黄昏の花は吸血鬼に愛される

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 それから数日後──祖母から連絡を受けて、白夜と一緒に会いに行った。

「……迷っていましたが、神楽さんを詐欺で訴えることにしました。貴方を犯罪者の娘にしてしまうので躊躇いましたが……」
「いえ、お父様たちのしたことを考えれば、当然の報いです」

 父は元妻である紫乃への傷害致死への関与、詐欺行為や夕花への育児放棄など、いくつもの罪が重なり、後妻はさらに暴行罪と傷害罪が追加された。

 使用人の早紀は罪に問うことができなかった。しかし彼女は夕花が白夜の元に行ってからというもの、屋敷内の全ての家事をさせられていただけでなく、鬱憤を晴らすための捌け口にされていたらしい。目を覆いたくなるような傷や痣が体のあちこちにできていたそうだ。
 夕花を騙して神楽家に連れて行こうとしていた早紀の様子はおかしかったと思い出す。
 愛菜のいうことを聞かなければ、どんな目にあわされるかと必死だったのだろう。あの時、妙にやつれているように感じたのも演技ではなく真実だったのだ。
 彼女も神楽家から解放されて、これからは真面目に働いて欲しいと思う。

 また、愛菜に関してはまだ未成年であることと、夕花のふりをしたのも両親から命令されたのだと言い張り、こちらも罪には問えないようだった。
 しかし、屋敷も神楽家の財産も本来は全て夕花のものであり、彼女は全てを失った。もう女学校に通うこともできない。そんな状態の彼女を野放しにもできないと、山深い場所に住む遠い親戚に引き取られていった。
 愛菜を引き取った親戚は祖母の旧知の人で、とても厳しい人なのだそうだ。愛菜は今後監視されて暮らすことになる。もう愛菜を可愛がる人も、甘やかす人もいない。肩身も狭くなり、住む場所も周囲に店すらない山奥。これまでのように遊ぶことすら難しいだろう、とのことだった。
 夕花としても、愛菜が更生してくれるのであれば、これまでのことは全て水に流そうと思っている。

「屋敷の方も調べさせましたが……何年も働きもせず、遊び暮らしていたようですね。嘆かわしいことです。あんな男に紫乃を任せなければ……いえ、でも、そうでなければ夕花はいませんものね」

 祖母は宮守という大役を終えたばかりなのに、父たちの後始末に追われて大変そうだった。
 せめて、と夕花は祖母の手を握る。

「お婆様、ありがとうございました。それから、長らくのお役目、お疲れ様でした」
「夕花の手は紫乃の子供の頃を思い出すわ。ありがとう」
「私も、お婆様の温もりを感じると、お母様と過ごした日々を思い出せます」

 祖母は優しく微笑みながら言った。

「夕花、わたくしの養子になるつもりはありませんか? わたくし、長いお役目が終わって、ようやく外に出られるようになったのですから、しばらくあちこちを旅しようと考えていて。貴方さえよければ、その旅に一緒に来てほしいと思っているのです」
「あの、お気持ちは嬉しいのですが、私は──」

 言いかけた夕花を、それまで黙っていた白夜が制した。

「いいんだよ、夕花。君の心のままに、好きなように決めてほしい」
「えっ……」

 その言葉に夕花は目を見開き、白夜の方を向いた。

「俺は神楽家で君が虐げらているのを知り、今すぐに救いたいと望んだから、結婚を申し込んだ。だが、もう君は俺が庇護しなくても生きていける。俺は君のことを愛しているからこそ、君がしたいことを諦めないでほしい」

 そう言いながら、夕花の黒髪を撫でる。
 微笑んではいるが、どこか寂しそうな白夜を見て、夕花の心は決まった。いや、最初から決まっていたものが、揺るぎないものになったのだけである。

「わかりました」

 夕花は頷き、祖母の手を握る。

「誘ってくれてありがとうございます、お婆様。お申し出はとても嬉しいです。ですが、養子の件も、旅に同行することもお断りさせてください」
「ゆ、夕花……!?」

 白夜は目を大きく見開く。

「一緒には行けませんが、お母様が亡くなり、家族と呼べる人はもうお婆様だけだと思っています。ですから、どうかお気を付けて、旅を楽しんできてくださいね」
「まあまあ、わたくしは夕花がそう言うって、ちゃーんとわかっていましたよ」

 祖母はそう言いながらコロコロと笑い、茶目っ気をこめて片目を閉じた。

「わからなかったのは、一人だけのようね、月森さん」

 白夜は切れ長の目を見開きポカンとしている。

「い、いいのか、本当に?」
「ええ。私は白夜さんを愛しています。これからは、新しい家族として白夜さんや亘理くんと共に過ごしていきたいんです」
「孫とようやく会えたと思ったら、すぐにひ孫に会えるかもしれないわねぇ。今度は何かあっても、すぐに駆け付けられるから、子供ができたら知らせてね」

 夕花は祖母の言葉に真っ赤になった。

「お、お婆様、それは早すぎます!」
「俺としては、いつでも構わないが……」

 白夜はそう言って夕花の手を握ったものだから、さらに赤くなったのだった。

「ほはほ、よかったわね、夕花。月森さん、夕花をどうぞよろしくお願いします」

 祖母は深々と頭を下げた。

「もちろんです。夕花を大切にします」
「それから、夕花にこれを」

 そう言って取り出したのは、母の形見であるバイカラーサファイアの指輪だった。

「取り返した後、磨き直させました。ケチがついてしまって嫌かもしれませんが、紫乃にお守りとしてあげた指輪です。つけなくても構わないから、受け取ってくれるかしら」

 夕花は震える手で指輪を受け取る。

「お母様の指輪……」

 やっとこの手に返ってきた。夕花は震える手で指輪を左手の中指につけた。

「貴方の名前にもよく似合うこと。ほら、夕方のような色の石ですものね」
「ええ、大事にします……!」

 祖母は微笑んで頷き、夕花の手を撫でた。
 バイカラーサファイアが照明の光を反射し、キラッと輝く。同じように夕花の瞳にも、そして祖母の目にも、涙が光っていた。




 そして日常が戻ってきた。

 白夜や亘理と楽しく過ごし、日中は代書屋で働く日々。

「──登美さん、お疲れ様でした」

 その日の仕事を終え、登美に挨拶をする。

「お疲れさん。明日も頼むよ。アンタは最近とってもいい字を書くからね。仕事がひっきりなしだよ」
「ふふ、明日も頑張りますね」

 代書屋から出ると、春の風が吹き抜けた。
 はらり、と夕花の長い黒髪に、何か白いものが舞い降りる。
 よくよくみると、それは淡色の桜の花びらである。

「まあ、もうそんな時期なのね」

 登美の代書屋から出た夕花は、青く澄んだ空を見上げた。少しずつ暮れなずむ空の中をちらほらと風に乗って飛んでいく桜の花びらを見送る。

「夕花」

 声をかけられてそちらを向く。白夜が笑顔で夕花の方に来るところだった。

「白夜さん、迎えにきてくれたんですね」
「ああ、仕事がひと段落してね。夕花と一緒に歩きたかったんだ」
「ねえ、白夜さん、そろそろ桜の季節ですよ。今も花びらが飛んできて──」

 他愛のない話をしながら歩いていると、突然、小汚い男が転がり込んできて、夕花の行く手を塞いだ。

「きゃっ!?」
「ゆ、夕花ちゃん……! お、俺だよ、九郎だよ!」

 その小汚い男は九郎だった。擦り切れた着物にボサボサ頭。無精髭まで生え、見る影もない。

「夕花に何の用だ?」

 九郎が夕花の着物を掴もうと手を伸ばすが、その手が夕花に触れる前に白夜が夕花を遠ざけ、守ってくれた。

「た、助けてくれよぉ。手を出した女がヤクザ者の愛人でさ、大変なことになっちゃったんだよ!」

 九郎は聞いてもいないのにベラベラと身の上を語り出した。どうやらまずい相手に手を出したのと、嵌められてギャンブルで身を持ち崩したようだ。借金を重ね、とうとう首が回らなくなってしまったらしい。
 しかも、よその町で働いていた母親も再婚をし、九郎の知らない場所に引っ越してしまったそうだ。もう頼れる人がいないのだと九郎は嘆いた。

「だから、何? 私には関係ありません」

 夕花はそう言った。九郎はそれまで人を騙し、甘い蜜を吸ってばかりだった。愛菜とも恋人関係だったようだが、ピンチになれば自分だけさっさと逃げ出し、音沙汰なかった様子だった。騙される側になったのは可哀想だが、その経緯は自業自得としか思えない。

「幼馴染だろ……! 助けてくれよ」

 白夜が片眉を上げ、九郎に何かしようとしたが、その前に夕花はそれを制した。

「……私は昔、九郎くんのことが好きだったわ。貴方だけが私に優しくしてくれたし、羽なしと罵らなかったから」
「ゆ、夕花ちゃん……!」
「でも、貴方は陰で私を笑いものにしてた。私が稼いだお金を騙し取ったこともあったわね。今、貴方が辛い立場にいるのは、全部自分のせい。やったことはいつか自分に返ってくるものなのよ」
「悪かったよ! 本気で反省する! もうこれからは真面目に働くって誓う。そうだ、夕花ちゃんから借りたお金もちゃんと返すから」
「それなら真面目に働いて、夕花に金を返してから言え。口先だけならどうとでも言えるだろう」

 白夜も冷ややかな声を出す。

「で、でも、この辺りじゃ、もう何も売ってもらえないし、仕事だってさせてもらえないんだ! 夕花ちゃんたちが何かしたんだろ? 頼むよ! 許してくれよお!」

 九郎はその場に這いつくばり、土下座をしてくる。足に縋られそうになり、夕花は慌てて数歩下がった。
 白夜が夕花を庇うように前に出た。

「俺たちは何もしていない。ただ、そのくさった性根が周囲にバレただけの話だろう。二度と顔を出すなと言ったのを忘れたのか」

 九郎はヒイヒイ言いながら、地面に頭を擦り付けた。土埃で、薄汚れた顔がさらに汚らしくなった。とはいえ、放置すると後が怖い。夕花には九郎のことはどうしようもないから白夜に頼むしかないのだが、白夜は九郎を嫌っている。心情を考えればそれも当然だが、かといってこのまま見捨てるのも忍びない。

 九郎は前を塞いだまま謝り続けている。白夜もいつまでも動かない九郎に、だんだん苛立ちが隠せない様子だ。

「すみませんっ! 今までのこと、謝りますから、許してください! このままじゃ、飢え死にしてしまいます! 反省したから、どうか仕事を……」
「──おや、そんなに仕事が欲しいんですか」

 そんな時、不意に会話に入ってきたのは慎だった。
 夕花は目を見開く。

「慎さん、どうしてここに……」

 服の上からでもわかる逞しい体と、穏やかな微笑みはいつも夕花の送迎してくれる慎であった。今日は車夫の服装ではない、こざっぱりした着物姿である。

「偶然ですね。今日は白夜様が夕花様のお迎えをしてくれることになって時間が出来たものですから、知り合いに会いに行こうと思っていたのです。その知り合いのところで、働き手を探しているようでしたから、紹介しましょうか」
「おい、余計なことを……」

 白夜は不満そうに眉を顰めたが、慎から何事かを耳打ちされて頷く。

「ああ、それなら構わない」

 慎は筋骨隆々の体に不釣り合いな好々爺のような笑みで、九郎の肩に手を置いた。

「九郎さんでしたか。とても大変な仕事ですが、頑張れば多額の報酬がもらえますよ。どうします?」
「た、多額の報酬……ぜ、是非ともお願いします!」

 九郎は目を輝かせて飛び起きると、慎と共に去っていった。
 夕花はまるで嵐が通り過ぎたかのようだと息を吐く。

「慎さん、大丈夫でしょうか……」
「慎の紹介なら問題ない。あれでもう、あいつは真っ当に働くしかないだろう」

 そう言う白夜に首を傾げる。

「慎が紹介したのは遠洋漁業の仕事だよ。それも一度出航したら帰るまで三年はかかる長期の漁だ。危険だし、仕事は大変だが確かに報酬は多い。まあ、無事に帰って来れたらの話だが、何も嘘ではないさ。ただし、漁師は気が荒い人も多いし、真面目に働かなきゃ海に叩き込まれかねない。真人間になるか、海の藻屑になるか……それはあいつ次第ということさ」

 なるほど、と夕花は頷いた。

「きっと、真面目に働いてくれますよ」
「どうだかな。まあ、最低でも三年は帰ってこないなら、その間はあの顔を見ずに済むか」

 これまで夕花だけでなく、何人もの人を騙していたようだが、九郎がこれを機に真面目に働くことを覚えてくれたらそれで構わないと思っている。九郎がどうなるか、それは三年後にわかることだろう。
 


 
 
 少し遠回りしてから帰ろうと、白夜の車で、以前にも行ったあの森に再びやってきた。

 手を繋ぎ、森の小道を抜けていく。夕方な上、今日は白夜も帽子を被っているから、一緒に薄暗い森を抜けた。
 暗さから一転し、湖のほとりの開けた眩しさに、夕花は少しだけ目を細める。
 あの時、湖の周囲にあった裸の木は、今は薄紅色の花を満開に咲かせていた。
 春本番。美しく咲き誇る桜の花は、柔らかな色合いの春の空に映えている。そして、湖には空と桜が映り込んでいた。

「綺麗……」

 薄暗い森から見た時は、明るいけれど、どことなく寂しげに見えた。しかし、今は満開の桜と煌めく水面が素晴らしい景色だった。

 微かな風で花びらが吹雪のように舞っていく。湖に落ちた桜の花びらは、ちゃぷちゃぷと打ち上げられて薄紅色の模様を水際に刻んでいた。

 夕花は白夜の手を握ったまま、湖のほとりをゆっくり歩く。



 不意に夕花は白夜に抱き寄せられ、そっと口付けを交わした。

「……白夜さん、私、今とても幸せです」

 黄昏があたりを少しずつ薄紫に染め上げる。夕花はその名前の通り、黄昏の中で美しく咲き誇る花のようだった。

 少女はもう俯かない。
 愛しい吸血鬼に、幸せいっぱいの微笑みを向けたのだった。
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