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2章 塵の焔
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一方、そのころ。
伊賀の山中で兵を挙げたといわれている平田家雅は、一族の館から山奥に進んだ炭焼き小屋に隠れ潜んでいた。
彼は確かに平家の一員であり、その恩恵もあって伊賀中将等と、もてはやされもしていたが、それほど平家一門、特に清盛入道亡き後の伊勢平氏の一門に対して心底追従していたわけではない。
時の流れには確かに乗って出世したが、本人は自分の器以上の出世を嫌い、長く都にとどまったりはせずに、自身の荘園のある伊賀を往復していた。
木曽義仲が都を伺い、伊勢平氏一門が都放棄を決めた際、伊賀に居た彼は軍勢を整えた物の、出陣の貝は鳴らさずにそのまま解散させ伊賀に残った。
稀代の申し子であった清盛もなく、個人的に好いてもいた嫡男重盛も居ない伊勢平氏と共に、わざわざ行った事もない西国に道連れとしてついていく義理までは感じなかったからだ。
身のほどの小さな幸せさえあれば、それで世は楽しめると言うのが、家雅の持論である。
「しかし、まいったものだ幸よ」
家雅がここに居るのには、もちろん訳がある。
伊賀兵士の旗頭である平田一門が、総じて源氏に奇襲をかけると決めてしまったからだ。
家雅は平家によく言われる公達武者ではなく、弓を引けば、かの有名だった鎮西八郎為朝には及ばないだろうが、義朝の一の冠者、悪源太義平には引けをとらないと自負している。
打ちもの持てば、馬も避けると言われた剛の者で、木曽義仲が平家を都から追い出し、さらにその木曽義仲を鎌倉の源氏が追い出すまで、伊賀に源氏が浸透しなかったのは、彼を恐れてのものでもあったと言われている。
しかし、家雅自身は基本的に争いを好まず、酒と森と今抱きしめている幸さえいれば充分な男であった。
そんな彼を、同族の者たちは伊賀中将とは呼ばずに、萎え中将家雅と呼んで苦笑していた。戦では頼りになるが、平時の彼は萎えた烏帽子の様に役立たずに見えていたからだろう。
また平氏の公達武者ならば、都の女子と浮き名を流す事、せせらぎの如しだったが、彼の弟、小少将家長と違い、家雅にはとんと浮名の一つも上がらなかった。
一つに彼が和歌を苦手としていたと言うのもある。この時代の恋は歌に始まり、歌に終わる。気持ちを伝えるのも、別れを伝えるのもすべて歌でなされ、それが出来ない者は如何に官位が高くとも、相手にされなかった時代である。
歌が苦手でも浮名を流したのは、同時代で言えば源九朗判官義経位のものである。
彼の場合はもはや、何故にモテたかついぞ分からず、近代の研究者の頭をなやませる一因ともなっている。
さて、家雅である。
彼は その長くはない生涯を通じて、一人の女性を愛しぬいた非常に稀有な武将といえるだろう。
その相手は貴族ではないし、さらに言えば同階級の武士でもない。所謂、名のある女性ではなく、近郷の炭焼き人の娘である幸が相手だった。
きっかけは他愛もない、まだ元服前の時、遠乗りに出かけ、山での一服の休憩に幸が出した湯の一杯が無性に響いたのだ、と家雅は周囲のものに語った。そしてすぐになんとまだ齢七歳の童が齢四歳の娘に妻問いをしたのだ。本人同士よりも周囲は動転の極みだった。
父は拳骨を持って彼に説得という名の体罰を行い、祖父は笑いながらも正妻には出来ぬと現実的に攻めた。
しかし、家雅は諦めず、一時は納得したそぶりをして父、祖父を安心させるや否や、すぐに幸の元に通いつつ、体を限界まで鍛え始めた。
父に負けない為にと、世の理不尽から幸と己を守るために。
祖父は即座に幸の父である炭焼き人に退去を促したかったが、残念ながらその炭焼き人は平田一族の物ではなく、時の関白藤原忠実の荘園の者であったから一言も言えない。
下手につつけば、炭焼き人は関白藤原忠実に訴えでて、いまだ武家など犬畜生の世であるために、平田一門の役目を削られかねない。
その様にして滅亡した武家は、数知れずあるのだ。
結果どうなったかといえば、家雅の祖父と父はその問題を棚上げし、家雅を都の出世頭である清盛の下に送った。
体も鍛え、自らの力を試したかった家雅はその言葉に従い、都で清盛等伊勢平氏一門に臣従し、また人脈も広げていった。
その間の幸は?といえば、なんと家雅は賊徒討伐の見返りに、炭焼き人を含めた荘園を清盛に強請り、藤原忠実から下賜されていた。
家雅の話を聞いた清盛も、藤原忠実も面白き男がいると笑いあい、快く動いたと噂されている。
平田家雅とはつまり、そういう男である。
「しかし若殿、元はといえば仕方の無い話ですよ、もし幸が同じになった時、若殿はいかがいたしまするのじゃ?」
この三日前、彼の弟であり、まさに世に春を歌う公達武者でもあった平田家長の想い人、紫の女御と名高い藤原忠光の一人娘、光が京から伊賀の道中で源氏の太井実春にかどわかされたのだ。
平家都落ちから数ヶ月、会えないままの二人は賭けに出たが、見事に敗れてしまったという話だが、それだけではない。
太井実春は、紫の女御として名高い光を自宅に軟禁した上で、我が物にしたというのだ。
光としては、このまま板東の荒武者の慰み者として強姦されるよりは、まだ一武将で、ひとかどの大将でもある太井実春に身を任せたほうが、という自己防衛の意識だったのだろう。
家長の落胆たるや大変な物で、館にて知らせを受けた彼は小太刀を首にあてがい、自死を試みるも、慌てた郎党に止められる始末。夜に抜け出そうとして、厩舎に近づき、馬のいななきで郎党に気づかれるなんて事もあった。
確かに必死さは伝わるが、家雅にしてみれば何処と無く嘘臭くもある。
もし幸が誰かの手に渡ったというならば、寸刻も待たずに取り返しにいく自分が家雅には想像できる。誰が止めようとも、全力で排除してだ。
我が血を分けた兄弟ながら、家長にはそれが無い。どこか演技の様な匂いを感じてしまうのだ。
「幸は俺が守る、三日とあけずにな、もし三日待って俺が現れなければ俺はきっと討たれている、その時は・・・・・・」
「分かっております若殿、幸も必ず共をいたしまする、死出の旅路の案内は頼みましたぞ」
家雅は、本当は幸に死んでは欲しくないと伝えたかったのだが、それを言えばこの場で命を絶ちかねないと感じ、ただ抱き寄せた。
一族上げての戦。それも無法者を誅罰するだけで源氏全体に敵対するわけではない。一族の者は言っているし、それを旗印にして奇襲を行うとしている。だが、そんな物を信じているのは平田の一族だけでなく、伊勢、伊賀、近江、山城の平氏一門の武将の中でおそらく弟である家長一人だろう。
確実に大戦になるだろうし、確実に伊賀平田だけの話ではない。
すでに本意ではないが、家雅の書状が先ほどの四カ国、伊勢、伊賀、近江、山城に加え福原にも送られている。
半分位の返答の書が集まったが、同時に起つ事に賛同しているのは僅かな数でしかない。
福原まで回復した平家の動きを見てから、と日和見している武士ばかりだ。
本当なら家雅だって同じように日和見していたい。幸と戯れながら子を作り、田を耕し狩を教えていたい。
だが、それはもう出来ない。弟の想い人を奪われ、更にその事について太井実春は奪い返しにも来ない平田とはそもそも武士か?犬畜生でも愛するものは守る物であろうに、と各地で言いふらしているらしい。
さすがに家雅も、その言葉には頭にきた。
奪っておきながらのその言葉。
これで日和見などすれば平田の名は地に落ち、人がましく生きることを許されないだろう。今の平田の所領も奪われてしまうかもしれない。
「速戦即決で終わらせる、それしかない」
「そう若殿が決めたのなら、私たちは従うのみ、この荘園のすべての人間が若殿の味方です」
藤原忠実から下賜された荘園には、様々な人間がいた。
狩人、木こり、川漁師に白拍子に太鼓もち。武士崩れの男も少なくない。
総勢で三百人。一丸となって動くのならば大層な人数だ。それに平田一族および荘園からの援軍等併せれば五百人になる。
源氏と平家の本軍同士の戦でもない限り、普通は千以下の戦ばかりだ。決して勝算がない数ではない。さらに伊勢平氏は賛同しているので力強い味方になるとの声もあるが、こちらは、信じない程度にアテにしよう。
「やるしかないのかな、やっぱり」
「ええ、若殿、しゃきっとしてくださいな、そして戦に勝ってまた幸を抱きに来てくださいな」
「勝ってくる、か・・・・・・」
仕方なく、平田家雅は炭焼き小屋から外にでた。
そこにはいつの間に彼がここに居ることを知ったのか、荘園の中で戦える男たちが武器を持って待っていた。
よくよく見れば、見たことも無い武士も居る。おそらく近郷の平氏一門に連なる物たちだろう。福原に去った平家に哀れみを覚えて起った者たちかもしれない。
人は弱い方に味方し、自らの武勇と運を持って、世を逆転させる気概を抱く事もある。
「皆は大馬鹿者か!この家雅について源氏と戦おうなどと言う奴はどこのどいつじゃ?」
「それは、ほれ、そこなやつよ」
皆がそれぞれお互いを指差し、笑みが漏れる。
「ほ~、ならばその大馬鹿者共を率いるこの家雅は、救いようの無い者筆頭じゃな!」
「ははは。若殿安心めされい、救いようの無い者程救うのが仏の役目よ!」
そう叫んだ男は寺社関係の男なのだろう、白下地に黒の帷子肩がけ袈裟を無造作に着ており、担いでいる薙刀は人一倍長くて重そうだ。奈良の寺社関係に属する者達は、平家による焼き討ち以来、反平家、反清盛の急先鋒であった筈で、家雅の平田家とは距離をとっていた筈だが、何故かここにいた。
「ならば、わしが一番に救われるわけじゃな、ははは」
「皆で閻魔の元まで談判に参りましょう、いざいざいざっ」
「皆の物よく聞けよ、大事な者たちとの別れは済ませたか?裾を握り締めた妻の涙はぬぐったか?無邪気な子の背中を叩き、性根をすえさせたか?爺と酒を酌み交わし、母者に別れを告げたか?」
家雅のその言葉に場がシーンとなる。見送りで来ていた者も無言で目から涙を流し始める。
その中にあって、幸のみは真っ直ぐに家雅をにらみつけている。
彫り深く、意思の強い瞳は決して涙を流さぬと誓った証のようだ。
少しするとその場に居たすべての人間がゆっくりと家雅の言葉をかみ締め、見送りの者と目を交わし無言で手を上げた。
周りを見回して、すべての者が手を上げたのを確認すると一言
「ならば良い、いざ出立」
平田家雅の声が響いた。
伊賀の山中で兵を挙げたといわれている平田家雅は、一族の館から山奥に進んだ炭焼き小屋に隠れ潜んでいた。
彼は確かに平家の一員であり、その恩恵もあって伊賀中将等と、もてはやされもしていたが、それほど平家一門、特に清盛入道亡き後の伊勢平氏の一門に対して心底追従していたわけではない。
時の流れには確かに乗って出世したが、本人は自分の器以上の出世を嫌い、長く都にとどまったりはせずに、自身の荘園のある伊賀を往復していた。
木曽義仲が都を伺い、伊勢平氏一門が都放棄を決めた際、伊賀に居た彼は軍勢を整えた物の、出陣の貝は鳴らさずにそのまま解散させ伊賀に残った。
稀代の申し子であった清盛もなく、個人的に好いてもいた嫡男重盛も居ない伊勢平氏と共に、わざわざ行った事もない西国に道連れとしてついていく義理までは感じなかったからだ。
身のほどの小さな幸せさえあれば、それで世は楽しめると言うのが、家雅の持論である。
「しかし、まいったものだ幸よ」
家雅がここに居るのには、もちろん訳がある。
伊賀兵士の旗頭である平田一門が、総じて源氏に奇襲をかけると決めてしまったからだ。
家雅は平家によく言われる公達武者ではなく、弓を引けば、かの有名だった鎮西八郎為朝には及ばないだろうが、義朝の一の冠者、悪源太義平には引けをとらないと自負している。
打ちもの持てば、馬も避けると言われた剛の者で、木曽義仲が平家を都から追い出し、さらにその木曽義仲を鎌倉の源氏が追い出すまで、伊賀に源氏が浸透しなかったのは、彼を恐れてのものでもあったと言われている。
しかし、家雅自身は基本的に争いを好まず、酒と森と今抱きしめている幸さえいれば充分な男であった。
そんな彼を、同族の者たちは伊賀中将とは呼ばずに、萎え中将家雅と呼んで苦笑していた。戦では頼りになるが、平時の彼は萎えた烏帽子の様に役立たずに見えていたからだろう。
また平氏の公達武者ならば、都の女子と浮き名を流す事、せせらぎの如しだったが、彼の弟、小少将家長と違い、家雅にはとんと浮名の一つも上がらなかった。
一つに彼が和歌を苦手としていたと言うのもある。この時代の恋は歌に始まり、歌に終わる。気持ちを伝えるのも、別れを伝えるのもすべて歌でなされ、それが出来ない者は如何に官位が高くとも、相手にされなかった時代である。
歌が苦手でも浮名を流したのは、同時代で言えば源九朗判官義経位のものである。
彼の場合はもはや、何故にモテたかついぞ分からず、近代の研究者の頭をなやませる一因ともなっている。
さて、家雅である。
彼は その長くはない生涯を通じて、一人の女性を愛しぬいた非常に稀有な武将といえるだろう。
その相手は貴族ではないし、さらに言えば同階級の武士でもない。所謂、名のある女性ではなく、近郷の炭焼き人の娘である幸が相手だった。
きっかけは他愛もない、まだ元服前の時、遠乗りに出かけ、山での一服の休憩に幸が出した湯の一杯が無性に響いたのだ、と家雅は周囲のものに語った。そしてすぐになんとまだ齢七歳の童が齢四歳の娘に妻問いをしたのだ。本人同士よりも周囲は動転の極みだった。
父は拳骨を持って彼に説得という名の体罰を行い、祖父は笑いながらも正妻には出来ぬと現実的に攻めた。
しかし、家雅は諦めず、一時は納得したそぶりをして父、祖父を安心させるや否や、すぐに幸の元に通いつつ、体を限界まで鍛え始めた。
父に負けない為にと、世の理不尽から幸と己を守るために。
祖父は即座に幸の父である炭焼き人に退去を促したかったが、残念ながらその炭焼き人は平田一族の物ではなく、時の関白藤原忠実の荘園の者であったから一言も言えない。
下手につつけば、炭焼き人は関白藤原忠実に訴えでて、いまだ武家など犬畜生の世であるために、平田一門の役目を削られかねない。
その様にして滅亡した武家は、数知れずあるのだ。
結果どうなったかといえば、家雅の祖父と父はその問題を棚上げし、家雅を都の出世頭である清盛の下に送った。
体も鍛え、自らの力を試したかった家雅はその言葉に従い、都で清盛等伊勢平氏一門に臣従し、また人脈も広げていった。
その間の幸は?といえば、なんと家雅は賊徒討伐の見返りに、炭焼き人を含めた荘園を清盛に強請り、藤原忠実から下賜されていた。
家雅の話を聞いた清盛も、藤原忠実も面白き男がいると笑いあい、快く動いたと噂されている。
平田家雅とはつまり、そういう男である。
「しかし若殿、元はといえば仕方の無い話ですよ、もし幸が同じになった時、若殿はいかがいたしまするのじゃ?」
この三日前、彼の弟であり、まさに世に春を歌う公達武者でもあった平田家長の想い人、紫の女御と名高い藤原忠光の一人娘、光が京から伊賀の道中で源氏の太井実春にかどわかされたのだ。
平家都落ちから数ヶ月、会えないままの二人は賭けに出たが、見事に敗れてしまったという話だが、それだけではない。
太井実春は、紫の女御として名高い光を自宅に軟禁した上で、我が物にしたというのだ。
光としては、このまま板東の荒武者の慰み者として強姦されるよりは、まだ一武将で、ひとかどの大将でもある太井実春に身を任せたほうが、という自己防衛の意識だったのだろう。
家長の落胆たるや大変な物で、館にて知らせを受けた彼は小太刀を首にあてがい、自死を試みるも、慌てた郎党に止められる始末。夜に抜け出そうとして、厩舎に近づき、馬のいななきで郎党に気づかれるなんて事もあった。
確かに必死さは伝わるが、家雅にしてみれば何処と無く嘘臭くもある。
もし幸が誰かの手に渡ったというならば、寸刻も待たずに取り返しにいく自分が家雅には想像できる。誰が止めようとも、全力で排除してだ。
我が血を分けた兄弟ながら、家長にはそれが無い。どこか演技の様な匂いを感じてしまうのだ。
「幸は俺が守る、三日とあけずにな、もし三日待って俺が現れなければ俺はきっと討たれている、その時は・・・・・・」
「分かっております若殿、幸も必ず共をいたしまする、死出の旅路の案内は頼みましたぞ」
家雅は、本当は幸に死んでは欲しくないと伝えたかったのだが、それを言えばこの場で命を絶ちかねないと感じ、ただ抱き寄せた。
一族上げての戦。それも無法者を誅罰するだけで源氏全体に敵対するわけではない。一族の者は言っているし、それを旗印にして奇襲を行うとしている。だが、そんな物を信じているのは平田の一族だけでなく、伊勢、伊賀、近江、山城の平氏一門の武将の中でおそらく弟である家長一人だろう。
確実に大戦になるだろうし、確実に伊賀平田だけの話ではない。
すでに本意ではないが、家雅の書状が先ほどの四カ国、伊勢、伊賀、近江、山城に加え福原にも送られている。
半分位の返答の書が集まったが、同時に起つ事に賛同しているのは僅かな数でしかない。
福原まで回復した平家の動きを見てから、と日和見している武士ばかりだ。
本当なら家雅だって同じように日和見していたい。幸と戯れながら子を作り、田を耕し狩を教えていたい。
だが、それはもう出来ない。弟の想い人を奪われ、更にその事について太井実春は奪い返しにも来ない平田とはそもそも武士か?犬畜生でも愛するものは守る物であろうに、と各地で言いふらしているらしい。
さすがに家雅も、その言葉には頭にきた。
奪っておきながらのその言葉。
これで日和見などすれば平田の名は地に落ち、人がましく生きることを許されないだろう。今の平田の所領も奪われてしまうかもしれない。
「速戦即決で終わらせる、それしかない」
「そう若殿が決めたのなら、私たちは従うのみ、この荘園のすべての人間が若殿の味方です」
藤原忠実から下賜された荘園には、様々な人間がいた。
狩人、木こり、川漁師に白拍子に太鼓もち。武士崩れの男も少なくない。
総勢で三百人。一丸となって動くのならば大層な人数だ。それに平田一族および荘園からの援軍等併せれば五百人になる。
源氏と平家の本軍同士の戦でもない限り、普通は千以下の戦ばかりだ。決して勝算がない数ではない。さらに伊勢平氏は賛同しているので力強い味方になるとの声もあるが、こちらは、信じない程度にアテにしよう。
「やるしかないのかな、やっぱり」
「ええ、若殿、しゃきっとしてくださいな、そして戦に勝ってまた幸を抱きに来てくださいな」
「勝ってくる、か・・・・・・」
仕方なく、平田家雅は炭焼き小屋から外にでた。
そこにはいつの間に彼がここに居ることを知ったのか、荘園の中で戦える男たちが武器を持って待っていた。
よくよく見れば、見たことも無い武士も居る。おそらく近郷の平氏一門に連なる物たちだろう。福原に去った平家に哀れみを覚えて起った者たちかもしれない。
人は弱い方に味方し、自らの武勇と運を持って、世を逆転させる気概を抱く事もある。
「皆は大馬鹿者か!この家雅について源氏と戦おうなどと言う奴はどこのどいつじゃ?」
「それは、ほれ、そこなやつよ」
皆がそれぞれお互いを指差し、笑みが漏れる。
「ほ~、ならばその大馬鹿者共を率いるこの家雅は、救いようの無い者筆頭じゃな!」
「ははは。若殿安心めされい、救いようの無い者程救うのが仏の役目よ!」
そう叫んだ男は寺社関係の男なのだろう、白下地に黒の帷子肩がけ袈裟を無造作に着ており、担いでいる薙刀は人一倍長くて重そうだ。奈良の寺社関係に属する者達は、平家による焼き討ち以来、反平家、反清盛の急先鋒であった筈で、家雅の平田家とは距離をとっていた筈だが、何故かここにいた。
「ならば、わしが一番に救われるわけじゃな、ははは」
「皆で閻魔の元まで談判に参りましょう、いざいざいざっ」
「皆の物よく聞けよ、大事な者たちとの別れは済ませたか?裾を握り締めた妻の涙はぬぐったか?無邪気な子の背中を叩き、性根をすえさせたか?爺と酒を酌み交わし、母者に別れを告げたか?」
家雅のその言葉に場がシーンとなる。見送りで来ていた者も無言で目から涙を流し始める。
その中にあって、幸のみは真っ直ぐに家雅をにらみつけている。
彫り深く、意思の強い瞳は決して涙を流さぬと誓った証のようだ。
少しするとその場に居たすべての人間がゆっくりと家雅の言葉をかみ締め、見送りの者と目を交わし無言で手を上げた。
周りを見回して、すべての者が手を上げたのを確認すると一言
「ならば良い、いざ出立」
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