悲恋脱却ストーリー 源義高の恋路

３章 明日の刃

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最近の、武蔵坊弁慶は荒れていた。
元々が荒法師と呼ばれていたので、それは当然のことかもしれないが、弁慶自身はそうは思っていない。
　昔、荒法師と呼ばれていた頃に暴力を振るっていたのは、ただ何もかもが気に食わなかったからだが、今の弁慶は違う。
　他人からその違いは判らないかもしれないが、本人である弁慶には判りすぎるほどわかる。断じて違うのだと。
　昔は昔、今は今だ。
　今は源九朗判官義経の、一の郎党弁慶なのだ。
それが今の弁慶の誇りであり、すべてだった。
「それを、あのくそ爺がっ！」
　弁慶は主君である義経に対しての梶原景時の態度が、気に入らない。
とにかく、義経を邪魔するためだけに鎌倉から派遣されてきているのではないか、と思える程なのだ。
　坂東武者、坂東武者、とほとんど伝説のように祭り上げられている彼等だが、実際の戦闘は弁慶から見たら悠長この上ないし、勝利と言うものを考えているとはまったく思えない。
　ただ名乗りを挙げ、目の前の出来るだけ弱そうな、それでいて鎧等を華美に着飾った連中とのみ一騎打ちを行う。その間周囲の戦況と言うような物はそっちのけだ。
　無論、勝利に向けて義経が敵を崩そうとも、彼らは目の前にぶら下がった恩賞と言う名の首にのみ意識を向けている。命令などは聞きはしない。
「さらにだ！あの爺はよ」
　さらに梶原景時等は、自身が鎌倉殿の軍監であることを鼻にかけ、戦でも戦うことなく、記録に努めている。
　それが真実の戦の姿を記録して鎌倉に報告しているのであれば、弁慶も仕方がないと思える。
　しかし鎌倉に残してきた者たちからの話では、義経の戦功についての文章は一行もなく、戦ってもいない自分がそれに成り代わっているという。
　また鎌倉殿たる頼朝もそれを信じており、直接の恩賞を義経にはまったく与えていない。
　今の義経の判官という官位職は、それを見かねた法皇が独断で授けたものだった。
　それを受けた義経はと言えば、まるで砂金を与えられた猫の様にぼんやりとしていて、弁慶が忠告しなければ院の使者にお礼も言わなかったに違いない。
「しかしの武蔵坊よ、そんなに憤ったって梶原の爺は味方だぞ？昔の様に殴り倒せば済むという話ではないな」
　弁慶の背後を今まで無言で歩いていた、出雲神人崩れの山海が口を挟んできた。
　彼は弁慶が義経に仕える前、西国を荒らしまわった盗賊団を一人で叩きのめした実績を持つ男で、義経の郎党になったのは一の谷の前であるから、日は浅い。
「だからこそよ山海殿、そこが気に食わん！味方なら味方らしく振舞えばいいものを！あれでは敵よりもたちが悪いぞ」
「奴等は鎌倉殿の家来、と、そういうことさ、判官殿があまり活躍されるのを好まんのだろう、判官殿も判官殿で自らの武功など気にもしておるまいさ」
「それではっ」
　振り返って言い返そうとした弁慶の肩を叩き、山海は狭い道の前にでる。
　二人は義経の密命により、軍勢と分かれて山の中を進んでいた。目的は人に会う事。相手は伝えられていないが、二人とも想像はついている。
「そろそろだぞ、武蔵坊、勢い余って仕掛けるなよ」
「ふんっ、やるかよ」
　どうにも弁慶は、この男には逆らう気力が生まれて来ない。そんな男は弁慶にとって義経以来の事だ。
　山海は力で向き合って負ける気はしないが、命がけの勝負をしたら勝てる気がしない。そんな感覚を天意無頼の弁慶に抱かせる男だった。
「そちらが九朗殿の使いの方々か？」
　道の先ではなく、横の木々の隙間から意外に高い声が聞こえてきた。どうも相手はかなり若いのかもしれない。
「そうだ！そちらは平田家雅殿の使いか！」
　山海の問いかけに相手は答えることなく、相手は木々の間からすっと出てきた。
　やや淡く染められた水干を軽く着こなした少年の様な武士が二人の前に出てくる。この様な木々が生い茂る土地の者とは思えぬほど肌も着ているものも白い。まるであやかしの様で、白狐の化身でもあるかのうようだ。
　目に見えるのは一人だけだが、この少年武士のみということはないだろう。
　弁慶が見ると山海も同意らしく、少年武士だけでなく、その背後にも視線を走らせていた。
「そうだ、こちらは伊賀中将家雅殿の使いである」
「ふむ。ここで問いただしても互いに氏素性など証明の仕様もないな。さてでは談合仕ろうか」
　どっかと山海はその場に座り込む。
自然と弁慶がその背後に回る位置に立つ。これでは山海が正規の使いで、弁慶が護衛に見えることだろう。本来は逆だが、これでいい。
　弁慶は山海に目で合図を送る。
「それでは、こちらの条件を申しましょう、何難しい事ではありません、今のまま戦を終らせる事だけです」
　何の気負いもない、爽やかな声音だった。
　普通、停戦の話をする時はそれまでの戦を思い、嘲りや悔しさ等の感情が起きる。それがこの少年武士には無い。
　その事が、即座に反論しようとしていた弁慶の動きを止めさせた。
「このままで戦をやめよと、そう申されるのか家雅中将殿は、これは笑止なり、時は戦乱、源氏平氏の戦の場にあって、平氏の者が源氏の者を討つと言うことがどうなることか考えていなかったとでも申すつもりか」
　少年武士とは違い、軽い憤りを含めつつ山海の声が森に響き渡る。その声に驚いた小鳥が空に舞い上がる位の圧力だ。
　演技だろう。そう弁慶は思っているが、もしかしたら何か戦についてこの男なりに思う所があるのかもしれない。
「義に照らし合わせれば、本来そちらの大井実春殿の無体が発端、こちらも既にご舎弟家長殿を討たれておりまする、これ以上はお互いに無益」
「無益とな！何をもって無益と言うのか？わが主人判官義経にとって、平氏が一人減れば減っただけ、宿願に近づこうという物」
　弁慶は思う。
　確かに自分の主人である判官義経は平家追討の任にあり、個人としても父親を討たれた復仇の為、断じて平家は許さぬと公言している。平家と平氏という違いこそあれ、源氏の棟梁に反発する勢力を減らすことは目的に適っているのだ。
　しかしだ、最古参の郎党として弁慶が感じる義経は、元来戦好きの女好きではあるが、人を長く恨み倒す、等と言う事が出来る性質の持ち主ではない。
　進退鮮やかに、美と義を重んじるだけの人間だ。
　父親を討たれたならば、その子が仇を取るのが美しいとされているから実行しているだけの気もしている。
「そも義経殿の宿願とはいかに？平家の枝葉末節まで滅ぼすことが義経殿の宿願ですか？違いますでしょう、義経殿の宿願は清盛入道殿ただ一人の筈、しかもその仇は既に恩にて相殺されているのではありませんか？」
　父義朝を清盛に討たれている義経であったが、自らの命を救われてもいる。母と兄弟ともども清盛の慈悲により命永らえたのだ。　
　その母は前大蔵卿に再嫁し、慎ましく元白拍子としては過分な幸せに包まれて、余生を過ごしている。
「わが主人の宿願を軽々しく平家武者に語って欲しくはない！このままの形で戦を止めるなど言語道断」
「なるほど、このままがいけないと申されるのならば、一つ提案がございます」
　来た！
　見た目は少年武士に過ぎないが、この相手はなかなかに交渉が旨い。結局の所このままの停戦なぞ相手も考えてはいなかったのだ。
　今までのやりあいは唯の茶番。茶番といって悪ければ下調べの様な物。ここからが本題であろう。
　ごくりと弁慶はつばを飲み込み、少年武士の次の言葉を待った。
「私たち伊賀一国の武士は、九朗判官義経殿に臣従いたしましょう、形は降伏でも何でもかまいません、結果としてただいまの戦がなくなりさえすれば」
　思わず委細承知！と答えそうになる弁慶。
　今の義経に足りないのは独自の兵力であることを痛感しているからだ。
　鎌倉殿の代官として、近畿周辺の武士に命令をだす権利を確かに義経は持っている。しかしそれはあくまで借り物の兵力であり、家来というわけではない。
　反論、反抗、命令無視は日常茶飯事で発生している。
　そのことに義経が苦慮し、統率に支障をきたしているのは明白で、つい先頃も梶原景時らの離反を招いている。ただ美しく戦がしたい義経にとってそれは足枷でしかない。独自の兵力があればとは、弁慶も何度も思っている。
「なるほど、平田殿の決意は承知した、ならば早速に話を進めよう、弁慶殿、弁慶殿？」
　話にのめりこみ過ぎていた弁慶は、一瞬反応が遅れてしまった。
「あ、ああどうした山海殿」
「今よりすぐに義経殿に使いしてくれぬか？話など知らぬと暴れる坂東武者も居ないとも限らない、我はこの少年武士と仔細をつめておく必要がありそうだからな」
　確かにそうだ。
　ただちにこの場で、直ぐに停戦、臣従となるわけではない。まだ戦は終わっていないのだ。どこで偶発的に戦が起こるか、わかった物ではない。そうなれば停戦も、喉から手が出る位にほしい独自の兵力も、画餅に帰してしまう。
「承知仕った、ではワシは直ぐに向かおう、山海殿は遅れて参られよ」
　弁慶は期待に胸を躍らせながら、山海の答えも聞かずに走り始めた。元々山伏修行の経験もある弁慶。あっという間に速度を上げて走り去った。
「これでよろしいか義高殿」
「ええ、まさかこの様な事になるとは思いませんでした、四郎の叔父上」
　山海と少年武士はお互いを見つめあい、うっすらと微笑みながらも瞳に涙を滲ませた。
　山海の本当の名は、今井四郎兼平と言う。
木曽源氏のれっきとした一員というだけでなく、旭将軍率いる木曽源氏四天王の一人だった。
　義仲と共に幾多の死戦を潜り抜け、木曽四天王としてその名声と悪声は近畿一円に轟いている。
　義仲最後の戦にも同道し、義仲自刃の時間を稼いだとも言われ、その後は斬り死にしたとも伝えられている。
「あの時、御父上から、巴を頼むと言われましてな、当初は我が妹と共に木曽を目指しましたが、坂東武者の追及はなはだ激しく、仕方なしに先に出雲へ逃れた樋口を頼り今にいたりまする」
「巴様は健在なのですか？」
「ええ、健在です、今は樋口と共に出雲に隠れて傷をいやしております」
「そうか、良かった」
　義高にとって生母の記憶は淡く、母といえば巴御前であった。
すごした時間は短かったが、それでも強烈な思いを残している。
巴御前の妹であり、今井家の次女が本来の義高の実母であるが、姉である巴御前とは逆に病弱で義高を生んだのちは静養の為離れて暮らしていた。
義高が物心つく頃には病は重篤になっており、巴御前が義仲の許可を受けて母替わりをしていた。そのことを知ったのは義高が鎌倉に向かった時で、巴御前からの別れの文で明かされた。
「しかし、義高殿、あなたの良い人は、その、こう言っては何ですが、凄い方のご様子、
まさか千里の向こうからこれを演出するとは」
　今井四郎は懐から、今回の交渉を演出した大姫からの書状を覗かせる。そこにはこの戦だけでなく、今後の事も書いてある、所謂呪い書の様な物だった。
「ああ・・・まさに」
　それを今井兼平から渡されじっくりと読んだ義高は、懐かしい我が妻の筆跡に涙ぐみながらも、その内容に強く心を揺り動かされた。
　涙が大姫の書状を濡らしそうになったが、今井兼平が義高の肩を叩いたお陰でそれは避けられた。
「行きましょう、義高殿