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3章 明日の刃
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真っ青な空に、もうもうと砂塵が立つと言った坂東の戦とは様相が異なり、伊賀での戦では、じめじめとした森が行く手と空をさえぎり、義経は得意の早駆けも使えず、不満を溜め込んでいた。
京へのあの知らせから、すぐに動ける軍勢五百騎を従え、止める梶原景時の言葉も無視して進撃。数が揃うのを待つことなく敵を奇襲して、伊勢平氏を電撃的に平定した。
そこまではよかった。
自分が求める電光石火の進撃は、平氏の葉武者をなぎ倒し、城にこもらせること無く壊滅させたのはまさに爽快だった。
その勝利に驕ることなく、すぐさま伊賀へ転進。ここで梶原景時の糾合した近畿一円の源氏方武士二千と合流して一気に伊賀を平定と考えていたが、それは伊勢程には旨くいかなかった。
いや、はっきり言って進撃は頓挫したと言わざるを得ない。
闇深い森の細い道は進軍に適さず、二騎が並ぶことも出来ない。必然一列の長い蛇の様な陣形になるが、そこを平田家雅が指揮する少数の部隊に襲撃されるのだ。
名乗りなども無く、明け方、夕方、朝方と続く襲撃に義経隊は疲弊していく。
梶原景時の隊は正々堂々の戦には強いが、こういった襲撃にはもっとも弱く、討ち死にこそ少ないが手負いは数知れず。
近畿一円から参集した武士の少なくない数が、こっそりと陣抜けをする始末だ。
それを義経は、今は咎められない。
今咎めてしまえば、自分と立場が違う上方武士は更に陣抜けを加速させるだろうし、梶原景時自身も兵を引いてしまうかもしれない。
引くだけならばまだしも、どの様な書状を鎌倉に送るかわかったものではないのだ。
形としては鎌倉殿の代行、上方武士の統率役としての義経であったが、公然と鎌倉殿との不和が噂される身でもあるのだ。
彼個人に忠誠を誓うのは夜盗、野伏上がりの浮浪者、寺社の僧兵崩れのみで、正規の武士はほぼ居ない。鎌倉殿の一言で今の立場などどうなるか判らない。
そんな義経の命令に唯々諾々と従うという武士は少なく、それ故に自然義経もきつい命令の出し方を躊躇してしまう。
そんな義経の理解者も居なくはないが、負け戦となれば彼らも口をつぐむことだろう。
「御曹司、少しよろしいか!」
すぐ近くに居るというのに、わざわざ大声で話すのは梶原景時だ。彼は我こそが鎌倉殿代行、軍監であると自負しているので、鎌倉殿の弟である義経とも常に同格、もしくは上位にあると考えている。
だから、態度は大きいのだが、しかし戦となればからきしで、陣の後方で鎌倉に送る書を認めているだけと言う事も多い。
もちろん、義経との仲は悪い。
「なんですか、梶原殿」
「御曹司はこのまま戦を続けるおつもりか?ただ進むだけで死人手負いを出すだけの戦を!このまま無為に時間を過ごせば鎌倉殿の威光も地に落ちましょう、いかがなさるおつもりか、存念を伺いたい!」
当初、梶原景時は近畿一円の武士を集め、圧倒的な数の差で相手を威圧し、相手から降る様な戦を提案していた。
梶原景時は持ち前の情報収集能力で、伊勢伊賀の土地が攻めるに困難、守るに易い場所と知っていたからだ。
しかし義経はその策を退け、奇襲にて一気に伊勢を平定した。伊賀に入って合流、停滞している戦を見て、梶原景時は、自説どおりの展開をほれみたことか!と言いたいのであろう。
「鎌倉殿に反旗を翻した武士を放置してよいと、梶原殿は言うので?」
答えたのは義経ではない。
義経は梶原景時だけでなく、他の武士にも自分の考えをあまり詳しくは語らない。故に横に控える異形の郎党がそれを補佐するわけだが、直答を許さずの様なそのやり方に不満は蓄積している。だが義経はそれにまったく気づくことはない。
「わしはそなたに聞いてはおらんぞ、控えろ伊勢能盛」
「しかし梶原殿」
「黙らっしゃいっ、どこの馬の骨とも知らぬその方らに答える口などもたぬっ」
伊勢能盛は秀麗な顔を朱に染めて、言い返そうとするが、義経がすっと馬を前に出しさえぎる。
自らの郎党を守る動きに、彼らは感動する。
この時代、郎党が主に守られることなどなく、主人の為に盾になり、命さえ捧げるのが普通で、そのことを顧みる坂東武士はほとんどいない。
「申し訳ない梶原殿、しかしこの能盛が申したとおり、鎌倉殿に逆らう者はそのままにはしておけぬ」
「それであたら味方した武士を傷つけ、なすすべないとは大将の器量が無いとは申せませんかな?」
瞬間的に伊勢能盛を始め、義経の周囲を固めている面々が怒りを見せるが、義経の態度に自重する。
「梶原殿の申しよう、確かにこの義経の不徳の至り、しかし伊賀の平家を滅ぼさねば、遥か西国の平家本隊とも戦えませぬゆえ、放置はできませぬ、背後の憂いは払って置ける時に払うものぞ」
「不徳を認められるならば、ここより我らは別の道にて伊賀攻めを続けたいと存ずるが如何」
「梶原殿の良きように、平家を滅ぼすならばただ今の道が違っても、目的地は同じとなれば」
その義経の言葉に答える間も持たずに、梶原景時はにやりと笑い馬を返していった。
すぐに二千に近い武士たちが梶原景時に率いられ分離していく。
伊勢平定に従った武士も、分離するならばと梶原側に靡き、義経隊は二百にまで数を減らしてしまった。
「よろしいのですか御曹司、これでは我らは小部隊、例え伊賀を平定しても武功は梶原殿のものになりはしませんか」
「良いのだ能盛、この伊賀の山中、梶原殿には平定できぬよ、もちろんこの義経にもな」
義経の言葉に首を傾げる能盛。彼は自らの主人に集中するあまり、梶原景時が話しかける前から、義経の腹心と言って良い武蔵坊弁慶が居ない事に気づいていなかった。
京へのあの知らせから、すぐに動ける軍勢五百騎を従え、止める梶原景時の言葉も無視して進撃。数が揃うのを待つことなく敵を奇襲して、伊勢平氏を電撃的に平定した。
そこまではよかった。
自分が求める電光石火の進撃は、平氏の葉武者をなぎ倒し、城にこもらせること無く壊滅させたのはまさに爽快だった。
その勝利に驕ることなく、すぐさま伊賀へ転進。ここで梶原景時の糾合した近畿一円の源氏方武士二千と合流して一気に伊賀を平定と考えていたが、それは伊勢程には旨くいかなかった。
いや、はっきり言って進撃は頓挫したと言わざるを得ない。
闇深い森の細い道は進軍に適さず、二騎が並ぶことも出来ない。必然一列の長い蛇の様な陣形になるが、そこを平田家雅が指揮する少数の部隊に襲撃されるのだ。
名乗りなども無く、明け方、夕方、朝方と続く襲撃に義経隊は疲弊していく。
梶原景時の隊は正々堂々の戦には強いが、こういった襲撃にはもっとも弱く、討ち死にこそ少ないが手負いは数知れず。
近畿一円から参集した武士の少なくない数が、こっそりと陣抜けをする始末だ。
それを義経は、今は咎められない。
今咎めてしまえば、自分と立場が違う上方武士は更に陣抜けを加速させるだろうし、梶原景時自身も兵を引いてしまうかもしれない。
引くだけならばまだしも、どの様な書状を鎌倉に送るかわかったものではないのだ。
形としては鎌倉殿の代行、上方武士の統率役としての義経であったが、公然と鎌倉殿との不和が噂される身でもあるのだ。
彼個人に忠誠を誓うのは夜盗、野伏上がりの浮浪者、寺社の僧兵崩れのみで、正規の武士はほぼ居ない。鎌倉殿の一言で今の立場などどうなるか判らない。
そんな義経の命令に唯々諾々と従うという武士は少なく、それ故に自然義経もきつい命令の出し方を躊躇してしまう。
そんな義経の理解者も居なくはないが、負け戦となれば彼らも口をつぐむことだろう。
「御曹司、少しよろしいか!」
すぐ近くに居るというのに、わざわざ大声で話すのは梶原景時だ。彼は我こそが鎌倉殿代行、軍監であると自負しているので、鎌倉殿の弟である義経とも常に同格、もしくは上位にあると考えている。
だから、態度は大きいのだが、しかし戦となればからきしで、陣の後方で鎌倉に送る書を認めているだけと言う事も多い。
もちろん、義経との仲は悪い。
「なんですか、梶原殿」
「御曹司はこのまま戦を続けるおつもりか?ただ進むだけで死人手負いを出すだけの戦を!このまま無為に時間を過ごせば鎌倉殿の威光も地に落ちましょう、いかがなさるおつもりか、存念を伺いたい!」
当初、梶原景時は近畿一円の武士を集め、圧倒的な数の差で相手を威圧し、相手から降る様な戦を提案していた。
梶原景時は持ち前の情報収集能力で、伊勢伊賀の土地が攻めるに困難、守るに易い場所と知っていたからだ。
しかし義経はその策を退け、奇襲にて一気に伊勢を平定した。伊賀に入って合流、停滞している戦を見て、梶原景時は、自説どおりの展開をほれみたことか!と言いたいのであろう。
「鎌倉殿に反旗を翻した武士を放置してよいと、梶原殿は言うので?」
答えたのは義経ではない。
義経は梶原景時だけでなく、他の武士にも自分の考えをあまり詳しくは語らない。故に横に控える異形の郎党がそれを補佐するわけだが、直答を許さずの様なそのやり方に不満は蓄積している。だが義経はそれにまったく気づくことはない。
「わしはそなたに聞いてはおらんぞ、控えろ伊勢能盛」
「しかし梶原殿」
「黙らっしゃいっ、どこの馬の骨とも知らぬその方らに答える口などもたぬっ」
伊勢能盛は秀麗な顔を朱に染めて、言い返そうとするが、義経がすっと馬を前に出しさえぎる。
自らの郎党を守る動きに、彼らは感動する。
この時代、郎党が主に守られることなどなく、主人の為に盾になり、命さえ捧げるのが普通で、そのことを顧みる坂東武士はほとんどいない。
「申し訳ない梶原殿、しかしこの能盛が申したとおり、鎌倉殿に逆らう者はそのままにはしておけぬ」
「それであたら味方した武士を傷つけ、なすすべないとは大将の器量が無いとは申せませんかな?」
瞬間的に伊勢能盛を始め、義経の周囲を固めている面々が怒りを見せるが、義経の態度に自重する。
「梶原殿の申しよう、確かにこの義経の不徳の至り、しかし伊賀の平家を滅ぼさねば、遥か西国の平家本隊とも戦えませぬゆえ、放置はできませぬ、背後の憂いは払って置ける時に払うものぞ」
「不徳を認められるならば、ここより我らは別の道にて伊賀攻めを続けたいと存ずるが如何」
「梶原殿の良きように、平家を滅ぼすならばただ今の道が違っても、目的地は同じとなれば」
その義経の言葉に答える間も持たずに、梶原景時はにやりと笑い馬を返していった。
すぐに二千に近い武士たちが梶原景時に率いられ分離していく。
伊勢平定に従った武士も、分離するならばと梶原側に靡き、義経隊は二百にまで数を減らしてしまった。
「よろしいのですか御曹司、これでは我らは小部隊、例え伊賀を平定しても武功は梶原殿のものになりはしませんか」
「良いのだ能盛、この伊賀の山中、梶原殿には平定できぬよ、もちろんこの義経にもな」
義経の言葉に首を傾げる能盛。彼は自らの主人に集中するあまり、梶原景時が話しかける前から、義経の腹心と言って良い武蔵坊弁慶が居ない事に気づいていなかった。
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