銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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八章 安全で快適な暮らし

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 フラインの提案は断ったものの、単調な生活はひどく退屈だった。いつも夕方には庭の手入れもバルトローシュの手伝いも終わってしまう。次第にスイは夕方になると窓辺でエリトの帰りを待つようになった。

 ある日の夕暮れ、屋敷の門の前に御者つきの見慣れぬ豪華な馬車が停まった。なんだろうと見ていると、馬車の扉が開かれてエリトがおりてきて、次いで金髪の青年が姿を現した。エリトはそっと手を差し伸べて彼がおりるのを手伝う。

「なんだ、客か?」

 身なりからしてずいぶん身分の高そうな青年だ。猫族なのか大きな三角耳が生えている。二人はその場でしばらく談笑していたが、ふとエリトが腰をかがめて青年の手をとり手の甲に口づけた。

 猫族の青年はエリトに馬車に戻るよう促されたが、名残惜しいようでしきりにエリトに話しかけてなかなか戻ろうとしなかった。その後しぶしぶといった様子で馬車に乗りこみ、エリトに見送られて去っていった。

「なんだろ……」

 スイは首をかしげながらエリトの着替えを取りに行った。エリトはいつもと変わらない様子で部屋に入ってきて、スイにただいまのキスをした。

 エリトと二人で夕食をとったが、エリトは一緒に帰ってきたあの青年についてなにも言わなかった。仕事だったのだろうと思いスイもなにも聞かなかった。

 翌日、エリトはまたあの豪華な馬車で帰ってきた。今日も馬車の外で猫族の青年と立ち話をしている。なんだか昨日より楽しそうだ。

「なに話してるんだろ……」

 とても親しげだが、猫族の青年は屋敷に入ることなくそのまま馬車で帰っていく。スイは釈然としない思いでそれを眺めた。エリトは相変わらずなにも言ってくれない。

 次の日、エリトは帰ってこなかった。バルトローシュは団長は仕事が忙しいのだと説明したが、スイはあまり聞いていなかった。

 スイはいやな想像に取り憑かれていた。エリトと一緒にいることがすっかり当たり前になっていて考えもしなかったが、ひょっとして一緒にいすぎてエリトはスイに飽きてしまったのではないだろうか。スイを囲ったことで安心して、今度は外に目を向け始めたのかもしれない。だが今さら用なし扱いされても困る。

「飽きられないようにしなくちゃ……」

 スイはエリトに飽きられない方法を一生懸命に考えた。スイに足りなくてあの青年にあるものはなんだろう。

「お金……?」

 あの青年は見るからに金持ちそうだった。それに比べてスイはとても貧乏だ。でも金ならエリトが十分持っているし、エリトはスイに稼ぐことを求めていない。

「気品、とか?」

 青年は口元にこぶしを当てて口を隠すようにして奥ゆかしく笑っていた。スイは鏡の前で真似をしてみたがどうにもうまくいかなかった。育ちがよくないとあの上品さは得られないらしい。

「……猫耳?」

 あの立派な金色の三角耳は猫族だろう。そういえば最近巷では猫耳が流行していてモテるという話をガルヴァに聞いたことがある。かわいい女の子に猫耳がついているとかわいさが二倍になるのだとか。

「それだ」

 きっとエリトも猫耳が好きなのだ。そうに違いない。



 翌朝、スイは朝食後にヴェントンに声をかけた。

「ちょっと頼みたいことがあるんだけど。きみ今日買い物に行く?」
「行くよ。なにか欲しいものがある?」
「ああ、猫族用の風邪薬を買ってきてくれないか? おれがいつも行ってた薬屋には置いてたからどこの薬屋にもあると思うんだけど」
「猫族用の? なんで?」
「エリトに頼まれてたんだ。それをすっかり忘れててさ。理由はおれもよくわからない」
「へえ……なんでだろう。この家に猫族はいないのに」
「きっと仕事で必要なんじゃない?」

 スイは適当に言ってごまかした。ヴェントンは首をかしげたが、エリトの頼みだと言えば承諾してくれた。

 その日の午後、ヴェントンが小さな包みを持って部屋にやってきた。

「はい、頼まれてたものを買ってきたよ」
「ありがとう!」

 スイは読みかけの本をソファに放ってすぐさま包みを受け取った。

「猫族用の風邪薬、一回分だよ。まちがって飲まないでね。猫族以外が飲んだら副作用が――」
「もちろんわかってるよ。ありがとうヴェントン」

 ヴェントンが帰っていくと、スイはもらったばかりの包みから薬を取り出して口に入れ、コップの水で流しこんだ。

「これでよし」

 その後再び本を読み始めた。しかししばらくすると眠くなってきたので、少し昼寝をすることにした。スイは寝室に行きベッドに潜りこんで目を閉じた。



「……ん」

 寝返りを打とうとしたが手がなにかに絡まっていてうまくいかず、スイは目を覚ました。なぜか右手にシーツがぐるぐる巻きついている。

「あれ……?」

 右手を引っ張ったがなにかが引っかかっていて取れない。左手でシーツをはがそうとして、左手の爪が鋭くとがっていることに気がついた。

「……あっ」

 慌てて頭を触ると、そこにはふさふさした耳の感触があった。お尻に違和感があるのでしっぽも生えているようだ。

「おお、本当に生えた!」

 猫族用の風邪薬を猫族以外が服用すると、副作用で一時的に猫族になると聞いていたが本当だった。しかし耳としっぽ以外にも影響があったようで、爪が猫のように鋭くなってしまっている。それで右手がシーツにからみついてしまったらしい。

 スイは慎重に右手からシーツをはがし、ズボンの中で縮こまっているしっぽを外に出した。鏡の前に立ってみると頭に黒い三角耳が生えている。スイはにんまりと笑った。これならエリトも喜ぶだろう。

「早くエリト帰ってこないかな!」

 スイはわくわくしながら居室の窓辺に腰かけて本の続きを開いた。爪で破らないように気をつけながらそっと頁をめくる。

 今日は天気が良く日差しがぽかぽかで気持ちいい。スイは大きなあくびを一つした。日だまりが心地よくてまた眠気が襲ってくる。

 ハッと気づいたとき、分厚い高そうなカーテンがばりばりに破れていた。無意識のうちに爪を立ててしまっていたらしい。

「うわっ……!?」

 これはまずい。スイは慌てて破れたカーテンを回収しようと手を伸ばした。しかしまた爪が引っかかってしまい、取ろうとしたらうっかり足を滑らせて転んでしまった。引っかかったままのカーテンも引っ張られ、取り付けられていた窓枠が折れて窓枠ごと頭の上に落ちてきた。

 ガシャアンとものすごい音が辺りに響き渡った。折れた窓枠が窓に当たって窓ガラスも割れ、大惨事になってしまった。スイは破れたカーテンの下で真っ青になった。

「まずいまずいまずい」

 どう言い訳するか考えながらカーテンの下から這い出す。後ろで扉が開く音がして振り向くと、すぐ目の前にヴェントンがいて真顔でこぶしを振り上げ襲いかかってくるところだった。

「うわあっ!!」

 悲鳴を上げて顔の目の前で腕を交差させる。ヴェントンは直前でぴたりと動きを止めた。

「……スイ?」
「ご、ごめんヴェントン! 許してくれ!」
「侵入者は?」
「えっ?」
「侵入者はどこだ?」

 どうやらヴェントンは窓が割れる音を聞いて駆けつけ、耳の生えたスイの後ろ姿を見て獣人族が襲ってきたと勘違いしたようだ。

「侵入者はいないよ! ごめん、これはおれがうっかり壊しちゃったんだ。驚かせてすまない!」

 スイが慌てて謝ると、ヴェントンは振り上げた腕をゆっくりと下ろした。

「きみが……? というか、その耳……あの風邪薬を飲んじゃったの? 間違って飲まないでって言ったのに」
「う……」

 スイは罪悪感にさいなまれて小さくなった。そのうちバルトローシュも駆けつけてきて、部屋の惨状を見てあきれかえった。

「なにやってるんだお前……」
「大変申し訳ありません……」

 スイは二人に猫族用の風邪薬を誤って飲んでしまったことを正直に告げた。バルトローシュはヴェントンに飛び散ったガラスや窓枠の破片の片付けを頼むと、爪切りを持ってきてスイを椅子に座らせた。スイはバルトローシュの小言を聞きながら爪を切ってもらった。
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