銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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七章 エリトの目的

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 走りながら振り向くと、複数の松明が揺れながらこちらに迫ってくるのが見えた。慌てて前に向き直ったが、なんと前方からも走ってくる男の姿があった。

「あっ」
「いた! 止まれ!」

 前方の男がスイを指さして叫んだ。スイはすぐに方向転換した。目くらましの結界は、一度認識されるとその効力はたちまち消えていってしまう。

「待て! 逃げるな!」
「あいつだ! あいつが精霊族だ!」

 男たちは目をらんらんと輝かせてスイを追いかけてくる。もう街道とは逆の方向に逃げるしかなかった。振り向くと、追いかけてくる男たちの後ろで街道を走る荷馬車が止まった。荷台の幌をしばる紐が緩んで荷物が落ちたのだ。

「くそっ……」

 スイは歯がみをして麦畑に飛びこんだ。麦を両手でかき分けて進み、あぜ道を飛び越え、ある程度畑の中に入ったところで急停止してその場に伏せた。

「はあ、はあ……」

 スイは震える手を上げ、集中力を総動員して自分に目くらましの結界をかけ直した。そして、体を丸めて小さくなると息を潜めた。

「どこ行った!?」
「畑の中に逃げこんだぞ!」

 男たちは散開して麦畑をかき分け、スイを探し始めた。左右からがさがさという音が近づいてくる。

「おい、逃げる必要なんかないんだぞ! 俺たちと来れば旦那様がお前を匿ってくれるんだ! 変な連中に捕まって売られる前に、俺たちと一緒に来い!」

 声はスイのすぐ右側からした。男はスイの目の前を通り過ぎていく。

「旦那様に言えばなんでも望みのものをくれるそうだ! 旦那様のお屋敷で贅沢な暮らしができるんだぞ! それなのになんで逃げ続けるんだ!?」

 男の言葉はまったくスイの心に響かなかった。

「ちっ……強情な野郎だ。おい、そっちはどうだ!?」
「誰もいねえよ! もっと奥まで行ったんじゃないか?」

 男たちはだんだんスイから離れていく。スイはそれでもその場でじっとしていた。

 彼らは真夜中の鐘が鳴り終わっても麦畑を探し続けた。しかし夜にこの広大な麦畑の中から人一人を見つけ出すのは無理だとあきらめたようで、悪態をつきながら帰っていった。スイは男たちがいなくなったあとも、長いあいだ麦の中に身を潜めていた。

 男たちの足音が完全に消えて一時間も経ったころ、スイはそっと立ち上がった。周囲に人影はまったくない。夜風が麦畑をさあさあと波打たせているばかりで、とても静かだ。誰もいない街道は月に照らされてつやめいている。荷馬車はとうに行ってしまった。

 スイは街道をぼうっと眺めた。せっかくゾールが用意してくれた荷馬車に乗ることができなかった。絶望感に臓腑が握りつぶされる思いがした。

 スイは左側を向いた。もうデアマルクトに帰ることはできない。右側を向くと、麦畑の向こうに黒々とした森が広がっている。

 こうなったら徒歩で隣町まで行き、そこで乗合馬車を拾うしかない。幸い路銀は潤沢にある。

 だが街道は歩けない。明日の朝になればまたあの男たちがスイを探しに来るだろう。彼らはスイが街道を使って逃げると考えるはずだ。

 残された手段は、森の中に隠れながら隣町まで行くことだけだ。スイは服についた土を払い、森に向かって歩き出した。



 朝になる前に森にたどり着くことができた。スイは手頃な倒木に腰かけ、早朝のむっとするほど濃い緑の匂いに包まれながら一休みした。目を覚ました鳥たちが頭上でやかましくさえずっている。水筒の水を飲んでビスケットを一つ食べると、スイは再び歩き出した。

 思ったより深い森だった。スイは獣道を北に進んだ。歩きながら、子供のころ村の教会の子供たちと一緒に森で遊んだことを思い出した。山間の村だったので、子供の遊び場は村を囲む森だった。

 あのころは毎日、森の中でかけっこやかくれんぼをして遊んだものだった。夢中になるあまり夕方になっても帰らず、神父様に怒られたことも何度もあった。

 スイは森の中を一日中歩き続けた。日が傾いてくると、少し開けたところで結界を三重にはり、その中でたき火を起こした。鍋の中に水筒の水を少し入れて火にかけ、パンと塩漬け肉を煮て夕飯にした。食べ終えるとマントにくるまってたき火のそばに横たわった。こんなことになるとは思っていなかったので、ほとんど食料の持ち合わせがない。明日は食料を調達する必要がある。

 翌朝、スイは荷物をまとめて出発した。さすがにここまでは精霊族狩りも探しに来ない。森はどこまでも続いていて、スイは倒木を乗り越えたりぬかるんだ場所を迂回したりしながら、とにかく前へと進んだ。

 途中、生まれ育った村のそばの森でも見かける甘い汁の出る草を見つけた。手折って茎をしゃぶってほんのり甘い汁をすすり、少しだが水分補給をした。おなかが空いていたので茎も食べてみたが、固くてすぐにはき出してしまった。

 再び日が暮れて、スイはたき火を起こして休憩した。今日の夕飯はビスケット一枚だった。これが最後の食料だ。一日歩いても、食料になりそうなものはなにも見つけられなかった。水ももう水筒の底にほんの一口分しか残っていない。

 ビスケットだけでは到底腹はふくれず、眠ってしまおうと横たわったが、お腹が空いていてちっとも眠れなかった。

「……これからどこに行こう……」

 たき火をぼんやり見つめながらスイは独りごちた。デアマルクトを出たはいいが、スイにはほかに行く宛てなどない。故郷の村の場所もわからないし、どこにもスイを待っていてくれる人はいない。

 そう思うと急激に寂しくなってきて、スイは自分をきゅっと抱きしめた。森の闇が迫ってきて飲みこまれそうな気がする。スイはひとりぼっちだ。

 スイはそっと右耳のピアスに触れた。体温で温まった金色の小さなピアスを指の腹でなでる。

「……エリト……」

 助けに来て。そばにいて。



 翌日、スイは森の中をさまよい歩いた。どこへ行っても同じ景色だ。どうやら迷ってしまったらしい。

 スイはふらつく足を叱咤して歩き続けた。とても喉が渇いていた。

 すると、かすかに水の流れる音がした。虫の鳴き声に混じって、さらさらと水が流れる音が確かに聞こえる。スイは耳を澄ませて音のするほうに向かった。

 歩いていくと、木立の奥の少し低くなったところに小川があった。スイの足首くらいまでしか水深のない小さな川だが、澄んだ水が流れている。

「川だ……!」

 スイは斜面を滑り降り、空っぽの水筒を小川に沈めて水をくむと喉を鳴らして一気に飲んだ。冷たくてとてもおいしい水だった。

「ぷは! 生き返ったー!」

 ついでに顔も洗ってすっきりすると、スイは小川の上流へ向かってみることにした。しばらく進むと、わき水でできた小さな泉があった。泉の上から太陽の光が差しこんでいて、泉のほとりには背の低い橙色の花がたくさん咲いている。

 泉には小さな精霊が棲んでいた。透明な羽を持ったリスのような精霊が四、五匹、水面の上を滑るように飛んでいる。精霊たちはスイに気づくと興味津々に近づいてきた。

「ここはきみたちの森なのか?」

 スイが話しかけると、精霊たちは、そうだよ、とか、そうなの? とか答えた。

「そうか。ちょっと通らせてもらってもいいかな?」

 精霊たちは口々にどうぞと言いながら飛び跳ねた。スイは精霊たちに礼を言い、泉のまわりを回ってみた。もうすぐ日が落ちるので、この辺りで野営の準備をしなければならない。

 スイは大きな木の根元にたき火の跡を見つけた。だいぶ前のもののようで、薪はすっかり湿っていて雑草に覆われている。以前誰かがここで野営をしたようだが、近くに足跡は見当たらず、最近人が立ち入った形跡はない。

 木の下には落ち葉が降り積もっていて寝るのにちょうどよさそうなので、スイはここで一晩明かすことに決めた。

 鞄をおろして荷物を出していると、森のほうでがさりとなにかが音を立てた。見るとそこには一匹の茶色い兎がいた。警戒しているのか耳をピンと立ててじっとしている。

「今夜の夕飯が来た……!」

 スイは鞄からナイフを取り出して兎に飛びかかった。しかし兎はたちまち逃げ出し、地面にもぐって消えてしまった。兎が消えた場所をよく見ると小さな穴があいている。

「巣穴か。どれ」

 スイは穴の中に手をつっこんだ。だが、肩口まで腕を差し入れても穴の底はおろか兎のしっぽさえ捕らえられなかった。

「え、どれだけ深いんだよ……いってえ!」

 穴の中で兎にパンチされた。スイはしぶしぶ兎をあきらめて泉のほとりに戻った。よく見ると木の幹に淡いピンク色のきのこが生えている。

「これ食べられるかな……」

 桃のようでおいしそうだ。

「……いや、毒だったらまずいよな……。今倒れても誰にも助けてもらえないし……」

 いくらお腹がすいていても危険は犯せない。スイは夕飯をあきらめ、泉の水を飲んで眠りについた。
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