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4章 衰亡の風と救いの光

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草深い土地が放つ大地の匂いが薄れ、海の持つ潮の香りが空気に混ざってきた。義高はその香りと共にあの鎌倉の日々を思い出す。
 鎌倉も海が近く、常に風の香りに潮が混ざり、独特だった。それまで木曽、信州、武蔵等、海に縁のない暮らしをしていた義高からすれば、それは新しい刺激だった。同じ日の本でこうも香りが違う物かと。
 そしていつしか、その香りは大姫の香りとなって義高に記憶された。
 だから義高はいつになっても、潮風を感じると胸が締め付けられるような痛みを感じてしまう、我妻は無事であろうか?と。
 大姫の体調回復は山海和尚、元木曾軍団の今井四郎から聞いてはいるが、たった一人鎌倉にあって、鎌倉殿に逆らうような事をする彼女が、気が気ではない。
 彼女の情報分析は正確すぎるほど正確で、取るべき策も添えられていた。
 まずは九朗判官義経殿との和解と繋ぎを取る事。次に平家の分断だ。
 大姫曰く、今の平家を率いている宗盛では時間稼ぎもできずに滅んでしまう。そうなれば義高の生きる余地がなくなり、さらには再会もありえないとの事だ。
 ならば今の平家を分断し、その片方と協調することが求められる。
「だから重衛殿の奪還となるんだろうな」
 平重衛は平家一門の中にあって武断で知られ、伊賀中将家雅とも似た気質を持っている為に伊賀衆との仲は悪くない。
 武だけの粗野な人物ではなく人望に厚く、和歌や管弦の技に秀でるという、平家にあってさえ珍しい人種である。
 とかく平家は清盛亡き後は人に恵まれないと言われるが、この重衛や知盛など高い能力を持つ人間は数多くいた。そうでなければ頼朝が挙兵するまで全国を支配することなどできよう筈もない。
 ただ今の平家は頂点に立つ人間が悪いだけなのだ。と、これも大姫からの書状にあった言葉だ。
 義高自身は平家の人間、特に公達武者と呼ばれる方々と会ったことはない。
「姫も、会った事はないはずなんだがな・・・」
鎌倉殿が伊豆にて挙兵する前も後も、公家との接触はほとんどなかったはずだ。
「情報どおりなら、まもなく重衛殿一行は尾張に入るぞ義高殿」
 あの後、平田家雅の計らいで、なぜか今回の策に富田家輔が参加した。立場は以前と完全に逆転して、今回は義高が隊長役となっている。
 家輔は、義高が木曾源氏の跡継ぎである事を家雅が告げる前に、助力を承諾したらしい。
 何か家輔に気に入られるような事をしただろうかと、義高は考えたが答えは出なかった。しかし正直家輔の助力はありがたいし、義高自身家輔は嫌いではない。
 どことなく、兄の様に感じているのだろうか。
「気を抜くなよ義次、こんな大胆な策、気を抜くと失敗するぞ」
 そしてまたしても、無理やりに着いてきた華の声。彼女は薄皮鎧に水干、背には重藤の弓と弓坪という姿。さらに馬にも乗っているので、良家の若武者と言った風情となっている。
 今回こそはついて来ないように説得したのだが、大井実春との戦に於いて活躍したことを主張され、更には家長と実春の相打ちで済んだ話を、実際は違うと皆にばらすと脅され、仕方がなく承知した。まあ隠れてついてくるよりは、見える範囲に居るほうが安心ともいえよう。
 また彼女は義高の事を決して義高と呼ばずに今でも偽名である義次と呼ぶ。何か彼女の中で決まった誓いでもあるのだろうか?
 義高がその事を気にしないので、すでに義高の素性を明かされている家輔も何も言わない。
「しかし、その源継信という人は信用できるのか?仮にもわれらは平氏、向こうは源氏、やすやすと重衛殿を渡すとも思えないんだが」
「そうだ、その、まぁあの、おお、お、大姫とか言う娘一人の話だけなんだろう?」
 家輔が問いかけると、待ってましたとばかりに華も言葉を被せてくる。
確かに義高も大姫の策を聞いていなければ、重衛が捕らわれていることも知らなかったし、知った所で何も感じなかっただろう。ましてやその護送役の武士など信じる信じない以前だ。
「そうだ、大姫からの書状にあった人物で、今回の重衛殿護送の責任者でもある、元々近江の源氏だが、平家全盛の時には平家にも近かった武士らしい、その為か坂東武士の態度の大きさに辟易しているとも書いてあった」
「ふっふん、そんなのわからないじゃないか?大体書状が書かれたのは大分前の事で、そこから話が変わってるかもしれないだろ?危険じゃないか?」
 華の主張はもっともだ。もしこの書状自体が重衛護送決定の前に書かれたと知れば、華はもっと明確に反対したことだろう。
「なぁ華、確かに危険だけど平家分断には、絶対に重衛殿は必要なお方だ、鎌倉に連れて行かれたら手も脚も出なくなる、だからこそ、この地で奪還しなければならないんだ」
 義高は、なぜここで平家分断が必要なのか説明しなかった。いや、説明できなかったのだ。自分は源氏の一派、木曽源氏の跡継ぎなのだ。
それがなぜ不倶戴天の敵の、平家の武士を助けるのか。
 自分の父が旭将軍と呼ばれながらも、鎌倉殿に征伐された事と関係はあるのだろう。自分は源氏と思っているが、もしかしたら既に違うのかもしれない。
もう一度大姫と会う為には、必要と割り切るしかない。 
「わかったよ、そのお、おお、大姫の言うとおりって言うんだろう?邪魔はしないし頑張るよっ」
 そういうと華は馬と共に後方に下がった。一緒に安田の郎党数名も下がる。
「ははっ義高殿は面白う御仁だな、あのやんちゃな華殿に惚れられているし、当人はまるで古女房の様に扱うし、いや、結構結構、それでこそ木曾の跡継ぎ」
 家輔も笑いながら義高から離れる。彼は彼でこの隊の主力である安田家の郎党百人の面倒を見なければならないからだ。
「なんだって言うんだ?」
 後には良く判っていない義高だけが残された。
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