銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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二章 地下牢

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 スイはゾールと一緒に守手本部を出て、暗い道をふたりで並んで歩いた。

「ゾール」
「なに?」
「さっきの話だけどさ……そのディリオムって人、グリーノ一派と関係があるのかな?」
「どうだろうな。同じ生業だったからつながりがあってもおかしくないとは思うけど」
「……その人もデアマルクトにいるのか?」

 考えたくもない話だが、聞かずにはいられなかった。こわごわたずねたスイに、ゾールはアハハと声を立てて笑った。

「大丈夫だって! この街はオレたちがちゃんと見張ってるから。もうあんな怖い目には遭わせないよ」
「……そうだよな」
「またスラムを夜に一人でうろつくつもりなら話は別だけどね」
「はは……」

 完全に不安がぬぐえたわけではなかったが、ゾールの言う通りだと思った。デアマルクトは大きな街だ。スラムは危険だが、お城のある中央付近は憲兵が常に見回っていて安全だし、商店街はいつもにぎやかで、子供たちがこづかいでお菓子を買ったりと平和そのもの。危険な場所に近づかずに暮らしていればなんの問題もない。

 アパートに到着すると、ゾールはわざわざ四階まで上がって部屋の前までついてきてくれた。

「送ってくれてありがとう、ゾール」
「どういたしまして。なにかあったらすぐオレに言うんだよ」
「わかってる」
「数日休んでいいからね。ニーバリにはオレから言っとくから」
「ありがとう。じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」

 ゾールはスイの目元にキスをすると、手をひらひら振りながら帰って行った。気障な挨拶にスイは苦笑した。

 鍵を開けて部屋の中に入る。数日ぶりに自分の部屋を見て、スイはどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。テーブルに出しっぱなしだったパンがかちかちに固くなっている。

 スイは燭台に火をともして服を着替えた。棚からウイスキーの瓶を取り出してコップに注ぎ、椅子に座ってゆっくりと飲む。

 ウイスキーの芳醇な香りを楽しんでいると、窓のほうでかたんと物音がした。振り向くと、ベランダにエリトが立っていた。濃紺のシャツに灰色のズボンという簡単な出で立ちだ。腰に剣も差していない。

「えっ」

 スイはコップを持ったまま硬直した。スイの部屋は四階だ。もちろん外にはしごのたぐいはない。

 エリトが指をぱちんと鳴らすと窓の鍵が開いた。エリトは自宅に帰ってきたかのような自然さで窓を開けて中に入ってきた。

「狭い部屋だな」

 エリトはぐるりと部屋を見渡し、テーブルに置かれたウイスキーの瓶に目を留めた。

「おっ、いいの持ってるな。俺にもくれよ」

 そう言って空いている椅子にどかりと腰をおろす。スイの部屋には、前の住人が置いていったテーブルと二脚の椅子が置かれている。スイは飲みかけのコップを置いて立ち上がった。

「……お前はいつも窓から来るんだな」

 スイの言葉に、エリトはふっと鼻を鳴らして笑った。四階だろうが鍵がかかっていようが、エリトにとってはなんの障害にもならないらしい。鬼族の身体能力にかかれば簡単に四階まで登って来られるし、ただの鍵なら魔法であっという間に解錠してしまう。

 スイはもう一つコップを出し、ウイスキーを注いでエリトの前に置いた。エリトは優雅にコップを傾けておいしそうに飲んだ。

「お前ウイスキー好きだったっけ?」
「……お前につきあわされて飲んでるうちに好きになった」
「はは、俺の影響か。俺の好きな銘柄覚えてたんだな」

 エリトはおかしそうに言ったが、スイはなんだかおもしろくなくて返事をしなかった。別にエリトの好きな酒だから飲んでいたわけではない。エリトと一緒に飲んでいた味に慣れただけだ。ほかの酒を知らないだけとも言える。

「というか、この部屋ものが少なすぎないか? 本当に住んでんのかよ?」
「住んでるよ。引っ越したばかりだからまだ足りないものが多いんだよ」
「北部の田舎からはるばるここまで旅してきたんだろ? お前、金ないんじゃないか?」
「……うるさいな!」

 その哀れむような言い方がスイの気に触った。そりゃ天下の騎士団長様からすれば新人守手のスイなどただの貧乏人だ。だがスイはもうエリトの庇護下に入るつもりはさらさらない。

「というかお前、こんな夜中になにしに来たんだよ! わざわざ人の部屋のけちつけに来たんじゃないだろ? 潜入任務の話ならもう全部ゾールにしたから、そっちに聞きに行ってくれよ!」

 スイはいらだって声を荒げた。エリトはウイスキーを飲む手をぴたりと止めて眉根を寄せた。

「……なんでそんな呼び方してんだよ」
「え?」
「ゾールだよ。普通フェンステッド隊長って呼ぶだろ。なんで呼び捨てなんだよ」
「ああ……以前にいた町でゾールと会ったことがあるんだよ。そのときは治安維持部隊の隊長だって知らなくて、普通の友達として遊んでたんだ。ここに来てから隊長だって知ったけど、今さらかしこまられるのはいやだって言われたから今も名前で呼んでるだけ」
「ふーん」

 エリトは空になったコップをテーブルにとんと置く。

「……ずいぶん雰囲気が変わったな、お前」

 鋭い黒い瞳にじっと見つめられ、スイの心臓が跳ねた。動揺を悟られまいとむりやり笑みを作る。

「……だろうな。あのころみたいに、お前のあとをついて歩くだけのおれはもういないよ。……がっかりしたか?」
「いや?」

 エリトは椅子から立ち上がってスイの目の前に立ち、ゆっくりとスイの顔に手を伸ばした。

「な、なんだよ……」
「……さらにうまそうになったなと思って」

 にやりと笑うと口のあいだから牙がのぞいた。スイは体の奥がずくんと熱くなるのを感じた。その視線を向けられるだけで丸裸にされていくような気がする。

 年齢を重ねたエリトは色気が数段上がっていて、いい男に拍車がかかっている。会わないうちに変わったのはお互い様らしい。今のスイはオビングでのエリトくらいの歳になったのに、あのときのエリトに追いついた気がまるでしない。

 めまいのするような色男に見つめられ、スイは体がほてってきた。顔を近づけられ、思わずエリトの手をよけて椅子から立ち上がる。数歩後ずさるが、狭い部屋の中ではそこまで離れられなかった。

「な、なにすんだよ」
「ちっ」

 拒絶されたエリトは一気に不機嫌な顔になる。

「売り飛ばされそうになってたのを助けられといて、その態度はなんなんだよ」

 痛いところをつかれてスイは言葉につまった。

「……ごめん。今日は本当に助かった。お前には感謝してるよ……」
「じゃあ助けた礼をくれよ」
「えっ……。そ、その……こんなこと言いたくないけど、お前の言うとおり今はちょっと金なくて……」
「やっぱりな。じゃ、これでいいよ」

 エリトはスイの首筋を人差し指の先でつついた。血を飲ませろということらしい。スイはさっと首を手で覆い、さらに後ろに下がった。

「……それはいやだ」
「なんで」
「だって……お前に血を吸われると、おかしくなる……から……」

 下を向いてぼそぼそと呟くように言うと、エリトは喉をくくっと鳴らして近づいてきた。ついに壁際まで追いつめられ、体の両脇に手を突かれて逃げ場を失った。

「おい、エリトっ」
「なに」
「だから……いやだって言ってるだろ!」
「でもお前俺にかまれるの好きだろ? いつももっとしてってねだってたじゃねえか」
「そうなっちゃうからいやなんだって! あれはおれの意志じゃない! どうせ標的が抵抗できないようにする能力かなにかが鬼族にはあるんだろ!?」
「あ、ばれてた?」
「当たり前だ!」
「まあいいじゃねえか。気持ちよくしてやるからさ」
「あっ」

 エリトは抵抗するスイの両腕をつかんで壁にぬいとめ、白い首筋に舌をはわせた。急所をなめられてスイは小さく震える。そして、エリトの牙がぷつりと肌をつらぬいた。

「ん……っ」

 なつかしい痛みにスイはぎゅっと目をつむった。エリトが血を飲む音がする。すぐに頭がぼうっとしてきて、ぐるぐると考えていた過去のことが霧がかっていく。閉じこめられるのがいやでエリトから逃げたのに、また同じ事を繰り返そうとしている。

 逃げないといけないのに逃げられない。気持ちがよくて動けない。

「んあ……」

 スイの体がくたりと弛緩する。エリトはスイの首から顔を上げ、意志を奪い去られた獲物の無防備な表情を見て口角をつり上げた。
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