風の魔導師はおとなしくしてくれない

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後日談2 星の見えるところ

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「ライオル!」

 ルイは急いで日よけの分厚い布をどけて下を確かめた。そこには地面に倒れたライオルとホルシェードの姿があった。ホルシェードはライオルをかばうように覆い被さり、うつ伏せに倒れている。

「いてて……」
「ホルシェード! 大丈夫か!?」
「ああ……。ライオル様、お怪我は?」
「……大丈夫だ」

 ライオルとホルシェードはもぞもぞとがれきの下からはい出てきた。土埃にまみれているが二人とも大した怪我はなさそうだ。うまく椅子のあいだに滑りこんで難を逃れたらしい。

 近くにいた護衛たちがすっ飛んできてライオルの無事を確認した。倒れた柱のほぼ真下にルイとライオルがいたが、すんでのところで事なきを得た。トリシュカとギレットは少し離れたところにいたため被害はなかった。

「どうなってんだこりゃ……」

 ライオルは肩についた埃を手で払いながら倒れた柱を見下ろした。一人の護衛兵が小走りにやってきてライオルに言った。

「競馬場の人間に聞いてきました。先月の長雨で柱がもろくなっていたそうです。まもなく工事が入る予定だったそうで……」
「それで折れたのか?」
「……大変申し訳ございません……王太子殿下にお怪我がなくて何よりでございます」

 責任を感じてか護衛兵の唇が真っ青になっている。ライオルはちらりとギレットと目を見交わした。ギレットは眉間にしわを寄せて険しい顔をしている。

 アドルフェルドは自分のハンカチに水筒の水を垂らし、ルイの服についた汚れを拭った。

「危なかったですね、殿下」
「うん……また助けてもらっちゃったね」
「はい。まったく……二日続けてこのようなことが起こるとは……」

 ルイの近くで立て続けに事件が起きている。ルイはなんだか怖くなった。また昨夜のように怪我人が出なくてよかったと心底安堵した。もうあんな思いをするのはこりごりだった。

「ルイ、もう帰るぞ」

 ライオルが言った。ルイに異論はなかった。


 ◆


 次の日から、ルイは南の離宮で静かに過ごした。ライオルはルイに用事がなければ部屋から出ないようにと言い含めた。ルイは二つ返事で了承した。あんなことが起きたせいで、すっかり外出する気が失せてしまっていた。

 ライオルは来客の相手で朝から晩まで忙しくしていた。イオンも同じような状況で、ルイは一人ひまをもてあましていた。たまたま離宮にやってきていたアドルフェルドにそうこぼすと、アドルフェルドはちょくちょくルイのところに遊びに来てくれるようになった。

「どうしましたか?」

 声をかけられて、考え事をしていたルイはハッと我に返った。向かいに座るアドルフェルドが不思議そうにこちらを見ている。ルイはアドルフェルドと一緒に自室でお茶をしていたことを思いだし、手に持ったままだったカップを口に運んだ。すっかりお茶が冷めてしまっている。

「ごめん、ちょっとぼうっとしてた。なんの話してたっけ」
「今度お持ちする本のことですよ。殿下はクラメーレがお好きでしたね?」
「ああ! うん、好きだよ」
「でしたらクラメーレが新しい詩集を出したのでそれを持ってきますね」
「本当? それは嬉しいな」

 ルイはにこにこしてアドルフェルドに礼を言った。アドルフェルドはルイが退屈しないよう、いろいろな本を差し入れてくれている。ルイは彼の気遣いが嬉しかった。

「……なにかお困りのことでもあるんですか?」

 アドルフェルドに言われてルイの笑顔が引っこんだ。笑みを浮かべていたつもりだったが、うまくできていなかったらしい。

「ずっとお部屋で過ごされているので、気が滅入ってしまわれたのでは?」
「いや……そういうわけじゃないんだけど、ちょっとね」
「なにか悩みごとがあるなら、俺に話してくださいませんか。あなたの力になりたいのです」

 アドルフェルドはとても優しくて、ルイのことを本当に心配してくれている。部屋に二人きりなのを確認してから、ルイは重い口を開いた。

「その……ライオルのことだけど」
「王太子殿下となにかあったんですか?」
「いや、なにも……ここのところほとんど顔も合わせてないし。でもちょっと気になってることがあって……」
「なんですか?」
「先日のパーティーで、トリシュカ王女と会っただろ? 二人はとても気が合うみたいなんだ。ティグラノスでも仲よさそうにしていたし。彼女は俺と違って頭がよくて、それに美人だし、一緒にいて楽しいだろうとは思うんだけど……」
「なるほど。王女に心が傾いてしまったのではないかとご心配されているんですね」
「……そういうことになるかな……」

 言っているうちに恥ずかしくなってきて、どんどん声が小さくなっていくのが自分でもわかった。こんな女々しいことを考えていると知られたくなかったが、アドルフェルドなら聞いてくれるような気がしてつい口にしてしまった。

 恥ずかしそうにしているルイを見て、アドルフェルドは笑った。

「大丈夫、心配ありませんよ。あなたのようなかわいらしい人を手元に置いておきながら、別の人に目移りするなんてありえません」
「そ、そうかな……」
「そうですよ。俺ならあなたを寂しがらせたり不安にさせたりなんか絶対にしませんね……おっと、王太子殿下を非難しているわけじゃないですよ。お忙しい身ですし、時間が取れないのも無理もないですから。あなたより魅力的な人なんかいないって言いたかっただけです」
「そんな……俺なんかより魅力的な姫君はパーティーのときにたくさん……」
「はっ、姫ってのは高慢ちきでかわいげのない女が多いんですよ」

 アドルフェルドが鼻で笑うようにそう言ったので、ルイは目を丸くした。

「ええ……?」
「そんなものですって。だからそんなに気にすることはありません。あ、今の発言は内緒にしておいてくださいね」

 アドルフェルドはにやりと笑うと口に人差し指を当てた。ルイを元気づけるためにわざと軽口を叩いているようだ。ルイはその言葉を聞いて少しほっとした。

「わかった、内緒だね」

 ルイも真似をして人差し指を口に当ててみせた。アドルフェルドはそんなルイをじっと見つめていたが、不意にルイのほうに手を伸ばしてそっと頬に触れた。

「アドルフェルド……?」

 ルイはきょとんとして目をしばたたかせた。アドルフェルドはなにかをつまむような仕草をすると、さっと手を引っこめた。

「……ごみがついてましたよ」
「あ、ほんと? ありがとう」

 ルイはなんだか照れくさくなってお茶請けのバタークッキーに手を伸ばした。

 おいしいクッキーを味わっていたルイは、頬杖をついて椅子にもたれているアドルフェルドがほの暗い目でルイをじっと見ていることに気づかなかった。


 ◆


 後日、アドルフェルドは詩集と一緒にたくさんのお菓子をルイの元に届けてくれた。王太子殿下とどうぞと添え書きが同封されていて、どうやらルイにライオルと話すきっかけを与えようとしてくれているようだ。ルイはアドルフェルドに感謝しつつ、お菓子を持って夕食前にライオルの部屋をのぞいてみた。

「あ……」

 この時間なら客はいないと思っていたが、応接室のソファでライオルとトリシュカが歓談しているのが見えた。二人でケーキを食べながら楽しそうに話しこんでいる。やはりライオルはトリシュカと気が合うようだ。

 話し声がわずかにルイのところまで聞こえてきた。どうもカリバン・クルスの話をしているらしい。ルイはいやな予感がした。ライオルは本当にトリシュカを海の国に連れて帰るつもりなのではないだろうか。それほど彼女が気に入ったのだろうか。

「ルーウェン様、お入りにならないので?」

 ドアの前に立つ護衛兵が声をかけてきた。少しだけ開けたドアの隙間からこっそり中をのぞいているルイは不審者でしかない。ルイは静かにドアを閉め、護衛兵にお菓子の載った皿を押しつけた。

「これ、ライオルに渡しておいて。食べきれないから食べてって」

 ルイはそれだけ言うときびすを返した。

「自分で渡せばよかっただろうが」

 ついてきていたギレットが言った。ルイは軽く首を横に振った。

「客がまだいたんだ。邪魔するわけにはいかないだろ」
「別に菓子を渡すくらい平気だろ」
「いいんだよ。早く戻って詩集の続きを読みたい」
「ふーん?」

 自分の部屋に戻ったルイは、もらった詩集を再び読み始めた。だが、視線が本の上を滑るばかりでちっとも文章が頭に入ってこなかった。


 ◆


「あ」

 夕食後、部屋に戻ろうと廊下を歩いていたルイは、エンデュミオとばったり出くわした。エンデュミオはさらさらの金糸の髪を揺らしてルイに手を振った。

「やあ、ルイ!」
「やあ……」

 ルイがぎこちなく手を振り返すと、エンデュミオは白い歯を見せてにっこりと笑った。

「パーティーのとき以来だね。なかなか会いに行けなくてすまないね。きみも忙しくしてるのかい?」
「俺は別にそこまで……」
「そう? じゃあたまには遊びに来てくれよ。毎日ひげ面のおじさんたちと話すばっかりじゃつまらないよ。イオンと三人で遊びに行かないか?」
「あのなあ……」

 ルイは半眼でため息をついた。

「きみ、ずっとリーゲンスに滞在してるようだけど、ひまならフェデリアに帰ったらどうだ? あんまり国を長く空けるのもよくないだろ」
「たまには帰ってるよ。でもこの一年はほとんどリーゲンスで過ごしてるし、母上のそばには兄上がいるから心配してないよ」
「え……ほとんどこっちで? 一年も?」
「そうだよ」

 エンデュミオはすっと目を細め、ルイの青い目をじっと見つめた。

「一年前、きみが死んだと聞いてすぐアウロラに向かったんだ。イオンのことが心配でね。案の定イオンは食事も喉を通らないほど落ちこんでいた。ルイは自分の身代わりに死んだんだと嘆いていたよ。きみの死は自分のせいだとね」

 ルイは肺を握りつぶされたような痛みと息苦しさに襲われた。
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