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6章 彦島の塞
6-2
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尾張の国で、平重衛と顔を合わせ、彼の説得に失敗した義高は、そのまま北上、木曽谷で助けを借りて鎌倉を目指す事を考えていた。
実のところ、義高にしてみれば源平合戦の事は、あまり重要な事ではなかった。
父の仇とか、木曽源氏と河内源氏の対立なぞ、気にはなるし、何事かなせるならばとの思いもなくはないが、やはり最優先としては、鎌倉大倉御所の奥に居る大姫のことである。
戦や政に対して、そんな軽い気持ちだから重衛殿には見透かされ、話にならなかったのかも知れない。
正直な所、大姫の策に乗ったのが半分、残りの半分はやはり武士として、木曽源氏棟梁の跡継ぎとして、役割を与えられたかったとの気持ちが無かったかと言われれば嘘になる。
あの日あの時、入間で神の使いの様な禽獣に助けられなければ、死んでいた身だ。
あそこで首を斬られていたら、この様な事で悩む事も無かったろう。首は喋る事も悩む事も出来ないのだから。
しかし、そんな義高の下に、吉次からの屋島合流の文が来る。
「屋島と言えば平家の本拠ではないか、いくらなんでも木曽源氏の俺が行っても迷惑でしかないだろう」
今の平家の凋落のきっかけは、父である義仲が平家を京から追い出したのが端緒となる。そんな父の息子がおめおめ平家の元に参じても、ただ首を取られるだけという事もある。
「だがな義次、今は動くしかないぞ、木曽に行くのか、その吉次老の文に従い海を渉るのかどっちでも構わない、だがこのまま尾張で動けないで居ると、東海道を上って来る源氏の輩に追い掛け回されるぞ」
伊賀以来、何とはなしに一緒にいる富田家輔だ。
富田の家は伊賀平氏と共にあり、源氏とは距離を置きたいだろうが、いまや源氏と言えば鎌倉にいる源頼朝殿だ。
鎌倉殿に誅罰された木曽源氏はもはや源氏本流ではない、と言う事か。
富田の家は、義高と一緒にいたがる家輔を快く送り出していた。
今回の戦を通して、事実上の伊賀一職支配を成し遂げた伊賀少将、平家雅はそんな富田家にも、家輔にもなにも言わず、義高にだけは一言伝えてきた。
「伊賀とそうさな、伊勢南部、大和の一部は源氏だ平家だと言って、無闇に争わない事に決めた、これから宗盛殿と鎌倉殿やご舎弟義経殿が争うのだろう、貴殿がどう出るのかは判らぬが、こちらからは何もせぬ、亀の甲羅の様に静かにしているつもりぞ」
つまり家雅は、その影響力の及ぶ限りの国々に於いて不戦を守らせると言ったのだ。
今の世で、伊賀、伊勢南部、大和の北部に影響力があるという事は、その範囲の武士たちの中で平家よりの者達だけでも、数万の規模になる。京の義経軍と互角かそれ以上の勢力なのだ。それを京まで指呼の距離にあって動かさないのは他の勢力にとっては脅威でもあるが、義高には心強くある。
京周辺の数万は、もし大戦となった場合は大きな要石となるだろう。戦うのにも、戦わない時にも、さらに言えば負けて逃げる時にもだ。
「委細承知、もちろんこの義高、共に戦った仲間に刃を向ける礼儀は知りません、それよりも家雅殿こそご壮健あれ、何かとうるさき事も多々あろうほどに」
源氏も平家も、更には後白河法皇も、突然の様に現れて力をもった家雅を警戒しつつ、味方に引き入れようと画策しているだろう。
ただの書状での勧誘ならばまだ良いが、加増を匂わせたり、はっきりと官位を餌に誘う輩もいるに違いない。果てには近しいものには特に優しい家雅の気持ちを利用して、将を射止めるにはまずは馬からと、親族を篭絡にかかり、その上で家雅を口説く等、手法は無数にある。
「まぁ大丈夫よ、そこはそれ、これはこれだ、こちらも共に戦った男とは殺しあいたくないのが本音さ、気をつけてな」
それで家雅と別れ、義高は尾張で重衛と話をし、結果は旨く行かず、美濃から木曽に進もうかという時に吉次からの文が届いたのだ。
その文は通常の方法ではなく、吉次の心ききたる者が直接、義高の下に持ってきた。
尾張以降の動きは吉次に伝えていなかったが、尾張から木曽を目指し、美濃に移動すると言う心の動きを吉次は読んでいた、ということだろう。
吉次の使者は、少し前、禿の童として清盛入道に仕えていた少年のような風貌、眉で黒髪を揃え髷はない。声を聞くまで男女の違いも判らず、南宋渡りの人形みたいだ。
その使者が、文を義高に渡しても帰らずに、そのまま旅に同行すると言ってきた。
名を伊佐鷺と名乗り、明らかな偽名ながら、詮索する意味はないと追及はしなかった。
「同行はもちろん構わないが、監視されずともこの文の通りに屋島には向かいますよ、それよりも、もし知っていれば吉次殿は一体屋島で何をされているのでしょうか」
うろ覚えながら、吉次という男は奥州藤原氏に仕える商人で、豊富に産出される砂金を元に、各地の権力者と奥州とを繋げる道を持つ、稀有な男である。
一緒に行動していた頃の言動から想像したのは、吉次は源平どちらの味方でもなく、どちらかといえば武士自体を嫌っているふしがある。という事だ。
「それは知りませぬ、知りませぬが、吉次様のなさってることは、普段とは大きく違うと言うことは判ります、義高殿がわれ等の隊商に現れた事が原因かと」
義高は武蔵入間の庄で禽獣に助けられた後、吉次が差配する奥州平泉と京を結ぶ隊商に助けられている。
義高の素性を知る吉次なればこそ、何も知らぬ顔で、ただの若い武者として保護してくれた。その上で何かを求めることなどもせずに、義高の自由にさせている。思えば吉次からの願いなど、これが初めてではないだろうか。
「何を求めてかは判らないが、恩ある人の願いは聞くのが武士だ、とにかく屋島に行きましょう」
これにより、義高の美濃~木曽谷~鎌倉への道は変更され、義高、家輔と新たに供になった禿の髪型をもつ吉次からの使者、伊佐鷺は揃って屋島を目指すことになった。尾張まで共にいた華殿は、戸田家郎党と共に大和へと戻っている。
義高としては胸中は複雑であったが、木曽谷から鎌倉への策は、大姫からの知らせにはなかった事。急の回り道がまたの機会をくれる事もあろうと屋島に行くことを納得した。それに恩を返すと思えば気も体も軽い。無欲に保護されたとは思えず疑心暗鬼が続くよりはずっと良い。
道は美濃から近江、山城、摂津と進むのが本道ではあるが、その本道は源氏に参集する武士で溢れている。
伊勢伊賀平定で名を上げた、鎌倉殿の実弟、九朗判官義経の下に参じる為の集団で、その中には累代の平家の武士も混じっている。
表向きは、義経の勝利となっているから仕方ないのかもしれないが、草の靡きの様な武士が多くて情けない。
旭将軍たる我が父も、京から平家を追い出した時は寡兵で、滞在中に草の靡きの葉武者が沸立つ様に参集し軍は膨張、兵糧が圧迫された頃に鎌倉殿の差し向けた軍勢に大敗した。
鎌倉殿との決戦の時、近畿で参集した武士はわずかしか近くにいなかったという。
「今は伊賀しかござりませぬが、平家雅様には頼れませぬぞ」
小鳥のような涼やかな声で伊佐鷺が言う。吉次の使いとして各国を渡り歩いたのだろう、その見識は頼れる。
「なるほどな、伊佐鷺殿の見識に従いましょう」」
この物静かで、怜悧な風貌を持つ伊佐鷺を義高はどう扱ってよいか良く判らない。ただ彼が恩ある吉次の使者で、話す内容に陥れるような空気もない。
今は信じるしかない。
「義高が従うなら俺も否やは無い、安田の本家だって今俺たちが来たら迷惑を顔に映すだろうて」
今の伊賀は、義経と家雅の間の密約で静謐を取り戻したに過ぎない。鎌倉側の武士に勘付かれれば、恩賞でしかない義高の首が伊賀に入って家雅と組んだとでも言われ、せっかく終わった戦にまた火がついてしまう。
東国より上ってきた武士の大半は、手柄を立てて恩賞を得るのが目的なのだ。下手したら平家が誰の事かも知らないで、京まで来た者も少なくは無いだろう。組頭があの首を取れと言ったら、そのままに動く。
「それでは伊賀と近江の境をかすめ、和泉から屋島へと向かいましょう、一番良いのは摂津なのですが、そこにはおそらく義経殿の軍もいるでしょうから」
なんとなく先頭を伊佐鷺が担い、そのすぐ後ろを家輔、それから義高の順で進むことになった。
当時の大道といわれる東海道でも、人が並んで三人は歩けない。しかも義高達が歩くのはその脇道である。草深く、伊賀の山々に飲み込まれ、また出てくると言う様な道だ。初めは行き来する人の姿もあったが、二刻もすると周囲に人が見えなくなった。
「お、おい伊佐鷺よぅ、ちいとおぬしは早すぎではないかの」
伊賀の山歩きでなれている筈の家輔が、一番に声をあげた。
尾張を出て、既に四刻歩き続けである。
余程の急行軍でさえなければ、二刻に一回は休止を挟むのが常識と唐渡りの書にも書いてある。義高の息もきれぎれだ。
「何をおっしゃいます家輔殿、旅はまだまだ先が長ごうございますよ、今日中に近江には入っておきませぬと、間に合わなくなりますぞ」
「何をそんなに急いでも、明日、明後日に屋島が落ちる訳でもあるまいに」
「いや、家輔殿、明日の事など誰にも分かりませぬぞ、主の言では屋島の事、長くはないと見受けましてございます」
二人はやや歩調を緩めて話している。その口調にどちらも息切れはない。
これは家輔が自分に気を使っての事なのだろう。兄役とでもいいたいのか
「そんな、時期に我等が向かって、吉次、殿の役に、たつ事があるのか、な」
余裕の二人からしたら失笑ものだったろうが、義高も言いたい事はあった。屋島が近日中に陥落するとすれば、いったい自分の役割は何であろう。
源氏方の追撃を鈍らせる為の、囮にでもするのだろうか。
平家の公達より自身の首には重い恩賞がぶら下がっているだろうか。
「それはわかりませぬ、先も申したとおり、吉次様の胸にそれはありまする、まずは合流して、役目はそれからでと」
「気が急いているの判るが、おぬしも一息つけ」
言うと家輔は路傍にある、良き心地の石に座り込む。
「なっ」
「まあまあ、今の無理は明日の怪我につながるぞい、いざ屋島についてもそこで疲労困憊ものの役にたちませぬ、では話にもなるぬだろうよ」
家輔に続いて、こちらはもうぎりぎりであった義高は倒れこむように座り込み、すぐにそのまま仰向けに空を向いた。
左右の木々のおかげでまぶしいほどの空ではなかったが、それでも抜けるような青に疲れが癒される。
馬であれば木曽から鎌倉までの距離を走破している義高であったが、自らの足でここまで歩く訓練はしていない。
「いや、徒は凄いものだ」
伝う汗と、目の前の青でつい口から思ったままの言葉が出た。
騎馬武者に従う徒武者は重い鎧を持ち、手には長刀、背には箙と腰に大小の刀と、完全武装で並足の馬を追い抜く事さえある。
その分、飯も豪快で普段は口にしない白米に秘伝の味噌をたっぷりとぬり食す。それこそ童の頭ぐらいの量をだ。普段は粗食で稗や粟を主食とし、味噌等の塩の強いものは食べない。だからこそ戦場ではそれらを腹いっぱい食べて力を出す、とそういう事らしい。
「うむ、騎馬武者一人が幾ら強かろうとも、徒武者が従っておらねばなんの意味もない。薙刀で囲まれ馬から引きずり降ろされたら、あっという間に首になる、だから強い大将には強い徒武者が必ずいたというぞ」
騎馬武者が倒した相手の首をいちいち取る事はしない。一騎打ちでも最後の最後は徒武者が首を取る。その意味でも強い徒武者は強い大将には必須と言える。
「そうかあ、そういうもんか~」
ふと、鎌倉に残してきた昔馴染みの顔がよみがえる。
海野や望月、彼等なら良き徒武者として、一緒に戦場を駆ける事が出来たかもしれない。
今頃は鎌倉に幽閉されているのだろうか、もしくは自身の身代わりとして弑されている可能性もある。
しかし、見た目は病弱で、こうなるまでは気づかなかった我が妻の存在が鎌倉にはある。部屋の中から一歩も出ずして、こうまで日の本の状況を読み、先を導いてくれる女子だ。
彼等の事も何とかしてはくれているだろう。
実のところ、義高にしてみれば源平合戦の事は、あまり重要な事ではなかった。
父の仇とか、木曽源氏と河内源氏の対立なぞ、気にはなるし、何事かなせるならばとの思いもなくはないが、やはり最優先としては、鎌倉大倉御所の奥に居る大姫のことである。
戦や政に対して、そんな軽い気持ちだから重衛殿には見透かされ、話にならなかったのかも知れない。
正直な所、大姫の策に乗ったのが半分、残りの半分はやはり武士として、木曽源氏棟梁の跡継ぎとして、役割を与えられたかったとの気持ちが無かったかと言われれば嘘になる。
あの日あの時、入間で神の使いの様な禽獣に助けられなければ、死んでいた身だ。
あそこで首を斬られていたら、この様な事で悩む事も無かったろう。首は喋る事も悩む事も出来ないのだから。
しかし、そんな義高の下に、吉次からの屋島合流の文が来る。
「屋島と言えば平家の本拠ではないか、いくらなんでも木曽源氏の俺が行っても迷惑でしかないだろう」
今の平家の凋落のきっかけは、父である義仲が平家を京から追い出したのが端緒となる。そんな父の息子がおめおめ平家の元に参じても、ただ首を取られるだけという事もある。
「だがな義次、今は動くしかないぞ、木曽に行くのか、その吉次老の文に従い海を渉るのかどっちでも構わない、だがこのまま尾張で動けないで居ると、東海道を上って来る源氏の輩に追い掛け回されるぞ」
伊賀以来、何とはなしに一緒にいる富田家輔だ。
富田の家は伊賀平氏と共にあり、源氏とは距離を置きたいだろうが、いまや源氏と言えば鎌倉にいる源頼朝殿だ。
鎌倉殿に誅罰された木曽源氏はもはや源氏本流ではない、と言う事か。
富田の家は、義高と一緒にいたがる家輔を快く送り出していた。
今回の戦を通して、事実上の伊賀一職支配を成し遂げた伊賀少将、平家雅はそんな富田家にも、家輔にもなにも言わず、義高にだけは一言伝えてきた。
「伊賀とそうさな、伊勢南部、大和の一部は源氏だ平家だと言って、無闇に争わない事に決めた、これから宗盛殿と鎌倉殿やご舎弟義経殿が争うのだろう、貴殿がどう出るのかは判らぬが、こちらからは何もせぬ、亀の甲羅の様に静かにしているつもりぞ」
つまり家雅は、その影響力の及ぶ限りの国々に於いて不戦を守らせると言ったのだ。
今の世で、伊賀、伊勢南部、大和の北部に影響力があるという事は、その範囲の武士たちの中で平家よりの者達だけでも、数万の規模になる。京の義経軍と互角かそれ以上の勢力なのだ。それを京まで指呼の距離にあって動かさないのは他の勢力にとっては脅威でもあるが、義高には心強くある。
京周辺の数万は、もし大戦となった場合は大きな要石となるだろう。戦うのにも、戦わない時にも、さらに言えば負けて逃げる時にもだ。
「委細承知、もちろんこの義高、共に戦った仲間に刃を向ける礼儀は知りません、それよりも家雅殿こそご壮健あれ、何かとうるさき事も多々あろうほどに」
源氏も平家も、更には後白河法皇も、突然の様に現れて力をもった家雅を警戒しつつ、味方に引き入れようと画策しているだろう。
ただの書状での勧誘ならばまだ良いが、加増を匂わせたり、はっきりと官位を餌に誘う輩もいるに違いない。果てには近しいものには特に優しい家雅の気持ちを利用して、将を射止めるにはまずは馬からと、親族を篭絡にかかり、その上で家雅を口説く等、手法は無数にある。
「まぁ大丈夫よ、そこはそれ、これはこれだ、こちらも共に戦った男とは殺しあいたくないのが本音さ、気をつけてな」
それで家雅と別れ、義高は尾張で重衛と話をし、結果は旨く行かず、美濃から木曽に進もうかという時に吉次からの文が届いたのだ。
その文は通常の方法ではなく、吉次の心ききたる者が直接、義高の下に持ってきた。
尾張以降の動きは吉次に伝えていなかったが、尾張から木曽を目指し、美濃に移動すると言う心の動きを吉次は読んでいた、ということだろう。
吉次の使者は、少し前、禿の童として清盛入道に仕えていた少年のような風貌、眉で黒髪を揃え髷はない。声を聞くまで男女の違いも判らず、南宋渡りの人形みたいだ。
その使者が、文を義高に渡しても帰らずに、そのまま旅に同行すると言ってきた。
名を伊佐鷺と名乗り、明らかな偽名ながら、詮索する意味はないと追及はしなかった。
「同行はもちろん構わないが、監視されずともこの文の通りに屋島には向かいますよ、それよりも、もし知っていれば吉次殿は一体屋島で何をされているのでしょうか」
うろ覚えながら、吉次という男は奥州藤原氏に仕える商人で、豊富に産出される砂金を元に、各地の権力者と奥州とを繋げる道を持つ、稀有な男である。
一緒に行動していた頃の言動から想像したのは、吉次は源平どちらの味方でもなく、どちらかといえば武士自体を嫌っているふしがある。という事だ。
「それは知りませぬ、知りませぬが、吉次様のなさってることは、普段とは大きく違うと言うことは判ります、義高殿がわれ等の隊商に現れた事が原因かと」
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「何を求めてかは判らないが、恩ある人の願いは聞くのが武士だ、とにかく屋島に行きましょう」
これにより、義高の美濃~木曽谷~鎌倉への道は変更され、義高、家輔と新たに供になった禿の髪型をもつ吉次からの使者、伊佐鷺は揃って屋島を目指すことになった。尾張まで共にいた華殿は、戸田家郎党と共に大和へと戻っている。
義高としては胸中は複雑であったが、木曽谷から鎌倉への策は、大姫からの知らせにはなかった事。急の回り道がまたの機会をくれる事もあろうと屋島に行くことを納得した。それに恩を返すと思えば気も体も軽い。無欲に保護されたとは思えず疑心暗鬼が続くよりはずっと良い。
道は美濃から近江、山城、摂津と進むのが本道ではあるが、その本道は源氏に参集する武士で溢れている。
伊勢伊賀平定で名を上げた、鎌倉殿の実弟、九朗判官義経の下に参じる為の集団で、その中には累代の平家の武士も混じっている。
表向きは、義経の勝利となっているから仕方ないのかもしれないが、草の靡きの様な武士が多くて情けない。
旭将軍たる我が父も、京から平家を追い出した時は寡兵で、滞在中に草の靡きの葉武者が沸立つ様に参集し軍は膨張、兵糧が圧迫された頃に鎌倉殿の差し向けた軍勢に大敗した。
鎌倉殿との決戦の時、近畿で参集した武士はわずかしか近くにいなかったという。
「今は伊賀しかござりませぬが、平家雅様には頼れませぬぞ」
小鳥のような涼やかな声で伊佐鷺が言う。吉次の使いとして各国を渡り歩いたのだろう、その見識は頼れる。
「なるほどな、伊佐鷺殿の見識に従いましょう」」
この物静かで、怜悧な風貌を持つ伊佐鷺を義高はどう扱ってよいか良く判らない。ただ彼が恩ある吉次の使者で、話す内容に陥れるような空気もない。
今は信じるしかない。
「義高が従うなら俺も否やは無い、安田の本家だって今俺たちが来たら迷惑を顔に映すだろうて」
今の伊賀は、義経と家雅の間の密約で静謐を取り戻したに過ぎない。鎌倉側の武士に勘付かれれば、恩賞でしかない義高の首が伊賀に入って家雅と組んだとでも言われ、せっかく終わった戦にまた火がついてしまう。
東国より上ってきた武士の大半は、手柄を立てて恩賞を得るのが目的なのだ。下手したら平家が誰の事かも知らないで、京まで来た者も少なくは無いだろう。組頭があの首を取れと言ったら、そのままに動く。
「それでは伊賀と近江の境をかすめ、和泉から屋島へと向かいましょう、一番良いのは摂津なのですが、そこにはおそらく義経殿の軍もいるでしょうから」
なんとなく先頭を伊佐鷺が担い、そのすぐ後ろを家輔、それから義高の順で進むことになった。
当時の大道といわれる東海道でも、人が並んで三人は歩けない。しかも義高達が歩くのはその脇道である。草深く、伊賀の山々に飲み込まれ、また出てくると言う様な道だ。初めは行き来する人の姿もあったが、二刻もすると周囲に人が見えなくなった。
「お、おい伊佐鷺よぅ、ちいとおぬしは早すぎではないかの」
伊賀の山歩きでなれている筈の家輔が、一番に声をあげた。
尾張を出て、既に四刻歩き続けである。
余程の急行軍でさえなければ、二刻に一回は休止を挟むのが常識と唐渡りの書にも書いてある。義高の息もきれぎれだ。
「何をおっしゃいます家輔殿、旅はまだまだ先が長ごうございますよ、今日中に近江には入っておきませぬと、間に合わなくなりますぞ」
「何をそんなに急いでも、明日、明後日に屋島が落ちる訳でもあるまいに」
「いや、家輔殿、明日の事など誰にも分かりませぬぞ、主の言では屋島の事、長くはないと見受けましてございます」
二人はやや歩調を緩めて話している。その口調にどちらも息切れはない。
これは家輔が自分に気を使っての事なのだろう。兄役とでもいいたいのか
「そんな、時期に我等が向かって、吉次、殿の役に、たつ事があるのか、な」
余裕の二人からしたら失笑ものだったろうが、義高も言いたい事はあった。屋島が近日中に陥落するとすれば、いったい自分の役割は何であろう。
源氏方の追撃を鈍らせる為の、囮にでもするのだろうか。
平家の公達より自身の首には重い恩賞がぶら下がっているだろうか。
「それはわかりませぬ、先も申したとおり、吉次様の胸にそれはありまする、まずは合流して、役目はそれからでと」
「気が急いているの判るが、おぬしも一息つけ」
言うと家輔は路傍にある、良き心地の石に座り込む。
「なっ」
「まあまあ、今の無理は明日の怪我につながるぞい、いざ屋島についてもそこで疲労困憊ものの役にたちませぬ、では話にもなるぬだろうよ」
家輔に続いて、こちらはもうぎりぎりであった義高は倒れこむように座り込み、すぐにそのまま仰向けに空を向いた。
左右の木々のおかげでまぶしいほどの空ではなかったが、それでも抜けるような青に疲れが癒される。
馬であれば木曽から鎌倉までの距離を走破している義高であったが、自らの足でここまで歩く訓練はしていない。
「いや、徒は凄いものだ」
伝う汗と、目の前の青でつい口から思ったままの言葉が出た。
騎馬武者に従う徒武者は重い鎧を持ち、手には長刀、背には箙と腰に大小の刀と、完全武装で並足の馬を追い抜く事さえある。
その分、飯も豪快で普段は口にしない白米に秘伝の味噌をたっぷりとぬり食す。それこそ童の頭ぐらいの量をだ。普段は粗食で稗や粟を主食とし、味噌等の塩の強いものは食べない。だからこそ戦場ではそれらを腹いっぱい食べて力を出す、とそういう事らしい。
「うむ、騎馬武者一人が幾ら強かろうとも、徒武者が従っておらねばなんの意味もない。薙刀で囲まれ馬から引きずり降ろされたら、あっという間に首になる、だから強い大将には強い徒武者が必ずいたというぞ」
騎馬武者が倒した相手の首をいちいち取る事はしない。一騎打ちでも最後の最後は徒武者が首を取る。その意味でも強い徒武者は強い大将には必須と言える。
「そうかあ、そういうもんか~」
ふと、鎌倉に残してきた昔馴染みの顔がよみがえる。
海野や望月、彼等なら良き徒武者として、一緒に戦場を駆ける事が出来たかもしれない。
今頃は鎌倉に幽閉されているのだろうか、もしくは自身の身代わりとして弑されている可能性もある。
しかし、見た目は病弱で、こうなるまでは気づかなかった我が妻の存在が鎌倉にはある。部屋の中から一歩も出ずして、こうまで日の本の状況を読み、先を導いてくれる女子だ。
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