銀色の精霊族と鬼の騎士団長

文字の大きさ
上 下
92 / 97
終章 黒い爪

しおりを挟む

「あ……!」
「お前は馬鹿か? なぜそんなものを飲む?」
「そんなものって?」
「それは玉紅草の実の汁だろう。毒だ」
「毒!?」

 スイは驚いてグラスに注がれた赤い液体を見つめた。甘いジュースだとばかり思っていたが、知らないうちにディリオムに毒を盛られていたのか。

「……なにを言ってるんだ?」

 ディリオムがけげんそうに言う。精霊の見えないディリオムには突然スイが独り言を言い出したようにしか見えない。

 スイはグラスをテーブルに置き、おそるおそる言った。

「これ……毒なのか?」
「え? お前に毒なんか飲ませるわけないだろ? ただの珍しい木の実のジュースだよ」

 ディリオムは自分のグラスにもジュースを注ぐと一口飲んだ。

「うん、おいしい。これのどこが毒なんだ?」

 スイは混乱してアダンを見上げる。毒をディリオム自ら飲むはずがない。アダンの勘違いだ。

 しかしアダンはため息をついた。

「そいつが飲んでもなんともないさ。それは精霊の力を奪う実だからな。私はその実の生えているところには近寄れないし、その実の汁が池に溶けるとそこに棲んでいた精霊は死んでしまう」
「……精霊にとって毒だってこと?」
「そうだ。お前、そんな体のくせにそんなことも知らないのか? お前は精霊の力を借りて生きているだろう。それを飲んで精霊の力を失ったらその体を保てないぞ」

 スイは一度死に、精霊族としてよみがえった。スイは精霊によって生かされている。この身に宿る精霊の力をすべて失えば――

「……死ぬ、ってこと……?」
「そういうことだ」

 スイは青ざめて震え始めた。ディリオムはテーブルを回ってスイの脇に立ち、部屋をきょろきょろと見回した。

「おい、さっきから誰と喋ってる?」
「……精霊がいる」

 ディリオムは面食らってスイとスイが見上げる先を交互に見やった。

「精霊がこんなところに?」
「おれがデアマルクトの地下から解放した精霊だ……おれの様子を見に来たんだ」
「……お前の様子を……。……それで、そいつはなんて言ってるんだ?」
「このジュースは精霊の力を奪う実の汁でおれには毒だって言ってる」

 ディリオムはわずかに眉根を寄せて押し黙った。その顔にはありありと「余計なことを言いやがって」と書いてある。それを見てスイは愕然とした。知らなかったと言ってくれれば信じようと思ったのに。ディリオムは知っていてスイにこのジュースを飲ませていたのだ。

「ディリオム……どうして? おれを殺す気なのか? 最近具合が悪いのはこのジュースを飲んでたせいなんだな?」

 ディリオムは一瞬憎々しげな表情を浮かべたが、すぐにやわらかくほほ笑んだ。

「……お前は俺のすべてだ。こんなに愛してるのに、お前を殺したりするもんか」
「じゃあなんでこれを飲ませたんだ?」
「その精霊の言うことなんか信用するな。俺を信じろ」

 アダンは髪をざわりと逆立てる。

「なぜ私に嘘をつく必要がある」
「それを飲んでも死んだりしない。パンが食べられないというなら、それだけでも飲め」

 ディリオムは強い口調で命令し、指先でテーブルをとんとんとたたいた。機嫌が悪くなってきている証左だ。スイの背筋がすっと冷える。これ以上粘ると恐ろしいことになりそうだ。

 スイはそろそろとグラスに手を伸ばした。これを飲んだら死ぬかもしれない。でも、怖くて彼に逆らうことができない。

 スイは少し果肉の浮いている赤い甘い毒をあおり――途中で目の前がまっ暗になった。

 ハッと気づくと、ディリオムに横抱きにされてベッドに運ばれているところだった。ディリオムはスイを大切そうに抱え、そうっとベッドに寝かせた。

「ちょっと飲ませすぎたかな。でも心配するな、お前の面倒は俺が全部見るから」

 ディリオムはスイの上にかがみこみ、両手でスイの顔を包みこんだ。

「食事も着替えも風呂もトイレも全部手伝ってやる。不自由はさせないからね」
「……ディリオム……きみは、おれを殺したいんじゃなくて……」

 自分なしで立ち上がることもできなくさせたいのか。

「……人間のすることはわからん」

 一連の様子を見ていたアダンはそう言うと姿を消した。



 スイはディリオムに抱えられて移動させられ、食事をとらされたり風呂に入れられるようになった。ディリオムがいるあいだは杖すら使わせてもらえない。

 あれ以来あのジュースは飲まされなくなったが、すでに飲み過ぎたのか体調が回復することはなかった。スイは力なく義兄にもたれかかり、ひな鳥のように食事を食べさせられた。ディリオムは嬉々としてスイの体を洗ったり服を着せたりとかいがいしく世話を焼いた。それはまるで人形遊びだった。

 スイの意識は常に霞がかり、このまま静かに息絶える気がしていた。その前に一度でいいからエリトに会いたいと願った。


 ◆


 ディリオムの屋敷に一人の商人がやってきた。大量の荷物を頭上まで積み上げて背負った商人は、玄関先でディリオムの手下に左手の親指につけた指輪を見せた。指輪には文様が描かれた丸い装飾がついている。

「フィヤードの代わりで来た」

 手下の男は指輪の文様を見てから背の高い商人の顔をじっと見上げた。ぼさぼさの黒髪に少しくたびれた顔の平凡な男だ。

「フィヤードは?」
「競りの商品が一日遅れで到着するから今日は動けないんだと。だから俺が代わりに品物を持ってきた。中に入っていいか? 重くてな」
「ああ」

 指輪が身分証明となり、商人は屋敷に招き入れられた。

 商人は一階の応接室で荷物をおろし、頼まれていた品々を手下の男に渡していった。手下の男はリスト片手に注文したものがすべてそろっていることを確認していく。すべての受け渡しが完了すると商人は軽くなった鞄を背負って立ち上がった。

「代金はいつもの方法で支払ってくれ」
「ああ、またあとで連絡する」

 商人は応接室を出て玄関に向かったが、途中でくるりと振り向いた。

「そうだ、ディリオムさんに一度顔を見せろって言われてたんだった。ちょっと挨拶させてくれ。上にいるよな?」

 階段に足を向けた商人を手下の男が慌てて引き止める。

「待てよ勝手に二階に上がられたら困る。俺だって用事がないと行けないのに……」
「こっちは顔出せって言われてんだよ。渡したいものもあるし。お前にそれを断る権利があんのかよ」

 商人は怖い顔で手下の男に詰め寄った。高いところからすごまれ、手下の男はしぶしぶ商人を連れて階段を上がった。二人が廊下を歩いていると、突きあたりの扉から小太りの男が出てきた。

「おい、誰だそいつ」

 小太りの男は後ろ手に扉を閉めながら商人を指さす。

「ディリオムさんに顔出すように言われてるそうなんで連れてきたんだけど……」
「今はだめだ、またあとにしてくれ。ディリオムさんの弟さんが病気で寝てるから誰も通すなって言われてるだろ」

 小太りの男はちらりと一つの扉を流し見ると、手振りで早く戻れと促してきた。商人はそうかと言って素直にうなずいた。

「そりゃすまない。また今度出直すよ」
「悪いがそうしてくれ」
「渡したいものがあるって言ってなかったか?」

 手下の男がぶすっとして言うと、商人は内ポケットから煙草を一束取り出した。

「ああ、これだよ。いいのが手に入ったんでな。渡しておいてくれ」
「わかった」

 商人は小太りの男に煙草を預けると屋敷をあとにした。



 その日の深夜、闇に紛れて再びあの商人がディリオムの屋敷にやってきた。周囲を警戒しながら音もなく屋敷に忍び寄り、はしごも使わず手足の力だけで壁を上っていく。身につけたマントの下から長剣がちらついた。

 商人は二階のとある窓の前にやってくると、左手だけでぶら下がり右手の指をぱちんと慣らした。すると窓の鍵がひとりでに外れた。商人は窓を開けて音もなく中に侵入した。

 暗い部屋の奥に鎮座するベッドではスイが眠っていた。商人は足早にベッドに近づくと寝息を立てるスイの頬をぺちぺちとたたく。

「スイ、おい、起きろ。おい」

 深く寝入っていたスイはゆっくりとまぶたを持ち上げた。

「……ん」

 寝ぼけ眼で何度かまばたきをする。見知らぬ男がすぐそばで自分を見下ろしていることに気づき、スイはたちまち覚醒した。

「だ……誰?」
「ねぼけてんのか? 俺だよ」
「だ、だから、誰?」

 目の前の男に見覚えはない。ディリオムの手下だろうか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

不夜島の少年~兵士と高級男娼の七日間~

四葉 翠花
BL
外界から隔離された巨大な高級娼館、不夜島。 ごく平凡な一介の兵士に与えられた褒賞はその島への通行手形だった。そこで毒花のような美しい少年と出会う。 高級男娼である少年に何故か拉致されてしまい、次第に惹かれていくが……。 ※以前ムーンライトノベルズにて掲載していた作品を手直ししたものです(ムーンライトノベルズ削除済み) ■ミゼアスの過去編『きみを待つ』が別にあります(下にリンクがあります)

SODOM7日間─異世界性奴隷快楽調教─

槇木 五泉(Maki Izumi)
BL
冴えないサラリーマンが、異世界最高の愛玩奴隷として幸せを掴む話。 第11回BL小説大賞51位を頂きました!! お礼の「番外編」スタートいたしました。今しばらくお付き合いくださいませ。(本編シナリオは完結済みです) 上司に無視され、後輩たちにいじめられながら、毎日終電までのブラック労働に明け暮れる気弱な会社員・真治32歳。とある寒い夜、思い余ってプラットホームから回送電車に飛び込んだ真治は、大昔に人間界から切り離された堕落と退廃の街、ソドムへと転送されてしまう。 魔族が支配し、全ての人間は魔族に管理される奴隷であるというソドムの街で偶然にも真治を拾ったのは、絶世の美貌を持つ淫魔の青年・ザラキアだった。 異世界からの貴重な迷い人(ワンダラー)である真治は、最高位性奴隷調教師のザラキアに淫乱の素質を見出され、ソドム最高の『最高級愛玩奴隷・シンジ』になるため、調教されることになる。 7日間で性感帯の全てを開発され、立派な性奴隷(セクシズ)として生まれ変わることになった冴えないサラリーマンは、果たしてこの退廃した異世界で、最高の地位と愛と幸福を掴めるのか…? 美貌攻め×平凡受け。調教・異種姦・前立腺責め・尿道責め・ドライオーガズム多イキ等で最後は溺愛イチャラブ含むハピエン。(ラストにほんの軽度の流血描写あり。) 【キャラ設定】 ●シンジ 165/56/32 人間。お人好しで出世コースから外れ、童顔と気弱な性格から、後輩からも「新人さん」と陰口を叩かれている。押し付けられた仕事を断れないせいで社畜労働に明け暮れ、思い余って回送電車に身を投げたところソドムに異世界転移した。彼女ナシ童貞。 ●ザラキア 195/80/外見年齢25才程度 淫魔。褐色肌で、横に突き出た15センチ位の長い耳と、山羊のようゆるくにカーブした象牙色の角を持ち、藍色の眼に藍色の長髪を後ろで一つに縛っている。絶世の美貌の持ち主。ソドムの街で一番の奴隷調教師。飴と鞭を使い分ける、陽気な性格。

【R18】黒曜帝の甘い檻

古森きり
BL
巨大な帝国があった。 そしてヒオリは、その帝国の一部となった小国辺境伯の子息。 本来ならば『人質』としての価値が著しく低いヒオリのもとに、皇帝は毎夜通う。 それはどんな意味なのか。 そして、どうして最後までヒオリを抱いていかないのか。 その檻はどんどん甘く、蕩けるようにヒオリを捕らえて離さなくなっていく。 小説家になろう様【ムーンライトノベルズ(BL)】に先行掲載(ただし読み直しはしてない。アルファポリス版は一応確認と改稿してあります)

鳥籠の中の宝物

胡宵
BL
幼い頃に誘拐され10年間監禁されてきた陽向(ひなた)。そんなある日、部屋に入ってきたのは見たことのない男だった。

【R18】息子とすることになりました♡

みんくす
BL
【完結】イケメン息子×ガタイのいい父親が、オナニーをきっかけにセックスして恋人同士になる話。 近親相姦(息子×父)・ハート喘ぎ・濁点喘ぎあり。 章ごとに話を区切っている、短編シリーズとなっています。 最初から読んでいただけると、分かりやすいかと思います。 攻め:優人(ゆうと) 19歳 父親より小柄なものの、整った顔立ちをしているイケメンで周囲からの人気も高い。 だが父である和志に対して恋心と劣情を抱いているため、そんな周囲のことには興味がない。 受け:和志(かずし) 43歳 学生時代から筋トレが趣味で、ガタイがよく体毛も濃い。 元妻とは15年ほど前に離婚し、それ以来息子の優人と2人暮らし。 pixivにも投稿しています。

【完結】売れ残りのΩですが隠していた××をαの上司に見られてから妙に優しくされててつらい。

天城
BL
ディランは売れ残りのΩだ。貴族のΩは十代には嫁入り先が決まるが、儚さの欠片もない逞しい身体のせいか完全に婚期を逃していた。 しかもディランの身体には秘密がある。陥没乳首なのである。恥ずかしくて大浴場にもいけないディランは、結婚は諦めていた。 しかしαの上司である騎士団長のエリオットに事故で陥没乳首を見られてから、彼はとても優しく接してくれる。始めは気まずかったものの、穏やかで壮年の色気たっぷりのエリオットの声を聞いていると、落ち着かないようなむずがゆいような、不思議な感じがするのだった。 【攻】騎士団長のα・巨体でマッチョの美形(黒髪黒目の40代)×【受】売れ残りΩ副団長・細マッチョ(陥没乳首の30代・銀髪紫目・無自覚美形)色事に慣れない陥没乳首Ωを、あの手この手で囲い込み、執拗な乳首フェラで籠絡させる独占欲つよつよαによる捕獲作戦。全3話+番外2話

平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます

ふくやまぴーす
BL
旧題:平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます〜利害一致の契約結婚じゃなかったの?〜 名前も見た目もザ・平凡な19歳佐藤翔はある日突然初対面の美形双子御曹司に「自分たちを助けると思って結婚して欲しい」と頼まれる。 愛のない形だけの結婚だと高を括ってOKしたら思ってたのと違う展開に… 「二人は別に俺のこと好きじゃないですよねっ?なんでいきなりこんなこと……!」 美形双子御曹司×健気、お人好し、ちょっぴり貧乏な愛され主人公のラブコメBLです。 🐶2024.2.15 アンダルシュノベルズ様より書籍発売🐶 応援していただいたみなさまのおかげです。 本当にありがとうございました!

処理中です...