銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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五章 スイ、男娼デビューする

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 カンピエールは小さな娼館だった。エリトは裏口に回りこむと物陰にスイを押しこんだ。

「俺が行ってくるから、お前はここに隠れてろ。俺が呼ぶまで絶対に出てくるなよ?」
「わかった。用心棒がいるみたいだけど、一人で大丈夫か?」

 用心棒というからには武器も持っているだろう。エリトは含みのある笑みを浮かべた。

「そうだなあ……ちょっと心配だから、協力してくれるか?」
「……護身術は少ししか習ってないけど」
「いやいや、お前にそんなこと期待してねえよ。戦うのは俺がやるから、少し力を分けてくれ」

 エリトはすっと目を細め、スイの首を手の甲でするりとなでた。スイはエリトがなにをしたいのか悟って硬直した。

「……今、ここで?」
「ちょっとでいいから。ちょっと血をもらえれば、すぐに片付けて戻ってくるからさ」

 エリトは言いながらスイのシャツのボタンをぷちぷちと外していく。

「いやでも、ここじゃちょっと……」

 鬼族が血を飲むことで一時的に力が強くなることは知っている。だが、こんなところでかみつかれるのはいやだ。

「大丈夫、すぐ済むから」
「あ、待っ……!」

 エリトはスイの制止など聞かず、はだけさせた肩口に牙を突き立てた。

「んうっ」

 たちまち頭の中がふわふわになっていく。気持ちいい。スイはぎゅっと歯を噛みしめて快感に耐えた。気持ちいい、もっと吸ってほしい。

 エリトは少しだけ血を飲むとすぐに顔を上げた。エリトの目がぎらりと鋭い光を帯びる。スイはとろんとした顔でエリトを見上げた。

「もうおわり……?」

 物足りないと言わんばかりの甘い声に、エリトの顔がひきつった。

「……、……またあとでたっぷりしてやるから」

 あとでもっとしてもらえる。スイは期待に震えた。

 エリトはスイを物陰に隠すと裏口の扉を蹴破って侵入した。スイは物陰にうずくまって心地よい眠気に包まれた。うとうととするが、建物の中から大きな物音や悲鳴がひっきりなしに聞こえてきてうるさくて眠れない。

「スイ! 終わったぞ!」

 エリトの叫ぶ声がして、半分夢の中にいたスイははっと目を覚ました。そうだ、今は寝ている場合ではない。ここは敵の本拠地だ。

 スイは慌てて物陰から出た。裏口の前にエリトが立っていて、後ろ手に縛られたヘルラフを連れている。抵抗したのかぼさぼさに髪を乱したヘルラフは、スイを見て目を見開いた。

「き、きみ……エリト・ヴィークの女だったのか……!」

 動揺したせいか銀髪のあいだから大きな三角耳が現れる。ヘルラフは狼族だった。

「スイがあんなことしたのも全部てめえのせいだ」

 エリトはいらだちながらヘルラフの背中を押して歩かせていく。裏口の中をのぞくと、倒れた男が積み重なっているのがちらりと見えた。しかしエリトは涼しい顔で、服のほつれ一つ見当たらない。

 そのまま二人はヘルラフを連れてルマ・ティムに戻り、ジェレミーの前に突きだした。泣いていたのか目の周りを赤くしたジェレミーは、捕らえられたヘルラフを見て大きな目をこぼれんばかりに見開く。

「ヘルラフ……実家に戻ったんじゃなかったの……?」

 ヘルラフは一瞬ジェレミーと目を合わせたが、すぐに顔をそらした。ジェレミーに付き添っていたガルヴァは、ヘルラフの悔しそうな顔を見て溜飲を下げたようだった。

「さて、告解の時間だぞ」

 エリトはヘルラフの肩を押して無理やり床に座らせた。ベッドに座るジェレミーは黙ってヘルラフを見下ろす。

「ジェレミーについた嘘を言え。ここに売り飛ばすために嘘をついたな?」
「……ついた」

 ジェレミーの顔色が変わる。

「どんな嘘だ?」
「……実家に泥棒が入って金を盗られたと……」
「それで?」
「ジェレミーが金を作る手助けをすると言ったから、ここに紹介した……」
「今までも同じ手口で人をだまして娼館に売ってたんだな?」
「そうだ……」

 ヘルラフは深々とため息を落とす。

「全部うまくいってたのに、こんなのありかよ……。まさかエリト・ヴィークが出てくるなんて……」

 ヘルラフはうらめしげにスイを見やる。ジェレミーを売ったせいでスイが動き、スイが動いたせいでエリトが動くことになるとは、想像だにしなかったのだろう。

 ジェレミーはずっと信じていたヘルラフに裏切られて愕然としている。彼の整った顔に悲しみの深い影が落ちる。スイは本性をあらわにしたヘルラフに歩み寄り、襟首をつかんで上向かせた。

「お前のせいでジェレミーの人生がめちゃくちゃになるところだったんだぞ! この悪党!」

 ヘルラフはジェレミーを売ったことを悔いているが、それは結果として自分が騎士団に捕まることになったからで、ジェレミーに申し訳ないと思ったからではない。その証拠にジェレミーに謝罪の言葉の一つもない。

 少しは罪悪感を感じるだろうと期待していたスイは、彼の身勝手さにあきれ果てた。ヘルラフをたこ殴りにしてやりたかったが、ぐっとこらえる。それは自分の役目ではない。

「ジェレミー、こいつを殴れ。お前にはその権利がある」

 スイに促されたジェレミーは怯えたように小さく首を横に振った。

「いい……。もう、どうでもいい……」

 顔も見たくないとばかりに目を伏せる。

「早くそいつをどこかに連れていって……」

 エリトは了解したとばかりにヘルラフの腕をつかんで立たせた。そのとき、フラインが部屋の入り口から顔をのぞかせた。

「……ずいぶん派手にやったみたいだな、エリト」
「なんだ、お前も来たのか」
「勝手に一人で本部を出て行ってその言いぐさはないだろ……」

 フラインは疲れた顔でエリトをにらみ、ついでスイを見る。スイはフラインと目を合わせられなかった。エリトとはもう会わないと言っておきながらどういうことだ、となじられている気がする。結局、スイはまたエリトを振り回してしまった。

「たかが税金逃れと詐欺のために怪我人を出し過ぎじゃないか? 憲兵に任せればよかったのに」
「おい、被害者の前だぞこの冷血漢。俺たちがグリーノ一派から助けた子の身が危うかったんだよ」
「で、こいつが主犯格ってわけ?」
「今回の件に関してはそうだな。あっちで詳しく説明するから、移動しよう。こいつは憲兵に引き渡す」

 エリトはヘルラフとフラインを連れて部屋を出て行った。小さな部屋の中は一気に静まりかえる。スイはジェレミーの隣に座ってそっと肩に手を置いた。

「……さ、帰ろう」

 とたんにジェレミーは滂沱の涙を流し始めた。緊張の糸が切れたのか、ジェレミーはスイに抱きついて派手に泣き出した。

「ひどいよ! こんなの、ありえない……! なんでだよぉ……なんで……」

 泣きながら「ひどい」とか「なんで」とか切れ切れに繰り返す。スイは悲しみに暮れるジェレミーを抱きしめ、震える背中をさすってやった。

「ご、めんね、スイ……。僕、馬鹿で……。本当にごめんね……」
「いいんだよ」
「うっ……ありがとう……。ガルヴァも、迷惑かけてごめん……」
「いいってことよ。友達だろ」

 ガルヴァは腕を伸ばしてジェレミーの肩を優しくたたいた。ジェレミーの泣き声がさらに大きくなる。

 ジェレミーはしばらく泣き続け、次第に泣き疲れて嗚咽をもらすだけになった。

「さて、帰るか。こんなところさっさと離れようぜ」

 ガルヴァはそう言ってジェレミーを立たせた。

「遅くなったけど夕飯にしよう! 今日は俺がおごってやるよ!」
「うん……」

 三人は連れだって部屋を出た。ルマ・ティムにはすでにたくさんの憲兵が集まっていて、狼狽する娼婦たちから話を聞いている。

 店を出たところで、スイは誰かに首根っこをつかまれて引き止められた。

「ぐえっ」
「お前は残れ。まだ話がある」

 フラインだ。ガルヴァとジェレミーは先に帰り、スイはフラインの元に残された。フラインはまったくの無表情で、怒っているのかもわからない。

「あの……話って?」
「いきさつは全部エリトに聞いた」
「そ、そうなんだ……。あの、エリトとフラインの手を煩わせてしまって申し訳なく思ってます。今後、エリトと会わないように気をつけます」
「いや、それはもういい……。エリトからお前を引きはがすなんて、土台無理な話だったんだ」

 フラインは腰に差した剣の柄を指でとんとんとたたく。エリトになにを言ってもスイと離れることはないとあきらめたようだ。

「エリトはお前に触れようとするやつは容赦なくたたきつぶすだろう。だから今後お前が気をつけるのは、いかにおとなしく暮らすか、だ。今回みたいに後先考えず厄介ごとに頭をつっこんで貞操の危機に陥るのはもうなしだぞ」
「……はい……」

 スイがしゅんとうなだれると、フラインはくるりときびすを返した。

「送ってく。この辺は危ないからな」
「ありがとう……」

 フラインは厳しいが優しいところもある。オビングで暮らした一年間、スイの成長を見守るうちに多少なりとも情が移ったのだろう。

 スイはフラインの馬に同乗して、欲望渦巻く夜の街をあとにした。

「着いたぞ。おりろ」

 馬からおりた先は、騎士団本部の前だった。

「……あれ?」

 てっきりアパートに送ってくれるものだと思っていたスイは目をしばたたかせた。

 フラインはスイを連れて騎士団本部に入った。もうだいぶ遅い時間なので建物の中はほぼまっ暗だ。スイは絨毯の敷かれた廊下をフラインと一緒に歩いた。足音はすべて絨毯に吸収され、建物内はしんと静まりかえっている。スイは言いしれぬ不安を感じながら広くて暗い廊下を進んだ。

「フライン……あの、どこへ行くの?」
「団長室。もうすぐエリトが帰ってくると思うから、そこで待ってろ」

 フラインは三階に上がり、一番奥の部屋に入った。フラインが手を振るとシャンデリアに火が灯る。

 そこは豪華な執務室だった。中央には鏡のように磨かれた大きな木製の書斎机が鎮座している。ほかにも刺繍入りのカウチソファや絵入りの陶器のチェストなど、立派な調度品が置かれている。

「じゃ、俺は帰るから。おやすみ」
「待ってくれ!」

 フラインがスイを部屋に置いたまま出て行こうとしたので、慌ててマントのすそをつかんで引き止めた。

「なんだよ」
「なんでここで待たなきゃいけないんだ……?」
「エリトにそうしろって言われたから」
「……エリト、怒ってた?」

 パブでワインを飲んでいるときは機嫌がよさそうだったが、やはりまだ怒っているのだろうか。
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