矢傷は、出雲での渾身的な治療の結果、違和感は残る物の、普段の生活には不自由しない程度に回復した家輔は、出雲を出立し、大和へと戻った。
近畿は相変わらず朝廷側の圧力が強く、平家はまだ出先機関である六波羅密寺以外は戻ることが出来ていない。
あと四年もすれば、紫微中台は解体され、香椎宮から帝と平家の主だった者たちが京に戻ることにある。その時には何が起こるかも知れないと、近畿周辺の土豪たちは戦々恐々としていたが、家輔の富田家は伊賀の家雅と連携して一枚岩を守り続けると決めていた。
家自体は富田家の姻戚から養子を取り、嫡子としている。長い留守となってしまっていた家輔は、近くで別家を立てることになる。
「家輔殿、出雲で会った時からすでに数年、怪我も良くなりこれからは一家を立ててしっかりと家族を守らなければならんな」
「何を偉そうに、義次殿こそ可愛い嫁に旅ばかりさせていると聞くぞ、そんな事では世継ぎを生むこともできまいて」
「それも後数年の話よ、紫微中台が円満に解散すれば我の役目も終わる、そうなれば巴殿の菩提を弔うため、木曽谷に落ち着くつもりぞ」
巴御前は豊前での合戦後、出雲で休養した後に京に上り義仲の菩提を弔った寺に一時的に寄宿した時に出家して旭と名を変えて、木曽へと帰って行った。
木曽谷で二年ほど、静かに暮らした後に、眠るように息を引き取ったと言う話だ。
「そうか、やっとだな義次殿・・・」
「ああ、そうだな家輔殿・・・」
男二人が何やら判りあった風に頷くそばでは、それぞれの妻が呆れた顔で苦笑していた。
「本当にもう、殿方と言うのはつい気を許せばすぐに男だけの世界に浸ってしまいまする、わたくしたちも同じ時を生きていると言うのに、まるで居なかったのように」
「そうだな、まったくその通りだ、お互い苦労する、だけど」
「ええ、だけど、そこも含めて可愛らしいと言う物ですね」
「ああ、そうだな、まったく、憎めないぞ」
「華殿、これからも夫共々、末永くご厚誼を賜りますように・・・」
「任せろ、義次の愚痴ならばいつでも聞くぞ」
そう言うと二人の女性は、未だに感傷にふける二人の男を放置して、手を取り合って席を外した。
大和の山々に沈む、燃えるような夕日を背に・・・。
完
あの戦で大変なけがを負い、もはや戦働きが出来なくなった富田家輔は、戦場での負傷者と共に香椎宮に作られた救護所で応急措置をされた。運び込まれたのは香椎宮の広い境内に木と布で雨風をしのげるだけの掘っ立て小屋で、そこには戦で負傷した敵味方の武士が呻きながらも家輔と同じように応急措置を受けていた。
体は矢傷に侵され、思う様に動かすことはできないが意識だけは、はっきりしていた家輔は、敵だろうが味方だろうが関係なく助ける救護所の人間に驚いていた。
戦は初めてではなく戦場近くの救護所を見たことが無いわけではない家輔であるが、敵味方関係なく治療すると言うのは初めての経験だった。
そのうちに応急の救護所にいる人間は減っていった、応急処置の甲斐なく死んだり、もしくは回復したりしてこの場を去ったに違いない。
重病人だが、自分で動くことが出来ない家輔はうめき声や、父母を求めて鳴き声を上げる者の声が聞こえなくなった頃。
療養所が閉鎖されるとなって、この場所よりも名医がいるという出雲に移される事になった。
ただの武士であれば、農家にでも引き渡して養生を指示するだけであろう所を、態々他国である出雲まで移送すると言うのは、恐らく香椎宮に発足した紫微中台の中で義経の次に発言力を持った義高のおかげであろう。
一度見舞いに来た義高からは、それは大姫のお陰で自分には分不相応だが、それで身近な人を助けられるならばと嫌々立場についているだけだと言っていたし、また紫微中台権衛司という、近衛の武士を纏める役に任じられたが、近い内に解官するつもりだとも言っていた。
出雲に移ったのは巴御前と、戦に協力した出雲衆、それと家輔の様な重病人だけだった。
義経は二位の尼のとりなしで、安徳帝に謁見し、軍事の責任者たる紫微中台の紫微令を拝命し、雑多な寄せ集め状態の軍事部門の取りまとめに奔走している。その傍らには弁慶、山海、伊勢等の股肱の臣と、京の館にいた正妻、郷御前と、愛称の静御前の姿があった。
郷御前は鎌倉殿を仲人として縁を結び、義経が次第に京の地で頼朝の策に追い込まれていく中でも、母であり、頼朝の乳母でもある比企の尼に救いを求めて、夫を守った女性である。見目は麗しくないと言われたが、郷御前の愛称の通り、鄙の農家で明るく畑を耕しているような太陽の温かさを持っていた。
また、言わずと知れた静御前は、郷御前と相前後して京の義経の元に現れ、すぐに意気投合した後、愛妾として郷御前と共に京の義経の住まいを守った。この静御前、元々は白拍子と呼ばれる芸技をもつ娼婦の様な立場であったが、義経に会う数か月前に出雲の白江の仲間に出会って人生が開けたと言われている。
合戦のおり、山海と共に一翼を担って突撃した平維盛は、やはり慣れない戦で不覚を取り、左腕に切り傷を受け戦線を離脱。
その後、その傷から毒が回りそうになったところで、肩から先を斬り落とすことなってしまった。
これで好きな音楽とも離れなければならぬと嘆いたと言うが、いまは義経と対極の政を司る紫微中台、紫の大夫と呼ばれる重衡殿と共に、紫微中台の領国たる十か国統治に向けて活動していた。
因みに根尾砦の指揮官であった知盛は、大宰府守として、能登守教経は義経の副将となっている。
平家の元棟梁であった平宗盛は、紫微中台と都の後白河法皇との間を取り持つ出先機関、六波羅密寺にて活動している。生来なのか激論を仕掛けられても、ふらんふらんと言質を取らせずに紫微中台を守る姿勢は、沼間の内府とも呼ばれ一定の地位を得ている。
一方、平家討伐が画餅となってしまった鎌倉側は、九州で義経と単独和解した範頼を伊豆に幽閉した後に、北条政子の反論も聞かずに暗殺してしまった。
その流れから、以前からの坂東の武者たちは鎌倉殿の威光を恐れながらも、以前の様な忠節は働かず、つかず離れずといった状況になってしまった。これには奥州藤原氏の画策もあるようで、すぐに義経らに対して討伐の軍を起こすことはできなくなっている。
下手に動けば、奥州が動いて鎌倉が乗っ取られる可能性があるからだ。
歯噛みしながらも、流石苦労の人である頼朝は安房、上総、下総、武蔵、相模の在地土豪の家を周り、再度御家人衆の構築に動ている。
そんな鎌倉では、一つの事件が起こった。
頼朝が旗幟の怪しい千葉氏を威圧するため、なけなしの五千の兵を率いて出立した四日後、突如として体の弱かった大姫が急病を発し、知らせを受けた頼朝が腹心数名と大倉御所に戻った時には亡くなってしまっていたのだ。
義高を殺して無理に関係を解消させた引け目から、今後の大姫には必ず幸せな縁組をと、入内工作を大江広元に命じてもいた矢先の出来事だった。
涙にぬれた頼朝は、そこから一気に老け込み、坂東諸将をまとめ上げる熱意を失ったのか、後継を万寿、後の義家を指名し、後見を政子に託すと静かに息を引き取った。
実に、紫微中台発足から六年後の事であり、紫微令義経が望んでいた兄弟の対面はついに叶う事はなかった。
さて、義高はどうしていたかと言うと、紫微中台での高官は辞したものの、関係は切れることなく続き、惣監士と言う、紫微中台の名で各国を監察する役職の元、日の本の各地を転々としつつ、遥か北国に約束通り猫を主神とした社を建立したりしていた。
傍らにはもちろん、政子殿から譲り受けた珊瑚の数珠を片手に持った大姫が付き添っていたのは言うまでもない。
周囲には白江を中心とした出雲偲び衆や海野幸隆、望月重孝の姿もあり、旅ばかりの毎日でも幸せであった
「久しぶりだな、義次殿」
体中の矢傷は、出雲での渾身的な治療の結果、違和感は残る物の、普段の生活には不自由しない程度に回復した家輔は、出雲を出立し、大和へと戻った。
近畿は相変わらず朝廷側の圧力が強く、平家はまだ出先機関である六波羅密寺以外は戻ることが出来ていない。
あと四年もすれば、紫微中台は解体され、香椎宮から帝と平家の主だった者たちが京に戻ることにある。その時には何が起こるかも知れないと、近畿周辺の土豪たちは戦々恐々としていたが、家輔の富田家は伊賀の家雅と連携して一枚岩を守り続けると決めていた。
家自体は富田家の姻戚から養子を取り、嫡子としている。長い留守となってしまっていた家輔は、近くで別家を立てることになる。
「家輔殿、出雲で会った時からすでに数年、怪我も良くなりこれからは一家を立ててしっかりと家族を守らなければならんな」
「何を偉そうに、義次殿こそ可愛い嫁に旅ばかりさせていると聞くぞ、そんな事では世継ぎを生むこともできまいて」
「それも後数年の話よ、紫微中台が円満に解散すれば我の役目も終わる、そうなれば巴殿の菩提を弔うため、木曽谷に落ち着くつもりぞ」
巴御前は豊前での合戦後、出雲で休養した後に京に上り義仲の菩提を弔った寺に一時的に寄宿した時に出家して旭と名を変えて、木曽へと帰って行った。
木曽谷で二年ほど、静かに暮らした後に、眠るように息を引き取ったと言う話だ。
「そうか、やっとだな義次殿・・・」
「ああ、そうだな家輔殿・・・」
男二人が何やら判りあった風に頷くそばでは、それぞれの妻が呆れた顔で苦笑していた。
「本当にもう、殿方と言うのはつい気を許せばすぐに男だけの世界に浸ってしまいまする、わたくしたちも同じ時を生きていると言うのに、まるで居なかったのように」
「そうだな、まったくその通りだ、お互い苦労する、だけど」
「ええ、だけど、そこも含めて可愛らしいと言う物ですね」
「ああ、そうだな、まったく、憎めないぞ」
「華殿、これからも夫共々、末永くご厚誼を賜りますように・・・」
「任せろ、義次の愚痴ならばいつでも聞くぞ」
そう言うと二人の女性は、未だに感傷にふける二人の男を放置して、手を取り合って席を外した。
大和の山々に沈む、燃えるような夕日を背に・・・。
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