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7章 欠け月の屋島

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熊野水軍の一派が出した小舟に乗り、しける波を乗り越えて義高が屋島に到着したのは、まさに宗盛と能登守が話し合ったその夜の事であった。
熊野水軍は屋島近郊に義高を降ろすと、すぐに踵を返して海へと戻っていった。海の男たちの割にはとても無口で、何やら海の男の陽気さとはかけ離れた影の様な印象の者どもだった。
海に出た小舟が夜の闇に溶け込んでしまう前に、今度は陸から近づく光があった。
「あれは?」
「大丈夫、吉次様の手の者、仲間です」
案内役としてなんとなく一同の先頭に立つ伊佐鷺がすぐに気づく。
仲間と言う事は、吉次の下には伊佐鷺の様な者たちが裏の任務の為に徒党を組んでいるのだろう。やはり吉次と言うは、ただの商い人ではないのだとつくづく思う義高である。
思へば武蔵野から突如妖かしに化かされ、何をどうしたか吉次の隊商に拾われてからの仲でしかないが、それでも吉次の不思議さが良く判る。自らは奥州藤原氏と都をつなぐ商人であると言いながら、鎌倉殿と敵対した木曽源氏棟梁の息子をかばったり、伊賀平氏に自分を預けてみたり。もしや義経殿と出会ったり、出雲に落ち延びたという木曽源氏の残党の事など、すべて把握の上で吉次は動いているのかもしれない。
まったく読めない爺様だ。何かを考え自分を利用してやろうと考えているのだろうが、こちらはこちらで大姫と言う、稀代の姫がいる。かの姫であればどのような思惑でも、寝たままで解決させてしまうだろう。
だから自分は、姫の策にのりつつ、最終的に鎌倉に戻り彼女と共に生きていく事だけを忘れなければ良いと、最近の義高はそう振り切った。
「吉次殿はこちらに?」
「いえ、すでに吉次様は屋島を立っております」
どこへ・・・。と聞いても無駄なのであろうなと義高は直感した。都落ちした平家の主力がいる屋島に自分を呼び寄せといて、自らは既にいない等、吉次らしいと言えばらしい気がした。あの爺様は表舞台で活躍する者ではあるまいしな、とも思う義高である。
「さもあろうな、してここで自分は何をすればよいのやら」
その独白じみた言葉に吉次の部下らしき男は無言だった。
隣に居る仲間であり、何かしら吉次から聞いている筈の伊佐鷺も無言である。
ここで言うべきことではない、と思っているのだろうか?
しかし、屋島に来いとは言われ、何かしらの役どころがあるのだろうと思って来たが、さてどうしたものか?
平家の本営に伺候できる身分でもない。さらにここは源氏の軍と睨み合っている場所でもある。他人から見たら怪しい義高一行が捕縛されてもおかしくないし、ややもすると密偵と間違われて斬り殺されても文句は言えない。
耳をすませば篝火がはぜる音まで聞こえてくる。平家の陣は遠くはない様だ。見つかれば面倒にしかならない。
「まったく吉次殿は何をさせたいのか?」
悩んでいる時間は無い。ここまで吉次の用意した準備のままに来てしまった。家輔はまったく緊張も表さず呑気な顔でこちらを見ている。
とりあえず、この場所からは少し離れた方が良いだろうかと、踵を返そうとしたところ、案内役として出迎えてくれた男がスッと義高の動きを制した。
今まで何も言わないくせに、こちらの動きを制する動きに思わず義高はカッとして、強い瞳で睨みつける。
そのままであったら、男を突き飛ばしてでも歩き出しただろう。
まだまだ若輩といえども、義高も武士の子である。幼少期からの鍛錬は十分にしているし、これでも初陣で人を斬りもした。密偵だか何だか知らないが、たかが男一人にどうにかできるものではない。そんな自負から男をどかそうと手を上げかけた義高だったが、その前に目に映る物がそれを留めた。
「火矢だっ」
家輔が即座に動き、義高の前に立つ。
闇夜の矢は恐ろしい。射られたと言う意識もない内に矢が深々と刺さっている事もある。さらに火矢は厄介だ。魚や樹木の油を利用した火矢は、払った所で簡単には消えず服に燃え移る。闇夜に浮き上がる火は、こちらの姿も浮かび上がらせ、さらなる的となってしまう。
こちらは完全武装の大鎧とは言い難い。
動きやすさを重視し鞣した皮の着物を重ね着しているだけだ。
表面には家輔が山の民から分け与えられたという水除けの脂が塗ってある。この脂は防水だけでなく、保温にも、斬りかかった来た相手の刃を滑らせ、手元を狂わせる効果もあると言うが、火には滅法弱い。
 火矢が突き刺されば、こんがりと全身に火が回って焼けてしまう。
「やたら早い、これでは間に合わぬではないか」
案内役の男は呟くと、火矢が射られた方向へと走りだした。
「お~い気でも触れたか?そっちから来ておるのだぞ!」
家輔が声をかけるが、男は一切構わぬ走りを続け、すぐに闇へと溶けて行ってしまう。
「こっちは如何するのか?」
 案内役の男同様、伊佐鷺も走り出そうとするのを義高は止めた。同考えても火矢の方角に走る事が正解とも思えない。
「離せっ、急がなければ皆々様方がっ」
「おいおい、落ち着けよ、お前さんが仕える吉次さんってな、簡単に策を破られる御仁なのかよ、そうじゃねぇだろう、そうじゃねぇならこれもその吉次さんてのの策って事じゃないのか」
走ろうとする伊佐鷺を押さえつける家輔。ほっそりとして見えるが、意外に力の強い伊佐鷺でも流石に鍛え抜かれた山男武士の家輔には敵わない。
すぐに落ち着いた。
「火矢が止まった、これは襲撃と言うわけではないな、恐らく何かの合図だろう、もし源氏が攻めて来たと言うのならば、鬨の声もないし、鎧の音もしないのはおかしい」
 昼日中であれば鎧のこすれる音など気にする大きさではないが、静かな夜の闇の中、数十数百の鎧武者が動けば、それは草のさざめき等と違い大きな音になる。
 それに完全な夜襲など、簡単にできるわけがない。夜討ち朝駆けとは言うが、実際には真夜中の襲撃ではなく、明け方前までに相手の陣近くまで進んでおき、空が白み始めたら打って出るという戦法だ。
 闇の中での戦闘など、同士討ちはもとより、誰が武勲を上げたか判らないので武士は誰もがやりたがらない。
「すみません焦ってしまいました、案内役はどこかに行ってしまいましたため、ここからは某が先導いたします、えっともう大丈夫ですよ家輔殿」
 醜態を見られたとでも思ったのか、伊佐鷺の顔はほんのり赤く、言葉はいつもよりも丁寧に聞こえる。今まではどこか家輔を下に見ているような雰囲気があったが、今はまるで借りて来た猫と餓鬼大将の様に見える。
「いや、こちらこそ悪かったな、つい思いっきり掴んじまった、痣にでもなっていたらすまないな、綺麗な肌が台無しだ」
嫌味の一つでも言われると思っていた家輔は存外しおらしい伊佐鷺の態度に、こちらも言いなれないことを言う。傍で見ている義高は、そんあ二人のやり取りに少しだけ違和感を感じながらも、さっそく早足で歩き始めた伊佐鴫を追った。
 陣の中は先ほどの火矢に対して騒然としているかと思われたが、存外に大慌てと言う感じではない。数人の武者が早足で周囲を警戒の為に歩いているが、その奥では鎧も着けずにのんびりと笛を吹いている若武者も居る。
先ほどの火矢が本当夜襲であったならば、屋島の陣はあっという間に陥ちていただろう。すでに平家は名前だけで、その力は地に落ち、都を奪還する気概も無いのかもしれない。
「こちらで」
 伊佐鴫が案内したのは、陣幕ばかりの中に合って、そこだけは簡素ながら屋根が付けられた木造の小屋であった。木目の色が新しいことから、昔から屋島にる小屋ではなく、個々に平家が来てから建てられたものであろう。
 往時の平家は都を一つ作るほどの威勢があったと言うが、今はこの小屋を建てるのが精一杯か。
 父は父、自分は自分。源氏とは今や距離を置いていると自覚している義高だが、どうも仇敵平家の陣を歩くとなると、どこか偏った見方になってしまう。
「うむ、してここはどなたがおられるのだ。
「吉次より確とした事は明かされてませんが、恐らくやんごとなきかたかと」
「おいおい、やんごとないって、ここは都の中心じゃあないんだ、そうなるとやんごとにってのは・・・」
 小屋の正面には華美な鎧を纏った武士が、扉の左右を守るように立っていた。
良くは知らないが、仏教における門を守護する仏に見える。
その奥、広さで言えば体の大きくない義高が大股で歩けば五歩も行かぬうちにぶつかる程度。日を入れる扉も今は閉じられているのか、小さな蝋燭二つに灯された人影があった。
 「良く参りましたね、吉次の使いと聞いておりますが、まさかこの様な若武者を送ってくるとは」
人影の主は女性だった。
宮中の女房衆の様に、肌に白粉を、暗がりでも蝋燭の灯りを反射して歯は黒鉄に光っていた。この方がやんごとない方なのだろうか
「はっ、二位の尼に於かれましては、わが主人吉次の願いを受けて頂きまして、恐悦至極に存じます」
とりあえず自分の出番ではないと感じた義高は、伊佐鴫に任せた。家輔も同意らしく、伊佐鴫の後ろに回り目を合わせないようにしている。
「良いのです、すでにわが夫亡き後、二位の尼と呼ばれても所詮は薄き衣と同じもの、それでは哀れな者たちの心を温める事も出来ませぬ、それよりも今は戦から一歩引き、正統なる道を残すべしとの吉次殿の判断、その誠意にすがるだけで許されましょうか」
「もちろんの事、わが主人吉次は武家の争いは世の習いとは申せ、足弱き女房衆やあどけなき幼子を、むくつけき武士と共に滅びる事は肯えないと申しております、ましてや帝の血筋をその様な扱いをしては恐れおおい事です」。
 たしか、屋島には平家の血を受け継ぐ帝が居ると聞いた。
 吉次の目的は、この平家の帝を守る事なのだろうか。
 吉次は奥州の出。奥州は藤原清衡以来三代にわたって都の朝廷とは別の世を築いてきた場所だ。
 もしその場所に帝と同じ血の流れを持つ者が居れば、西の朝廷、東の源氏、北に奥州藤原氏の三勢力鼎立の時代が来ることになるかもしれない。
そんなことに加担して良いのか。
鼎立をなった時。それで世が安定すればまだ救いがあるが、三と言う数は必ず、二で一を討つ形をとることになる。鎌倉と平泉。平泉と朝廷。どこが手を結ぶにせよ、敵対された相手は徹底的に滅ぼされることになる。
平泉と朝廷は藤原氏と言う繋がりがあり、鎌倉と平泉は武家と言う事で公家衆とは違う所で結べるところがある。さらに言えば今の鎌倉と朝廷も、反平家として協力体制にある。
 大姫はこの事について、どう考えているのか。
 かの姫が送ってきた密書には、三勢力鼎立の可能性は匂わされていたが、それは自分や義経殿の命を守る事が主眼で、平家の帝の事はほとんどなかったように思う。
「ありがたいこと・・・、このまま海賊の様にうつろい海の藻屑として消えゆくことも一つの道とも思っておりましたが、やはり尊きあの子だけでも人がましく生きてければと思うのも欲とは申せ、願いでもありました、吉次殿に感謝をささげまする」
 数年前なら、その顔を見る事も出来ない女性。二位の尼が深く頭を下げる。
「尼殿、そのような事、もったいない、我らは我らとして動くことのみです、そうなりますと直ぐに準備をしなければなりませぬ、まず頼るは彦島の知盛殿の元へまいります」
 その言葉が終わる前に、小屋の外が騒がしくなった。
 おそらく、先ほどの火矢の被害を確認している平家の武士団だろう。
 本来出れば二位の尼と平家の帝が居るこの場所が真っ先に守らなければならない場所であろうが、火矢が終わってから大分時間が経つ。
 どうも、平家方の士気は恐ろしく低くなっているのだろう。
「はや、我らがここにおりますると騒ぎになるかと、ではのちほどに・・・」
 武士団を残して女房衆が真っ先にどこの誰か判らぬものと共に逃げ出すなど、風聞が悪いだけでなく裏切りとして叛意を煽る形となる。
「よしなに」
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