たかが子爵家

鈴原みこと

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第三章 未成熟者たちの葛藤

Ⅳ 苛烈の皇子

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「宰相になる気はないか?」
 宮殿に赴いたユリウスが、開口一番に聞いたアルフレートの言葉がそれだった。皇子の自室の前で、虚を衝かれたようにあるじを見る。
「もちろん私が正式に国政を継いでからの話になるが」
 気が早い話ではある。
 現皇帝ウィルヘルム・オットー三世はまだ四十五歳で、その治世があと数十年は続くと言われている。
 皇位継承者が早いうちに宰相を選定しておくこと自体は珍しくない。だが、アルフレートはこれまで、そうした話を意図的に避けていたところがある。それだけに、ユリウスにとっては降って湧いたような話だった。
「私が玉座を継ぐ頃には、お前も侯爵になっているはずだ。伯爵でありながら宰相に抜擢された者の例もあることだし、何も問題はなかろう」
 ユリウスに何かしらの功績を立てさせて侯爵に昇格させる。前々からその腹づもりなのは知っていた。アルフレートの立場を考えれば、そうするほうがいいのも分かっているから、そこに異論はない。
 だが問題は大いにある。
「それは、近衛騎士の任を他の者に継がせる、ということでしょうか?」
「お前以上に優秀な騎士など知らん」
 アルフレートは至極当たり前のようにさらりと答える。
 つまりは宰相と首席近衛を兼任せよ、と言っているのだ。
「悪い話ではないだろう?」
 確かに悪い話ではない。それだけ評価されているということでもあるし、権力欲の強い者ならすぐに飛びつきそうな話だった。
「ご信頼いただき恐悦至極に存じますが、このお話はお断りさせていただきます」
 ユリウスはあえて形式ばった言い方で返答する。予想通りだと言わんばかりの視線を向けて、アルフレートは嘆息した。
 ユリウスが政務に関しては頑なに口を閉ざすのを知っている。初めからすんなり了承するとは思っていない。無論、それを承知でこの話を振ったのには、アルフレートなりの意図がある。
「何故だ? 断るという理由を聞かせろ」
 アルフレートはあらかじめ用意してあった問いかけを吐きだした。
 ユリウスが国政に口を出そうとしない理由を、彼の性格上から推察するのは可能だ。しかし本人の口から直接確認したことはない。だからあえてそれを話題に出して明確に言語化させることで、ユリウスを政治のほうにも引きずり込めるよう、判断材料を増やそうとの算段だ。
 ユリウスは皇子の思惑をほぼ正確に洞察できていた。それ故に場に一瞬の緊張が走る。アルフレートとしては付け入る隙を探らねばならないし、ユリウスのほうはその思惑を一蹴せねばならない。
「宰相と首席近衛はそれぞれに文と武において皇帝陛下の片腕となる存在です。権力の一元化は避けるべきかと」
「両者を兼任した者の例は少なくない」
「ですが歴史上、誰一人として正しく兼任できた者はおりません」
 どちらかの務めが疎かになる者、あるいは双方とも中途半端になってしまった者、一手に握った権力に陶酔したあげく叛意を抱く者。例は様々にあるが、バランスよく兼任できた者はいなかった。
「ならばお前がその初めての例になれば良い」
「多少の野心は必要なものかと自覚はしておりますが、を越えた権力と野心を抑制する自信はございません」
「強情な奴だ」
 アルフレートは無自覚な言葉を仏頂面で吐きだした。強情なのはお互いさまだろう。
 こういう話をするとき、二人はいつも噛みあわない。
 アルフレートにとって、信頼できる人間の数は極端に少ない。その少ない中から人材を配置しようとすれば、こういった無理がどうしても出てくる。
 ユリウスは前々からそれを懸念しており、もっと人との関わりを考えてほしいと願っている。
 他者に対して心を閉ざしてしまいがちになるのがアルフレートの最大の弱点だが、生い立ちを考えれば、人間不信になるのも無理はない、とも思える。
 そうした問題をどう解消していくかが、今後の課題となるだろう。
「仕方がない。お前の気が変わるまで、宰相の件は保留にしておこう」
 皇子は思った以上に往生際が悪かった。
「恐れながら、宰相には現在のディルクハイム侯爵閣下でよろしいのではないかと」
「ディルクハイムか……確かに無能ではないが、広い視野と柔軟な思考に欠けるところのある男だ」
「広い視野や柔軟な思考はすでに殿下ご自身がお持ちでいらっしゃいます。それを他の者に求める必要はございません。宰相閣下にはあくまで一般的な意見を論じていただき、それを殿下の国政の参考になされるのがよろしいかと存じます。宰相閣下は忠誠心が厚く、堅実な思考をお持ちの方です。殿下の宰相を務める者には、能力以上に、そういった資質が必要かと」
「私の国政が国を乱すとでも言いたいのか?」
 アルフレートはすっと目を細めて、不快を顕わにした。すみれ色の眼光が騎士へと突き刺さる。
 他の者であれば萎縮して反射的に謝罪を口にしたかもしれない。しかしユリウスは、あるじの人柄を知っているが故に強気だった。
「急激な変化は新たな火種を生む元にもなりかねません」
「変化なくして進展などあり得ない。それとも、停滞したままのほうがいいとお前は言うのか?」
「仰る通り、変化は必要なものと私も思います。停滞は緩やかな衰退と同義ですから。ですが先ほど申し上げた通り、火種を呼ぶ元でもあります。だからこそ、足元をしっかりと固めていただきたいのです」
 アルフレートはしばし沈黙した。言い返す言葉を失って、唇を引き結ぶ。
 やがて短く息を吐きだすと、そのまま謁見の間へ向かって歩きだした。
 納得はしていない様子だが、ユリウスの言葉を吟味しているようでもあった。


 謁見の間を目前にして、ヴァルテンベルク公ザムエルは不機嫌だった。
 先日、皇子を懐柔するために派遣したはずの使者から不快な知らせが届いた。すぐ王都に赴くようにとの内容で、懐柔に失敗したという余計な報告つきだったのだ。
 無能な部下の失態に激怒しながらも、可能な限り最速の方法で王都に辿り着いたが、王都の屋敷で待っていた使者は、とにかく萎縮するばかりで、その説明はどうにも要領を得ない。
 仕方なく、急いで謁見願いの訴状は出したものの、何があったのか分からないまま、ここまで来てしまった。
 使えない部下のせいで気苦労が絶えない、と愚痴をこぼしながら、彼は謁見への門を潜ったのである。
 広々とした空間の中を奥へ進むと、銀髪の少年が玉座にふんぞり返っているのが見えた。
 すらりと伸びた脚を組み、菫の瞳で面白くもなさそうにこちらを睨んでいる。父親の権威を笠に着る厚顔さは、皇后カザリンによく似ているようだ。
 それだけに公爵の苛立ちはいっそう募る。一体どんなへまをすればの懐柔に失敗できるのか、と……。
 公爵は内心の苛立ちを隠して一礼した。右拳を左の肩口に添えて頭を下げる。しかし膝をつくことはしなかった。
 簡単に膝を屈することはしない。それが公爵としての矜持だと彼は信じていた。
 謁見の間には皇子の他に近衛騎士と宰相、書記官など数人の官が控えている。それら他の官に対して優位性を示す行為でもあった。
此度こたびは火急の請願をご承認いただき、有り難く存じます」
 まずは型通りに挨拶する。
 皇子はこちらを睨みつけるだけで、言葉を返しもしない。
 仕方なく、自分から話題を振ろうと再度口を開いた。
「華やかなシーズンから狩猟と収穫を迎えようかという折、殿下におかれましても、ご機嫌麗しく……」
「麗しいように見えるか?」
 当たり障りなく時節の挨拶から入ろうとした公爵の言葉をアルフレート皇子が遮った。抑揚のない口調で、瞳は公爵を睥睨へいげいしたまま、実に不快な態度だった。
 何だというのか……。この皇子は何が言いたい――いや、何を言わせたいのだ。
 判断がつかず、沈黙するヴァルテンベルク公爵に、皇子の視線は冷たい。いや、皇子だけではない。傍らに控える宰相と近衛騎士までが、冷めた眼を向けてくる。
「麗しいように見えるか、と聞いている。答えよ、公爵。貴公の不正を聞かされて、私が上機嫌でいられると思うその理由は何だ?」
 『不正』という言葉に、公爵の頬がぴくりと震えた。
 やはり呼びだしの要件はそれであったか、と胸中で舌打ちする。それと同時に微かな違和感を覚えた。
 最初に『不備』という名目で呼びだしておきながら、ここに至って『不正』と言いきり、公爵を糾弾しようという姿勢が垣間見える。
 堅実を常とするディルクハイム侯爵らしくないやり口だ。皇子に入れ知恵した者が他にいるのかもしれない。
 この期に及んでなお、皇子自身が思考力を持っているとは考えない公爵であった。
 凝り固まった偏見がその可能性を排除してしまう。狭まった視野は人から選択肢を奪ってしまうものらしい。
 何はともあれ、公爵にとっては予想できていた事態である。
 皇子が投下してきた言葉は、動揺するほどの材料でもない。不正話の出所は見当がついていたからだ。おおかた例の世襲騎士と繋がりのあるが持ち込んだ話を鵜呑みにしたのだろう。確たる証拠までは掴んでいないはずだ。
 焦るには及ばない。
 自分にそう言い聞かせて、ヴァルテンベルク公ザムエルは平静を装った。
「不正とは、穏やかではありませんな。身に覚えのないことにございます」
 蓄えた脂肪で分厚くなった胸板を張り、自信たっぷりの口調で相手を牽制する。
「側近の言葉を軽々けいけいに信じ、証拠の有無も不確かなまま他者を貶めることのなきよう、賢明なご判断を願いたいものです」
 年若い皇子に老婆心を働かせるような口調で論じると、玉座に身を沈めた少年が薄い笑みを顔に張りつけた。
「なるほど……私が身内贔屓びいきで話を鵜呑みにし、証拠もなく他者を糾弾するれ者だと、貴公は言いたいのだな」
「い、いえ、決してそのようなつもりでは……」
(何なのだ、この皇子は……)
 公爵の背に冷や汗が伝う。
 小さな矜持を保つためにその場をとり繕うか、あるいは激昂するか、そのどちらかの反応を期待していた。その想定でしか対策は立てていなかった。
 こんな、相手が何を考えているのか分からない状況など、公爵の予想にはなかった。
 自分が何を相手にしているのか――それを見失いそうな境地のなかで、その心が不安に覆われていく。それほどまでに、皇子の薄笑いは不気味なものだった。
 狼狽するヴァルテンベルク公を眼前に捉え、皇子は表情から笑みを追いだした。
けいの言は尤もだ。証拠がなければ、ただの妄言と言われても反論はできない。ならば、その証拠の有無とやらをはっきりさせるとしよう」
 組んでいた脚を解いて皇子が片手を上げると、謁見の間の扉が開いて、三人の人物が入ってきた。
 鳶色とびいろの長い髪を後ろで一本にまとめた四十歳前後の男が、薄茶の瞳でちらりと公爵を見ながら近づいてくる。
 その隣には、黒い軍服に身を包んだ女性の姿があった。金の髪は短く、琥珀こはく色の瞳が凛々しくつり上がっているせいで、少年のような風貌ではあるが、しなやかな凹凸が女性特有の色気を漂わせていた。そして落ち着いた雰囲気が、年齢をそれとなく伝えている。
 ヴァルテンベルク公爵にとっては、想定内の人物だ。しかし、その二人の後ろに続く三人目――暗い表情で入ってきた男の姿に、公爵は目を見張った。
 黒いベストを着た中背で痩せぎすの男。まだ二十代後半のはずだが、ずい分とくたびれた印象がある。
 黒髪黒目に眼鏡をかけた特徴の薄いその顔を、ヴァルテンベルク公爵はよく知っていた。
 なぜここにこの男がいるのか……。
 公爵の内心の焦りをよそに、三人の人物は絨毯カーペット上を前進してくる。
 鳶色の髪の男は、ヴァルテンベルク公爵の二メートル後方で足を止めると、絨毯カーペットに片膝をついて礼をした。他の二人もそれに倣う。
「カルステン・ヒュッテンシュタット・フォン・フェルドシュタイン。皇命おうめいにより参上いたしました」
 ヒュッテンシュタット公カルステン。ミッテルラント大陸の南、ヴァルテンベルク公爵領の隣にあるヒュッテンシュタット公爵領の領主である。
 今年で四十一歳になるこの公爵は、変人として有名だった。
 人付き合いが嫌いで、公子だった頃から表舞台には滅多に出てこない男だ。社交シーズンになっても王都に戻ってくることをせず、中央の政治にも関わろうとしない。
 自分の領地から頑なに出ようとしないため、『引きこもり公爵』の異名を持っている。
 何を考えているのか分からない――為人ひととなりの読みづらい厄介な存在だった。
 そして黒い軍服の女性はヒュッテンシュタット公爵の妻――結婚前の名をディアーナ・フォン・ベルツという。つまりエーリッヒ・フォン・ベルツの妹であり、ベルツ伯ユリウスの叔母にあたる人物なのだ。
「ご苦労だった、ヒュッテンシュタット公爵。貴公の尽力に感謝する。顔を上げよ」
 皇子の声に応えて公爵と公爵夫人は立ち上がったが、後ろの男はこうべを垂れたまま立ち上がろうとしない。
 それを咎める者はいなかった。
「今一度、確認する。先日、刑務官府に提出した訴状に間違いはないのだな?」
 刑務官府、という言葉に、ヴァルテンベルク公爵の動揺が加速する。てっきりベルツ伯爵を通じて非合法に訴状を提出したものと思っていた。そうであれば、訴えを無効化する手段はいくらでもある。そう高を括って暢気に構えていたところがある。
 しかし正式に刑務官府を通したのであれば、事情が違ってくる。最低限の証拠固めをしなければ書類自体がまず通らず、その上で皇帝直々に聴取する、ということは何かしらの理由があるに違いない――しかしその思惑が見えてこない。
 ヒュッテンシュタット公爵がどんな告発ばくだんを投下しようとしているのか、身構えずにはいられなかった。
「間違いございません。帳簿の改竄かいざんによる上納金の横領。当家への買収の打診。その失敗による口封じの暗殺。買収と暗殺は未遂に終わりましたが、横領は十年の長きに渡って続けられている許されざる罪であり、その証拠となる裏帳簿はすでに提出済みです」
 ヒュッテンシュタット公爵の報告に、皇子がうなずく。
 油断していた。以降、彼らからこれといった反応アクションがなかったから、失敗に終わった暗殺にも一定の脅し効果があったのだと、無邪気に思い込んでいた。
 そうしてこちらが安心している間に、裏で証拠をかき集めていたに違いない。
「聞いての通りだ。証拠も証人もすでに出揃い、疑う余地はどこにもない」
「お、お待ちください殿下! これは何かの間違いで――」
「この期に及んで言い訳は見苦しいぞ、公爵」
 ヴァルテンベルク公爵はいくつかの重大なミスをした。それらに足元を掬われ、いま窮地に陥っている。
 皇帝代理を務める年若き皇子アルフレート・ハイム――それをぼんくらと決めつけ、人柄と能力を見誤ったのも失点のひとつであったろう。
 皇子は鋭い瞳でヴァルテンベルク公を睨めつけ、有無を言わせず裁可を告げる。
「本来、民に還元されるべき神聖なる公金を、自らの私腹を肥やすために着服することは重大な罪である。よって、全ての爵位を剥奪し、ヒルデスハイマー家の資産は残らず没収する。ヴァルテンベルク領には新たに公爵を選定し、直ちにその綱紀を改めるものとする」
 公爵の灰色グレーの瞳が驚きに見開かれる。
 同時に、周囲の官にも動揺とどよめきがはしった。
 ヴァルテンベルク公ザムエルに言い渡された処罰は、あまりに苛烈で重いものだった。
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