たかが子爵家

鈴原みこと

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第三章 未成熟者たちの葛藤

Ⅲ いじわるの理由

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 ベルツ家の屋敷には二階に食堂ダイニングがある。家族で食事を楽しむための場だ。客を招いたり宴会パーティーを開くときに使う広間サルーンに比べれば部屋の規模は小さく、その内装も質素といえる。それでも長テーブルには十脚の椅子が並び、食事時には数人の召使いフットマンが給仕に立ちまわる。
 とはいえ先代当主のエーリッヒを亡くして以降、ここを使うのは母子二人しかおらず、この規模でなお空間を持て余しているのが現状でもある。
 そこに、今は三人目の人物がいた。
「ウィリアムさんの工房アトリエには、とにかく色んな珍しい物があって凄いんですよ。名前や用途を覚えるだけでも、一日二日じゃ終わらなくて……」
 ベルツ邸の食堂ダイニングにウリカのはしゃぐ声が響き渡る。
 錬金術師の家へ正式に通えることになった日から三日後の朝である。来るときは十時以降にしてほしい、とウィリアムに言われたため、朝の時間を持て余したウリカは、朝食後の時間を狙ってカタリーナに会いに来ていた。
 食後のティータイムに混ぜてもらう形で、ここ数日の報告を嬉々として伯母に語っている。
 カタリーナは上機嫌でそれを聞いていた。
「ウーリが楽しめているようで良かったわ」
「えへへ、ありがとうございます」
 ウリカは無邪気に笑う。その様子を隣で見守るカタリーナはもちろんだが、対面に座っているユリウスも釣られたように笑みを浮かべていた。
「話の途中だが、そろそろ出かけなければならないな」
 ユリウスが紅茶を飲みきって席を立つ。
「例の公爵様の件は、どうなるのかしらね?」
 息子を見上げながら、夫人がそんな話題を振った。
 例の、とはヴァルテンベルク公の不正問題のことだろう、とウリカはすぐに察した。公爵クラスが不正を暴かれるなんてずい分と稀有な事態だ。公爵には真実を握り潰せるだけの権力がある。近年――とくにここ数年は、そうした貴族たちが放置されている、とステファンがぼやいていたのを思いだす。
 ただ、この件に関してウリカが敏感になるのは、珍しいからではない。不正を告発した人物が、ウリカと縁のある人物だったからだ。
 カタリーナが気にしたのも、おそらく同じ理由なのだろう。
「昨夜、公爵閣下が王都に到着して、即日の謁見を願い出たらしいので、今日のうちに処罰が下されるものと思われます」
「あら……」
 夫人がぱらりと扇を開いて口元に当てる。
「裁きは確実にある、ということかしら」
 済ました口調でそう言うが、扇の下では含み笑いが形成されているのに違いない。
 淑女にとって、扇子は本音を隠すための大事な仮面だ。心を許した身内だけの場であれば必要ないが、この部屋には今、ハインリヒ以外に二人の使用人が控えている。軽率な言動は身を滅ぼす元だということを知らないカタリーナではない。
 一方のユリウスは表情を変えないまま、坦々と応じていた。
「証拠も証人も揃っていますからね。言い逃れはできないでしょう……もしかしたら、史上類を見ない苛烈な裁きになるかもしれません」
 なにか懸念がある様子で、言葉の後半は、どこか躊躇ためらいがちな口調になった。
 夫人がすっと目を細める。
「そう……あなたから見て、一位殿下はどのような方なのかしら?」
 一位殿下、というのは、第一皇子であるアルフレート・ハイムのことだ。この国の、特に貴族社会において、皇帝とは神聖不可侵なる存在であり、そこに連なる皇族に対しても軽々しく御名みなを口にすべきでない、とする暗黙のルールがある。だから特別に許された者以外は、肩書をもって呼ぶのである。その際『第一皇子殿下』では長くて呼ぶのに不便という事情から、継承順位をもって簡略化して呼ぶのが通例となっている。
「聡明な方です。ですが不正を嫌うあまり、時に加減を忘れる嫌いがあります」
 ユリウスが率直な意見を口にする。率直すぎて、ウリカが内心で冷や汗をかいたほどだ。おそらくユリウスにしか許されない発言なのだろうと思うが、もう少しオブラートに包んでほしいものだ。心臓に悪い。
 はらはらと状況を見守るウリカの隣で、今度はカタリーナ夫人がオブラートのお手本を披露する。
「殿下はまだお若くいらっしゃるもの。しっかり支えて差し上げるのですよ」
 これを素直に受けとると、単純な奨励に聞こえることだろう。しかしこの発言を正しく直訳すると、こうなる。
『殿下はまだ子供なんだから、ちゃんと面倒見てあげなさい』
 貴族にとって、他者に足元を掬われないための心掛けは大切なことだ。一番に気をつけるのは、言質を取られないようにすること。そのため、どうとでも言い逃れが利く言い回しで、言外に本心を隠すのだ。貴族社会で生き抜いていくための処世術で、カタリーナはそれに長けていた。
 たった一つの失言でも、不敬罪に問われかねない怖い世界だ。だからウリカなどはよく思うのである。
(お貴族様って、面倒くさい……)
 でもそう思うからこそ、カタリーナは良い手本としてありがたい存在だった。
「今日も錬金術師の家に行くのか?」
 軍服のジャケットに袖を通しながら、ユリウスが尋ねてきた。
「そのつもりよ」
「あまり夢中になりすぎて、時間を忘れないようにな」
 従兄の忠告があまりに的を射すぎていて、ウリカは一瞬言葉に詰まる。
「帰りが遅くなりすぎないように気をつけるわ。昨日もそれでモーリッツとハイジにダブルで怒られたもの」
 ユリウスが苦笑しながら、従妹の頭をなでる。そしてその頬にやさしく口づけた。家族としての挨拶代わりのキスである。
「いってらっしゃい、ユリウス」
 母親にも同じように挨拶を済ませたユリウスが部屋の出口に向かうと、いつものように傍らに控えていたハインリヒが声をかけた。
「馬車の準備が整っております」
「あとのことを頼む」
「いってらっしゃいませ、旦那様」
 一礼してあるじを見送る長身の執事を、ウリカがじっと見つめていた。ユリウスが行ってしまったあとも視線を外さずにいたら、ハインリヒが困惑気味に首をかしげた。普段見ないその表情がちょっと新鮮だ。
「どうかなさいましたか、ウリカ様?」
「二人ともずい分と他人行儀だなぁ、と思って」
「そうでしょうか? 主従として適切な距離感かと思うのですが」
 多少なりとも動揺を見せるかと思った。的を射ている確信があったからだ。しかしハインリヒはいつもと変わらぬ温度差で応じてきた。
 本心からの言葉なのか、平静を装っているのか、当人の眼をつぶさに観察しても判断がつかない。
 そもそもの判断基準がユリウスの様子を見てのものであり、実のところハインリヒの人柄をよく知っているわけではない。
 それでも、もうひと押しくらいはしてみたかった。
「普通の主従なら、そうかもしれないわね。けど、ハインリヒとユリウスは兄弟みたいに育ったと聞いているわ。もう少し砕けた雰囲気でもいいのではない?」
 ハインリヒは少しだけ驚いた表情を見せたあと、ふっと笑った。
「そうであったとしても、お互いの立場がある以上、線引きは必要かと思います。人目に触れる場では特に」
 完璧な答えといえるだろう。表情にも隙がなく、それ以上の詮索は無用とでも言われた気分になる。ウリカはこれに近い感覚を日頃から味わっていた。
 そう。これはまるで――
(お父様と話しているみたいだわ……)
 なんとも言えない徒労感に襲われる。
 追及の糸口を失ったウリカが反応に迷っていると、その隣から「うふふ」と楽しそうな声が聞こえた。
「ハインツは今、あの子に『いじわる』をしているのよね」
 扇で隠すことをやめた口元がにんまりと曲線を描いている。
(あ、これは、人をからかうときの顔だ……)
 長年の付き合いから、反射的にそう思った。
 しかし、いま重要なのはそこではない。カタリーナ夫人の発言が出た瞬間、ハインリヒがすいっと視線を外したのである。図星を指されたのは間違いない。咄嗟に分かりやすく反応してしまったのは、完全に不意打ちだったからだろう。
 これがステファンであれば、不意を突かれたとしても表情を崩さず、変わらぬ笑顔を浮かべていたに違いない。それと比べれば、こちらはまだ可愛いげがある。
「いじわる、ですか?」
 夫人がその言葉をやけに強調していたのが気になった。そもそも『いじめられるユリウス』とかいうものが、ウリカにはちょっと想像できない。
「ふふ、そうよ。大方あの子が、ハインツに嘘をつくなり隠し事をするなりしたんでしょうけど」
「えっ!? ユリウスが嘘? 隠し事?」
 あの『誠実の代名詞』とまで言われている従兄である。ウリカが驚くのも当然だった。事実、ウリカはどちらもされたことがない。それ故に隙がなくて、口喧嘩では一度も勝てたことがないわけだが……。
「あの子、ハインツにだけは不誠実になることがあるのよ。甘えているのね、きっと」
「本当に甘えたいのであれば、隠し事などしなければ良いと思いますが……」
「そう。隠し事のほうなのね」
 夫人にさらりと言われて、ハインリヒがぐっと言葉に詰まる。そして『しまった』という表情を垣間見せた。
「互いに意地を張ってばかりでは、いつまでたっても他人行儀のままよ。二人ともまだまだ子供で、困ったものね」
 大げさにため息をつきながら、カタリーナが席を立つ。
「ごめんなさいねウーリ。私もそろそろ出かけなくてはならないのよ」
 名残惜しげな声でそう告げる。
「気になさらないで伯母さま。戻ってきたばかりだもの。会いたがる友人たちは多いのでしょう」
 カタリーナは社交シーズンの後半になって、病に倒れた夫の看病で家にこもったあげく、そのあとは王都から離れてしまっていた。そのためシーズン中に会い損ねたご夫人がたがお茶会に誘おうと躍起になって、たくさんの招待状が届いているらしい。元公爵令嬢だった影響もあり、カタリーナと繋がりを持ちたがる貴族は多い。それを無下にすることは難しいのだろう。
 そして、家族に近しい扱いとはいえ、こちらは事前通知もなく来ているのだ。文句を言える立場でもないし、言う気もなかった。
 ただ、これだけは言っておきたい。
「あまり無理はしないでくださいね」
「あら。ウーリに心配してもらえるなんて、私は果報者ね」
 夫人がにこりと微笑む。
「大丈夫よ。無理はしていないわ。せっかくのお茶会ですもの。をたっぷりと聞いてくるわね」
 その言い方には含みがあった。
 貴族のお茶会とは、楽しくお茶を飲むためだけのものでは決してない。有力な貴族と繋ぎをとるための出会いの場だったり、互いの情報を出しあいながら腹の探りあいをするための大切な機会だ。そしてカタリーナはその立ち回りが上手い。存分に『良い話』を掘りだしてくることだろう。
「見送りはあの子たちにお願いするから、あなたは来なくて結構よ、ハインツ」
 部屋の隅に控える召使いフットマン二人を扇子で指し示しながら、執事の行動を牽制する。
「あなたはウーリの話し相手をしてあげて」
「話し相手……ですか?」
 ハインリヒが戸惑いを見せる。ウリカとはあまり話す機会がない。ましてや雑談など、話題からつまずきそうな二人の関係だ。当然の反応かもしれない。
「ウーリは気にせず、ゆっくりしていってちょうだいね」
「はい。ありがとうございます」
 これはウリカに対する気遣いなのだろう。家人がいなくなってしまうのに、自分だけ居座っていては迷惑になる。時間的には少し早いが、おいとまさせてもらおうかと思っていたところだ。その心情を見破られていたらしい。
「ウーリを退屈させてはダメよ」
 言いたいことを言って、カタリーナ夫人は出ていってしまった。部屋にはウリカとハインリヒだけが残される。嵐が去ったあとみたいに、部屋はしんと静まり返っていた。
 部屋の入口を見つめたまま、ハインリヒは固まっている。それには構わず、お茶を飲み干したウリカは、空のカップをソーサーへと戻す。
「ごめんなさい、ハインリヒ。おかわりを頂けるかしら」
 声をかけられた長身の執事が、はっと我に返って振り向いた。
「失礼いたしました。ただ今おぎいたします」
「ハインリヒも座って、一緒にお茶しましょう」
 型破りなことを言ったせいか、ハインリヒの動きがピタリと止まる。使用人が貴族の茶席に着くなど、場合によってはクビにされても文句は言えない異常事態だ。無理もない反応ではあるが、それでいて笑顔を崩さぬままなのが、なんともハインリヒらしかった。
「非常識を承知で言うわ。そこに座って、お茶に付きあってちょうだい。あなたの身長で立っていられると、始終首を傾けなくてはいけないもの。肩が凝ってしまうわ」
 他の貴族令嬢の言葉であれば、脅し文句パワハラに聞こえかねない言い回しだろう。だがそこは変わり者令嬢ウリカ・フォン・シルヴァーベルヒである。屈託なく笑えば、不承不承でも納得してくれる者は多かった。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
 苦笑しながら対面の席へと腰を下ろす執事に、ウリカは満足げな笑みを浮かべる。
「ふふ、一度ハインリヒとゆっくりお話してみたかったのよね。だから嬉しいわ」
「ウリカ様が私に興味をお持ちとは、知りませんでした」
 一介の執事に、という謙遜なのか、他に別の意味があるのか……。ハインリヒの言葉には皮肉めいたものが潜んでいる――ウリカはそう直感した。
「あら。興味を持たれるのがそんなに不思議? だってハインリヒって、何でもそつなくこなして完璧なんだもの。苦手なことのひとつくらいないのかって、気になるじゃない」
「そんなに完璧に見えますか?」
「ええ。特に立振舞たちふるまいに隙がないのよね。ハインリヒって貴族の出身だったりする?」
 これはそれほど珍しいことでもなく、家督を継げない次男以降の貴族子弟が、家を出たあと執事の職に就くこともままある。マナーを心得ているし、貴族社会の勝手も分かっているから、教育が最小限で済んで利便性が高いという事情からだ。
「お察しの通り、私は貴族出身です。男爵家の嫡男として生まれました」
「えっ、嫡男?」
 ウリカの予想は半分当たって、半分外れだった。嫡男――跡取りだったはずの彼が、なぜ家督を継がずに執事などやっているのか。よほどの事情がなければ、そんなことにはならないはずだ。それだけに、軽率に立ち入ってよいものか判断に迷う。
 迷うが――
「詳しく……聞かせてもらってもいい?」
 好奇心旺盛なウリカが誘惑に勝てるはずもなかった。若干の躊躇ためらいを見せながらもそう尋ねると、ハインリヒはやさしい表情でふわりと笑った。それはウリカが初めて見る、とても柔らかい笑顔だった。
「不快な内容かもしれませんが、それでもよろしければ――」
 ウリカが黙ってうなずくと、ハインリヒは穏やかな表情を浮かべたまま、ゆっくりと語り始めた。

  ◇◆◇◆◇

 今から十年以上も前のことです。貴族領の西南地区にラートブルフという男爵が住んでいました。
 賭けごとを趣味としてもつ当主と、男遊びの絶えない男爵夫人。二人の間には息子と娘、二人の子供がいましたが、自らの欲望にしか興味のない両親は、子供たちに見向きもしませんでした。
 所有する領地は管理人に任せきりで足を運ぶこともなく、男爵は日毎賭けごとに耽り、夫人は自分を飾り立てることに躍起――最初のうちは人目を気にして遠慮がちだった二人の行動も、年月が経つにつれ少しずつ派手になっていきました。
 そして私が九歳になった年のことです。資産を使い潰した上に、大量に抱え込んだ借金で首が回らなくなった男爵は、家財や宝石などを売り払ってお金を工面しようとしましたが、それでも足りず、子供たちを人買いに売り渡そうと考えたのです。

  ◇◆◇◆◇

「ちょっ、ちょっと待って――売り渡そうとしたって……まさか、実の子を?」
 冒頭から、ずい分と破滅型の夫婦だな、と半ば呆れつつ聞いていたが、さらに信じられない内容に発展したため、思わず口を挟んでしまった。
 ハインリヒは変わらぬ表情のまま返答する。
「はい……見目と育ちの良い子供は、競売にかけると大変高く売れるそうです。あの男が目を輝かせながら、そう言っていたのをよく覚えています」
 一瞬、ハインリヒの瞳に殺気が走った。近衛騎士にも匹敵しようかという戦闘力を持つウリカだから気づいたが、ごく普通の令嬢ならば、その穏やかな笑顔に騙されていただろう。
 これは聞いてはいけない話だったかもしれない。そう失敗を悟ったが、今さらそんな後悔はなんの役にも立たない。
 ハインリヒはなぜこんな話を平然と語っていられるのだろうか。
「ラートブルフ男爵は、より高く売るには付加価値があるほうがいいと人から聞いたらしく、教育を施すと言って、まず手始めに、息子の服を無理やり脱がせようとしたのです。その瞬間、私の頭は怒りで一杯になり、気づけば無我夢中で、男爵の顔を殴りつけていました」
「九歳で大の大人を? すごい話ね……」
「私は将来に備えて、毎日欠かさず剣術の鍛練をしておりました。賭博三昧の不健康な生活で心身ともに弛みきった男を組み伏せるのは、難しくなかったのだと思います」
「思う?」
 まるで他人事のような言い方が少し気になった。
「頭に血が上っていたせいか、あまり細かいことは覚えていないのです。ただ……ふと我に返ったとき、男は右目を両手で押さえてうずくまっていました。化け物でも見たかのように奇声を上げる男の手と顔が血で汚れていて――生温なまぬるい感触を覚えて自分の手元を見下ろすと、その指は、血に塗れていたのです」
 これは確かに不快な内容だとウリカは思った。何がどう不快なのかは聞く者によって異なるだろうが……。
 そこからの経緯は、結果だけを見ればごく単純なものだ。状況を見かねた当時の伯爵であるエーリッヒが、ハインリヒの身柄を引きとった。
 ラートブルフ男爵は罪に問われて投獄され、その数日ののちに妻は自宅で自殺したと聞いている。父親が罪人として裁かれ、また、当時まだ成人前であったために、ハインリヒの傷害は不問に付され、問題なくベルツ家が引きとることを許された。
 ただ、その状況に持ち込むために、エーリッヒが奔走してくれたのを察するのみで、ラートブルフ男爵の罪状や今現在の生死を、ハインリヒは知らずにいる。
 若き執事から明かされた内容は、ウリカが想像した以上に重く、業の深いものだった。それを他人事のように話すのは、ハインリヒ自身が消し去りたい過去だと認識しているからに他ならない。
「ごめんなさい。好奇心だけで聞いていい話ではなかったわね」
 罪悪感に背中を押されて反省を口にすると、ハインリヒが首を振る。
「いえ、私のほうこそ、ご令嬢にお聞かせするような話ではありませんでした。ただ……私自身、誰かに聞いてほしいと思っていたのかもしれません」
 少し魔が差したようです、と言いながら、執事が立ち上がる。
「そろそろお時間のようです。馬車の準備が整っておりますので、お見送りいたします」
 ウリカが出かける時間に合わせて準備が整うよう手配済みであったらしい。相変わらず手抜かりのない仕事っぷりに感心してしまう。
「馬車までねだる気はなかったのに……ごめんなさい。先に言っておくべきだったわ」
 やんわりと断ろうとするが、ハインリヒはそれを承諾しなかった。
「ユリウス様から仰せつかっておりますので」
 なんだかんだ、あの従兄も過保護だ。ウリカは苦笑めいた吐息をもらす。
「そうね。それではお言葉に甘えるわ。断ったら、あなたがユリウスに怒られてしまうもの」
「恐れ入ります」
 冗談を言い合うような雰囲気のなかで、ウリカは長身の執事を見据えた。
「ひとつだけ、聞いてもいいかしら?」
「何なりと」
 ハインリヒは子爵令嬢の視線を正面から受け止める。
「どうしてユリウスに『いじわる』をしているの?」
 それだけはどうしても聞いてみたくなった。これは好奇心ではない。疑念を解消するためだ。
 ハインリヒが薄く笑みを浮かべる。
「ユリウス様は私に何かしらの隠し事をしていらっしゃいます。ですが、そんなことをしておきながら、後ろめたさを感じ、お一人で勝手に気まずくなっておられる」
「あなたはそれを怒っているの?」
「いいえ」
「?」
 不可解な返答に、思わず首をひねる。ハインリヒはくすりと笑って、とんでもないことを口にした。
「気まずそうにしながらも、私の様子を窺うように視線を送ってくる――そんな姿が可愛らしくてつい」
「は?」
 その回答は完全な予想の外から飛んできた。そのせいでつい素直な反応が口からもれる。
 済ました顔で言葉を続ける執事の口角がつり上がる。
「簡単に甘えさせてしまっては、勿体ないではありませんか」
 忌憚なく――告白をしたハインリヒの表情は、とても『いじわる』な雰囲気をかもしていた。
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