銀色の精霊族と鬼の騎士団長

文字の大きさ
上 下
77 / 97
八章 安全で快適な暮らし

しおりを挟む

 ヴェントンはエリトの屋敷で働く使用人だ。三年前に屋敷が建てられてからまもなくしてエリトに雇われ、以来ずっとこの屋敷に住んでいる。今年で二十一歳になった。最初は掃除と給仕が主な仕事だったが、今はエリトの信頼を得てエリトの自室の整備も任されている。ヴェントンはそれがなにより誇らしかった。執事のバルトローシュも勤勉な青年だと評価してくれている。バルトローシュは眼帯がちょっと怖いが、優しくて良い仕事仲間だ。

 エリトは遠征任務で長期間家を空けることがある。最近も長らく留守にしていたが、いきなり精霊族の青年を連れて帰ってきてヴェントンとバルトローシュを驚かせた。しかもその青年はかつてエリトと暮らしていた恋人だと言われ、ヴェントンは言葉もないくらい驚いた。エリトの過去はなにも知らなかったが、まさか巷を騒がせていた精霊族が恋人だったとは。



 夜、ヴェントンはエリトの部屋の扉をたたいた。すぐに扉が開かれてシャツ姿のエリトが顔を出した。

「夕食の準備が出来ました」
「部屋に運んでくれ。二人分」
「わかりました」

 ヴェントンは少し迷ったあと言った。

「大丈夫ですか? その……彼、具合が悪いんですか?」
「まあそうだな。憔悴してるから、しばらく食事は部屋に運んでくれ」

 言いながらエリトは廊下に出て後ろ手に扉を閉める。

「スイのことは俺がやるからお前は気にするな。食事の支度だけしてくれればいい」
「わかりました」
「あと、スイは絶対に外に出すな。いつ誰が狙ってきてもおかしくないからな」
「はい」
「俺の留守中に誰かが家の中に入ったら迷わず排除しろ。スイに危害を加えさせるな」
「殺します?」
「いや、できる限り生きて捕まえろ。でも無理なら殺していい」
「わかりました」

 ヴェントンがうなずくと、エリトは頼むとだけ言って引き返していった。


 ◆


 それから数日が過ぎたが、スイがエリトの部屋から出てくることはなかった。どうやらデアマルクトから逃亡した際にいろいろあったせいで体調を崩して休んでいるらしい。ヴェントンはスイの休息の邪魔をしないよう、エリトの部屋の掃除をするときも寝室にはなるべく近づかないようにしていた。

 ある日の夜、ヴェントンは夕食の皿を下げにエリトの部屋にやってきた。今日はエリトが仕事で帰らないためスイの分だけだ。スイは居室のソファにしなだれかかるようにして座っている。食事の皿は空になっていたので、ヴェントンは静かにテーブルの上を片付けた。

「なあ」
「はいっ」

 そこへ思いがけず声をかけられ、ヴェントンは慌てて作業の手を止めて顔を上げた。そのときヴェントンは初めて真正面からスイを見た。黒髪に銀色の目のきれいな青年で、こてんと首を傾けてソファの背にもたれかかっている。具合が悪いと聞いていたが確かに顔色があまりよくない。

 力なくソファに身を預けている姿が無防備で、なんとも言えない色香を感じてヴェントンは慌てて彼から視線をそらした。主人の恋人だとわかっているが、無性にひかれるものを感じる。不思議な人だと思った。これが精霊族なのか。

「ちょっと庭に出てもいい?」
「え、今ですか?」
「ああ。外の空気が吸いたくて。それにここの庭きれいだから近くで見たい」

 ヴェントンは言葉に詰まった。エリトからスイを外に出すなと強く言われている。エリトの言うことは絶対だ。

「なあ頼むよ。少しだけ。一人になりたいわけじゃないし、そばにいてくれていいからさ」

 ヴェントンが迷っているのを察したスイは食い下がる。

「おれが守手なのは知ってるだろ? この家が庭も含めて厳重な結界に守られてるのはわかってるよ。庭に出たところで家の中と大差ないって」
「う、うーん……」

 確かにそうかもしれない。エリトの言う「外」とは敷地の外という意味で、庭は「外」に含まれないのかもしれない。

「エリトも庭には出ていいから好きな花を植えろって言ってたし!」
「……そういうことでしたら……でも俺も一緒に行きますね」
「ありがとう」

 スイはほっとしたようで少しほほ笑んだ。ヴェントンはスイを連れて一階におり、庭に出た。もう日はとっぷりと暮れていて周囲は暗い。家の門は固く閉ざされている。

 庭にはいくつかの背の低い木々と、大きな花壇にはたくさんの花が植えられている。この花壇はエリトが庭師に命じて造らせたもので、家をぐるりと囲むように備わっている。今は夜なので花は閉じているが、朝になると季節ごとの花が咲いて庭を美しく彩ってくれる。

 スイは花壇に近づいてまじまじと花木を観察した。葉っぱに触れ、匂いをかいでいる。

「……花が好きなんですか?」
「まあな。おれ、花族だし」
「花族……? 精霊族じゃないんですか?」
「精霊族でもあるよ。元々花族で、十歳のときに精霊族になったんだ。だからどっちの要素も持ってるってわけ」
「へえ……」

 あまり家に頓着しないエリトがわざわざ時間と金をかけて花壇を造り、長く帰らないことも多いのにいつも花であふれさせておく意味がヴェントンにはよくわからなかった。だがスイが花族だと知り、ヴェントンはこの花壇が彼のために造られたものなのだと理解した。エリトはいつの日かスイをこの家に招くことを想定して、スイが庭で遊べるようにしていたのだ。

 エリトのクローゼットにはエリトには小さすぎる服が何着もあって不思議だったが、それもスイが来て謎が解けた。クローゼットの奥に眠っていた服はすべてスイにぴったりだった。

 スイはじっくり時間をかけて花壇を眺めたあと、夜空を見上げながらふらふらと庭を歩き出した。ヴェントンは静かにその背中を追った。なんだかとても儚い背中だった。そのまま夜の暗闇に溶けていってしまいそうな気がする。

 ここ最近の精霊族狩りの熱気はすさまじかった。正体を隠してデアマルクトに住んでいたスイはどれだけ怖い思いをしたことだろう。いつ捕まって売られるかと怯えながら日々を過ごしていたのではないだろうか。たった一人でデアマルクトを逃げ出したことを考えると、よほど追いつめられていたに違いない。

 ヴェントンは急に怖くなった。この人が誰かにさらわれてしまったらどうしよう。精霊族をあきらめきれない者がエリトの目を盗んでスイを奪いに来たらどうしよう。

「……そろそろ戻りましょう」

 ヴェントンが声をかけると、スイは振り向いてうなずいた。

「わかったよ」

 スイはおとなしく家の中に戻った。玄関を施錠したヴェントンは、スイがエリトの部屋に戻ったことを確認してほっと安堵の息をはいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

処理中です...