上 下
24 / 33

4章 忍び寄る悪意①

しおりを挟む
 四章

 白夜と両思いになった夕花は幸せな時間を過ごしていた。
 白夜の体質にはまだ懸念はあるものの、以前に比べれば体調もよくなっている。
 医者である鹿代子も吸血鬼の異能をなるべく使わず、しっかり寝て食べて体を労われば、すぐ死ぬようなことはないと言ってくれた。いずれはいい薬が出るかもしれない、とも。
 それに夕花は限りある時間であっても白夜と共に過ごしたいのだ。あまり暗い気持ちにならず、気負わないように、普段通りの日々を過ごしていた。



 その日も、代書屋で夕花は真面目に仕事をこなしていた。
 数時間後、いつもより三十分程度早いが、頼まれていた仕事は全て片付いてしまった。

「うーん、少し早いけど、今日はここまでにしようか。夕花、お疲れさん」
「はい。登美さん、お疲れ様でした」
「でもねえ、アンタの迎えが来るまで、まだ時間があるんじゃないのかい? いつもは人力車が迎えに来てくれているんだろう」

 人力車で店の前に乗り付けるのは目立ってしまって恥ずかしいし、そもそも広くない道で人通りが多いので、邪魔になってしまう。そういうわけで慎にはいつも少し離れた場所に待ってもらっているのだ。

「迎えの人はいつも早めに来て待っていてくれるので、もういるかもしれません」
「そうかい。まだいなかったら一旦戻ってきなさいね。人気のないところで待ってたら危ないから、くれぐれも気を付けるんだよ」
「ええ、そうします」

 登美は夕花を何かと気にかけてくれる。
 ありがたいことだと思いながら、夕花は店を出た。

 慎との待ち合わせ場所まで行ったが、まだ来ていない。さすがに三十分前は早過ぎたのだろう。
 一度代書屋に戻ろうと思ったところで、ふと思い付いたことがあった。
 白夜と亘理に饅頭をお土産にするのはどうだろうか。
 代書屋と饅頭屋は数軒しか離れていないから、戻るにせよ方向は同じだ。それに人通りが多く、寄り道をしても比較的安全である。登美も饅頭屋に寄るなら構わないと言ってくれるだろう。
 そう思って、饅頭屋に向かい、蒸したての饅頭を購入した。

「夕花ちゃん、仕事上がりかい。たくさん買ってくれてありがとうねえ」
「とても美味しいお饅頭だから、家族に食べて欲しくて」

 亘理ならたくさん食べるだろうと多めに買ったのだ。饅頭屋のおかみさんはニコニコ顔で「一つおまけね」と入れてくれた。

「わ、ありがとうございます!」

 白夜と初めて会った時、ここの饅頭を美味しいと食べてくれたのだ。二人で分け合ったのは思いが通じ合った今、くすぐったい思い出だ。つい先日の甘いひとときまで思い出し、夕花は頬をほんのりと染めた。

 饅頭を買ってもまだ時間が余る。やっぱり代書屋に戻って登美とおしゃべりでもして待っていようか、そう考えた時、夕花の腕を掴む手があった。

「あ、あのっ……」
「え?」

 驚いて振り返ると、そこには神楽家の使用人、早紀がいた。

「さ、早紀さん……!?」

 夕花は思いがけない姿を見て、目を丸くした。

「やっぱり夕花さん……いえ、夕花様……」
「な、何か用ですか」

 夕花は思わず身構えた。神楽家にいた頃、早紀は夕花を様付けどころか、名前で呼ぶことすらなかった。彼女から暴力を振るわれたことはなかったが、冷たい言葉を投げかけられるのは日常茶飯事だった。そんな彼女に再会しても喜べるはずがない。

「て、手を離してください。いまさら私に何の用ですか」

 しかし早紀は掴んだ夕花の腕を離そうとしない。

「ち、違うんです。偶然見かけただけで……あたし、ずっと夕花様に謝りたくて……怒ってますよね。わかってます。で、でもあたし……」

 早紀はやつれて顔色が悪い。夕花を掴む手は乾燥でひび割れているし、髪も以前よりボサボサに見えた。憔悴という言葉が似合っていた。

「ちょ、ちょっと……道の端に行きましょう」

 そんな早紀の様子に少し前の自分を重ねてしまった。早紀も夕花の腕を離そうとしないし、せめて通行の邪魔にならないよう、道の端に避けた。

「あの、早紀さん、何かあったんですか?」
「実は、夕花様が嫁いだ後……あたし一人で家事をやるようになったんですけど……」

 早紀はぽつぽつとこれまでのことを語る。夕花が神楽家にいた頃は八割以上の家事を夕花が行なっていたから、残された早紀の負担は大きかったようだ。

「人を増やすよう頼まなかったの?」
「奥様と旦那様に頼んだんですが、でも元々、夕花様に賃金は払ってなかったじゃないですか。だから二人分の賃金を払うのが嫌だって言われてしまって」

 早紀の手は小刻みに震えていた。

「しかもあの日以来、お嬢様は荒れて、あたしに八つ当たりするようになったんです。最近じゃ叩かれることだってあるし……。旦那様は最近妙に気が大きくなって、愛人になれと誘ってくるんです。奥様にはあたしが旦那様を誘惑したせいだって責められて、何時間も正座をさせられたり、食事抜きにされたりで……」
「まあ……」

 夕花は眉を顰めた。
 神楽家の現状はかなりひどい様子だ。白夜から何千万もの大金を受け取っていながら、出すものを惜しみ、父に至っては娘として聞くのも恥ずかしい。

「それで、実は辞めることを考えているんです。故郷に帰ろうって。でも、夕花様にはこれまでお嬢様に命令されていたとはいえ、散々酷いことをしてきてしまったから、ずっと謝りたいと思っていて……」

 早紀は青い顔で深々と頭を下げた。

「これまで申し訳ありませんでした」

 夕花は慌てた。道の端に避けたとはいえ、人の目がある中で、こう頭を下げられては困る。

「そんなに頭を下げないで、ね?」

 夕花は早紀に頭を上げさせ、持っていた饅頭を一つ、早紀に握らせた。

「顔色がよくないわ。このお饅頭美味しいのよ。食べてちょうだい。きっと体が温まるはずだから」
「あ、ありがとうございます……」

 泣きそうな顔で饅頭を両手で握り込んでいる。

「あの、夕花様は、お金持ちのお家に嫁がれたのに、どうしてこんなところに?」
「白夜さんに許可をもらって、この近くの代書屋で働いているのよ」
「そうだったんですか。……夕花様は偉いですね。あたしも故郷に帰って、真面目に働こうと思います」
「ええ、頑張ってね」

 話しているうちに時間も経った。そろそろ慎も来ている頃だろう。
 夕花は早紀と別れて、待ち合わせ場所に向かい、帰宅したのだった。
 お土産の饅頭を、白夜も亘理も喜んでくれた。その日の夕飯後のデザートとして、みんなで美味しく食べたのだった。



 それから数日後、いつものように仕事を終えて代書屋を出る。慎との待ち合わせ場所に向かおうとしたところで声がかけられた。

「──夕花様」
「あら、早紀さん」

 そこには早紀が立っていた。嬉しそうに夕花に笑いかける。しかし妙にそわついた態度だった。

「夕花様、先日は突然すみませんでした。でも夕花様のおかげで辞める決心がつきました。それで……今日は夕花様を待っていたんです」
「どうしたの?」
「……実は今日、神楽家には誰もいないんです。あと一時間は絶対に戻ってこないはずです。なので、今から神楽家に行きませんか?」
「そんなこと……」

 出来ないと言おうとした夕花を遮り、早紀は小声で捲し立てた。

「実はあたし、お嬢様の部屋で古い写真の入った箱を見つけたことがあるんです。お嬢様は面倒くさがって、全部押入れに入れたままなんですけど、その中に前の奥様のお写真があるかもしれなくて……」

 夕花は息を呑んだ。

「前の奥様の写真……私のお母様のってことよね?」

 早紀はコクンと頷く。
 母の形見を一つも持っていない夕花には、写真は喉から手が出るほど欲しかった。

「全員がこんな時間に留守にすることなんて滅多にないですし、あたしももうすぐ辞めるんで、新しく入る使用人に引き継ぎなんかもありますから……もうこんな機会はありませんよ」
「で、でも……今から行って帰ったら、遅くなってしまうわ」

 何より白夜に心配をかけたくない。そう首を横に振る夕花に、早紀は言った。

「でも早くしないと、お嬢様たちが戻ってきちゃいます! 今しかチャンスがないんです。次の使用人は、押入れの写真を全部捨ててしまうかも……」

 そう言われると夕花の心はぐらつくが、断ることに決めた。

「ごめんなさい、今の家族を心配させたくないの。迎えも来てるはずだから……」

 しかし早紀は、夕花の腕をしっかり握って離さなかった。目が爛々としている。

「迎えの人には残業があると伝えたらいいんですよ。いえ、あたしが伝えてきますから、夕花様はこのまま神楽家に行ってください。ここからなら急げば三十分です。一時間ちょっとで戻ってこれるでしょう。勝手口の鍵は扉脇の植木鉢の下です。押入れを開けたら古い箱があるからすぐにわかります。だから、急いで!」

 先の爪が腕に食い込む。力が強く、振り払うこともできない。夕花は思わず苦痛の声を上げた。

「わ、わかったから、離して……」
「わかったって言いましたね? 約束しましたから! すぐに向かってくださいよ!」

 早紀の勢いに押し切られるように、夕花はつい頷いてしまっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

生贄の花嫁~鬼の総領様と身代わり婚~

硝子町玻璃
キャラ文芸
旧題:化け猫姉妹の身代わり婚 多くの人々があやかしの血を引く現代。 猫又族の東條家の長女である霞は、妹の雅とともに平穏な日々を送っていた。 けれどある日、雅に縁談が舞い込む。 お相手は鬼族を統べる鬼灯家の次期当主である鬼灯蓮。 絶対的権力を持つ鬼灯家に逆らうことが出来ず、両親は了承。雅も縁談を受け入れることにしたが…… 「私が雅の代わりに鬼灯家に行く。私がお嫁に行くよ!」 妹を守るために自分が鬼灯家に嫁ぐと決心した霞。 しかしそんな彼女を待っていたのは、絶世の美青年だった。

異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました

平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。 騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。 そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

【完結】神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました

土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。 神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。 追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。 居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。 小説家になろう、カクヨムでも公開していますが、一部内容が異なります。

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

後宮で立派な継母になるために

絹乃
キャラ文芸
母である皇后を喪った4歳の蒼海(ツァンハイ)皇女。未来視のできる皇女の養育者は見つからない。妃嬪の一人である玲華(リンホア)は皇女の継母となることを誓う。しかし玲華の兄が不穏な動きをする。そして玲華の元にやって来たのは、侍女に扮した麗しの青年、凌星(リンシー)だった。凌星は皇子であり、未来を語る蒼海の監視と玲華の兄の様子を探るために派遣された。玲華が得意の側寫術(プロファイリング)を駆使し、娘や凌星と共に兄の陰謀を阻止する継母後宮ミステリー。※表紙は、てんぱる様のフリー素材をお借りしています。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

処理中です...