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4章 忍び寄る悪意③

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「ちょ、ちょっと、白夜様、騙されちゃダメです! そうやってメソメソ泣いて気を引くつもりなんだから!」

 愛菜は眉を吊り上げて夕花を指差す。

「その前に、君は夕花が神楽家にいきなり来たが、気分が悪そうにしているから迎えに来て欲しいと言ったはずだが。話と違うのはどういうことなんだ」
「そ、それはぁ……そう言わないと、白夜様が来てくれないと思ってぇ……」

 愛菜は言い訳にもならない言葉をモゴモゴと口の中で転がす。

「ゆ、夕花様の本性をお知らせしようということですよね、お嬢様!?」

 早紀の助け舟に、愛菜はブンブンと首を縦に振った。

「そ、そう。そうなのよ!」

 しかし、白夜の冷たい視線は変わらない。

「騙されるわけがないだろう。杜撰な計画に、大根芝居……。くだらないことで夕花を陥れ、こんなにも傷付けたお前たちを──絶対に許さない!」

 瞬間、白夜の体から衝撃波のようなものが放たれた。
 愛菜、早紀、そして九郎が悲鳴を上げて床に転がる。

「よくも……夕花を傷付けたな」

 白夜の口元からは今まで見たことがないほど犬歯が伸び、もはや牙というのに相応しい長さになっていた。そして白夜の紅色の目がギラリと光った。

「ぎゃっ!」

 早紀は悲鳴を上げ、その場にひっくり返った。白目を剥いて気絶している。
 愛菜も真っ青な顔で腰を抜かし、ガクガクと震えた。声も出ない様子だ。

「ヒイィッ!」

 白夜は残る九郎のもとに向かい、片手で首を掴んで持ち上げた。

「特にお前だ! よくも夕花の体に触れてくれたな!」
「お、俺はっ、愛菜に頼まれただけでっ……ぐぇっ……」

 九郎は白夜より背が低いとはいえ、決して小柄ではない。だというのに片手で軽々と持ち上げていた。

「夕花をあんなにも怯えさせて……貴様だけは絶対に許せん!」

 首が締まった九郎は、顔を真っ赤にして口から泡を吹き始めた。呼吸ができずビクビクと痙攣をしている。

「ぁ、が……っ」
「びゃ、白夜さん……それ以上はダメ、です……!」

 夕花は体の震えを押し殺し、よたつく足で白夜の元に行く。止めさせようと白夜の背中に抱き付いた。

「止めるな!」
「い、いえっ! 止めます! 私、白夜さんに人殺しになってほしくないっ!」
「夕花……」

 途端、白夜の手から力が抜け、九郎はドサッと床に崩れ落ちた。
 ゲホゲホッと九郎が激しく咳き込んでいる。しばらく咳き込み、我に返った九郎は、悲鳴を上げてこの場から去ろうとしていた。

「ひっ、ひいいいっ! た、たす、けてっ……!」
「く、九郎っ! 待って、置いてかないでよっ!」

 恋人である愛菜のことも置いて、九郎は一人で脇目も振らずに逃げていく。愛菜はそれを見てお嬢様とは思えないほどひどい言葉で九郎を罵った。

「夕花……すまない」

 白夜の長い牙も元に戻っていた。心なしか青ざめて見えるが、いつも通りの白夜だった。

「白夜さん、帰りましょう。私は大丈夫ですから」
「ああ、だが心配だ」

 白夜はそう言って夕花を横抱きにした。

「せめて、車までこうさせて欲しい」
「は、はい……」

 胸がドキドキと高鳴っていく。

「……白夜さんが私を迎えに来てくれた時と同じですね」

 あの時、倒れそうになった夕花を白夜は抱き上げ、安心させてくれた。
 夕花がそう言うと、白夜は優しく頷いてくれた。

 白夜に抱きかかえられた夕花が愛菜の部屋から出ようとすると、壁際で腰を抜かしている愛菜の姿が目に入った。

「ひいっ……」

 茶色いふわふわした髪を乱し、真っ青な顔で震えている愛菜。彼女に向かい、白夜は口を開いた。

「夕花に近付くなと一度警告したのを忘れたのか。契約を破った以上、お前の父親に渡した金を返還させるつもりだ」

 愛菜はビクリと一瞬大きく震えたが、白夜がどんなに怒っていても殺されることはないと悟り、開き直った様子だ。引き攣りながらも不敵な笑みを浮かべる。

「ふんだ、好きにしたらいいじゃない! ここは上山手区よ。幻羽族の土地なんだから、吸血鬼がこれ以上好き勝手出来ないんだからね! きっと、九郎が衛士を呼びにいってくれたもん!」
「さあ、どうだかな。あの男だけ逃げたとしか思えないが」
「そ、そんなことないわよっ! 最低! バカ、死ね!」

 愛菜は子供のような語彙力で白夜や夕花を罵った。
 白夜はもうそんな愛菜に返事すらせず、夕花を抱いて部屋を出ようとする。

 しかし夕花には愛菜の様子が気になっていた。
 一度得た大金を奪われるかもしれないのに、妙に余裕そうなのが気にかかる。何か大金を得る目処でもあるのだろうか。
 夕花はあることに気付き、ハッとした。
 部屋から出る瞬間、愛菜の指に、キラッと光るものが見えた。愛菜は左手の中指に、大きなバイカラーサファイアの付いた指輪をしていたのだ。
 ほんの一瞬だったが、あれは後妻に奪われた、夕花の母の形見の指輪に間違いなかった。

 どうして愛菜があの指輪を──そう思ったが、白夜に抱かれて部屋を出てしまった以上、愛菜に問いただすことは出来なかった。

 白夜に車まで運ばれた時には、外は既に日が沈んで、暗くなっていた。
 わずかにほの赤い空の方から、パタパタと小さな蝙蝠が飛んでくるのが見えた。亘理だ。

「ご主人ー!」

 くるん、と蝙蝠からいつもの亘理の姿に戻る。軽い足音を立てて着地した。

「ゆ、夕花様! 無事だったんですね!?」

 夕花の姿を見た途端、亘理はポロポロと涙を零す。

「どうして危ないことをしようとするんですか! ご主人はすごく、すっごく夕花様のことを心配して……! 僕や慎さんだって、夕花様を探すために、あちこち駆けずり回ったんですよ!」
「ご……ごめんなさい……」

 夕花は唇を噛んだ。改めて、自分の軽はずみな行動でたくさんの人に迷惑をかけてしまったと感じていた。

「亘理、それくらいにしてやってくれ。夕花の行動の理由を察すると、おそらく亡き母君の形見があるとでも言われたのだろう。亘理も知っての通り、彼女はあの家でずっと虐げられ、うちに来る時も身一つだった。……せめて形見の品くらい、持っていたいと思うのは子供として当たり前だ」
「あ……ごめんなさい……夕花様……」

 亘理はシュンと下を向く。

「でも、もし、夕花様に何かあったら……僕、怖くて……。ご主人だけじゃなく、僕にとっても、夕花様はなくてはならない人なんです」
「うん……軽率な行動をして、本当にごめんなさい……もうしないわ」

 夕花は心からそう思って言った。亘理はぐしぐしと袖で顔を拭き、ようやく顔を上げる。

「絶対ですからね!」
「さあ、とにかく帰ろう。夕花を休ませてあげよう」
「はい。その前に慎さんにも伝えてきます。きっと心配しているでしょうから」

 月森家に着き、夕花は心から安堵していた。もうとっくに、この月森家の屋敷が夕花の帰る場所なのだと感じていたからだ。
 白夜は車から降りた夕花を再び抱き上げ、屋敷に着いても離さなかった。
 そのまま階段を上り、白夜の部屋に連れて行かれる。白夜の寝室のベッドにそっと下ろされた。

「夕花、怪我は? どこか痛みがあれば医者を呼ぶが」
「あ、ありません」

 白夜はホッとしたように夕花の頬を撫でた。

「怖かっただろう。無事でよかった」

 抱き寄せてくる白夜の手が震えていた。
 なんてことをしてしまったのだと、改めて夕花の目に涙が滲む。騙されやすい己の愚かさで、白夜のことまで傷付けてしまったのだ。

「あの、本当に……ごめんなさい……白夜さん」
「いや、いいんだ。君が無事なら。ただ一つだけ、頼みがある」
「頼み……?」
「今日はこのまま、ここで寝てくれないか。君を離して眠れそうにない。何もしない。ただ俺の腕の中にいて欲しいんだ」

 夕花は頬を赤らめながらも頷いた。
 夕花はぎゅうっと抱きしめられる。九郎の時には触れられるのがあんなに嫌だったのに、愛しい白夜に抱かれている今はひどく安心できた。
 白夜の腕の中は温かく、守られているという安心感があった。夕花はあんなに恐ろしい目にあったにもかかわらず、夢も見ないような深い眠りに落ちた。
 
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