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4章 衰亡の風と救いの光
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強い風がびょおっと通り過ぎて行き、薄い板で仕切られた義経の寝室を揺らす。
連日の軍議とは名ばかりの話し合いに飽いてはいたが、義経はひたすらに気を練り、進軍の機会を待っていた。
今の平氏の本隊は海の向こう、屋島にある。
そこを攻めずして山陽道を直進、糧食が得られず救いの声を上げている範頼の軍の考えなしにはあきれ返るばかりだが、そのおかげで今の義経が有ると言っても良い。
一時期は外されていた一の谷以来の平氏討伐大将に任じられたからだ。
「しかし、ここまであの姫の考えのとおりとは、恐ろしい限りだ」
大姫の書状には、重衛の救出だけでなく、屋島の攻略についても書いてあった。その際の総大将は鎌倉殿がいかに疎んじようとも、必ず叔父である義経になると。
後に三日平氏の乱といわれる戦いに、形としては勝利した義経だったが、鎌倉にいる頼朝の換気は解けず、平家討伐大将は範頼とされ、源氏の本隊は進軍して行った。
当初義経は何故にここまで武功を上げ、禁裏の覚えめでたい自分が兄である頼朝に嫌われるのか理解できなかった。
少数の部下達は梶原の讒言が原因とも言うが、実際の勝利をつかみ取っているのは自分である。聡明な兄にそれがわからない筈がないと思っていた。
しかし大姫からの未来を見据えた書状が、こうまで的中するのであれば、その文中で記されていた頼朝の怒りの原因も本当の事なのかも知れない。
いわく、兄は自分が兄の地位を奪い、莫大な戦功と共に源氏の棟梁になる気ではないかと疑われていると言う内容をだ。
それを読んだ瞬間に、義経は大姫の書状を破り捨てようとしたが、すんでの所で、弁慶と山海に静止され思いとどまった。
うまくいかない伊賀戦線での決着がつけられる策があると言われ、我慢できた。
「そして、この屋島よ」
屋島には平氏の本軍だけでなく、理解しがたいことに平氏にとって絶対に護らなければならない筈の安徳天皇や女房衆までいるというのだ。
はるか唐の国の北方にいるという噂の遊牧民族ならいざ知らず、戦陣に女房衆を引き連れるなど義経にしたら正気の沙汰ではない。
しかしそれゆえなのか、屋島の要塞化は目を見張る進捗具合で、正面から攻め入る隙など微塵もない。
軍事常識に捕らわれず、常に戦を演じてきた義経であったが、もし平氏のこの女房衆を使っての士気の向上を要塞化工事に転化したというのならば、平宗盛と言う男を見誤っていたと言うしかない。
実際にはそんな遠大な考えからではないのだが、事実として義経をして屋島の攻略方法が思いつかないほどだ。
「御曹司、そろそろ行きませぬと」
戸の向こう側から声がかかる。
一の郎党である武蔵坊弁慶は、摂津の浜にて船の調達にかかっているため、今の義経の従者は山海だった。
思えばこの山海がもたらした大姫の書状から、今まで義経が考えて来なかったような事柄まで考えさせられるようになった。
鎌倉殿、梶原景時、土肥実平、源範頼、後白河法皇から、平宗盛、知盛、重衛の事などや、大姫と木曽冠者義高の事、更には奥州藤原氏のことまで。
すべてを考えてこなかったとは言わないが、敵は敵、味方は味方としてみており、そこから先の熟慮などしてこなかった。
その盲点を大姫は見事に突き、敵は何故敵なのか、味方は本当に味方なのかを義経に問いかけてきた。
「御曹司、またぞろ梶原殿が騒ぎまするぞ、難癖をつけるだけとは言え軍議ですぞ」
「ええいわかっておるよ山海、まったくあやつらは口ではやれ鎌倉殿の恩顧に報いるためというだけで積極的に戦おうとしておらぬ、やれ海は怖いだの、船が足りぬだの、範頼どのの動きを待って挟撃を唱えるなど片腹痛い」
山海の呼びかけで仕方なく義経は部屋を出て歩き出す。山海は音もなく戸を閉めると、ぎりぎり義経の声が届く距離を保ち後方をついてくる。
眼光は鋭く、刺客などいたら即座に義経の前に飛び出て主を守るだろう事が予測できる瞳だ。その証拠に手は腰に伸びており何時でも武器を取り出せる姿勢のままだ。
「しかし、御曹司も屋島を攻める方法が見つからぬと仰っていたのでは?」
「痛い事を言うな山海」
「いや、これは失言でしたかな?」
「なに、かまわんさ、確かにこの義経を持ってしても屋島は陥とせない、せっかく鎌倉殿に総大将にしてもらったのだが、これでは顔向けができぬな」
義経は振り返って山海を見る。彼はいかつい顔の口の端をわずかにゆがめていた。
それがこの男なりの可笑し味の現し方だと気づいたのはつい、先頃だ。
大姫の書状はこの山海が義経に献じたのだ。その内容全てを知っているとも思えないが、それでも屋島の陥とし方くらい書いてあると想像しているのだろう。
そして、それは其の通りなのだが、義経は敢えて大姫の策を誰にも教えていない。書状自体にそう記されていたと言うのもあるが、誰かに聞かせればご利益が薄れ、大姫の読みが外れるかもしれない、そう思ってしまったのだ。
まったく児戯だが、策が当たる限りは信用しようと思う。
「御曹司!あれは」
強い風の向こう、すぐ傍に建つ、軍義を行う館の裏からばらばらと人が飛び出してきた。
その数は十数人といった所か。
みな顔に頭巾を被ったり、頭巾の無いものは布で頭をぐるぐる巻きにして人相がわからないようにしている。
「賊か?いや違うか、こんな陣中深く図ったようにこの義経の前に出てくるのが賊なわけは無い、山海、心せよ!」
義経は腰に刺している刀、源氏重代の証、友切をすらりと抜き放ち構えた。
しかし、その構える姿はとても勇壮な武士とは言えず、背後で小刀を構える山海から見ても危なっかしい。
膝は、より低く構え、上半身は極端な前傾姿勢。まるで今にも飛び出してきそうな、四足獣の姿勢だが、その姿勢から相手を一刀両断というイメージは湧いて来ない。
立派な武士というよりは、初めて刀を持った餓鬼大将のようだ。
相手側に明らかな侮蔑の空気があらわれる。一人などは覆面の中から笑い声が聞こえてくるほどだ。
「なるほど、こやつらは御曹司と戦場を共にはしていないようですな」
義経直轄の部下はほとんどいない。弁慶等を代表に五十にも満たない数が義経の直轄部隊だ。
奥州から着の身着のまま参じた義経には領地が無い。養える部下の数はおのずと制限されざるえない。
五十の部下も維持する経費の大半は各々の自弁か、頼朝に借りを作ってなんとかしている数だ。
だが、摂津、都、一の谷と連戦している最中で戦陣が重なり、轡を並べて突撃した坂東武士達も少なからず、いることにはいるのだ。
そんな彼らは、いささか奇異に見える義経の白兵戦術が、実は見え方以上に恐怖すべきものだと知っている。
山海が初めて義経の斬り合いを見た時には、卑怯という言葉しか浮かばなかった。どうせ卑怯な行いをする武士は、すぐに殺されるとも思っていた。
しかし、義経は戦にも斬り合いにも負けずに生きている。
遥かに潔く、誰もが憧れた旭将軍木曽義仲は死に、義経は生き残っている。その事実が山海をして、義経の味方とさせているのだ。
「おおぉぉぉ」
刺客の数名が一気に義経に迫る。刀は大上段。
「馬鹿か?」
戦場で大上段に振りかぶる等馬鹿げている。敵は目の前だけではないのだ。一対一しかない試合であれば必殺かもしれないが、複数を前提としたとき、これほど弱い構えもない。
結果、義経は自分に一番近い武士に向かって、前転しながら刀で足を払う。
これも自分の足を使わずに、友切でスパッとやるわけだから堪らない。
いきなり目の前の敵が消えて、気づいた時には足が切られているのだ。
完全武装の場合、義経をこれを膝の裏にやる。
前面部分は厚い皮等で覆われていても、間接は曲がる物。だから膝の裏に防備はないので、そこを狙うわけだ。
力が無い故の白兵戦術、義経の得意とする奇策だ。
前転の勢いのまま、スッと飛び起きる義経、相手の肩に手を置いてさらに跳躍する。
驚いた相手が斬りつけようとするが、鞍馬仕込の跳躍力で義経はすでに次の敵の肩を切りつけていた。
もう一人が背後から斬り付けようとする。義経は前方の敵に向けて刀を振るっているため、気づいていないように見える。
「ふっ」
山海は短い呼気と共に、両の手にもった小刀を、二本立て続けにその敵に向かって放つ。
「ぐむっ」
狙いは過たず、一本は敵の目を抉り、もう一本は内股に刺さった。
一瞬にして仲間を倒された敵は、ひるみを見せる。
こいつら専門じゃないな。殺し屋の専門、厩戸の王子以来の伝統を受け継ぐ斑鳩の刺客ならば、こうも簡単にひるんだりしないし、そもそもこの様な稚拙な襲い方などしないだろう。
この敵は平氏の残党か、もしく京の風に慣れた武者だ。
「ええい、邪魔!」
勇気を振り絞ってまた刀を構える刺客に、山海は無造作に小刀を投げ手首に突き刺す。
それで刀を取り落として逃げてしまうなど、とても信じられない。だが平氏の公達武者ならばありえるか?
「いや、無いな、御曹司!一人は」
生き残らせて犯人を割る。そうすれば刺客の素性もそれを依頼した人間の意志もはっきりするだろう。
「おう、任せろ山海」
完全に、襲い掛かってきた者たちの意気は阻喪している。襲い掛かった当初はこちらを侮っていた奴等だが、まさかたったの二人に返り討ちに会うとは思わなかったに違いない。
残る敵は数名。
その正面には義経が立ち、脇に山海が位置どる。
「逃げ場はないぞ、神妙にせよっ」
義経の凛とした声が夜気を震わせ、相手の落ちた士気を更に打ち砕く。
どうやら御曹司は、不満の解消をしているなと山海は感じた。
屋島を攻める事ができずにいる鬱屈を刺客にぶつけるというよりは、この寸刻の剣戟を楽しんでいるのだろうな、と。
「くっ、しかたあるまい」
残った敵の半分三名が刀を捨てて降参の意思を表す。今の義経に逆らったとて、ねずみを猫がいたぶる様に殺されるだけと判ったのだろう。
「よし、山海こいつらを」
義経が皆まで言う前に異変は起きた。
三名は刀を捨てて降伏の意思を表していたが、残りの三名はまだ刀を握っていた。その三名が降伏しようとした者の首をいきなり飛ばした。
「え?」
口から漏れる声を聞く限り、首を飛ばされた三名はまさか味方に殺されるとは思ってもいなかったのだろう。
山海に言わせれば、甘いとしか言いようがない。
むしろ首を飛ばした三名の方にこそ山海は共感を覚える。与えられた任務に失敗し、その上恥辱を味わいながら降伏。そこまではまだ許せるのかもしれない。しかしこんな暗殺の内情を敵に教えるわけには行かないのだ。
降伏すれば許される。
それは正々堂々の戦いでこその話で、暗殺の刺客を全面的に許す者は普通いない。
うちの御曹司ならやりかねないけどな。
「死なばもろともよ!」
決死の一撃を放つべく三名の男たちが一斉に義経に迫る。その一人一人の動きは先の者達とは段違いで、剛直さを感じさせるものだった。だが、技量高い上に必死だとは言え、それは個人の話で、連携されなければそれほど怖くはない。
「下がれ下郎どもが!」
山海の気合と共に放たれた小刀は二人の男の太ももに突き立つ。あの場所ならば時間をかけて癒しても足を一生動かすことが出来ないと言う一撃だ。
「おのれ!」
唯一怪我を負わなかった男が義経に迫る。
対する義経は友切をだらりと下げて左半身の構え。いかに追い詰められたとはいえ、体格も恐らく力も敵の方が数段上だ。
そんな相手を義経は避けようともせずに、待ち受ける。
「うっ」
敵の刀が突きの形で義経に届こうかという刹那。左手の裾が相手の刀に絡みついた。
もちろん偶然ではなく、裾が相手の刀に切り裂かれることないように絡みついたのは義経の技だ。
瞬間の動きで相手の突きを巻き取った義経は、姿勢を崩す敵にため息をつきながら、同じような突きを見舞う。
左の目から入った刀の先が頭蓋骨の向こうに突き出たあたりで義経は手を放し、今度は足が動けずにのたうっている二人に迫る。
「御曹司!」
「いい、もういいのだ山海、わかったのだ俺には!」
呆れたような、疲れたような表情で義経は苦もなく二人の男の首を飛ばした後、しばらく下を向いたままだったが、不意に顔を上げると
「山海、何で俺はこうまで嫌われるんだ?」
「そっそれは妬みというものではないかと、誰しもが鎌倉殿との血縁を求め得られず、更には恐ろしいほどの作戦の冴えは羨望の的」
襲撃者が梶原景時等の、坂東武者の差し金なのではと推測しての言葉だったが、山海は自分でそれを納得していない。
自分が納得していない答えを自分より鋭い義経が信じるはずがない。そこまでは考えていた。
「いいよ山海、はっきり言ってくれ、何故俺はここまで鎌倉殿に嫌われるんだ?」
静かな声だった。
今までの義経からは想像できない、暗く静かで冷たい声。
古参の弁慶が聞けば何というだろうか?しかしあいにくここには死体と山海と、主人である義経しかいない。
義経の言葉では、犯人は、この刺客達の命令者は鎌倉殿と言っている。
「鎌倉殿は御曹司を恐れているのではないかと、自らの道を遮る可能性を持つのは、九朗義経の殿しかおりませんゆえ」
「やはり、大姫の言うとおりになるのか・・・・・・」
その声もまた、冷たく静かで、戦場往来し幾多の死地を潜り抜けてきた山海の背筋に 冷たい物を感じさせた。
連日の軍議とは名ばかりの話し合いに飽いてはいたが、義経はひたすらに気を練り、進軍の機会を待っていた。
今の平氏の本隊は海の向こう、屋島にある。
そこを攻めずして山陽道を直進、糧食が得られず救いの声を上げている範頼の軍の考えなしにはあきれ返るばかりだが、そのおかげで今の義経が有ると言っても良い。
一時期は外されていた一の谷以来の平氏討伐大将に任じられたからだ。
「しかし、ここまであの姫の考えのとおりとは、恐ろしい限りだ」
大姫の書状には、重衛の救出だけでなく、屋島の攻略についても書いてあった。その際の総大将は鎌倉殿がいかに疎んじようとも、必ず叔父である義経になると。
後に三日平氏の乱といわれる戦いに、形としては勝利した義経だったが、鎌倉にいる頼朝の換気は解けず、平家討伐大将は範頼とされ、源氏の本隊は進軍して行った。
当初義経は何故にここまで武功を上げ、禁裏の覚えめでたい自分が兄である頼朝に嫌われるのか理解できなかった。
少数の部下達は梶原の讒言が原因とも言うが、実際の勝利をつかみ取っているのは自分である。聡明な兄にそれがわからない筈がないと思っていた。
しかし大姫からの未来を見据えた書状が、こうまで的中するのであれば、その文中で記されていた頼朝の怒りの原因も本当の事なのかも知れない。
いわく、兄は自分が兄の地位を奪い、莫大な戦功と共に源氏の棟梁になる気ではないかと疑われていると言う内容をだ。
それを読んだ瞬間に、義経は大姫の書状を破り捨てようとしたが、すんでの所で、弁慶と山海に静止され思いとどまった。
うまくいかない伊賀戦線での決着がつけられる策があると言われ、我慢できた。
「そして、この屋島よ」
屋島には平氏の本軍だけでなく、理解しがたいことに平氏にとって絶対に護らなければならない筈の安徳天皇や女房衆までいるというのだ。
はるか唐の国の北方にいるという噂の遊牧民族ならいざ知らず、戦陣に女房衆を引き連れるなど義経にしたら正気の沙汰ではない。
しかしそれゆえなのか、屋島の要塞化は目を見張る進捗具合で、正面から攻め入る隙など微塵もない。
軍事常識に捕らわれず、常に戦を演じてきた義経であったが、もし平氏のこの女房衆を使っての士気の向上を要塞化工事に転化したというのならば、平宗盛と言う男を見誤っていたと言うしかない。
実際にはそんな遠大な考えからではないのだが、事実として義経をして屋島の攻略方法が思いつかないほどだ。
「御曹司、そろそろ行きませぬと」
戸の向こう側から声がかかる。
一の郎党である武蔵坊弁慶は、摂津の浜にて船の調達にかかっているため、今の義経の従者は山海だった。
思えばこの山海がもたらした大姫の書状から、今まで義経が考えて来なかったような事柄まで考えさせられるようになった。
鎌倉殿、梶原景時、土肥実平、源範頼、後白河法皇から、平宗盛、知盛、重衛の事などや、大姫と木曽冠者義高の事、更には奥州藤原氏のことまで。
すべてを考えてこなかったとは言わないが、敵は敵、味方は味方としてみており、そこから先の熟慮などしてこなかった。
その盲点を大姫は見事に突き、敵は何故敵なのか、味方は本当に味方なのかを義経に問いかけてきた。
「御曹司、またぞろ梶原殿が騒ぎまするぞ、難癖をつけるだけとは言え軍議ですぞ」
「ええいわかっておるよ山海、まったくあやつらは口ではやれ鎌倉殿の恩顧に報いるためというだけで積極的に戦おうとしておらぬ、やれ海は怖いだの、船が足りぬだの、範頼どのの動きを待って挟撃を唱えるなど片腹痛い」
山海の呼びかけで仕方なく義経は部屋を出て歩き出す。山海は音もなく戸を閉めると、ぎりぎり義経の声が届く距離を保ち後方をついてくる。
眼光は鋭く、刺客などいたら即座に義経の前に飛び出て主を守るだろう事が予測できる瞳だ。その証拠に手は腰に伸びており何時でも武器を取り出せる姿勢のままだ。
「しかし、御曹司も屋島を攻める方法が見つからぬと仰っていたのでは?」
「痛い事を言うな山海」
「いや、これは失言でしたかな?」
「なに、かまわんさ、確かにこの義経を持ってしても屋島は陥とせない、せっかく鎌倉殿に総大将にしてもらったのだが、これでは顔向けができぬな」
義経は振り返って山海を見る。彼はいかつい顔の口の端をわずかにゆがめていた。
それがこの男なりの可笑し味の現し方だと気づいたのはつい、先頃だ。
大姫の書状はこの山海が義経に献じたのだ。その内容全てを知っているとも思えないが、それでも屋島の陥とし方くらい書いてあると想像しているのだろう。
そして、それは其の通りなのだが、義経は敢えて大姫の策を誰にも教えていない。書状自体にそう記されていたと言うのもあるが、誰かに聞かせればご利益が薄れ、大姫の読みが外れるかもしれない、そう思ってしまったのだ。
まったく児戯だが、策が当たる限りは信用しようと思う。
「御曹司!あれは」
強い風の向こう、すぐ傍に建つ、軍義を行う館の裏からばらばらと人が飛び出してきた。
その数は十数人といった所か。
みな顔に頭巾を被ったり、頭巾の無いものは布で頭をぐるぐる巻きにして人相がわからないようにしている。
「賊か?いや違うか、こんな陣中深く図ったようにこの義経の前に出てくるのが賊なわけは無い、山海、心せよ!」
義経は腰に刺している刀、源氏重代の証、友切をすらりと抜き放ち構えた。
しかし、その構える姿はとても勇壮な武士とは言えず、背後で小刀を構える山海から見ても危なっかしい。
膝は、より低く構え、上半身は極端な前傾姿勢。まるで今にも飛び出してきそうな、四足獣の姿勢だが、その姿勢から相手を一刀両断というイメージは湧いて来ない。
立派な武士というよりは、初めて刀を持った餓鬼大将のようだ。
相手側に明らかな侮蔑の空気があらわれる。一人などは覆面の中から笑い声が聞こえてくるほどだ。
「なるほど、こやつらは御曹司と戦場を共にはしていないようですな」
義経直轄の部下はほとんどいない。弁慶等を代表に五十にも満たない数が義経の直轄部隊だ。
奥州から着の身着のまま参じた義経には領地が無い。養える部下の数はおのずと制限されざるえない。
五十の部下も維持する経費の大半は各々の自弁か、頼朝に借りを作ってなんとかしている数だ。
だが、摂津、都、一の谷と連戦している最中で戦陣が重なり、轡を並べて突撃した坂東武士達も少なからず、いることにはいるのだ。
そんな彼らは、いささか奇異に見える義経の白兵戦術が、実は見え方以上に恐怖すべきものだと知っている。
山海が初めて義経の斬り合いを見た時には、卑怯という言葉しか浮かばなかった。どうせ卑怯な行いをする武士は、すぐに殺されるとも思っていた。
しかし、義経は戦にも斬り合いにも負けずに生きている。
遥かに潔く、誰もが憧れた旭将軍木曽義仲は死に、義経は生き残っている。その事実が山海をして、義経の味方とさせているのだ。
「おおぉぉぉ」
刺客の数名が一気に義経に迫る。刀は大上段。
「馬鹿か?」
戦場で大上段に振りかぶる等馬鹿げている。敵は目の前だけではないのだ。一対一しかない試合であれば必殺かもしれないが、複数を前提としたとき、これほど弱い構えもない。
結果、義経は自分に一番近い武士に向かって、前転しながら刀で足を払う。
これも自分の足を使わずに、友切でスパッとやるわけだから堪らない。
いきなり目の前の敵が消えて、気づいた時には足が切られているのだ。
完全武装の場合、義経をこれを膝の裏にやる。
前面部分は厚い皮等で覆われていても、間接は曲がる物。だから膝の裏に防備はないので、そこを狙うわけだ。
力が無い故の白兵戦術、義経の得意とする奇策だ。
前転の勢いのまま、スッと飛び起きる義経、相手の肩に手を置いてさらに跳躍する。
驚いた相手が斬りつけようとするが、鞍馬仕込の跳躍力で義経はすでに次の敵の肩を切りつけていた。
もう一人が背後から斬り付けようとする。義経は前方の敵に向けて刀を振るっているため、気づいていないように見える。
「ふっ」
山海は短い呼気と共に、両の手にもった小刀を、二本立て続けにその敵に向かって放つ。
「ぐむっ」
狙いは過たず、一本は敵の目を抉り、もう一本は内股に刺さった。
一瞬にして仲間を倒された敵は、ひるみを見せる。
こいつら専門じゃないな。殺し屋の専門、厩戸の王子以来の伝統を受け継ぐ斑鳩の刺客ならば、こうも簡単にひるんだりしないし、そもそもこの様な稚拙な襲い方などしないだろう。
この敵は平氏の残党か、もしく京の風に慣れた武者だ。
「ええい、邪魔!」
勇気を振り絞ってまた刀を構える刺客に、山海は無造作に小刀を投げ手首に突き刺す。
それで刀を取り落として逃げてしまうなど、とても信じられない。だが平氏の公達武者ならばありえるか?
「いや、無いな、御曹司!一人は」
生き残らせて犯人を割る。そうすれば刺客の素性もそれを依頼した人間の意志もはっきりするだろう。
「おう、任せろ山海」
完全に、襲い掛かってきた者たちの意気は阻喪している。襲い掛かった当初はこちらを侮っていた奴等だが、まさかたったの二人に返り討ちに会うとは思わなかったに違いない。
残る敵は数名。
その正面には義経が立ち、脇に山海が位置どる。
「逃げ場はないぞ、神妙にせよっ」
義経の凛とした声が夜気を震わせ、相手の落ちた士気を更に打ち砕く。
どうやら御曹司は、不満の解消をしているなと山海は感じた。
屋島を攻める事ができずにいる鬱屈を刺客にぶつけるというよりは、この寸刻の剣戟を楽しんでいるのだろうな、と。
「くっ、しかたあるまい」
残った敵の半分三名が刀を捨てて降参の意思を表す。今の義経に逆らったとて、ねずみを猫がいたぶる様に殺されるだけと判ったのだろう。
「よし、山海こいつらを」
義経が皆まで言う前に異変は起きた。
三名は刀を捨てて降伏の意思を表していたが、残りの三名はまだ刀を握っていた。その三名が降伏しようとした者の首をいきなり飛ばした。
「え?」
口から漏れる声を聞く限り、首を飛ばされた三名はまさか味方に殺されるとは思ってもいなかったのだろう。
山海に言わせれば、甘いとしか言いようがない。
むしろ首を飛ばした三名の方にこそ山海は共感を覚える。与えられた任務に失敗し、その上恥辱を味わいながら降伏。そこまではまだ許せるのかもしれない。しかしこんな暗殺の内情を敵に教えるわけには行かないのだ。
降伏すれば許される。
それは正々堂々の戦いでこその話で、暗殺の刺客を全面的に許す者は普通いない。
うちの御曹司ならやりかねないけどな。
「死なばもろともよ!」
決死の一撃を放つべく三名の男たちが一斉に義経に迫る。その一人一人の動きは先の者達とは段違いで、剛直さを感じさせるものだった。だが、技量高い上に必死だとは言え、それは個人の話で、連携されなければそれほど怖くはない。
「下がれ下郎どもが!」
山海の気合と共に放たれた小刀は二人の男の太ももに突き立つ。あの場所ならば時間をかけて癒しても足を一生動かすことが出来ないと言う一撃だ。
「おのれ!」
唯一怪我を負わなかった男が義経に迫る。
対する義経は友切をだらりと下げて左半身の構え。いかに追い詰められたとはいえ、体格も恐らく力も敵の方が数段上だ。
そんな相手を義経は避けようともせずに、待ち受ける。
「うっ」
敵の刀が突きの形で義経に届こうかという刹那。左手の裾が相手の刀に絡みついた。
もちろん偶然ではなく、裾が相手の刀に切り裂かれることないように絡みついたのは義経の技だ。
瞬間の動きで相手の突きを巻き取った義経は、姿勢を崩す敵にため息をつきながら、同じような突きを見舞う。
左の目から入った刀の先が頭蓋骨の向こうに突き出たあたりで義経は手を放し、今度は足が動けずにのたうっている二人に迫る。
「御曹司!」
「いい、もういいのだ山海、わかったのだ俺には!」
呆れたような、疲れたような表情で義経は苦もなく二人の男の首を飛ばした後、しばらく下を向いたままだったが、不意に顔を上げると
「山海、何で俺はこうまで嫌われるんだ?」
「そっそれは妬みというものではないかと、誰しもが鎌倉殿との血縁を求め得られず、更には恐ろしいほどの作戦の冴えは羨望の的」
襲撃者が梶原景時等の、坂東武者の差し金なのではと推測しての言葉だったが、山海は自分でそれを納得していない。
自分が納得していない答えを自分より鋭い義経が信じるはずがない。そこまでは考えていた。
「いいよ山海、はっきり言ってくれ、何故俺はここまで鎌倉殿に嫌われるんだ?」
静かな声だった。
今までの義経からは想像できない、暗く静かで冷たい声。
古参の弁慶が聞けば何というだろうか?しかしあいにくここには死体と山海と、主人である義経しかいない。
義経の言葉では、犯人は、この刺客達の命令者は鎌倉殿と言っている。
「鎌倉殿は御曹司を恐れているのではないかと、自らの道を遮る可能性を持つのは、九朗義経の殿しかおりませんゆえ」
「やはり、大姫の言うとおりになるのか・・・・・・」
その声もまた、冷たく静かで、戦場往来し幾多の死地を潜り抜けてきた山海の背筋に 冷たい物を感じさせた。
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空母信濃、それは大和型3番艦として建造されたものの戦術の変化により空母に改装され、一度も戦わず沈んだ巨艦である。
そんな信濃がもし、マリアナ沖海戦に間に合っていたらその後はどうなっていただろう。
この小説はそんな妄想を書き綴ったものです!
前作同じく、こんなことがあったらいいなと思いながら読んでいただけると幸いです!
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
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