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9章 紫の旗を掲げて
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豊後から豊前へと進んだ緒方豊前と、沢登大学を中心とする御家人たちは、眼下に彦島を望む風師山に上り、彦島に雪崩れ込む最後の準備をしていた。
名目上の指揮官である範頼の命を破り、独断でここまで来たが、勝利すれば鎌倉殿も許してくれるだろうし、平家に致命の一撃を与えることが出来れば、恩賞も期待できる。
九州は大宰府を中心に平家方の武士が多く、その中で緒方家は肩身が狭い小土豪の一人でしかなかった。
清盛入道は交易を最重要視していたから、大宰府の統治にも力を入れており、ゆくゆくは、大宰府、彦島、厳島、福原、京と言う海の道を作ろうとしていた。
それは完成する前に、鎌倉で頼朝が起ち、次いで自らの寿命で亡くなったため、その構想は実現する事は無かった。
しかし、それでよかったと緒方豊前は思う。
もしその構想が実現していたら、九州は大宰府周辺の平家方の身が潤い、それ以外の小さな土豪は自然と立ち枯れていくか、銭を得た平家方の武士に膝を折るしかなくなっていたかもしれないのだ。
同じ九州の武士に負けるのであれば、まだ納得も行く。
しかし、遥か遠い伊勢等と言う国に生まれた者どもが、我が物顔で九州を牛耳り、我が緒方家を窮地に追いやるとは許せぬのだ。
同じ思いの武士は思いのほか多く、大宰府の平家方を纏めていた原田家との戦では平家方二万に対して緒方家連合は四万の数が集まった。
さらに戦場での平家方の裏切りもあり、大宰府から平家方は一掃された。
ここまでは良かった。
しかし、それからがいけない。大宰府を制することは九州を制する事と皆が知っている。
合戦後の九州の国割りや、大宰府をだれが支配するのかと言う事で、薩摩の田宮、や肥後菊池が対立、さらに国割りで、阿曽大宮司と宗像宮、さらに香椎宮までがからみ、真っ当な話し合いなど出来ない状態になった。
緒方豊前は、平家を九州から完全に追いやった上で、九州の事は鎌倉殿と直談判するが、その前に皆の意思を統一しておくことを提案し、一部が認められた。
恩賞の内容についてはそれぞれが書で持参し、交渉は緒方家に一任する。
ただし、その結果が出るまでは連合は解散し、各家に戻ることになったのだ。四万いた数はあっという間に三千近くまで減じた。
それが今は五千近いのは、範頼軍が九州上陸した影響で、日和見の者たちが若干戻ってきているからだ、
しかし九州の大族は一人も参加していない。
古くから九州で力をもっている家は、平家打倒の旗印は理解しつつも、弱小である緒方家の風下に立つことが納得いっていないのだろう。
鎌倉殿の威光や源氏の血筋と言った所で遥かな遠方の話でしかないと、侮っているのだろう。
「しかしあの軍勢はなんであろうか」
風師山から見える彦島への道すじを塞ぐように千近くの集団が陣取っている。
平家の赤旗も見えないことから、彦島の軍勢でもないことは判ってるが、その旗印は九州では見たことも無いものなので、九州の平家に心を寄せる土豪と言う事でもない。
「九州の外から来たと言うのであれば、味方かと」
参陣してる御家人の代表者の様な面で、沢登大学が当然と言いたげに言う。
平家方は彦島に追い詰められ、それ以外はすべて源氏の味方と思っているのだろう。
山陽道でもその認識で、どれだけ痛手を被ったのかは思えていないらしい。山陽道で味方した武士の数を数えてみるとよい。
積極的に平家には味方しないが、源氏にも服属しないと言う武士が大半だった。それゆえに兵糧が得られず、我ら緒方が恵んでやらねば身動きもままならぬ流浪の軍であったくせにだ。
「味方であれば、なぜこちらに参陣せぬのです、かといって敵方であればああもこれ見よがしに陣を張る意味が分からぬ、数は僅かに千と少し、義経殿の奇策でも真似ておるつもりかな」
「こちらが範頼殿の軍と気づいていないからではないか、緒方殿は九州の外では名が通っておらぬしな」
ならば、自称、名が通っているその方が使い番でもして、相手の陣を調べてこいっと怒鳴りたくなった緒方豊前であるが、そこまで言ってしまうと後々に禍根をのこすと自重した。どんなくだらない阿呆相手であっても、鎌倉殿の御家人である。九州の中では多少名が売れて来たが、それでも所詮緒方は弱小土豪。
平家滅亡後、大きな戦がなくなった時にはこのような男でも利用価値がある。
「こちらは彦島に対する陣ですぞ、まさかこちらを平家の伏せ勢とみているわけでもあるまいに、いいでしょう、沢登殿の言う通り味方であると考え、明朝にも使い番を走らせましょう、その際は沢登殿の旗をお貸しくだされ」
「それは良き案でう、戦場での同士討ち程意味のない物はありませぬからな、それでは今宵はそれぞれの陣を固め、明朝あの味方と共に根尾砦をかこみましょう」
夕日が傾き始め、地表の見方であろう陣が闇に包まれていく。今宵は十一夜で月が昇れば満月とまでは行かないまでも、新月の様な暗闇と言う事は無いだろう。そうなれば不意にあの陣が動いたとしても、数はこちらが上である以上、用心さえしておけば問題ないか。
監視の兵を残して、緒方豊前も山頂を降りて自らの陣所に向かう。
兵の数は四千近く。他に沢登が千と少しを率いており、総勢で五千の数になる、
沢登ら御家人たちとは二十町の距離を開けて陣をしいているには、それぞれの領分を冒さないためと、戦功をはっきりとさせるためだ。
さらに言えば、坂東言葉と九州南部の武士とでは言葉が通じない場合もある。敵前で喧嘩などは起きない方が良い。
「常に千の兵が夜襲には備えるようにしておけっ」
自陣に戻った緒方豊前はすぐに指示を出し、夜襲の警戒を命じる。劣勢な平家側が起死回生の策に打って出る可能性も無いとはいえない。こちらは範頼殿の制止を振り切ってまで出陣してきた身だ。失敗は許されない。
もし、眼下の千が平家の夜襲部隊だったとしても、備えていればこちらは山側、下から攻めあがる方が不利だ。初撃さえ凌げば残りの三千で返り討ちにすることは造作もない。
名目上の指揮官である範頼の命を破り、独断でここまで来たが、勝利すれば鎌倉殿も許してくれるだろうし、平家に致命の一撃を与えることが出来れば、恩賞も期待できる。
九州は大宰府を中心に平家方の武士が多く、その中で緒方家は肩身が狭い小土豪の一人でしかなかった。
清盛入道は交易を最重要視していたから、大宰府の統治にも力を入れており、ゆくゆくは、大宰府、彦島、厳島、福原、京と言う海の道を作ろうとしていた。
それは完成する前に、鎌倉で頼朝が起ち、次いで自らの寿命で亡くなったため、その構想は実現する事は無かった。
しかし、それでよかったと緒方豊前は思う。
もしその構想が実現していたら、九州は大宰府周辺の平家方の身が潤い、それ以外の小さな土豪は自然と立ち枯れていくか、銭を得た平家方の武士に膝を折るしかなくなっていたかもしれないのだ。
同じ九州の武士に負けるのであれば、まだ納得も行く。
しかし、遥か遠い伊勢等と言う国に生まれた者どもが、我が物顔で九州を牛耳り、我が緒方家を窮地に追いやるとは許せぬのだ。
同じ思いの武士は思いのほか多く、大宰府の平家方を纏めていた原田家との戦では平家方二万に対して緒方家連合は四万の数が集まった。
さらに戦場での平家方の裏切りもあり、大宰府から平家方は一掃された。
ここまでは良かった。
しかし、それからがいけない。大宰府を制することは九州を制する事と皆が知っている。
合戦後の九州の国割りや、大宰府をだれが支配するのかと言う事で、薩摩の田宮、や肥後菊池が対立、さらに国割りで、阿曽大宮司と宗像宮、さらに香椎宮までがからみ、真っ当な話し合いなど出来ない状態になった。
緒方豊前は、平家を九州から完全に追いやった上で、九州の事は鎌倉殿と直談判するが、その前に皆の意思を統一しておくことを提案し、一部が認められた。
恩賞の内容についてはそれぞれが書で持参し、交渉は緒方家に一任する。
ただし、その結果が出るまでは連合は解散し、各家に戻ることになったのだ。四万いた数はあっという間に三千近くまで減じた。
それが今は五千近いのは、範頼軍が九州上陸した影響で、日和見の者たちが若干戻ってきているからだ、
しかし九州の大族は一人も参加していない。
古くから九州で力をもっている家は、平家打倒の旗印は理解しつつも、弱小である緒方家の風下に立つことが納得いっていないのだろう。
鎌倉殿の威光や源氏の血筋と言った所で遥かな遠方の話でしかないと、侮っているのだろう。
「しかしあの軍勢はなんであろうか」
風師山から見える彦島への道すじを塞ぐように千近くの集団が陣取っている。
平家の赤旗も見えないことから、彦島の軍勢でもないことは判ってるが、その旗印は九州では見たことも無いものなので、九州の平家に心を寄せる土豪と言う事でもない。
「九州の外から来たと言うのであれば、味方かと」
参陣してる御家人の代表者の様な面で、沢登大学が当然と言いたげに言う。
平家方は彦島に追い詰められ、それ以外はすべて源氏の味方と思っているのだろう。
山陽道でもその認識で、どれだけ痛手を被ったのかは思えていないらしい。山陽道で味方した武士の数を数えてみるとよい。
積極的に平家には味方しないが、源氏にも服属しないと言う武士が大半だった。それゆえに兵糧が得られず、我ら緒方が恵んでやらねば身動きもままならぬ流浪の軍であったくせにだ。
「味方であれば、なぜこちらに参陣せぬのです、かといって敵方であればああもこれ見よがしに陣を張る意味が分からぬ、数は僅かに千と少し、義経殿の奇策でも真似ておるつもりかな」
「こちらが範頼殿の軍と気づいていないからではないか、緒方殿は九州の外では名が通っておらぬしな」
ならば、自称、名が通っているその方が使い番でもして、相手の陣を調べてこいっと怒鳴りたくなった緒方豊前であるが、そこまで言ってしまうと後々に禍根をのこすと自重した。どんなくだらない阿呆相手であっても、鎌倉殿の御家人である。九州の中では多少名が売れて来たが、それでも所詮緒方は弱小土豪。
平家滅亡後、大きな戦がなくなった時にはこのような男でも利用価値がある。
「こちらは彦島に対する陣ですぞ、まさかこちらを平家の伏せ勢とみているわけでもあるまいに、いいでしょう、沢登殿の言う通り味方であると考え、明朝にも使い番を走らせましょう、その際は沢登殿の旗をお貸しくだされ」
「それは良き案でう、戦場での同士討ち程意味のない物はありませぬからな、それでは今宵はそれぞれの陣を固め、明朝あの味方と共に根尾砦をかこみましょう」
夕日が傾き始め、地表の見方であろう陣が闇に包まれていく。今宵は十一夜で月が昇れば満月とまでは行かないまでも、新月の様な暗闇と言う事は無いだろう。そうなれば不意にあの陣が動いたとしても、数はこちらが上である以上、用心さえしておけば問題ないか。
監視の兵を残して、緒方豊前も山頂を降りて自らの陣所に向かう。
兵の数は四千近く。他に沢登が千と少しを率いており、総勢で五千の数になる、
沢登ら御家人たちとは二十町の距離を開けて陣をしいているには、それぞれの領分を冒さないためと、戦功をはっきりとさせるためだ。
さらに言えば、坂東言葉と九州南部の武士とでは言葉が通じない場合もある。敵前で喧嘩などは起きない方が良い。
「常に千の兵が夜襲には備えるようにしておけっ」
自陣に戻った緒方豊前はすぐに指示を出し、夜襲の警戒を命じる。劣勢な平家側が起死回生の策に打って出る可能性も無いとはいえない。こちらは範頼殿の制止を振り切ってまで出陣してきた身だ。失敗は許されない。
もし、眼下の千が平家の夜襲部隊だったとしても、備えていればこちらは山側、下から攻めあがる方が不利だ。初撃さえ凌げば残りの三千で返り討ちにすることは造作もない。
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