銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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六章 嗤う人妖族

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「エリト!!」

 スイが絶叫する。

「だからおれはお前のところを出て行ったんだよ! おれのせいで、お前が変わってしまったから!」

 エリトの動きがぴたりと止まった。スイの両目から大粒の涙がぽろぽろと落ちてきた。

「あんなに優しかったのに、おれのことを閉じこめようとしたから……! 家の中にいればいいって言って、鍵をかけて出られなくされたから! お前のことが大好きだったのに……、もう、お前のところにはいられなかった……」

 スイは震える手でエリトのマントをぎゅっとつかみ、広い背中にとんと額をつけた。

「お前がディリオムのようになってしまう前に、逃げなきゃと思って……」

 しぼり出すように言ったかすかな声は、エリトに届いたようだった。エリトはゾールに背を向けてスイと向き合った。

「……スイ」
「お前も精霊族の姿を見たせいで呪われたんだよ……。幸福を呼ぶ存在だなんて嘘ばっかりだ……」

 スイは泣きながら今まで溜めこんできたものをはき出した。しゃくり上げながら泣いていると、憲兵が二人駆けつけてきた。

「あのう……」

 若い憲兵がおそるおそるエリトに話しかける。

「つ、通報がありまして……。その、喧嘩してるって聞いたんですけど……」

 スイは涙を拭って周囲を見回した。さっきまで誰もいなかったはずだが、少し向こうで遠巻きにこちらをうかがっている人が何人かいる。そりゃそうかとスイは思った。この目立つ二人が殴り合いを始めて、スイは何度もやめろと声の限り叫んでいた。いくら雨の夜とはいえ、人目につかないわけがない。

「大丈夫ですか、フェンステッド隊長……。いったいなにがあったんですか……?」

 もう一人の憲兵がゾールにたずねる。ゾールは唇の端についた血を拭い、ふんと笑った。

「お前に一方的に殴られたって証言しようかな。そうしたら、お前の評判はがた落ちだな」

 負けじとエリトも言い返す。

「勝手にしろ。俺もちゃんと説明してやるよ。お前が本人の同意のない催眠術を行使して俺の恋人を奪おうとしたから殴って止めたってな」

 憲兵たちの視線がこちらに向いたので、スイはフードを深くかぶりなおして顔を隠した。エリトは若い憲兵に向かって言った。

「ただの喧嘩だ。事件にはすんな」
「……し、しかしヴィーク団長……」

 憲兵は怪我を負ったゾールを気にしている。ゾールはため息をつくと軽く手を振った。

「別にちょっと血が出ただけだ。オレはもう帰るよ」
「ええっ……」

 ゾールはスイとエリトの前を通り過ぎる際にぼそっと言った。

「……別に好きだったわけじゃない。あっちの具合がよかったからそばに置いてただけだ」
「てめえそんな理由で……!」

 またしてもエリトが殴りかかりそうになるのを、スイは必死に押さえて引き止めた。スイはゾールの言葉に少なからず傷ついた。術が解けても、ゾールと過ごした数日間のことはきちんと覚えている。ゾールと一緒にいるのは楽しかった。無理やり与えられた恋心を差し引いてもそれは変わらない。ゾールも楽しそうに見えたが、単にスイを抱きたかっただけなのだろうか。スイのために朝食を用意したり、髪をくしけずったりと、いろいろ世話を焼いてくれたのに。

 ゾールはスイになにも言うことなく目の前を通り過ぎていった。しかし、去り際に一瞬だけスイのことを流し見た。その目がなんだか寂しそうで、スイにはゾールが落ちこんでいるように見えた。さっきの言葉は、エリトを怒らせたかっただけのただの強がりだったのかもしれない。

 ゾールが去っていき、スイとエリトが残された。

「……帰るぞ」

 エリトはスイの手をひいてゾールが去ったほうとは逆方面に歩き出した。スイは黙ってエリトに従った。

 エリトはスイの手をつかんだまま通りを歩いた。道行く人がすれ違いざまにスイのことを見ていく。騎士団長が連れているのは誰だと興味を持たれているようだ。スイはうつむいて濡れた地面を見ながら歩いた。

 守手のアパートにつき、エリトは階段をどんどん上がっていく。スイは腕を引っ張られて痛かったが、エリトはかまわず進んでスイの部屋に入った。

 部屋に入るとエリトはスイの濡れた服を脱がし始めた。

「で? どうやってゾールに催眠術をかけられたんだ?」

 エリトは濡れて重くなったスイのローブと自分のマントをまとめて椅子の背にかけた。ローブの端から水滴がぽたぽたと垂れて床に水たまりを作っていく。

「……仕事帰りにたまたまゾールに会ったんだ。それで、以前捕らえたグリーノ一派の人さらいからなにか聞き出せたか気になって、そのことを聞いたんだ」
「で?」
「話しかけたところが商店街だったから、ここじゃまずい、場所を移動しようって言われて、誰も来ない細い道で二人だけで話した」
「ひとけのないところに連れていかれたんだな」

 言い方を変えればそうなるだろう。スイは否定できなかった。

「……あの潜入任務のとき、連中は一度だけディリオムの名前を口にした。だからゾールにディリオムのことを聞いたんだ。それで、ディリオムはグリーノ一派と協力関係にあるらしいってことと、今どこにいるのかとか詳しいことはわからないってことを教えてもらった。そしたら急に、どうしてディリオムのことばっかり気にするんだ、って怖い顔されて……」

 スイはちらりとエリトを見上げた。エリトは眉間にしわを寄せてじっとスイの話を聞いている。

「ゾールはおれがエリトに言われて情報を聞きに来たと思ったみたいだった」
「俺はそんなこと言ってねえだろ」
「わかってるよ。だからそう言ったよ」
「なんでゾールはそんな風に思ったんだ?」
「以前、お前に気に入られたいと思った人がお前のためにゾールから情報を得ようとしたことがあったんだって。ゾールはお前に近づくために自分に近づかれることをいやがってたから、だからだと思う」
「あー……」

 心当たりがあるのか、エリトは納得したようだった。

「それで怒って術をかけてきたのか?」
「いや……、そうじゃない。そのあと、おれが精霊族だってことを知ってるぞって言われたんだ。あの池でおれが池の精霊と話してるところを見たんだって」
「見られたのはゾールにだけか?」
「話してた感じだとゾールだけだと思う」
「あいつはお前のことをほかの奴に話したのか?」
「話してないと思う。だからこのまま黙っててってお願いしたんだけど、秘密を守って欲しかったらオレの言うことを聞け、って言われて……」

 そのあと無理やり口づけられたのだ。そこまでは言えなかったが、なんとなく察したのかエリトの顔がどんどん険しくなっていく。

「……それでお前はなんて答えたんだ?」
「そ、その……考え直してくれって。でも、そこから頭が変になって、ゾールのことしか考えられなくなって……昔からゾールのことを好きだったって思いこまされたんだ。きっとあのときに催眠術をかけられたんだと思う。不思議な香りをかいだ気がするけど……よく覚えてないんだ」

 なにか言われたような気がするが、細かいところは覚えていない。

「……香りか。人妖族は秘密主義だから詳しいことはわからないけど、きっと香りを使って催眠をかけるんだろうな。強力な術だって聞く」
「強力な術……。でも今はもうなんともないよ。あれからお前と恋人だったってことを忘れてたけど、全部思い出したし」
「ああ、お前は自力で正気に戻ったんだ」
「おれにそんな才能があったなんて……」

 スイは魔力は高いが魔法の腕前は今ひとつだ。しかし、ひょっとしてこれから才能が開花するのかもしれない。そう思ったが、エリトは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「はっ、単に封じられた内容が重すぎて封じきれなかったんだろ。無茶な術をかけやがって……。俺のことを忘れたらお前、今までどうやって暮らしてきたのかわからなくなるだろ?」
「そ……そうだな。エリトの存在そのものを忘れたわけじゃなかったけど、恋人じゃなかったって思ってたから、お前と過ごしたこととか話した内容とかをところどころ思い出せなくて混乱したな……。仕事で会ったことだけを覚えてる感じだったから現実とつじつまが合わなくて」
「だろ? 最初からほころびだらけの術だったんだよ」

 どうやらスイの中でエリトの存在が大きかったおかげで助かったらしい。エリトはスイの濡れて体にはりつくシャツのボタンを一つずつ外していく。
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