たかが子爵家

鈴原みこと

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第二章 街外れの錬金術師

Ⅴ 錬金術師への反論

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 アルフレートが自室で憂鬱のため息を吐きだしていたころ、噂の絶えない変わり者令嬢ウリカは、朝方に知りあったばかりの少女を伴ってウィリアム邸を訪れていた。
 家を出てきてから、すでに二時間以上が過ぎてしまっている。
 今日は馬を飛ばしてきたから、本来なら三十分ほどで辿り着けるはずだった。しかし途中で思わぬ拾いものをしたために、これだけ遅れる結果になってしまったのである。
 ウリカとしては、先刻の騒動のあとすぐにでもウィリアム邸に向かいたかった。しかしそう考えた矢先に、ジルケ嬢から空腹の訴えがあったのだ。
 しかもこのお嬢さんは、一銭も持っていないから奢ってくれ、と仰せになった。
 親の教育はどうなっているのだろう?
 先日ウィリアムに同様の感想を持たれたとは、夢にも思わないウリカである。
 ともあれ、不本意ながらも少女に食事を与えることを優先せねばならなかった。前回に続いてまたウィリアムに食事をたかる、というのは、さすがにはばかられる。
 朝早い時間で料理を提供しているのは宿屋くらいしかなく、そこに連れて行ったのだが……。
 食堂に入るなり、「食事の前に手を洗いたい」と言いだしたかと思うと、今度はメニューを見て、「品数が少ない」と文句を言う始末。
「貴族街じゃあるまいし、そんな贅沢はできません」と説得するのに余計な時間を割かれ、結果的にその食堂で二の鐘午前九時の報が鳴り響く音を聞くハメになってしまったのだ。
 どうしてこうなった?
 そんな疑問を胸中に投げかけながらウィリアム邸の呼び鈴を鳴らしたウリカは、出迎えたウィリアムに笑えない冗談を浴びせられることになる。
「君の子か?」
 もちろんジルケを見ての感想だ。
「そう見えるなら、あなたの目は節穴ですね」
 不機嫌に唇を尖らせたウリカの返答に続くように、ジルケが言葉を重ねる。
「年齢差を考えればあり得ないと分かるだろうに、この男は頭が悪いのか?」
 しかし、そんな少女たちの猛攻もウィリアムには通用しなかった。
「これは失礼した。まだ冗談ジョークを笑顔でかわせるほど大人ではなかったな」
 ニヤリと笑って嫌味を返されてしまった。
「それで……その子は誰なんだ? 親戚か?」
「いえ、残念ながら、赤の他人です……諸事情があって連れてくることになってしまいまして……」
 そう説明すると案の定、呆れた顔をされてしまった。
「好奇心旺盛な令嬢だとは思っていたが、トラブルを拾う趣味まであるとは知らなかった」
「ありませんよ、そんな趣味。どんな変人ですか、それ」
 またも冗談ジョークでからかわれていると分かっていながら、むきになって反論してしまった。
 ウィリアムの笑顔が憎たらしい。
「詳細は中でゆっくり聞くことにしよう。とりあえず入りなさい」
 そう促すウィリアムをウリカは恨みがましく睨みつけた。
 最初からおとなしくそうしてくれればいいものを、なぜ冗談ジョークでからかう必要があるのか。大人は時に不可解で理不尽だ。
 憤りを抑えながら、ジルケとともにウィリアム邸の玄関を潜るのだった。


 この日はまず客間サロンに案内された。
 工房アトリエと違って、こちらの部屋はそれなりの飾りつけがなされている。ダマスク柄の壁紙は淡い空色で、床には青藍せいらんの絨毯が敷かれている。さらに窓にかかるカーテンは落ち着いた青藤の色、と全体的に青系で統一されていた。
 この部屋は普段ウィリアムが休憩用として使っているらしい。ということは、青系の色が好きなのかもしれない。
 小規模ながら本棚が設置されているのが目に入る。
 工房アトリエには研究書や解説書など、錬金術に関する実用的な本が多かったのに対して、こちらはほとんどが小説の類いだった。仕事と趣味ではっきりと切り替えるタイプなのかもしれない。
 他に大きな違いがあるとすれば、目につく『物』の量だ。工房アトリエと違い、こちらの部屋は物がきちんと整頓されているようで、とてもきれいな印象だった。そういえば台所キッチン食堂ダイニングも整理整頓が行き届いていたな、と思いだす。
 つまり本質的にはきれい好きなのだろう。
 もしかしたら乱雑な印象を受ける工房アトリエも、何かしらの理由があって散らかって見えるだけなのかもしれない。
「なるほど。状況はだいたい理解した」
 ウリカから詳細を聞き終えたウィリアムが、納得したようにうなずく。
 少女二人とウィリアムはテーブルを挟んで向かいあっていた。少女たちは二人掛けのソファーに並んで座っているのに対して、ウィリアムはその対面にある一人掛けソファーの背もたれに腰かけるような格好で、大変お行儀が悪い。だがその姿がサマになっていて、少しかっこよく見えてしまうところがちょっとズルい、とも思った。
「仕事の邪魔にさえならなければ、ここにいてもらって構わない。何なら、昼食の面倒もみよう。お嬢さま方の口に合うかは保証しかねるがな」
 一言多い言い草が相変わらずとはいえ、寛大な対応に、ウリカはホッと息をつく。
「ありがとうございます」
 礼を言ってから、お茶で喉を潤す。説明のためにしゃべり通しだったから、喉がカラカラだ。その分、紅茶がより一層おいしく感じられる。
 ちなみにウィリアムの手には、ティーカップとは少し形状の異なる取っ手が付いた円筒状の入れ物が握られており、独特の香りを漂わせる黒色の飲み物が入っていた。ウィリアムの故郷で主流となっている『コーヒー』という飲料らしい。ウリカが興味津々で味見を所望したが、聞き届けてはもらえなかった。子供にはまだ早い、だそうだ。
「それじゃあ、そろそろ本題に入ろうか」
 ウィリアムはそう言うと、コップをテーブルに置いて、ソファーに座り直した。そして、砂色の瞳でウリカを見据える。
 そうだ。ウリカが今日ここに来たのは、先日保留してもらった『宿題』の回答を伝えるとともに、自分の主張を聞いてもらうためだった。
 ウリカはティーカップをテーブルに置いて、ウィリアムと視線を合わせる。試験を受けるような心持ちで、自然と背筋が伸びた。
「あなたは錬金術を続けていく上で最も大切な素質は根気だ、と言いました。そして私の飽きっぽさを理由に、向いていないと判断した」
 まずは『宿題』の答え合わせだ。それに合格しなければ、話を聞いてもらうことすらできない。
「私の飽きっぽさを指摘したときの言い分は『何をやっても適度にこなせてしまうから、興味が離れるのも早い』というものでした。その一方で、錬金術に根気が必要な理由を『錬金術は実験と失敗の繰り返しだから、根気がないと続かない』と説明した……この二つの言葉には矛盾むじゅんがあります」
「ほう……」
 興味深そうにウィリアムは目を細める。
 当然、彼はウリカの指摘した矛盾に気づいていたはずだ。でなければ「正しく反論」などという言葉は出てこない。
 それを「意地悪だ」とは思わない。この程度の反論もできないようでは、錬金術を学ぶことなど論外だ――それが錬金術師の言い分であるとウリカも分かっている。
 いわばこれは試金石。軽く越えて見せなければ、ウィリアムの関心を買うことはできないだろう。
 だがウリカに気負いはなかった。
「実験と失敗を繰り返す、ということは、『適度にこなせるもの』ではないことを意味します。つまりそれ自体は、興味が離れる理由にはなり得ないはずです。そして、仮にですが、簡単にこなせてしまうほどの才能があるなら、失敗を繰り返すことはないのだから、根気という要素は必要ないものになる」
 目の前の錬金術師が小さく笑う。
 どこか楽しそうでもあり、苦笑しているようでもあり、それでいて、ウリカを見据える砂色の瞳はめた印象を持っていた。
「残念だよ……」
 ウィリアムは静かに口を開いた。
「不正解なら、ここで君を追い返せたんだがな」
 本気なのか冗談なのか分からない口調で、そんなことを言う。
 実際、半々なのかもしれない。期待通りの回答が得られた満足感と、面倒事が延長された煩わしさが同居した末の感情。その表れではないだろうか。
 その上で瞳の色がめて見えるのは、解いて当然の問題だと主張しているようでもあった。
 実のところ、ウリカもこの答えにはすぐに辿り着いた。それこそ、先日ウィリアム邸を立ち去るときには回答を持っていたのである。
 なぜあのとき言わなかったのかというと、それだけではウィリアムを説得できないと分かっていたからだ。
 だからこの回答を告げること自体に気負いはなかった。
「約束したからな……君の主張を聞こう」
 錬金術師から笑みの成分が消える。
 そう。ここからが本当の意味での試練なのだ。ウリカは両拳を握りしめて、ウィリアムに挑むような視線を向けた。
「正直に言うと、自分がどうして錬金術を学びたいのか、私自身にもよく分かっていません」
 ウリカの言葉に、ウィリアムだけではなく、ウリカの隣で紅茶を楽しんでいたジルケも驚いたように眉をひそめた。
 ネガティブな情報を第一声で出したのだから、当然といえば当然だろう。だがここで隠しておいたところで、どのみち追及を免れない部分でもある。指摘されてから答えるのでは、言い訳がましく聞こえてしまう恐れもある。だから先手を打った。
 ウィリアムから疑問なり突っ込みなり飛んでくるかと思ったが、わずかに眉をひそめたまま目を伏せるだけで、これといったリアクションはなかった。
 なんとなく違和感を覚えながらも、ウリカは話を続ける。
「昔、まだ小さかった頃に、誰かと約束をした記憶があるんです。錬金術で助けたい人がいて……約束をした相手のことも、助けたいと思った人のことも、ちゃんと覚えてはいないんですけど、とても大切な約束だったことだけは覚えていて……」
 ひどく曖昧な理由は説得力に欠けると自分でも思うが、下手な理屈やウソは多分ウィリアムに通用しない。実のところ、今のウリカに使える武器は『誠実さ』しかないのである。だからこそ、それを最大限活用する必要があった。
「もしかしたら、その頃に抱いた憧憬にただ引きずられているだけで、そこに私の主義主張はないのかもしれない。それでも、抗えないんです。錬金術をやりたいという強い思いに、どうしても突き動かされる」
 ウリカはふうっと、深く息を吐きだして続ける。
「これと同じ感情を知っています」
 ウィリアムの視線がちらりと動く。少女が腰にいた長剣の姿を捉えていた。
「剣術か?」
「はい。剣術だけは、誰にどれだけ否定されても、やめる気にはなれなかった唯一のものです。それと同じなんです。漠然と『やってみたい』と思っただけの他のものとは違う。どうしても『やりたい』という抑えの利かない衝動が、錬金術に対してもある……だから、ウィリアムさんには申し訳ないけど、諦めるのは無理です」
 一気呵成に、直情的に自分の主張をぶつけて、ウリカは口を閉じる。
 室内にしばしの沈黙が落ちた。
 ウリカは言いたいことを言い切ったが、ウィリアムからの反応はない。ジルケは一人もくもくとお茶菓子を頂いている。
 妙な静けさが数秒続いたあと、ウィリアムの口から息がもれた。
「ふっ、くくく……」
 一瞬何事かと思ったが、堪えきれない感情がもれたかのように、その声は高くなっていく。
「ははは、ははははっ……!」
 笑っていた。これまで澄ましたような表情しか見せなかった男が、どうやら全力で笑っている。
 少女たちはキョトンとしたまま、その様子を見守った。
 やがて笑いがおさまると、ウィリアムは興味深そうに目を細める。
「下手な理屈をこねまわしてくるようなら正論で叩きのめしてやろうと思っていたが、驚くほどの直球でくるとは……しかも、計算した上での直球勝負だろう?」
 ぎくり。
 鼓動がわずかに跳ね上がるのを感じた。
 計算した上で誠実さを全面に押しだす、という矛盾した行為をこれほど容易に見破られるとは正直予想していなかったのだ。
 とっさに誤魔化しの言葉を探すが、焦りを帯びた思考回路では、どんなに脳細胞を全力フル回転させても何も浮かんではこない。
 しかし、戸惑ったまま反応し損ねているウリカには構わず、ウィリアムは思わぬことを口にした。
「さすがはステファン卿の子だ。血は争えないということか」
 予想だにしない人物の名を聞かされて、ウリカは一拍ほど反応が遅れた。
「父を知っているんですか?」
「ステファン卿は俺のスポンサーだからな」
 と、ウィリアムは驚きにさらなる驚きを重ねてくる。
 だが考えてみれば、これだけ立派な一軒家に数々の器具。資金提供者がいるのは不思議なことではない。加えて、この国でまだまだ未知といえる錬金術に手を出そうとする貴族など、そう多くはなかろう。
 ウリカが変わり者令嬢でいられるのは、父親であるステファンがそれを許しているからだ。その父が、錬金術師の援助なんていう変わったことに手を出していても、驚くに値しない。
 ウリカは妙に納得させられてしまった。
「怒るか? 黙っていたこと」
 不意にそんなことを聞かれて、はっとする。
 そうだ。父であるステファンが資金提供者スポンサーだというなら、それを盾にウィリアムを脅すこともできたのだ。確かに、黙っていたことを「フェアじゃない」と怒る令嬢もいるかもしれない。
 ウリカはふっと息を吐きだして笑う。
「いえ。知っていたとしても、父の威を借りる選択肢はありえませんでしたから」
 きっぱりと否定すると、ウィリアムが笑った。
「そうか」
 初めて見せる優しい笑顔だった。
 ウリカはその表情に、既視感めいたものを覚える。いつかどこかで見たことがあるような、懐かしい感覚にとらわれたのだ。
 だが、その正体が何かを考える間もなく、ウィリアムが話を切りだしてきた。
「俺は今、手が放せない研究をひとつ抱えている。だから本格的な事を教えてやれる余裕はない」
 錬金術師のこの言葉は、ウリカにとって色い返答では無論ない。しかし研究者というものが、ときに寝る間も惜しんで研究にいそしむ悪癖持ちだと知っているから、この手の反応は予想していた。
 だからウリカは、ウィリアムの主張を悲観的に捉えたりはしなかった。
「では、私のことを雑用に使ってください」
 逆にそんな提案をすると、ウィリアムが目を丸くする。さすがにこの申し出は予想外だったのだろう。
「掃除、洗濯、買い物。何でもやりますよ。その分、ウィリアムさんは研究に集中してください」
「君はそれでいいのか?」
「いいですよ。ウィリアムさんの手が空くまでただ待っているより、そのほうが効率的ですし、雑用から学べる事だって、たくさんあるんですから」
 様々なものに見境なく手を出してきたウリカだからこその意見だったろう。
 それを自然体で言い放って無邪気に笑う少女を前に、ウィリアムは毒気を抜かれたような笑みを浮かべた。
「分かったよ、俺の負けだ。そういうことなら、今日から手伝ってもらうことにしよう。君は気が利くようだから、足手まといの心配もなさそうだしな」
 そう言いながら椅子から立ち上がるウィリアムを見上げて、ウリカは首をかしげる。
「私、ここに来てから気を利かせたことなんてありましたっけ?」
「先日、食事後の食器を洗ってくれただろ」
「いやいや……食事をたかってしまった手前もあるし、自分で使った食器を片づけるなんて、当たり前のことじゃないですか」
 そのついでにウィリアムが使った分も洗いはしたが、それは大した手間ではない。「気が利いている」などとは、過大評価もいいところだ。
 だがウィリアムの言い分は違った。
「それを『当たり前』だと言えるところが、君が変わり者扱いされる所以ゆえんだな」
「どういう意味ですか?」
 物問いたげな視線を送ると、青年錬金術師が不敵さを取り戻したようにニヤリと笑った。
「貴族の坊っちゃん嬢ちゃんにとっては、自分で片付けるなんて恥でしかない。それは貧乏貴族という証だからな。雑用を使用人に任せられるのは、貴族や大商家のみに許された贅沢で、それが彼らにとっての矜持でもある。自ら雑事を行うことを『当然のこと』などと言えてしまう貴族令嬢は普通ではない、ということだ」
「もしかして、私を貶してます?」
「逆だよ。むしろ常識に縛られないタイプのほうが、錬金術には向いてる」
 予想外の返答に、今度はウリカが目を丸くする番だった。
 ウィリアムは驚きで呆然とする少女を尻目に、上体をかがめてテーブルに置いてある自分のコップを手に取った。そしてそのまま少女へと差しだす。
「飲んでみるか?」
 尋ねるその口調は柔らかく、表情は穏やかで、地味ながらも整った顔立ちが際立って見えた。
(普通にしてたらモテるんだろうな、この人……)
 今さらながらに、そんなことを思う。
 惰性のように流れていく思考はともかくとして、ずっと気になっていた未知の飲み物を試せる機会チャンスという魅惑に、ウリカは抗えなかった。
 コクコクと自動人形のように首を上下させてコップを受けとる。黒色の液体はすっかり冷めていたが、鼻先を近づけると、独特の芳香は残っていた。
 もしかしたらほんの少しは認めてもらえたのかもしれない。そんな期待とともに、コクリとコーヒーを口に含んで飲み下す。
 次の瞬間、微かな苦味と強烈な酸味が舌の上を滑っていき、ウリカの背筋がゾワリと泡立った。残留する後味に顔をしかめながら、慌てて自分のカップに残っている紅茶を飲み干すと、涙目でウィリアムを見上げる。
 錬金術師は、人を食ったような笑顔を浮かべていた。
「冷めるとマズいんだよ、それ」
 どうやら認めてもらえたような気がしたのは幻想だったようだ。
 意地悪な錬金術師を睨みつけながら、この人が優しい笑顔を見せたときは信じないようにしよう、と固く心に誓うウリカだった。
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