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二章 地下牢
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しおりを挟む「ちょ、ゾールさん!」
なおもニーバリを殴ろうとするゾールを慌てて部下たちが取り押さえた。
「まずいですって!」
「てめえのそのクソみてえな根性は前から嫌いだったんだよ!」
「そのへんにしときましょうよ!」
二人の部下に押さえつけられながらもゾールはニーバリをののしるのをやめなかった。ニーバリ以外の守手たちはおろおろするばかりでなにもしない。スイは様子をうかがうのをやめてゾールのところに走った。
「ゾール!」
スイはゾールとニーバリのあいだに立ちふさがった。急に現れたスイにゾールはきょとんとして動きを止めた。ゾールの部下たちも驚きの表情でスイを見る。
「……スイ? いつ戻ったんだ?」
「少し前だよ。騎士団本部で怪我の治療をしてもらったから報告しに来たんだ。ほら、この通り無事だよ。だから怒りを抑えてくれ。頼む」
思いがけない邪魔が入り、ゾールは毒気を抜かれて静かになった。スイは後ろを振り返り、床に座りこむニーバリに手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
「ああ……」
ニーバリは血まみれの鼻を右手で押さえながら、左手でスイの手を取って立ち上がった。
「帰ったか……」
「はい。今戻りました」
「そうか……よく戻ってきてくれた。ご苦労だったな」
「ニーバリさん」
「あえ?」
「この潜入捜査は治安維持部隊の依頼じゃなくて、あなた独自の作戦だったんですね?」
ニーバリは黙ってポケットからハンカチを取り出して鼻を押さえる。
「あなたのつけてくれた魔法陣を作動させたら、やつらが飼ってた変な生き物に襲われて窒息しかけました。そのあと外に連絡を取ろうとしたのがばれて体中殴られて腕が折れました。こんなの全然聞いてませんよ」
「…………」
「殺されるか、よくて奴隷でした。おれが死んだらどう責任とるつもりだったんですか?」
「……すまなかった……」
ニーバリは居心地悪そうに床を見ながら謝罪した。スイはもうちょっと嫌味を言ってやろうと思ったが、その前にゾールに呼ばれた。
「スイ、元気なら話を聞かせてくれ」
ゾールは近くの椅子に足を組んで座り、隣の椅子を指さした。スイはおとなしくその椅子に腰かける。慣れた手つきでニーバリを殴るゾールはスラムのごろつきそのものだった。スイはちょっとゾールが怖くなった。
「お前らはそのクズ連れてどっか行ってろ」
立ちつくしている数人の守手に向かってゾールはしっしっと手を振った。守手たちはゾールと目を合わせないようにしながら、ニーバリを連れて足早に広間を出て行った。床に点々と散ったニーバリの血だけが残された。
「スイ、見てきたことを全部報告してくれ。ここを出発したところからだ。貴重な証言だからな」
「わかった」
スイはゾールと彼の部下たちに潜入任務の一部始終を話して聞かせた。どうスラム街を歩き、どのあたりでさらわれたのか。隠れ家でグリーノ一派の男になにを言われたか。思い出せる限りすべて話した。
「ほかになにか覚えてることはないか?」
ゾールが言う。スイはあごに手を当てて考えこんだ。そういえば、魔法陣がばれて殴られてもうろうとしているとき、スイの処遇を巡って男ふたりがなにか相談していた気がする。よく聞こえなかったが、なにか気になることを言っていた。なにかが記憶の端にとげのように引っかかっている。
「……ディリオムさん……」
「え?」
「確か……ディリオムさんがどうのって、言ってたような……」
おぼろげだが、片方の男がそう口にした気がする。スイの半生に深く関わった男の、もう二度と聞きたくない名前。
「ディリオム? やつらの仲間か?」
「……そこまではわからない」
ゾールは後ろに立つ部下たちを見上げる。
「敬称をつけるあたり上の人間かな? グリーノ一派にそんな名前のやついたっけ?」
「うーん、たぶん主要人物にはいないと思うんですけど」
「だよなー……いや、待てよ。もしかしてディリオム・ファリンガーのことか?」
ゾールの言葉にスイは表情をこわばらせた。しかし部下と話しているゾールはスイの変化に気づかない。
「誰でしたっけ? それ」
「ほら、以前エリトが捕まえて監獄行きになったやつだよ。慈善家の金持ち一家が実は奴隷商人で、人さらい組織とつるんで若い男女を大勢拉致して売りさばいてた事件があっただろ?」
「あー、何年か前にありましたね。でもその人今は監獄にいるんですよね? 人違いじゃないですか?」
「それもそうだな……」
ゾールが納得しかけたとき、別の部下がいや、と声を上げた。
「そいつなら少し前に釈放されましたよ。奴隷商だったのは父親だけで息子のディリオムは関係なかったってあとからわかったんです」
とたんにスイは勢いよく立ち上がり、座っていた椅子が大きな音を立てて後ろに倒れた。その場の全員の注目がスイに集まる。スイは目を見開き、蒼白な顔で小刻みに震えている。
「スイ、どうした? 真っ青だぞ」
スイの尋常ではない様子に、ゾールが心配して声をかけてきた。だがスイはショックのあまり言葉が出てこない。
ディリオムが釈放された? ディリオムは屋敷を牛耳っていたのに、奴隷の売買に関わっていなかったなんてことがありうるのか? 監獄から出たのなら今はなにをしている? オビングに戻ったのか? それとも別の土地に移った? まさかこの辺りにいるのでは?
聞きたいことはたくさんあるが、声が喉に張り付いてしまっている。指先が氷のように冷たくなり、体の震えが止まらない。
「おい、スイ? 大丈夫かよ?」
ゾールは立ち上がってスイの肩に触れた。スイは反射的にゾールの手をはたき落としてしまい、ゾールのあっけにとられた顔を見て我に返った。
「あ……ご、ごめん」
スイは倒れた椅子を起こして座り直した。ゾールはいぶかしげにスイの顔をじっと見つめる。
「急にどうした? なにか思い出したのか?」
「いや……そういうわけじゃなくて……」
スイは両手で顔を覆って深呼吸をした。一度は監獄送りになった男が騎士団のお膝元にいるはずがない。ファリンガー家の屋敷は燃えた。ディリオムはスイが生きていることも知らないはずだ。そう自分に言い聞かせる。
震えが治まるとスイは姿勢を正した。
「ごめんゾール、なんでもないよ」
「は……? なんだよ、隠さないで言えよ」
「本当になんでもないんだ。その……急にクージェンに巻きつかれた感触がよみがえってきて、一瞬どこにいるのかわからなくなっちゃって……」
苦しい言い訳だと思った。だが、ディリオムのことをゾールに言うわけにはいかない。スイがファリンガー家の養子だったことがわかれば、ゾールはどうして奴隷商人がスイを養子にしたのか気にするだろう。気にするあまりファリンガー家を調べられたら非常に困る。今も監獄にいるベルヴィッド・ファリンガーを問い詰めれば、スイが精霊族であることを話してしまうかもしれない。
「……そっか。つらかったよな」
だが、ゾールは意外にもすんなり信じてくれた。いたわるようにスイの肩をぽんぽんとたたく。
「それなのに根掘り葉掘り聞いちゃってごめんね。まだ気分悪い?」
「いや……もう大丈夫だよ。気にしないでくれ。それで、なんの話だったっけ?」
「ああ、奴隷商人の話だよ。ディリオムが捕まったのは知ってたけど、釈放されたのは知らなかったなあ。そんなの滅多にあることじゃないと思うけど、本当か?」
話を振られた部下ははいと言って深くうなずいた。確信を持っている様子だ。
「ちょうど別件で監獄に行ってて、たまたま立ち会えたんで確かです」
「あ、そうなの。父親だけが罪をかぶって息子は無罪放免ってわけ。父親が助けてやったのか?」
「いえ、新たに捕まったやつの証言で息子は奴隷売買に関与してなかったってわかったらしいですよ。なんかちょっとクサイですけど」
「へー……で、今回グリーノ一派の人さらいがその息子の名前を口にしたんだろ? 確かに、におうねえ」
「その辺も締め上げて吐かせますか」
「だな。さて、話はここまでにするか。スイを家に帰してあげないとね。スイ、送ってくよ」
そう言ってゾールが立ち上がる。
「あ、ありがとう。おれに聞くことはもうない?」
「そうだね。あとは捕まえたやつらから話を聞くから大丈夫だよ」
ゾールはにっこりと笑って言った。
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