たかが子爵家

第三章 未成熟者たちの葛藤

Ⅰ 興味の矛先

　そこは妙な場所だった。
　錬金術師を名乗る男が『工房アトリエ』と呼ぶ部屋にジルケは来ていた。
　ただひたすら殺風景な室内。壁際に多数の棚が並んでいるだけで、中央にはだだっ広い空間が横たわっている。シンプルに過ぎるその部屋は、何のためにある場所かも分からない。
「調合の準備をするから手伝ってくれ」
　首をかしげるジルケには見向きもせず、砂色の髪の錬金術師は子爵令嬢に声をかける。
　この家を訪れたときから感じていたが、この男には貴族を敬う姿勢が見えない。ジルケの目にはそれがひどく異質なものとして映った。というのも、貴族とは建国王の血を継ぐ存在であり、その命は尊いものとされているからだ。恐縮する庶民は多い。
　異国の人間だからだろうか。他者とは違う肌感覚で行動しているようにも見える。
（いや、だとしてもだ……仮にもスポンサーの娘だという相手に対して、あんな態度で良いのか？）
　ジルケは胸中で独白した。
　このウィリアムという男の言動は、敬意を払うどころか横柄にすら見える。しかも特に肩肘を張るでもなく自然体だ。
（まあ、子爵令嬢のほうも大概だが）
　同時にそんなことも思った。変わり者の令嬢がいるという噂を耳にしたことがあるが、もしかしたら彼女がその当人なのかもしれない。いろいろ型破りすぎてビックリ箱みたいな令嬢である。
　面白いコンビだな、と変わり者師弟に興味を掻き立てられるジルケだった。
　そんなふうに一人でぼんやりと思考を巡らせている間に室内は様変わりしていた。
　壁を背にして立つ棚。そこに寄り添うように置かれていた縦長の白いテーブルが、まず中央に移動させられた。テーブルの片隅に何故か小さなクッションがひとつ鎮座しているのが目に入る。妙に印象に残った。
　さらにテーブルの周囲には円筒状の台のようなものがいくつか運ばれている。その大小はさまざまだ。
　錬金術師は白いテーブルのことを『作業台』と呼んでいた。縦幅が広く、貴族屋敷の晩餐用テーブルを連想させる。その周囲に侍はべるように円筒状の台のような何かがポツポツと並び、さらに壁際にあった棚もいくつか移動させられていた。それら全てにキャスターが付いており、人手がなくても運びやすいよう配慮がされているようだった。
　ジルケはあっけにとられて室内を眺める。
　先刻まで殺風景だったはずの部屋が、すっかり雑多な印象へと変わっていた。
　まったくもっておかしな空間だと思った。
　呆然とするジルケにはやはり目もくれず、錬金術師は円筒のひとつに手を伸ばす。円筒の頭の部分を両手で挟むように掴んで持ち上げると、その上部だけがパカッと外れた。台ではなく箱だったらしい。
　中からは鉄製と思われる何かが出てきた。ぱっと見はただの置物に見える。
「それは何だ？」
　作業台に置かれるそれを凝視しながら尋ねると、錬金術師はあからさまに面倒くさそうな表情かおをこちらに向けた。
　オブラートというものを知らない男だ。
「これは天秤よ」
　代わりにそう答えたのは子爵令嬢だった。
　さっそく師匠をフォローしようという姿勢が垣間見える。ウィリアムの言葉通り、気が利いているようだ。
「天秤？　私が知っているものとは違うようだが」
　棒の両端に皿を釣り下げた形のものなら見たことがある。商人がよく使う道具だ。だが目の前にあるこれは鉄の台座の上に二つの皿が乗った形のもので、こんなもので本当に物の重さが分かるのかと思ってしまう。
「糸でお皿を釣り下げてあるものが一般的だものね。私も初めて見たときは不思議に思ったわ。でもこれもこの板の真ん中を支点にしていて、釣り下げ式のものと原理は同じなんだそうよ」
「なるほど……だが重量があって持ち運びには向かないように見える。利点はあるのか？」
「お皿からはみだすような大きさの物でも釣紐つりひもが邪魔をしないから、錬金術の作業にはこのタイプのほうが向いているらしいわ」
　質問を重ねても即座に明瞭な回答を得られるのは気持ちがいい。好奇心を刺激されたジルケは、ずっと気になっていることを聞いてみることにした。
「そもそも錬金術とは何なのだ？」
「簡単に説明すると、物質に魔力干渉することによって、まったく違うアイテムに変えてしまう技術のことよ。例えば、牛乳に魔力を加えると、発酵期間なしでチーズに変えてしまえたりね」
「そんなことができるのか？　どんな原理なのだ？」
「全ての物質は元素というもので構成されていて、水なら水、鉄なら鉄、物質によって決まった元素属性と元素濃度というものがあるの。魔力干渉によってその属性や濃度を変換して、物質そのものを変えてしまうのが錬金術よ」
「属性というのは、魔術属性と同じものか？」
「そうよ。地、火、風、水の四属性」
　世界は基本の四属性で成り立っていると言われており、魔法もこの四属性に大別される。それは錬金術も変わらないということなのだろう。
「詳しいんだな。勉強したのか？」
　不意に感心したような口調で話に割り込んできたのは、傍観を決め込んでいた錬金術師だ。いつの間にか例の円筒型ボックスのひとつにクッションを敷いて座っている。作業台の隅に置かれていたクッションはこのためのものだったらしい。
「器材に関しては、先日ここで読ませてもらった本に書かれていたんですけど、それ以外は、魔術学の本に少しだけ載っていた記述を読んだだけです。家には錬金術について書かれた本がそれしかなくて……」
　奇妙なことを言うものだ。
　錬金術師の資金提供スポンサーなどという物好きなことに手を出しておきながら、その分野の書物をひとつも所持していないなど、あり得るのだろうか。投資をするからには、当然そのリスクについても考えなければいけない。リスク回避に知識は不可欠なものだ。
　とはいえ、自分が世間知らずな子供だということはジルケも自覚している。自分の考えが必ずしも正しいと言い張る自信はなかったから、この場では何も言わなかった。
　一方で、人生経験豊富そうな錬金術師は、さして気にした様子もなく会話を続けていく。
「そうか。なら錬金術の別名は知っているか？」
「えっと……元素を変換して新しいアイテムを生みだすから『変換技術』というのと、複数の物をかけ合わせて創るから『複合技術』とも呼ばれている……」
　記憶を掘り起こすような仕草で子爵令嬢が答える。
「違う」
　無情な否定が即座に飛んできた。無慈悲な男である。
「えっ？　間違ってました？」
「複合技術の意味が違う。科学技術と魔術という二つの技術を融合させた技術――だから、複合技術だ」
　説明を受けても不納得顔の令嬢に、錬金術師は、
「おそらく、その本の記述自体が間違っていたんだろう」
　と、フォローを飛ばし、続けてはこう言った。
「物事の本質を正しく捉えることは錬金術を行う上でとても大切なことだが、君はその点をよく理解しているようだな……覚え方に無駄がない」
「どういうことですか？」
　首をかしげる子爵令嬢に、錬金術師の男はやはり淡々とした口調で答える。
「教えられたことをただ暗記するのではなく、その意味や因果を考えることでより深く理解しようと努めている。自身で考え、理解したものはそう簡単には忘れない」
　ダメ出しをしたかと思えば、その直後には褒めるようなことを言う。この男の場合、アメとムチを使い分けているのではなく、ただ単純に本音を吐露しているだけなのだろう。しかもその本音は、相手を信頼してのものではなく、相手からの評価を気にしていないが故のものだと分かる。
　ジルケが育ってきた環境と真逆の性質を持っている。だからこの錬金術師の言動が新鮮に見えるのだ。
　そう気づいて、ジルケの胸は躍った。強い好奇の瞳めで錬金術師を見上げる。
　その視線に気づいた様子もなく、ウィリアムは作業を始めていた。ウリカに指示を飛ばしながら、慣れた手つきで進めていく。
　乾燥した葉っぱをすり潰してから水を数滴加え、そこに手を翳すと、ウィリアムは意識を集中させた。
　手首を中心にして青い円陣が浮かび上がり、それが半時計回りにゆっくりと動く。それと同時に器の中にある葉っぱの残骸が淡く青い光に包まれた。
　魔力を持たない者は魔法陣すら視認できないと聞くから、これを見ても何が起こっているか分からないことだろう。だがジルケには変化していく魔力の流れがはっきりと見えていた。
　先ほどウリカが魔力干渉によって元素属性やその濃度数値を変えるのだと説明してくれたが、その意味が分かる。
　今ウィリアムが行なっている魔力干渉は、属性は変えないまま濃度数値だけを変動させているようだった。
　程なくして魔力の流れが緩やかになり、青い光が消えると、そこにあった物の形が様変わりしていた。器の中にはいくつかの小さな玉のようなものが転がっている。形状や大きさは黒胡椒によく似ているが、その色は青い。
「これは何なのだ？」
　性懲りもなく質問を飛ばしてみる。ウィリアムにどれだけ邪険にされようとも、そんなことでジルケの好奇心は止まらない。
　だが予想に反して、錬金術師はすんなりと答えをくれた。
「これは『薬丸やくがん』と呼ばれる物だ。高い回復効果を持っていて、主おもに薬の材料として使う」
　言いながら器の中身をウリカに見せる。
　ああ、なるほど……とジルケは合点がいった。
　これから助手として働いてもらうことになる少女がより効率よく動けるように、その知識を深めておこうという腹なのだろう。ジルケは単なるおまけなのだ。
　その後、同じ工程を何度か繰り返したあと、ウィリアムは使っていた材料や機材を入れ替えた。
「これから調合作業に入るが、精製と違って集中力が必要になるから、質問などは控えるようにしてもらいたい」
　と、よく分からない説明をする。
「あの……ひとつ質問をしてもいいですか？」
　子爵令嬢が律儀に挙手しながら、質問の許可を求めた。
「何だ？」
「『調合』と『精製』の違いを教えてください。作業工程がどちらも同じように見えるんですけど」
　ジルケが抱いた疑問を代わりにぶつけてくれるものと期待したのだが、彼女から出た質問の内容もまた、ジルケにはよく分からなかった。しかし、ここで下手に口をさし挟んでも、却って面倒なことになるだけだろう。そう思って、おとなしく解説を待つことにした。
「物質に元素属性が存在することは、さっき君が説明していただろう？」
「はい。地、火、風、水の四大元素ですよね。この世のあらゆる物質は必ず四属性のいずれかの元素を有する、と本には書いてありました」
　錬金術師はひとつうなずくと、説明を続けた。
「ひとつのアイテムの元素濃度を変換して別のアイテムを作る場合、あるいは同じ元素属性の物をかけ合わせてアイテムを作る場合は『精製』と呼ぶ。これに対して違う属性の物をかけ合わせて作るのが『調合』だ」
　簡潔だが要点を得た解説は、ジルケに理解と納得をもたらした。
　錬金術には『精製』と『調合』という二つの作製方法があること。そして先ほどまでウィリアムが行なっていたのが『精製』だということだ。
「どうして呼び分けているんでしょうね？」
　それはごく何気ない呟きで、回答を期待してのものではなかったろう。だがちゃんと返答はあった。
「錬金術が行われるようになった当初は、属性の違う物を合わせるという概念がなかった。同じ属性の物同士でなければ、合わせることができないと思われていたからだ。ところがある時、一人の錬金術師がアイテムを精製しようとした際に、合わせるアイテムを間違えてしまった。そして、それによって出来あがったのは、まったく新しいアイテムだった。それは違う属性の物を間違えて合わせたために、事故的に偶然できてしまった物だったわけだが、発見当時は非常に珍しい事象だったため、わざわざ『調合ブレンドアイテム』という特殊な呼び方がされた。それがそのまま定着して『精製』と『調合』と呼び分けるようになったんだ」
　この男には似つかわしくもない丁寧な説明にジルケは訝しく思ったが、すぐに錬金術師が楽しげな表情を浮かべているのに気づいた。まるで令嬢の探究心に触発されたように瞳が輝いて見える。
「つまり、調合ブレンドアイテムは偶然の産物だったんですか？」
「そうだな……しかし、そうした失敗や間違いが新しい発見を生む。そういうことは、案外当たり前のように存在しているものだ」
「奥が深いんですね……」
　感心したような声で感想をもらす令嬢を前に、ウィリアムの口元がわずかながら緩んでいる。しかしウリカに向けた眼差しはどこか寂しげな印象があり、奇妙なちぐはぐさを感じさせた。
　なんとなく蚊帳の外に置かれた気分のジルケは、二人がまとう空気を壊してはいけないような気がして、そっと場所を移動する。
　部屋の入り口付近まで移動したあと、そのそばにある本棚を覗くと、錬金術に関する本がたくさん並んでいた。そのひとつを手にとって開く。
　以降はここの本を読み耽って時間を潰すことに決めた。そうすれば自分の興味を埋められ、錬金術師たちの邪魔もしなくて済む。
　それが錬金術に魅入られる第一歩になることなど、このときのジルケは予想もしていなかった。