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6章 彦島の塞
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義高が尾張から近江、近江から都、都から屋島へと移動しているとき、彼の妻である大姫は勿論大倉御所の奥の自室から一歩も出ることなく生活している。
瞼の裏には千の策が浮かんでいるんだろうなぁと、元義高の側仕えであり、現在は大倉御所の囚われ人である海野幸氏と、望月重隆は思った。
義高の鎌倉脱出の際、彼女と彼女の母親、政子様の計らいで自分たちは大倉御所に身代わりとして残り、義高を逃がすこととした。
ばれた時は命を取られる覚悟でいたのだが、何故か義高が逃げたことがばれた後も牢屋に閉じ込められたり、拷問を受けたり、首を斬られることも無かった。
何故だろうと二人で首をひねっていると、政子様から
「大姫が鎌倉殿に談じ込んだのよ、我が良き人だけでなく、その従者までをも私から取り上げなさるとは無体な事、すでに彼らは私の郎党で、私の郎党が私の良き人を逃すのは当然ではありませぬか、天晴と褒めてやるのが筋で命を取るなど、武家の棟梁源氏の名が聞いてあきれます、もし義高様に続き、彼らの命まで取るというのならば、覚悟なされるがよろしかろうとな」
大姫の実母である政子様から聞いたとはいえ、信じられる話ではなかった。
もはや天下の武力の東半分を手中に収めている鎌倉殿と、その娘御たる大姫様が罵倒に等しい言い合いなぞ、想像の外の出来事だ。
しかも大姫は、表向きは病弱で、か弱き女性として知られている。そんな女性が主のため、自分たちの為に盾となり、鉾となり鎌倉殿とやりあったと聞けば、大姫や義高よりはわずかに年上だが、それでも年若い部類に入る少年たちである、感動しなければ嘘になる。
そんな事があり、海野と望月は大姫へ絶対の忠誠を尽くすことに決め、大蔵御所の通称奥の院に仕える事になっていた。
大蔵御所の広さは、南北二十町歩と、外側は大きく見せているが建物自体はごく狭いつくりとなっている。表向きの政務をとる部屋と、奥向きの生活を司る場所を一つ所に収めているのも理由であるし。
そもそも鎌倉殿はこの大蔵御所を政務と生活双方を兼ねる建物にする予定ではなかった。鎌倉殿の予定では政務を大蔵御所で行い、生活は海側の少し周りより高い場所に見渡しの良い家を作るつもりで造営を始めさせた。
しかし、ここで問題が起きる。鎌倉殿の政子様以外への思慕だ。大将軍は色を好むだとか、天下の主には世継ぎを作る使命があるため、側室はいればいるだけ良いみたいな風潮があるが、それをされる側の政子様はそんな風潮は断固反対の立場だ。
鎌倉殿に色目を使う女房衆など現れた日には、薙刀片手に追い散らし、止めようとする鎌倉殿の髻を斬り落とさんばかりの怒り様だ。
そんな夫婦関係であるのだが、鎌倉殿。止せばいいのに今度は鎌倉土豪の娘を見染めてしまった。
相手だって北条政子の逸話は多く聞いており、父娘そろって側室や想い人など滅相もない、当たらぬ神に祟りなしと、此度の事は無かったことにしようと極力努力したらしい。
だが、避けられ、離れていこうとする人ほど離したくなくなるのが人情。鎌倉殿も政子様に恐怖し、それこそ鎌倉から落去しようとまで悩んでいる父娘の前に現れ、必ず政子には手を出させない、だから少しの間だけでも枕の塵掃いを願えないかと直訴する。
流石に源氏の長者であり、東国の覇者である頼朝にそこまで言われて、拒否も出来ず土豪はしぶしぶ娘を差し出した。
その結果は、おそらく守ると誓った頼朝自身も予測の範疇だったろう。
土豪の娘を海が良く見える件の館に住まわせ、乙羽御前と命名し、週を待たずに通ったが、そんな時間は長くはなかった。
北条家の口伝えを駆使した政子様は、あっという間に乙羽御前の存在を看破した。そのうえで鎌倉殿を難詰し、夫婦喧嘩は一時的にではあるが鎌倉殿を大倉御所内に監禁するまで発展。鎌倉逗留の在番御家人に救いを求める鎌倉殿だったが、当然夫婦喧嘩に係るなど愚行と知る武士たち誰一人として鎌倉殿の味方にはならなかったという。
鎌倉殿を監禁した政子様は、その間に乙羽御前を下野の豪族に因果を含めて夫婦になるよう仲立ちをして、目出度く纏まると、そこでやっと鎌倉殿の監禁を許した。
その際の言葉が、お前さんを自由にさせると男も女も不幸になる、今後は政務だなんだと区別せず、すべて見させてもらいますからね、だったそうだ。
鎌倉殿には満面の笑みではっきりと判るように低い怒声で脅していた政子様だったが、その裏で鎌倉殿に恥をかかせた存在として、知恵の回らぬ御家人に粛清されそうな乙羽御前とその父親である土豪に救いの手を伸ばしたのも政子様だった。
北条家の人脈を使わずに、乙羽御前と土豪を三浦半島の喉元、佐原郡を与え将来の三浦氏への牽制役とした。後年、実際三浦氏討伐の際に、この土豪が勇躍したことは言うまでもない。因みに乙羽御前と下野の名家との婚姻は三浦氏騒動の以前に政子様肝いりで無事に執り行われた。
さて、そんな流れで生活を送る場所であった館を乙羽御前に使わせていた鎌倉殿は政子様の監視下に置かれることとなり、そうなると狭い鎌倉の町に不必要な館は必要ないとして、接遇用の館として公的に使われることになった。
なので当初は仮住まいで、ゆくゆくは政務のみの実務的な建物群として大蔵御所は作られている為、どうにも手狭になるというわけだ。
ならば、もっと建物を大きく改築すればよいと言う話もあるが、この戦乱の時期に御所建造の命令等出していい時期ではない事は鎌倉殿も判っているのだろう。
そんな大蔵御所である為、こんな事も起こる。
「これは初々しき若き武士であるな、良く見ぬ者たちであるが、大蔵御所で一体何をしておるのかな」
普通ならば、表向きな場所と内向きの更に奥の場に仕える人間が顔を合わせることは珍しい。と言うか基本はありえない。
政務に携わる武士が奥に仕える者と懇意になる等、暗殺や政変狙いと疑われる要因にしかならないので、双方で役目を司る者がいて顔を合わせない様に調整している。
狭い大蔵御所ならではの工夫で、都の御所では調整しなくとも予期せぬ顔合わせなど存在しない。
「これは、相模殿っ」
政子様に親しく接しててもらっている海野と望月だ。
勿論政子様のご兄弟である、通称相模殿、北条義時の事も知ってるし、大蔵御所の表側で力を持つ鎌倉御家人衆の中でも最大の実力者であることも大姫経由で伝えられている。
しかしながら、今まで至近の距離にあってお互い顔を合わせたことも、口をきいたことも無い。こちらは鎌倉殿にとっては敵であった木曽源氏の一角。さらには先ごろはすぐに撤回されたが、追討令の対象にまでされた清水冠者義高の家臣である。
立場が違いすぎるのもある。かたや関東御家人衆だけでなく、全国の武士の頂点にある幕府の役人で相模守の官位もある。こちらは奥座敷の一部に仮住まいをしているような、追討令も出された主人を持つ武士である。
大姫と言う、主人の良き人を守護すると心には誓っているが、それは自慢できる事でも、誰かを畏怖させる働きでもない。
自然と、腰が引けそうになるのを二人して支えながら、ぐっと顔を上げる。
「奥向きの武士にて大姫様に仕える者であります、今宵姫さまに於いては機嫌よろしく、今宵はさみしさを紛らわそうと月でも見るとの向き、某たちはその準備にと急いでついつい、道を踏み外してしまいました、なにとぞご容赦を」
元から病弱の噂が絶えず、義高逃亡以降はさらに具合を悪くしていたと周囲に流していた大姫であったが、流石に大倉御所に出入りする切れ者、北条義時殿に嘘は通じないだろう。大姫からもそろそろ、体調は回復の兆しありと言って良いと指示されている。
「それはそれはめでたき事ですね、これで鎌倉殿も一安心と言うもの。清水の冠者殿の一件や重衡殿の件もあり、鎌倉殿を取り巻く環境は心の臓に、太い釘を刺し貫くがごとき激務、従者殿もよく励んでくだされよ、はっはっはっ」
最後は取ってつけたような笑い声と共に、北条義時殿は歩いて行ってしまった。特に不心等抱かせたわけでもあるまいが、それでもやはり不気味だ。
「おい重隆、どう思うよ」
「なにやら笑い声の大きい御仁でけど、目だけはずっと笑ってなかったなぁ、姫の従者とはいえ、木曽の者であることは判っているのだろう」
「つまりは?」
「つまりは、警戒されたと言う事であろうな、だが大姫の裾の裏に隠れている限りは問題なしとでも思われたのであろう」
「何を言ってやがるんだ」
実際我らをいいように使い倒し、鎌倉殿とも対立さえを演出している張本人は、大姫その人である。我らが義高殿が恋しき妻である大姫を操っているとでも?
逆だ、逆。
「だが、姫の目的では良いのではないかな、幕府一の切れ者が真の策士を勘違いしているのならばな」
「そういうもんか?」
「ああ、そういうもんだ」
「ならば、良いか」
とにかく今は、大姫の言う通りに目立つ時は目立ち、潜むときは潜む。そうしていつの日にか主従として夫婦に仕えるのをまつだけだ。
瞼の裏には千の策が浮かんでいるんだろうなぁと、元義高の側仕えであり、現在は大倉御所の囚われ人である海野幸氏と、望月重隆は思った。
義高の鎌倉脱出の際、彼女と彼女の母親、政子様の計らいで自分たちは大倉御所に身代わりとして残り、義高を逃がすこととした。
ばれた時は命を取られる覚悟でいたのだが、何故か義高が逃げたことがばれた後も牢屋に閉じ込められたり、拷問を受けたり、首を斬られることも無かった。
何故だろうと二人で首をひねっていると、政子様から
「大姫が鎌倉殿に談じ込んだのよ、我が良き人だけでなく、その従者までをも私から取り上げなさるとは無体な事、すでに彼らは私の郎党で、私の郎党が私の良き人を逃すのは当然ではありませぬか、天晴と褒めてやるのが筋で命を取るなど、武家の棟梁源氏の名が聞いてあきれます、もし義高様に続き、彼らの命まで取るというのならば、覚悟なされるがよろしかろうとな」
大姫の実母である政子様から聞いたとはいえ、信じられる話ではなかった。
もはや天下の武力の東半分を手中に収めている鎌倉殿と、その娘御たる大姫様が罵倒に等しい言い合いなぞ、想像の外の出来事だ。
しかも大姫は、表向きは病弱で、か弱き女性として知られている。そんな女性が主のため、自分たちの為に盾となり、鉾となり鎌倉殿とやりあったと聞けば、大姫や義高よりはわずかに年上だが、それでも年若い部類に入る少年たちである、感動しなければ嘘になる。
そんな事があり、海野と望月は大姫へ絶対の忠誠を尽くすことに決め、大蔵御所の通称奥の院に仕える事になっていた。
大蔵御所の広さは、南北二十町歩と、外側は大きく見せているが建物自体はごく狭いつくりとなっている。表向きの政務をとる部屋と、奥向きの生活を司る場所を一つ所に収めているのも理由であるし。
そもそも鎌倉殿はこの大蔵御所を政務と生活双方を兼ねる建物にする予定ではなかった。鎌倉殿の予定では政務を大蔵御所で行い、生活は海側の少し周りより高い場所に見渡しの良い家を作るつもりで造営を始めさせた。
しかし、ここで問題が起きる。鎌倉殿の政子様以外への思慕だ。大将軍は色を好むだとか、天下の主には世継ぎを作る使命があるため、側室はいればいるだけ良いみたいな風潮があるが、それをされる側の政子様はそんな風潮は断固反対の立場だ。
鎌倉殿に色目を使う女房衆など現れた日には、薙刀片手に追い散らし、止めようとする鎌倉殿の髻を斬り落とさんばかりの怒り様だ。
そんな夫婦関係であるのだが、鎌倉殿。止せばいいのに今度は鎌倉土豪の娘を見染めてしまった。
相手だって北条政子の逸話は多く聞いており、父娘そろって側室や想い人など滅相もない、当たらぬ神に祟りなしと、此度の事は無かったことにしようと極力努力したらしい。
だが、避けられ、離れていこうとする人ほど離したくなくなるのが人情。鎌倉殿も政子様に恐怖し、それこそ鎌倉から落去しようとまで悩んでいる父娘の前に現れ、必ず政子には手を出させない、だから少しの間だけでも枕の塵掃いを願えないかと直訴する。
流石に源氏の長者であり、東国の覇者である頼朝にそこまで言われて、拒否も出来ず土豪はしぶしぶ娘を差し出した。
その結果は、おそらく守ると誓った頼朝自身も予測の範疇だったろう。
土豪の娘を海が良く見える件の館に住まわせ、乙羽御前と命名し、週を待たずに通ったが、そんな時間は長くはなかった。
北条家の口伝えを駆使した政子様は、あっという間に乙羽御前の存在を看破した。そのうえで鎌倉殿を難詰し、夫婦喧嘩は一時的にではあるが鎌倉殿を大倉御所内に監禁するまで発展。鎌倉逗留の在番御家人に救いを求める鎌倉殿だったが、当然夫婦喧嘩に係るなど愚行と知る武士たち誰一人として鎌倉殿の味方にはならなかったという。
鎌倉殿を監禁した政子様は、その間に乙羽御前を下野の豪族に因果を含めて夫婦になるよう仲立ちをして、目出度く纏まると、そこでやっと鎌倉殿の監禁を許した。
その際の言葉が、お前さんを自由にさせると男も女も不幸になる、今後は政務だなんだと区別せず、すべて見させてもらいますからね、だったそうだ。
鎌倉殿には満面の笑みではっきりと判るように低い怒声で脅していた政子様だったが、その裏で鎌倉殿に恥をかかせた存在として、知恵の回らぬ御家人に粛清されそうな乙羽御前とその父親である土豪に救いの手を伸ばしたのも政子様だった。
北条家の人脈を使わずに、乙羽御前と土豪を三浦半島の喉元、佐原郡を与え将来の三浦氏への牽制役とした。後年、実際三浦氏討伐の際に、この土豪が勇躍したことは言うまでもない。因みに乙羽御前と下野の名家との婚姻は三浦氏騒動の以前に政子様肝いりで無事に執り行われた。
さて、そんな流れで生活を送る場所であった館を乙羽御前に使わせていた鎌倉殿は政子様の監視下に置かれることとなり、そうなると狭い鎌倉の町に不必要な館は必要ないとして、接遇用の館として公的に使われることになった。
なので当初は仮住まいで、ゆくゆくは政務のみの実務的な建物群として大蔵御所は作られている為、どうにも手狭になるというわけだ。
ならば、もっと建物を大きく改築すればよいと言う話もあるが、この戦乱の時期に御所建造の命令等出していい時期ではない事は鎌倉殿も判っているのだろう。
そんな大蔵御所である為、こんな事も起こる。
「これは初々しき若き武士であるな、良く見ぬ者たちであるが、大蔵御所で一体何をしておるのかな」
普通ならば、表向きな場所と内向きの更に奥の場に仕える人間が顔を合わせることは珍しい。と言うか基本はありえない。
政務に携わる武士が奥に仕える者と懇意になる等、暗殺や政変狙いと疑われる要因にしかならないので、双方で役目を司る者がいて顔を合わせない様に調整している。
狭い大蔵御所ならではの工夫で、都の御所では調整しなくとも予期せぬ顔合わせなど存在しない。
「これは、相模殿っ」
政子様に親しく接しててもらっている海野と望月だ。
勿論政子様のご兄弟である、通称相模殿、北条義時の事も知ってるし、大蔵御所の表側で力を持つ鎌倉御家人衆の中でも最大の実力者であることも大姫経由で伝えられている。
しかしながら、今まで至近の距離にあってお互い顔を合わせたことも、口をきいたことも無い。こちらは鎌倉殿にとっては敵であった木曽源氏の一角。さらには先ごろはすぐに撤回されたが、追討令の対象にまでされた清水冠者義高の家臣である。
立場が違いすぎるのもある。かたや関東御家人衆だけでなく、全国の武士の頂点にある幕府の役人で相模守の官位もある。こちらは奥座敷の一部に仮住まいをしているような、追討令も出された主人を持つ武士である。
大姫と言う、主人の良き人を守護すると心には誓っているが、それは自慢できる事でも、誰かを畏怖させる働きでもない。
自然と、腰が引けそうになるのを二人して支えながら、ぐっと顔を上げる。
「奥向きの武士にて大姫様に仕える者であります、今宵姫さまに於いては機嫌よろしく、今宵はさみしさを紛らわそうと月でも見るとの向き、某たちはその準備にと急いでついつい、道を踏み外してしまいました、なにとぞご容赦を」
元から病弱の噂が絶えず、義高逃亡以降はさらに具合を悪くしていたと周囲に流していた大姫であったが、流石に大倉御所に出入りする切れ者、北条義時殿に嘘は通じないだろう。大姫からもそろそろ、体調は回復の兆しありと言って良いと指示されている。
「それはそれはめでたき事ですね、これで鎌倉殿も一安心と言うもの。清水の冠者殿の一件や重衡殿の件もあり、鎌倉殿を取り巻く環境は心の臓に、太い釘を刺し貫くがごとき激務、従者殿もよく励んでくだされよ、はっはっはっ」
最後は取ってつけたような笑い声と共に、北条義時殿は歩いて行ってしまった。特に不心等抱かせたわけでもあるまいが、それでもやはり不気味だ。
「おい重隆、どう思うよ」
「なにやら笑い声の大きい御仁でけど、目だけはずっと笑ってなかったなぁ、姫の従者とはいえ、木曽の者であることは判っているのだろう」
「つまりは?」
「つまりは、警戒されたと言う事であろうな、だが大姫の裾の裏に隠れている限りは問題なしとでも思われたのであろう」
「何を言ってやがるんだ」
実際我らをいいように使い倒し、鎌倉殿とも対立さえを演出している張本人は、大姫その人である。我らが義高殿が恋しき妻である大姫を操っているとでも?
逆だ、逆。
「だが、姫の目的では良いのではないかな、幕府一の切れ者が真の策士を勘違いしているのならばな」
「そういうもんか?」
「ああ、そういうもんだ」
「ならば、良いか」
とにかく今は、大姫の言う通りに目立つ時は目立ち、潜むときは潜む。そうしていつの日にか主従として夫婦に仕えるのをまつだけだ。
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