銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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八章 安全で快適な暮らし

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 ヴェントンはエリトの屋敷で働く使用人だ。三年前に屋敷が建てられてからまもなくしてエリトに雇われ、以来ずっとこの屋敷に住んでいる。今年で二十一歳になった。最初は掃除と給仕が主な仕事だったが、今はエリトの信頼を得てエリトの自室の整備も任されている。ヴェントンはそれがなにより誇らしかった。執事のバルトローシュも勤勉な青年だと評価してくれている。バルトローシュは眼帯がちょっと怖いが、優しくて良い仕事仲間だ。

 エリトは遠征任務で長期間家を空けることがある。最近も長らく留守にしていたが、いきなり精霊族の青年を連れて帰ってきてヴェントンとバルトローシュを驚かせた。しかもその青年はかつてエリトと暮らしていた恋人だと言われ、ヴェントンは言葉もないくらい驚いた。エリトの過去はなにも知らなかったが、まさか巷を騒がせていた精霊族が恋人だったとは。



 夜、ヴェントンはエリトの部屋の扉をたたいた。すぐに扉が開かれてシャツ姿のエリトが顔を出した。

「夕食の準備が出来ました」
「部屋に運んでくれ。二人分」
「わかりました」

 ヴェントンは少し迷ったあと言った。

「大丈夫ですか? その……彼、具合が悪いんですか?」
「まあそうだな。憔悴してるから、しばらく食事は部屋に運んでくれ」

 言いながらエリトは廊下に出て後ろ手に扉を閉める。

「スイのことは俺がやるからお前は気にするな。食事の支度だけしてくれればいい」
「わかりました」
「あと、スイは絶対に外に出すな。いつ誰が狙ってきてもおかしくないからな」
「はい」
「俺の留守中に誰かが家の中に入ったら迷わず排除しろ。スイに危害を加えさせるな」
「殺します?」
「いや、できる限り生きて捕まえろ。でも無理なら殺していい」
「わかりました」

 ヴェントンがうなずくと、エリトは頼むとだけ言って引き返していった。


 ◆


 それから数日が過ぎたが、スイがエリトの部屋から出てくることはなかった。どうやらデアマルクトから逃亡した際にいろいろあったせいで体調を崩して休んでいるらしい。ヴェントンはスイの休息の邪魔をしないよう、エリトの部屋の掃除をするときも寝室にはなるべく近づかないようにしていた。

 ある日の夜、ヴェントンは夕食の皿を下げにエリトの部屋にやってきた。今日はエリトが仕事で帰らないためスイの分だけだ。スイは居室のソファにしなだれかかるようにして座っている。食事の皿は空になっていたので、ヴェントンは静かにテーブルの上を片付けた。

「なあ」
「はいっ」

 そこへ思いがけず声をかけられ、ヴェントンは慌てて作業の手を止めて顔を上げた。そのときヴェントンは初めて真正面からスイを見た。黒髪に銀色の目のきれいな青年で、こてんと首を傾けてソファの背にもたれかかっている。具合が悪いと聞いていたが確かに顔色があまりよくない。

 力なくソファに身を預けている姿が無防備で、なんとも言えない色香を感じてヴェントンは慌てて彼から視線をそらした。主人の恋人だとわかっているが、無性にひかれるものを感じる。不思議な人だと思った。これが精霊族なのか。

「ちょっと庭に出てもいい?」
「え、今ですか?」
「ああ。外の空気が吸いたくて。それにここの庭きれいだから近くで見たい」

 ヴェントンは言葉に詰まった。エリトからスイを外に出すなと強く言われている。エリトの言うことは絶対だ。

「なあ頼むよ。少しだけ。一人になりたいわけじゃないし、そばにいてくれていいからさ」

 ヴェントンが迷っているのを察したスイは食い下がる。

「おれが守手なのは知ってるだろ? この家が庭も含めて厳重な結界に守られてるのはわかってるよ。庭に出たところで家の中と大差ないって」
「う、うーん……」

 確かにそうかもしれない。エリトの言う「外」とは敷地の外という意味で、庭は「外」に含まれないのかもしれない。

「エリトも庭には出ていいから好きな花を植えろって言ってたし!」
「……そういうことでしたら……でも俺も一緒に行きますね」
「ありがとう」

 スイはほっとしたようで少しほほ笑んだ。ヴェントンはスイを連れて一階におり、庭に出た。もう日はとっぷりと暮れていて周囲は暗い。家の門は固く閉ざされている。

 庭にはいくつかの背の低い木々と、大きな花壇にはたくさんの花が植えられている。この花壇はエリトが庭師に命じて造らせたもので、家をぐるりと囲むように備わっている。今は夜なので花は閉じているが、朝になると季節ごとの花が咲いて庭を美しく彩ってくれる。

 スイは花壇に近づいてまじまじと花木を観察した。葉っぱに触れ、匂いをかいでいる。

「……花が好きなんですか?」
「まあな。おれ、花族だし」
「花族……? 精霊族じゃないんですか?」
「精霊族でもあるよ。元々花族で、十歳のときに精霊族になったんだ。だからどっちの要素も持ってるってわけ」
「へえ……」

 あまり家に頓着しないエリトがわざわざ時間と金をかけて花壇を造り、長く帰らないことも多いのにいつも花であふれさせておく意味がヴェントンにはよくわからなかった。だがスイが花族だと知り、ヴェントンはこの花壇が彼のために造られたものなのだと理解した。エリトはいつの日かスイをこの家に招くことを想定して、スイが庭で遊べるようにしていたのだ。

 エリトのクローゼットにはエリトには小さすぎる服が何着もあって不思議だったが、それもスイが来て謎が解けた。クローゼットの奥に眠っていた服はすべてスイにぴったりだった。

 スイはじっくり時間をかけて花壇を眺めたあと、夜空を見上げながらふらふらと庭を歩き出した。ヴェントンは静かにその背中を追った。なんだかとても儚い背中だった。そのまま夜の暗闇に溶けていってしまいそうな気がする。

 ここ最近の精霊族狩りの熱気はすさまじかった。正体を隠してデアマルクトに住んでいたスイはどれだけ怖い思いをしたことだろう。いつ捕まって売られるかと怯えながら日々を過ごしていたのではないだろうか。たった一人でデアマルクトを逃げ出したことを考えると、よほど追いつめられていたに違いない。

 ヴェントンは急に怖くなった。この人が誰かにさらわれてしまったらどうしよう。精霊族をあきらめきれない者がエリトの目を盗んでスイを奪いに来たらどうしよう。

「……そろそろ戻りましょう」

 ヴェントンが声をかけると、スイは振り向いてうなずいた。

「わかったよ」

 スイはおとなしく家の中に戻った。玄関を施錠したヴェントンは、スイがエリトの部屋に戻ったことを確認してほっと安堵の息をはいた。
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