風の魔導師はおとなしくしてくれない

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八章 湖畔の村の子供たち

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「タンサールが作ったんだよ」
「タンサール?」
「村の友達。とても頭がいいんだ」
「ああ、年上の友達がいるんだね」
「いや、俺と同い年だよ」

 ディンが言った。ルイはディンを見つめた。どう見繕ってもディンは八歳か九歳くらいにしか見えない。

「きみってもしかして見た目と年齢が激しく違うとか……そんなわけないか」

 ルイははしごの固く結ばれた縄の結び目を検分していて、木の板が割れて足場が崩れている箇所があるのを見つけた。

「おや、あそこ壊れてるよ」
「……あ、本当だ」

 崩れた足場は、ルイが手を伸ばしてようやく届くくらいの高さにある。あそこから子供が転落したら大けがになるかもしれない。

「すぐに大人に直してもらうんだ。でないと登ったらいけないよ」
「でも、村の大人はここに来たらいけないんだ」
「だけど、直してもらわないと危険だよ?」
「でも、村の大人はここに来たらいけないんだ」
「……ディン?」

 ルイはなにかうすら寒いものを感じた。いつの間にか子供たちはルイを取り囲んでいる。子供たちは一斉に言った。

「村の大人はここに来たらいけないんだ」
「村の大人はここに来たらいけないんだよ」
「村の大人はここに来たらだめなの」

 ルイは呆然と立ちすくんだ。子供たちから兵士と盗賊ごっこをしていたときの笑顔は消え去り、無表情でひたすら同じ言葉を繰り返している。

 ルイはしばらく黙っていたが、ディンの前にしゃがみこむとディンの両腕をつかんだ。

「なに?」

 驚いて後ずさろうとしたディンを、ルイは優しく引きとめた。

「大丈夫、怖くないよ。また俺の魔導を見せてあげよう。ね?」

 ディンは疑わしげにルイを見つめていたが、小さくうなずいた。

「うん……」
「いい子だね、ディン。きみは村長の孫だよね?」
「そうだよ」
「家名はあるのかい?」
「ミルスカ」
「そうか」

 ルイは魔力をこめてぎゅっとディンの腕をつかんだ。

「ディン・ミルスカ、きみの名前はきみのものだ。ディン・ミルスカ、俺の話を聞いてくれ……」

 ルイは何度もゆっくりとディンの名を呼んだ。ディンはけげんそうにしていたが、次第に寄せられた眉が元に戻り、あどけない表情に変わっていった。

「もう一回聞くぞ、ディン」

 ルイが言った。

「友達のタンサールというのは、きみと同い年の村の子なのか?」

 ディンは目を数回ぱちぱちさせたあと、真っ青になって震え始めた。

「ち、ちがう……なんで……」

 ディンはがたがたと震え、目に涙を浮かべた。

「し、知らない! 俺はあんな奴のこと知らない! こわいよ、なんで俺あいつの言うこと聞いてたんだ……!」

 ルイは最悪の推測が当たってしまったことを悟った。ディンがかけられていたのは、名前を縛って操る魔術に違いない。そんな芸当ができるのは魔族だけだ。

 ルイがディンを離して立ち上がったとき、頭上で怒鳴り声がした。

「ガキども、うるさいぞ! 静かにしろ!」

 ルイが腰の剣に手をかけるのと同時に、木の上から一人の男が降ってきた。はしごも使わず飛び降りたというのに、何食わぬ顔で地面に立っている。

「……あ?」

 男は子供たちと一緒にいるルイに目をとめた。

「お前がタンサールか?」

 ルイは男から目を離さずに言った。ぼさぼさの黒髪に細身の若い男だった。タンサールはルイの着ている軍服に気がつくとあっと声をあげた。

「海王軍の奴がなんでここにいるんだ!?」

 ルイは剣を抜き放った。

「魔族だな」
「ちっ、ついにここまでかぎつけて来やがったか。ガキども、こっちに来い」

 タンサールは子供たちに向かって言った。

「だめだ!」

 ルイは慌てて叫んだが、タンサールに操られている子供たちはおとなしくタンサールに駆け寄った。ルイの元には怯えて震えているディンだけが残った。

「あれ……お前、なんで来ない?」

 タンサールはいぶかしげにディンを見つめた。ルイはディンを背中にかばってタンサールから隠した。

 タンサールはルイをにらんだ。

「お前、そのガキになにかしたか?」

 ルイは黙って思考を巡らせた。魔族相手にルイ一人で勝ち目はない。なんとか子供たちを取り返し、ここから逃げなければならない。

「なんでそいつの術が解けてる? ……ああ、そうか。お前がアンドラクスの言ってた海王軍の魔導師か」

 ルイは剣をタンサールに向けたまま、背後に立つディンの肩をたたいた。

「ディン、村まで走れ。俺の仲間に状況を伝えてくれ」

 だがディンは恐怖のあまりその場に凍りついてしまっている。

「ディン、頼む、走ってくれ……!」

 ルイはもう一度ディンの肩をたたいたが、ディンはその場に力なく座りこんでしまった。

「ガキなんかに頼るなよ。馬鹿じゃねえの」

 タンサールは必死にディンに呼びかけるルイを鼻で笑った。

「確かに村の大人を近づけるなとは言ったが、海王軍のやつを連れてくるなとは言ってなかったな。気の利かないガキどもだ」

 タンサールはしゃがんで地面に落ちていた枝を拾い上げた。タンサールが枝を一振りすると、小さな枝は一瞬にして剣に変わった。

 タンサールは迷わずルイに斬りかかった。ルイはタンサールの剣を剣で受け止めた。木でできた剣のはずなのに、固い音がして両腕に重い衝撃が走った。

 タンサールは身軽に動き、何度もルイに斬りかかった。ルイは背後にディンがいるので身動きがとれなかった。切り結びながら足を突き出してタンサールを引っかけようとしたが、ひらりとかわされてしまった。

「おいおい、こっちは木の剣だぞ」

 タンサールは楽しげに笑い、からかうようにルイの周りを回った。不意に地面からなにかが飛びかかってきて、ルイは慌ててそれを剣で斬った。真っ二つになって地面に落ちたのは、大きく膨れあがったカエルだった。

「よそ見すんなよ」

 ルイの注意がそれた隙に、タンサールは剣を大きくふりかぶっていた。ルイはとっさに突風を起こしてタンサールを吹き飛ばした。タンサールは衝撃で後ろにひっくり返った。

「ちっ……面倒だな、やっぱり殺すか」

 タンサールは顔をしかめてゆっくりと起き上がった。

「いやでもおとなしくしてろって言われてるのに、海王軍の奴を殺したりしたら俺がハルダートに殺されちまうな。どうしよう」

 タンサールが悩んでいるあいだに、ルイはタンサールに斬りかかった。タンサールはルイの剣を木の剣で受け止めた。木の剣はぐにゃりと曲がってルイの剣に巻きつき、刀身を根本からぽきりと折ってしまった。

「えっ」

 ルイは唖然として柄だけになった剣を見つめた。

「とりあえず連れてっちまえばいいか」

 タンサールはルイに手を伸ばした。ルイは折れた剣を振ってその手を避け、後ろに飛びのいた。

「ディン、逃げろ!」

 ルイは座りこむディンに叫んだ。ディンは両手をついて立とうとしたが、腰が抜けていて立ち上がれなかった。

 タンサールは再び枝で剣を作り出して斬りかかってきた。ルイは斬撃を避けきれず、左腕をかすめてしまった。木の剣は軍服をやすやすと切り裂き、二の腕に痛みが走った。タンサールは血のついた剣をルイに突きつけた。

「抵抗しなければ殺さないでおいてやるよ。今のところはな」

 ルイは斬られた腕を押さえ、歯を食いしばってタンサールを見据えた。タンサールは余裕綽々で、ルイをもてあそんでいるだけだ。

「それともガキどもを盾にしたほうが言うこと聞くか?」

 タンサールはにやつきながらこてんと首を傾けた。

 ルイは生唾を飲みこんだ。逃げることも、戦って勝つこともできそうにない。だがここで捕まるわけにはいかない。今ルイが捕まれば、ライオルはルイを取り戻すために本当に王太子選定の儀を放り出してしまうだろう。ライオルの足手まといになるのはごめんだった。

 タンサールは黙りこんだルイにじれて、再び襲いかかってきた。ルイはぎりぎりのところで攻撃をかわしたが、タンサールの剣先が伸びてルイの右手首に巻きついた。ルイは手首を引っ張られて横ざまに倒れた。

 タンサールは剣をたぐり寄せてルイの首をつかんだ。

「あうっ」
「面倒をかけないでほしいなあ」

 タンサールはルイの首を絞めた。ルイは手足をばたつかせて暴れたが、タンサールの腕はほどけなかった。苦しくて思考が回らず、手の届く範囲をがむしゃらにたたいた。
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