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序の段
其の二
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そのまま決め切れずに、一里は歩いただろうか。
まっくらな道の先に、ぼんやりと白く輝く物が見えた。
「既に、黄泉の国にでも迷い込んだか?」
いつもの癖で腰に手をやるが、使い慣れた太刀は無い。
鎌倉を女装して逃げてきたのだ。太刀など履いているわけが無い。
「怨霊は鉄が苦手と聞くが・・・・・・」
義高が現在持っているのは、妻である大姫より預かった守り刀だけだ。
その頼りない刀を握り、速度を落とさずに白い物へ近づく。
見れば、それは真っ白な猫と兎だった。
猫と兎。
それぞれがそれぞれで現れたのならば、不思議はほとんど無い。
夜の道だ。
人が歩いていなければ、動物が歩いていても問題ない。
しかし、猫は肉食で、兎はどちらかといえばその猫に捕食される側だ。
真っ暗な夜道で兎が猫に出会えば、壮絶な追いかけっこが始まるだろう。
しかし、今義高の目の前にいる猫と兎はまるで会話でもしているかのように、顔を寄せ合いちらちらとこちらを見てくる。しかもこの時代、猫は京近くや平家が発展させた西国ならば少々の数がいるが、東国で飼われているとは聞いた事が無い。
「はや、神獣の類か?」
義高と動物達との距離は、走れば数秒で到達する所まで近づいている。
さすがに義高も、この異常に足を止めざる得なかった。
「そこな方々、神獣の方々と見受けられるが、いかに?」
こんな場合にどんな態度で接すればよいか、判らない義高は、とりあえず神の獣であれば、上位の物であるとの認識で、片方の膝と手を地につけて話しかけてみた。
心の中では子供の頃に断片的に見た、鳥獣戯画の世界かと思いながら。
「くすくす、くすくす」
そんな義高の問いかけに、動物達は顔を見合わせ、ちらちらと義高を見ながら笑い声を上げる。
「失礼、方々、出会い頭に笑うとは非礼ではないか」
「非礼とな?童ごときが非礼とはな、のう主夜よ」
「そうさな、白兎、だがこの童子は面白いぞ、今宵、命数が尽きる日とでておる」
「なるほどのぉ、だから我等と行き会ったのか、ふむふむ面白いのぉ」
義高には良くわからない事で、何かを納得しあっている神獣達。
名を聞く限り義高の想像していたとおり、神獣である事は間違いないようだ。ただの獣に名はないし、人と言葉を交わすことも出来ないのだから。
一抹の不安として妖怪の類の可能性もないではなかったが、風前の灯といった自分にはどちらでも構わない、と思い切った。
「今宵、私の命数が尽きるのは決まっているのですか?」
「むむ、我等の話に割り込むとは良い度胸じゃ、覚悟は出来ておろうな」
今までちらちらと見ているだけだった白兎と呼ばれる兎が、真っ直ぐに義高を睨みつける。
「ぐぐっ」
真っ赤な瞳がどんどん大きくなり、ついにはその瞳に義高は吸い込まれてしまいそうになる。
足を踏ん張って耐えようとするが、それでもじりじりと吸い寄せられていく。
懐には大姫の刀があるが、うまく手が動かない。
「やめや白兎!我等が無益に殺生してよい道理はないぞ」
「そうさな主夜よ、だがな、我等が無益に命を永らえさせてやる道理もないぞ」
ふっと、吸い寄せられていた体に自由が戻ってくる。全身の筋肉がかすかに痙攣しているが、傷等はない。
「神々の獣殿、願わくば私に時を頂けないだろうか?せめてもう一度大姫に会うまでは」
このままここで殺されては適わない。折角鎌倉を脱出してきたのに、二度と大姫に会えずに神獣の機嫌を損ねて、殺されるなどは無念だ。
「先ほども言った、童子よ、我等は益の無い殺生も、益の無い救済も行わぬ、ただ同族を見守りその幸を願うだけの存在よ」
「そうそう童よ、我等の機嫌を損ね、消される前に去ね」
二体の神獣は、義高の願いを適えてくれるそぶりも無い。
当たり前の事かもしれない。神仏はおろか今まで神獣を敬った事も、奉った事も、祈りを捧げたことも無いのだから。
「そうですか、では仕方がありません、それではこれにて」
力がうまく入らず、ふらふらとしながら義高は神獣の横を通り抜けようとして、転んでしまう。
くるくると回りながら懐の刀が。神獣の足元まで転がり、主夜と呼ばれた猫の足元に納まる。
「ふむ、供え物か?確かに価値ある一品ではあるが、足りぬよ童子」
「い、いやそれは」
「ほうほう、これは女性の守り刀かよ童、その年で守り刀を譲られるとはの、かの在原業平もかくやか」
白兎が、主夜の足元にある守り刀を咥える。
「主夜よ、我は童を気に入った、もしこれを寄越せば助けてやろう」
一瞬、義高は迷った。
大姫の刀は彼女との絆の証だが、また会えなければ意味が無い。ならばここで神獣に捧げ命を長らえる方が、利口なのではないかと。
しかし、口からは別の言葉が出ていた。
「申し訳ありませぬ、それは我が妻の物にて、私は預かっているだけの立場、その様な物を捧げるわけには参りませぬ」
白兎の方に手を出して返却を要求する。また機嫌を損ねてしまうかもしれないと思うが、やはり大姫の刀を渡すわけにはいかない。
彼女が、どんな想いでこの刀を自分に託したのか?
それが痛いほど判るから、義高は恐れずに手を前に出した。
「どうする白兎よ」
「どうする主夜よ」
顔を見合わせる二匹の神獣。
しばしそのままで向き合ったまま、やがてお互いににんまりと、義高にも判るくらいの笑顔を浮かべた。
「よし、童子、その心意気を買った、我は主夜、いつでも構わんが、この国には我等一族を奉る場所が無い、故に童子、そなたが必ずその場を作るならば願い聞き届けよう」
「必ずや・・・・・・」
義高は、主夜と白兎に頭を深々と下げる。
これより百年ほど後に、彼の子孫が、この時の約束を果たすべく京都に猫を奉る寺を建立したのは有名な話だが、義高自身は建立する事ができなかったとされていた。
しかし近年の研究から、当時蝦夷とも呼ばれていなかった現在の北海道沿岸に、白い猫を奉る小さな祠が発見され、歴史学者の中で物議を醸しているのは別の話。
因みにその祠の屋根の部分には、兎の装飾もあったそうだ。
まっくらな道の先に、ぼんやりと白く輝く物が見えた。
「既に、黄泉の国にでも迷い込んだか?」
いつもの癖で腰に手をやるが、使い慣れた太刀は無い。
鎌倉を女装して逃げてきたのだ。太刀など履いているわけが無い。
「怨霊は鉄が苦手と聞くが・・・・・・」
義高が現在持っているのは、妻である大姫より預かった守り刀だけだ。
その頼りない刀を握り、速度を落とさずに白い物へ近づく。
見れば、それは真っ白な猫と兎だった。
猫と兎。
それぞれがそれぞれで現れたのならば、不思議はほとんど無い。
夜の道だ。
人が歩いていなければ、動物が歩いていても問題ない。
しかし、猫は肉食で、兎はどちらかといえばその猫に捕食される側だ。
真っ暗な夜道で兎が猫に出会えば、壮絶な追いかけっこが始まるだろう。
しかし、今義高の目の前にいる猫と兎はまるで会話でもしているかのように、顔を寄せ合いちらちらとこちらを見てくる。しかもこの時代、猫は京近くや平家が発展させた西国ならば少々の数がいるが、東国で飼われているとは聞いた事が無い。
「はや、神獣の類か?」
義高と動物達との距離は、走れば数秒で到達する所まで近づいている。
さすがに義高も、この異常に足を止めざる得なかった。
「そこな方々、神獣の方々と見受けられるが、いかに?」
こんな場合にどんな態度で接すればよいか、判らない義高は、とりあえず神の獣であれば、上位の物であるとの認識で、片方の膝と手を地につけて話しかけてみた。
心の中では子供の頃に断片的に見た、鳥獣戯画の世界かと思いながら。
「くすくす、くすくす」
そんな義高の問いかけに、動物達は顔を見合わせ、ちらちらと義高を見ながら笑い声を上げる。
「失礼、方々、出会い頭に笑うとは非礼ではないか」
「非礼とな?童ごときが非礼とはな、のう主夜よ」
「そうさな、白兎、だがこの童子は面白いぞ、今宵、命数が尽きる日とでておる」
「なるほどのぉ、だから我等と行き会ったのか、ふむふむ面白いのぉ」
義高には良くわからない事で、何かを納得しあっている神獣達。
名を聞く限り義高の想像していたとおり、神獣である事は間違いないようだ。ただの獣に名はないし、人と言葉を交わすことも出来ないのだから。
一抹の不安として妖怪の類の可能性もないではなかったが、風前の灯といった自分にはどちらでも構わない、と思い切った。
「今宵、私の命数が尽きるのは決まっているのですか?」
「むむ、我等の話に割り込むとは良い度胸じゃ、覚悟は出来ておろうな」
今までちらちらと見ているだけだった白兎と呼ばれる兎が、真っ直ぐに義高を睨みつける。
「ぐぐっ」
真っ赤な瞳がどんどん大きくなり、ついにはその瞳に義高は吸い込まれてしまいそうになる。
足を踏ん張って耐えようとするが、それでもじりじりと吸い寄せられていく。
懐には大姫の刀があるが、うまく手が動かない。
「やめや白兎!我等が無益に殺生してよい道理はないぞ」
「そうさな主夜よ、だがな、我等が無益に命を永らえさせてやる道理もないぞ」
ふっと、吸い寄せられていた体に自由が戻ってくる。全身の筋肉がかすかに痙攣しているが、傷等はない。
「神々の獣殿、願わくば私に時を頂けないだろうか?せめてもう一度大姫に会うまでは」
このままここで殺されては適わない。折角鎌倉を脱出してきたのに、二度と大姫に会えずに神獣の機嫌を損ねて、殺されるなどは無念だ。
「先ほども言った、童子よ、我等は益の無い殺生も、益の無い救済も行わぬ、ただ同族を見守りその幸を願うだけの存在よ」
「そうそう童よ、我等の機嫌を損ね、消される前に去ね」
二体の神獣は、義高の願いを適えてくれるそぶりも無い。
当たり前の事かもしれない。神仏はおろか今まで神獣を敬った事も、奉った事も、祈りを捧げたことも無いのだから。
「そうですか、では仕方がありません、それではこれにて」
力がうまく入らず、ふらふらとしながら義高は神獣の横を通り抜けようとして、転んでしまう。
くるくると回りながら懐の刀が。神獣の足元まで転がり、主夜と呼ばれた猫の足元に納まる。
「ふむ、供え物か?確かに価値ある一品ではあるが、足りぬよ童子」
「い、いやそれは」
「ほうほう、これは女性の守り刀かよ童、その年で守り刀を譲られるとはの、かの在原業平もかくやか」
白兎が、主夜の足元にある守り刀を咥える。
「主夜よ、我は童を気に入った、もしこれを寄越せば助けてやろう」
一瞬、義高は迷った。
大姫の刀は彼女との絆の証だが、また会えなければ意味が無い。ならばここで神獣に捧げ命を長らえる方が、利口なのではないかと。
しかし、口からは別の言葉が出ていた。
「申し訳ありませぬ、それは我が妻の物にて、私は預かっているだけの立場、その様な物を捧げるわけには参りませぬ」
白兎の方に手を出して返却を要求する。また機嫌を損ねてしまうかもしれないと思うが、やはり大姫の刀を渡すわけにはいかない。
彼女が、どんな想いでこの刀を自分に託したのか?
それが痛いほど判るから、義高は恐れずに手を前に出した。
「どうする白兎よ」
「どうする主夜よ」
顔を見合わせる二匹の神獣。
しばしそのままで向き合ったまま、やがてお互いににんまりと、義高にも判るくらいの笑顔を浮かべた。
「よし、童子、その心意気を買った、我は主夜、いつでも構わんが、この国には我等一族を奉る場所が無い、故に童子、そなたが必ずその場を作るならば願い聞き届けよう」
「必ずや・・・・・・」
義高は、主夜と白兎に頭を深々と下げる。
これより百年ほど後に、彼の子孫が、この時の約束を果たすべく京都に猫を奉る寺を建立したのは有名な話だが、義高自身は建立する事ができなかったとされていた。
しかし近年の研究から、当時蝦夷とも呼ばれていなかった現在の北海道沿岸に、白い猫を奉る小さな祠が発見され、歴史学者の中で物議を醸しているのは別の話。
因みにその祠の屋根の部分には、兎の装飾もあったそうだ。
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