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2章 塵の焔
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元暦元年三月、後の世に三日平氏の乱として伝わる、局地戦が始まった。
歴史的に見てこの時、この場所の戦を重要視した史家は少ないが、その実この戦はとても重要で、後に鎌倉と対立する義経、木曽義仲の遺児であり今は小さな土豪と行動を共にする義高、更には平家残党を密かに温存した家雅の三人がこの戦にて初めて顔を合わせたのは、平安末期で鎌倉初期の転換点とも言えるだろう。
この乱の勃発当初、義高は吉野の土豪安田家平と共に、平田の軍勢と合流。身分を隠したまま、初戦に望んでいる。
「義次殿、もそっとこちらに寄って、待機しなされ」
平田家の軍事的な棟梁である家雅の指揮によって、義高は百の軍勢と共に伊賀山中にあった。
指揮者として百の部隊を率いる、伊賀平氏の一人富田家清の子息、家輔の補佐としてだ。
普通なら若年の義高が、軍勢の副将格等ありえるはずもないが、安田家平がそれを求め、またついて来た村の者たちも、弓の名手であり安田家の婿である義高の元で戦いたいと欲した為にこうなった。
「家輔殿、大井の館はあれですね、夜襲の手はずは整っているのでは?」
「義次殿は若いな、血気に逸るのも無理はない、戦の中でも夜襲は連携が大事、もし連携せねば、闇にまぎれて敵は逃がすし、同士討ちも起こりますぞ」
真っ暗な為に表情は見えないが、富田家輔の声はとても落ち着いていた。これで義高より五つ上なだけであるから、若干ながら義高は悔しく思う。
富田家輔は父である富田家清と共に、盗賊退治だけでなく、尾張、美濃で兵を募った源氏の一翼新宮十郎行家を破った墨俣川の合戦に、その時は朝廷の軍だった平家軍に参加し、武功を上げていた。
父と共に自分も戦っておれば、家輔殿と同じくらいになれただろうか?
「承知いたした家輔殿、しかし闇の中では時もわからず、なんとも焦れたものです」
「ははは、黙っていてもすぐにその時は来ますよ、大井実春を皮切りにここらの源氏を四散させ、都に進軍するのですから」
「都まで、ですか・・・・・」
安田家での軍議の席でも思ったが、平家一門が京を回復するのは難しいと義高は感じている。平田家と富田家の軍勢は土着の軍勢のため、それほど多くはないが、それでも勝敗を推測し、どちらにでも靡く弱弱しい武士と言う矛盾した存在が少なからずいる。
そんな者たちは勝ち戦のときは良いが、負けの色が僅かでも見えれば雲散霧消するものと、義高は思っていた。そんな武士を率いて都に進撃する等、義高には到底信じられない。
「そうです、かの鎌倉の頼朝も最初はわれらと同じように、小勢で山木判官の館を夜襲したのが始まりですから、それがいまや東国の主」
「しかし・・・・・・」
「しっ、義次殿、合図です」
今まで大井実春が居住する館以外は、真っ暗だった森に松明の光が灯される。数は多くない。襲撃するのは富田家輔の部隊を含めても三百人と少しだからだ。
館にはおそらく百近くの坂東武士が居ると思われる。
坂東武士は近畿の武士の三倍強いと言う噂どおりなら、戦力的には互角だ。後は夜襲の勢いと連携が物を言う。
「行きますぞ、義次殿!」
家輔が薙刀を構え、左右へと合図を送る。
先ほどの松明の元からビョウっと言う音を立てて火矢がゆっくりと館へと落ちていき、突き立った。火がすぐに燃え移るかと見ていた義高だったが、意外にも火矢が突き立っているのも関わらず、木で作られた門は一向に燃える気配がない。
「われこそは、伊賀の国、富田荘を差配する一族、富田家清が一子家輔なり!名を惜しむ兵どもよ!打ち物とって、いざ戦おうぞ!」
戦場に家輔の大音声が響き渡る。
一方、館の太井勢からは、その声に反応する武士は出てこない。
突然の夜襲で見張りは門内に急を知らせに走り、家輔勢に対応出来ていないのだ。
「ちっ、坂東武者、坂東武者と喧伝しておきながら、実際の所はこんなものかっ!」
家輔が数人の郎党と共に、門まで走り、一気に体当たりで破壊しようとする。
一度は跳ね返したが、所詮城ではなく館の門だ。
三度目の体当たりで、門は大きく開かれた。
「やあやあ、われこそは富田荘、一の豪傑、冑割りの三木・・・・・・ぐっ、な、名乗りの合間に討つなど・・・・・・」
家輔達が確保した門の隙間から、一番乗りを目指した冑割りの某が名乗りの途中で、門内から放たれた矢を左目に受けて絶命する。
ようやく太井勢も戦闘準備が整ったのだろう。
「弓だ、弓を構えろ!」
義次は近くにいる武士に叫ぶ。
すでに、自分が行動を共にすべき百人がどこにいるのかも分からない。
あちこちで名乗りの大音声が響き、その後にうめき声が続く。
「戦場とはこういうものか」
とにかく、弓を構え、何度も何度も訓練した通りに門内に放つ。
やや楕円の軌道を描いて、矢は門内に吸い込まれていく。相手が見えずに放っているので効果のほどは直接分からないが、もし自分があそこに敵として陣取っていたならば脅威に感じるだろう。そう思っての攻撃だ。
すると、門の前で矢に射すくめられていた家輔の一団が、一気に門の中へと侵入を試みる。
数名の武士は射られ、矢を鎧に突き立てたが、致命傷にはならずにそのまま突っ込んでいく。
「我らも行くぞ!」
義高の背後にいた胴丸と刀だけの者が叫ぶ。
はっと義高が見ると、男はにやりと笑い、義高の背中を叩いて来た。今までまったく気づかなかったが、それは村で彼が弓を教えた狩人頭とその一団だった。
六人が一組で前後に一組ずつ、総じて十二名が実は義高を守る位置についていたのだ。
「あなた方は・・・・・・」
「行きましょう義次殿、生き残ることこそ初陣では一番の手柄なれど、すべてを家輔殿に渡す必要もありますまいて」
狩人頭がそういって、背中を押してくる。鎧の重さもあって義高はそれに抗わずに館へと突進した。
門を抜けると、そこは地獄だった。
血だらけの武士が敵も味方もあちこちに散在し、死に切れぬ者が地べたを這いずってもがいている。
かたや、戦える武士達は、もはや疲れからか擦れた様な声でそれでも名乗りあい、斬り結んでいる。
やっと火矢の効果が現れたのか、あちらこちらで煙が沸き、
火が大きくなる。
寸鉄も身に帯びていない男女が逃げ惑う。
統制など、あったものではない。
唯一秩序だっていてるのは、義高と狩人頭の一隊だけに見える。
「火が回るぞ!その前になんとしても光を!」
一人の若い武者が血相を変えて火の迫る館の中へと身を躍らせようとしていた。男は前しか見ていない為、左から来ていた敵に気づいていない。
「危ない!」
義高の放った矢はあやまたずに、敵の首筋に突き刺さり、一息で敵の命を奪う。
「待て、待つのだ家長殿!」
富田家輔の声がかかるが、一瞬も振り向くことなく家長は館の中へと入っていった。
助けた行きがかり上、義高と狩人頭の一団で家長を追う。
今回の戦のきっかけを作った男だ。ここで簡単に討ち死にさせるわけには行かない。
「光!光はどこだ!」
叫びながら家長はどんどん奥へと突き進む。背後に義高達がいることにも気づいていない。
数枚の襖を蹴破って進む家長と背後に続く義高達。時折名乗りなど忘れた武士が斬りかかってくるが、それすらも家長は気にしない。
そのせいで義高達は家長の背後を守るために、いちいち武士の相手をする。
家長と義高達との距離は、どんどん開いていく。
「まずいですな、義次殿」
「ああ見境がなくなっている」
もう、どれくらい進んだだろうか?
家長の姿は見えず、周囲からは火こそ見えないが、物が焼かれる焦げ臭い匂いが充満している。
一瞬家長を見捨てるかとも義高は思ったが、義高達が館の中へ家長を追って入ったのはさまざまな人間が見ている。ここで助けられる命を見捨てたと言われるのも、ついてきてくれた狩人頭たちの為にも避けたい。
だから義高達はさらに奥に進み、そして家長を発見した。
「くっ」
「これは遅うございましたな、義次殿」
狩人頭の言葉を聞くまでも無い。発見したとき家長はすでに死んでいた。
襖に寄りかかるようにして、腹に刺さった守り刀を伝い、血が滴り落ちている。
それだけならば、まだもしかしたらとも思うが、家長の体の上部、あるべき所にあるものがすでになくそこからは赤黒い断面が覗いていた。
首を取られていたのだ。
「何ぞ平家の公達武者風情が、我ら坂東武者に歯向かうからこういう目にあうのだ」
家長の首の向こう、それを取ったばかりの男が鎧通しを手に、こちらに吼える。
しかし、男は鎧を纏わずに、麻の一重を纏っているのみだ。
傍らを見ると、自害したのだろう綺麗な女性の姿が見える。
おそらく彼女が紫の女御といわれる、家長の想い人、光なのだろう。
そして傍らの男は、推測するに夜襲が始まるまで光と同衾していたと見える。つまり彼女をかどわかした男、太井実春だった。
「ん?何だ小童、首が恐ろしいのか?」
取ったばかりの血が滴る首を義高達に見せ付ける太井実春。
しかし、義高はそんな自信満々な言葉とは裏腹に、太井実春に余裕など一寸も無いと分かっていた。
すでに館は燃え尽きようとしており、頼みの坂東武士もここには誰も居ない。そこから考えれば、すでに敗北は決定的で命が永らえる可能性も無いことは、太井実春には分かっているだろう。
その証拠に、麻の一重は汗ばんで肌に張り付き、充血した目は落ち着き無く周囲を行ったりきたりしている。
「如何いたしますか義次殿」
「太井実春殿、降るつもりはありませんか?もはや館は焼け落ちます、早晩実春殿のお命も尽きますぞ」
「小憎らしい童よな、この太井実春、平家の清盛に降服するならばいざ知らず、公達武者の、更にはつかいっぱしりの童に下る主義はなしっ」
ぐわっと、家長の首を義高に投げつけると、太井実春は鎧通しを構え、義高に突進してきた。
ひらりと避けて、わき腹を狙って動こうとした義高だったが、家長の血がしみこんだ木の床がその動きを阻害した。
その場でひっくり返るような醜態にはならなかったが、目の前まで迫った実春の鎧通しがすでに義高の鎧を刺し貫こうと迫っていた。
「義次殿!」
狩人頭が前に出ようとするが、実春の左手一本で吹っ飛ばされる。
これが坂東武者と言う事なのか・・・・・。
飛ばされる狩人頭の動きと、自らに迫る鎧通しを見つめる義高。一瞬のことだったが何故か時間がゆっくりと動いている気がした。
ならばと、義高は鎧通しの軌道に自らの右腕を持ち上げる。
腕に刺してしまえば刃渡りの短い鎧通しは致命傷にならない。
来るべき痛みを想像し、歯を食いしばる。
しかし、その予想した痛みは一向にやってこなかった。
「ぐがぁ」
見れば鎧通しを握ったままの太井実春の右手が、床に転がっている。
実春はと見れば、手首の先から無い己の腕を抱えて痛みをこらえ、自分の手首を切り落とした相手をにらみつけている。
「危なかったぞ義次、だからあたしが義次を守って正解だっただろう?」
少し甲高い、だけど心地のよい春の風の様な声、華の声だった。
「華、なんで、ここに!」
「義次はあたしが守るっていっただろ?戦場だろうがどこだろうが必ずだ!」
これ以上無い位の笑顔を向けてくる華。
その向こうでがくりと太井実春が力を失い、自害した光と並ぶように倒れた。
かくして三日平氏の乱として世に知られる戦いの初戦、太井実春館襲撃は終了した。
襲撃した側の被害は家長を含めて十四人、対して太井実春側は、大将である太井実春とその郎党三十人ほどが討ち取られ、残りは京を目指して遁走した。
この時、歴史上では太井実春を討ち取ったのは義高達ではなく、家長とされた。
あの状況から、家長は光を連れ戻そうと焦るあまり、鬼の形相で部屋に入ったのだろう、それに怯え錯乱した光にまず腹を刺され、ついで太井実春に首を贈呈してしまったのが真相だ。
だが、義高はそれではあまりにも家長と、実質的に華に討たれた実春が哀れと思い、両者相討ちと富田家輔に報告した。
家輔の方は、なんとなく事情を察しながらも、問いただすことなくそれを受け入れた。
総大将に近い家長の死に対していくばくかの温情を示したということなのだろう。
しかし、この日、同時に起った伊勢の平氏は三日を待たずして壊滅させられる。
その原因は言わずと知れた、義経だった。
歴史的に見てこの時、この場所の戦を重要視した史家は少ないが、その実この戦はとても重要で、後に鎌倉と対立する義経、木曽義仲の遺児であり今は小さな土豪と行動を共にする義高、更には平家残党を密かに温存した家雅の三人がこの戦にて初めて顔を合わせたのは、平安末期で鎌倉初期の転換点とも言えるだろう。
この乱の勃発当初、義高は吉野の土豪安田家平と共に、平田の軍勢と合流。身分を隠したまま、初戦に望んでいる。
「義次殿、もそっとこちらに寄って、待機しなされ」
平田家の軍事的な棟梁である家雅の指揮によって、義高は百の軍勢と共に伊賀山中にあった。
指揮者として百の部隊を率いる、伊賀平氏の一人富田家清の子息、家輔の補佐としてだ。
普通なら若年の義高が、軍勢の副将格等ありえるはずもないが、安田家平がそれを求め、またついて来た村の者たちも、弓の名手であり安田家の婿である義高の元で戦いたいと欲した為にこうなった。
「家輔殿、大井の館はあれですね、夜襲の手はずは整っているのでは?」
「義次殿は若いな、血気に逸るのも無理はない、戦の中でも夜襲は連携が大事、もし連携せねば、闇にまぎれて敵は逃がすし、同士討ちも起こりますぞ」
真っ暗な為に表情は見えないが、富田家輔の声はとても落ち着いていた。これで義高より五つ上なだけであるから、若干ながら義高は悔しく思う。
富田家輔は父である富田家清と共に、盗賊退治だけでなく、尾張、美濃で兵を募った源氏の一翼新宮十郎行家を破った墨俣川の合戦に、その時は朝廷の軍だった平家軍に参加し、武功を上げていた。
父と共に自分も戦っておれば、家輔殿と同じくらいになれただろうか?
「承知いたした家輔殿、しかし闇の中では時もわからず、なんとも焦れたものです」
「ははは、黙っていてもすぐにその時は来ますよ、大井実春を皮切りにここらの源氏を四散させ、都に進軍するのですから」
「都まで、ですか・・・・・」
安田家での軍議の席でも思ったが、平家一門が京を回復するのは難しいと義高は感じている。平田家と富田家の軍勢は土着の軍勢のため、それほど多くはないが、それでも勝敗を推測し、どちらにでも靡く弱弱しい武士と言う矛盾した存在が少なからずいる。
そんな者たちは勝ち戦のときは良いが、負けの色が僅かでも見えれば雲散霧消するものと、義高は思っていた。そんな武士を率いて都に進撃する等、義高には到底信じられない。
「そうです、かの鎌倉の頼朝も最初はわれらと同じように、小勢で山木判官の館を夜襲したのが始まりですから、それがいまや東国の主」
「しかし・・・・・・」
「しっ、義次殿、合図です」
今まで大井実春が居住する館以外は、真っ暗だった森に松明の光が灯される。数は多くない。襲撃するのは富田家輔の部隊を含めても三百人と少しだからだ。
館にはおそらく百近くの坂東武士が居ると思われる。
坂東武士は近畿の武士の三倍強いと言う噂どおりなら、戦力的には互角だ。後は夜襲の勢いと連携が物を言う。
「行きますぞ、義次殿!」
家輔が薙刀を構え、左右へと合図を送る。
先ほどの松明の元からビョウっと言う音を立てて火矢がゆっくりと館へと落ちていき、突き立った。火がすぐに燃え移るかと見ていた義高だったが、意外にも火矢が突き立っているのも関わらず、木で作られた門は一向に燃える気配がない。
「われこそは、伊賀の国、富田荘を差配する一族、富田家清が一子家輔なり!名を惜しむ兵どもよ!打ち物とって、いざ戦おうぞ!」
戦場に家輔の大音声が響き渡る。
一方、館の太井勢からは、その声に反応する武士は出てこない。
突然の夜襲で見張りは門内に急を知らせに走り、家輔勢に対応出来ていないのだ。
「ちっ、坂東武者、坂東武者と喧伝しておきながら、実際の所はこんなものかっ!」
家輔が数人の郎党と共に、門まで走り、一気に体当たりで破壊しようとする。
一度は跳ね返したが、所詮城ではなく館の門だ。
三度目の体当たりで、門は大きく開かれた。
「やあやあ、われこそは富田荘、一の豪傑、冑割りの三木・・・・・・ぐっ、な、名乗りの合間に討つなど・・・・・・」
家輔達が確保した門の隙間から、一番乗りを目指した冑割りの某が名乗りの途中で、門内から放たれた矢を左目に受けて絶命する。
ようやく太井勢も戦闘準備が整ったのだろう。
「弓だ、弓を構えろ!」
義次は近くにいる武士に叫ぶ。
すでに、自分が行動を共にすべき百人がどこにいるのかも分からない。
あちこちで名乗りの大音声が響き、その後にうめき声が続く。
「戦場とはこういうものか」
とにかく、弓を構え、何度も何度も訓練した通りに門内に放つ。
やや楕円の軌道を描いて、矢は門内に吸い込まれていく。相手が見えずに放っているので効果のほどは直接分からないが、もし自分があそこに敵として陣取っていたならば脅威に感じるだろう。そう思っての攻撃だ。
すると、門の前で矢に射すくめられていた家輔の一団が、一気に門の中へと侵入を試みる。
数名の武士は射られ、矢を鎧に突き立てたが、致命傷にはならずにそのまま突っ込んでいく。
「我らも行くぞ!」
義高の背後にいた胴丸と刀だけの者が叫ぶ。
はっと義高が見ると、男はにやりと笑い、義高の背中を叩いて来た。今までまったく気づかなかったが、それは村で彼が弓を教えた狩人頭とその一団だった。
六人が一組で前後に一組ずつ、総じて十二名が実は義高を守る位置についていたのだ。
「あなた方は・・・・・・」
「行きましょう義次殿、生き残ることこそ初陣では一番の手柄なれど、すべてを家輔殿に渡す必要もありますまいて」
狩人頭がそういって、背中を押してくる。鎧の重さもあって義高はそれに抗わずに館へと突進した。
門を抜けると、そこは地獄だった。
血だらけの武士が敵も味方もあちこちに散在し、死に切れぬ者が地べたを這いずってもがいている。
かたや、戦える武士達は、もはや疲れからか擦れた様な声でそれでも名乗りあい、斬り結んでいる。
やっと火矢の効果が現れたのか、あちらこちらで煙が沸き、
火が大きくなる。
寸鉄も身に帯びていない男女が逃げ惑う。
統制など、あったものではない。
唯一秩序だっていてるのは、義高と狩人頭の一隊だけに見える。
「火が回るぞ!その前になんとしても光を!」
一人の若い武者が血相を変えて火の迫る館の中へと身を躍らせようとしていた。男は前しか見ていない為、左から来ていた敵に気づいていない。
「危ない!」
義高の放った矢はあやまたずに、敵の首筋に突き刺さり、一息で敵の命を奪う。
「待て、待つのだ家長殿!」
富田家輔の声がかかるが、一瞬も振り向くことなく家長は館の中へと入っていった。
助けた行きがかり上、義高と狩人頭の一団で家長を追う。
今回の戦のきっかけを作った男だ。ここで簡単に討ち死にさせるわけには行かない。
「光!光はどこだ!」
叫びながら家長はどんどん奥へと突き進む。背後に義高達がいることにも気づいていない。
数枚の襖を蹴破って進む家長と背後に続く義高達。時折名乗りなど忘れた武士が斬りかかってくるが、それすらも家長は気にしない。
そのせいで義高達は家長の背後を守るために、いちいち武士の相手をする。
家長と義高達との距離は、どんどん開いていく。
「まずいですな、義次殿」
「ああ見境がなくなっている」
もう、どれくらい進んだだろうか?
家長の姿は見えず、周囲からは火こそ見えないが、物が焼かれる焦げ臭い匂いが充満している。
一瞬家長を見捨てるかとも義高は思ったが、義高達が館の中へ家長を追って入ったのはさまざまな人間が見ている。ここで助けられる命を見捨てたと言われるのも、ついてきてくれた狩人頭たちの為にも避けたい。
だから義高達はさらに奥に進み、そして家長を発見した。
「くっ」
「これは遅うございましたな、義次殿」
狩人頭の言葉を聞くまでも無い。発見したとき家長はすでに死んでいた。
襖に寄りかかるようにして、腹に刺さった守り刀を伝い、血が滴り落ちている。
それだけならば、まだもしかしたらとも思うが、家長の体の上部、あるべき所にあるものがすでになくそこからは赤黒い断面が覗いていた。
首を取られていたのだ。
「何ぞ平家の公達武者風情が、我ら坂東武者に歯向かうからこういう目にあうのだ」
家長の首の向こう、それを取ったばかりの男が鎧通しを手に、こちらに吼える。
しかし、男は鎧を纏わずに、麻の一重を纏っているのみだ。
傍らを見ると、自害したのだろう綺麗な女性の姿が見える。
おそらく彼女が紫の女御といわれる、家長の想い人、光なのだろう。
そして傍らの男は、推測するに夜襲が始まるまで光と同衾していたと見える。つまり彼女をかどわかした男、太井実春だった。
「ん?何だ小童、首が恐ろしいのか?」
取ったばかりの血が滴る首を義高達に見せ付ける太井実春。
しかし、義高はそんな自信満々な言葉とは裏腹に、太井実春に余裕など一寸も無いと分かっていた。
すでに館は燃え尽きようとしており、頼みの坂東武士もここには誰も居ない。そこから考えれば、すでに敗北は決定的で命が永らえる可能性も無いことは、太井実春には分かっているだろう。
その証拠に、麻の一重は汗ばんで肌に張り付き、充血した目は落ち着き無く周囲を行ったりきたりしている。
「如何いたしますか義次殿」
「太井実春殿、降るつもりはありませんか?もはや館は焼け落ちます、早晩実春殿のお命も尽きますぞ」
「小憎らしい童よな、この太井実春、平家の清盛に降服するならばいざ知らず、公達武者の、更にはつかいっぱしりの童に下る主義はなしっ」
ぐわっと、家長の首を義高に投げつけると、太井実春は鎧通しを構え、義高に突進してきた。
ひらりと避けて、わき腹を狙って動こうとした義高だったが、家長の血がしみこんだ木の床がその動きを阻害した。
その場でひっくり返るような醜態にはならなかったが、目の前まで迫った実春の鎧通しがすでに義高の鎧を刺し貫こうと迫っていた。
「義次殿!」
狩人頭が前に出ようとするが、実春の左手一本で吹っ飛ばされる。
これが坂東武者と言う事なのか・・・・・。
飛ばされる狩人頭の動きと、自らに迫る鎧通しを見つめる義高。一瞬のことだったが何故か時間がゆっくりと動いている気がした。
ならばと、義高は鎧通しの軌道に自らの右腕を持ち上げる。
腕に刺してしまえば刃渡りの短い鎧通しは致命傷にならない。
来るべき痛みを想像し、歯を食いしばる。
しかし、その予想した痛みは一向にやってこなかった。
「ぐがぁ」
見れば鎧通しを握ったままの太井実春の右手が、床に転がっている。
実春はと見れば、手首の先から無い己の腕を抱えて痛みをこらえ、自分の手首を切り落とした相手をにらみつけている。
「危なかったぞ義次、だからあたしが義次を守って正解だっただろう?」
少し甲高い、だけど心地のよい春の風の様な声、華の声だった。
「華、なんで、ここに!」
「義次はあたしが守るっていっただろ?戦場だろうがどこだろうが必ずだ!」
これ以上無い位の笑顔を向けてくる華。
その向こうでがくりと太井実春が力を失い、自害した光と並ぶように倒れた。
かくして三日平氏の乱として世に知られる戦いの初戦、太井実春館襲撃は終了した。
襲撃した側の被害は家長を含めて十四人、対して太井実春側は、大将である太井実春とその郎党三十人ほどが討ち取られ、残りは京を目指して遁走した。
この時、歴史上では太井実春を討ち取ったのは義高達ではなく、家長とされた。
あの状況から、家長は光を連れ戻そうと焦るあまり、鬼の形相で部屋に入ったのだろう、それに怯え錯乱した光にまず腹を刺され、ついで太井実春に首を贈呈してしまったのが真相だ。
だが、義高はそれではあまりにも家長と、実質的に華に討たれた実春が哀れと思い、両者相討ちと富田家輔に報告した。
家輔の方は、なんとなく事情を察しながらも、問いただすことなくそれを受け入れた。
総大将に近い家長の死に対していくばくかの温情を示したということなのだろう。
しかし、この日、同時に起った伊勢の平氏は三日を待たずして壊滅させられる。
その原因は言わずと知れた、義経だった。
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