たかが子爵家

鈴原みこと

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第二章 街外れの錬金術師

Ⅰ 錬金術師の素質

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 王都ドルトハイムはミッテルラント大陸の中央に位置している。その北には皇城おうじょうがそびえ立ち、南には階級を持たない人々が暮らす市民街や畑などが広がっている。市民街の東端に茂る雑木林の奥に、ウィリアムの工房アトリエはあった。
 めったに人が立ち入らない場所。ひとり静かに落ち着いて研究にいそしめる場所。錬金術を愛するウィリアムにとっては聖域ともいえるその場所に、今は一人の客人がいた。
 こんな街の外れまで、身ひとつでやってきた変わり者令嬢ウリカ。
 とりあえず家にれたのはいいが、まず真っ先に案内することになったのは食堂ダイニングだった。お茶でも淹れようかと思った瞬間、彼女の胃袋が空腹を訴えて鳴いたからである。
 夜明けとともに家を抜けだしてきたから朝食を食べてない、とかなんとか、特に恥じ入るでもなく言っていた気がするが、深入りしたくなかったから、詳細は聞いていない。
 それはともかく、ウィリアム自身も朝食をとり忘れていたのを思いだしたため、丁度いいか、と二人分の食事を用意することにしたのだ。
 スクランブルエッグとウインナーを焼いて、スライスしたチーズとトマトを添える。それを皿二つ分と、昨夜の残り物のスープを温め直してテーブルに運ぶ。さらに向かい合わせて座る二人の中央にパンの入ったかごを置き、簡易朝食のでき上がりだ。
 特に何を言うでもなく席に着いて食べ始めると、少女もそれに倣った。
 食事中に弟子入りの主張や錬金術への質問が飛んでこないか、という懸念が多少はあったが、幸いにも食事の間はおとなしかった。押しかけてきた上に食事までねだることになって、さすがに遠慮を感じたのかもしれない。
 先に食べ終わったウィリアムは、これ幸いにと、食後の片付けもそこそこに食堂ダイニングを出て、一人で工房アトリエに戻った。
 部屋に入ると、研究ノートといくつもの資料が散乱している光景が目に入る。そういえば考えが煮詰まって立ち往生していた最中さなかだったなと思いだす。
 ウィリアムは散乱するそれらを一箇所にまとめて、手近な本棚に押し込めた。
 研究ノートのことはひとまず置いておくことにして、必要な調合を今のうちにやってしまおうと準備を始める。
 工房アトリエは、本来なら居間リビングだった部屋だ。三〇平米ほどの広さがあり、陽当たりが良い。
 飾り気がない――というよりは、飾る気のない室内。机や椅子は一切なく、代わりに作業台や多数の棚が置かれている。
 キャスター付きの作業台を部屋の中心に移動させて、その周囲にこれから調合で使う機材や材料を運ぶ。こうしておけば、調合中はその場から動く必要がなく、作業にも集中しやすくなる。
 ひと通りの準備を済ませると、さっそく作業を開始した。
 食事を終えた少女が工房アトリエに入ってきたのは、予定の八割ほどまで調合を終えたころだった。そしてそこから、ウィリアムにとって苦悩の時間が始まった。
 工房アトリエに入ってすぐ、ウリカは目を輝かせた。普段ほとんど目にする機会のないものが、この部屋にはあふれている。彼女の気持ちは分からないでもない。そわそわと工房アトリエをうろつき始めた少女が、好奇心に駆られて質問を飛ばしてくるまでにそれほど時間はかからなかった。
「ウィリアムさん、これは何ですか?」
「それは天秤。材料やアイテムを正確に量るための道具」
「これは?」
「それはすり鉢。固形の物を粉状にするために使うものだ」
「こちらのものは?」
「それは元素測定剤。アイテムが含有する元素の属性と濃度数値を測定するときに使う。元素測定器とセットで使うものだ」
「元素測定器?」
「そっちの棚に置いてある黒い秤のことだ」
「へえ~……それじゃ、これは?」
「……いい加減にしてくれ。さっきから調合がさっぱり進まない」
 ウリカは次から次へと未知の道具やアイテムを発見するらしい。いつまでたっても質問が止まらない。
「それは何ですか?」
 と、今度はウィリアムの手元を覗き込みながら尋ねてくる。鮮やかに色づいた丸い球がそこにはあった。
「ああ……これは元素玉だ。錬金術では必須の材料だよ。これに込められてる魔力が元素の還元・分離を促して、新しいアイテムとして構築し直す……」
 途中まで真剣に説明しかけて、ふと我に返る。
「君、いつまでいるつもりなんだ?」
 聞かれると思わず答えてしまうのは悪い癖だ。自分自身の知識欲が旺盛なせいか、勉強熱心に聞かれるとつい応じてしまう。
「弟子にしてもらえるまで、帰るつもりはありません」
「言ったろう。君には向いていないって」
「どうしてですか?」
 不服そうな表情で少女は正座する。妙なところで行儀がいいな、と変な感想を抱いてしまった。
 覚悟していたことではあるが、やはりお茶を出しただけでは帰ってくれないらしい。
 ひとつ大げさに息を吐きだして、ウィリアムは少女を見下ろした。
「君は文武に秀でているらしいね。今朝見せられた剣もそうだし、学校でも、理解が早いと評判だそうだな」
「それに関しては、家にある本で、ある程度の基礎は身についているので、特に褒められるようなことではないですけど……あ、でも、他の子に教えるのが上手だって言ってもらえたことはあります」
 彼女の言葉に少し気になる部分があったが、話を脱線させるとややこしくなりそうなので、今は触れないでおく。
「君は大抵のことは器用にこなせてしまう。そして好奇心が強い。それ自体は悪いことじゃないが、何をやっても適度にこなせてしまうから、興味が離れるのも早い」
 反論を封じられたように、少女は言葉に詰まる。
「俺は中途半端な興味だけで、続けられもしない錬金術に手を出してもらいたくはない」
「でも私は、好奇心だけで錬金術を学びたいと思っているわけじゃないです」
「問題はそれだけじゃない」
 言葉の続きを聞くのが嫌で、ウィリアムは少女の主張を遮った。
「錬金術を学ぶにあたって、才能や知識は不可欠なものだ。研究を続けていくためには好奇心もないと困る。でも、それ以上に大切な素質ことがある」
「私にはそれが決定的に欠けていると、ウィリアムさんは考えているんですね」
 思った通り、彼女の思考力は鈍くない。
「錬金術の研究を続けていく上で最も重要なもの――それは、根気だ」
 ウリカがぎくりとした表情を見せる。何を指摘されるか、予想がついたのだろう。話が早くて助かる。
「錬金術で新しい物を創るというのは、実験と失敗の繰り返しだ。失敗から多くのことを学びとれるのが錬金術。つまりそれだけ失敗する覚悟が必要になる。だから、根気がないと続かない。君のようにすぐに興味が他へ移ってしまう人間に、錬金術師の道が向いているとは思えない」
 ウィリアムの言葉には実は矛盾がある。だからこれは詭弁だ。しかし、そのことに自力で気づけない人間なら、やはり錬金術を学ぶのは厳しいだろう。
「これに反論して俺を納得させられない限り、錬金術を教えてやることはできない」
 言いたいことだけ言って、調合作業に戻る。だが、少し甘かったかな、という思いが脳裏をかすめる。大きなヒントと希望を与えてしまった気がしてならない。厄介事の種を自ら蒔いてしまった可能性がありはしないか……。
 だがこの少女に対して、どうしても冷淡になりきれない感情りゆうがあった。
 ウリカは黙り込んで、何かを考えている様子だった。
 そのまま場は静かになる。
 ウィリアムは少女を追いだしはしないものの、その存在を完全に無視するように作業に没頭した。


 四の鐘午後三時の報が鳴ろうかという頃、呼び鈴の音が室内に響いた。
 作業の手を止めて玄関へ向かうと、そこには見慣れぬ青年の姿があった。
 ウィリアムでも見上げなければならないほど背が高い。暗緑色あんりょくしょくの頭髪に琥珀色こはくいろの瞳。どこかで見たことがあるような、不思議な感覚にとらわれる。
 ウィリアムが首をかしげるのを見て、青年は口を開いた。
「失礼。ユリウス・フォン・ベルツという者だが、こちらにシルヴァーベルヒ子爵令嬢がお邪魔していないだろうか」
 これは驚いた。いま巷で噂のベルツ伯爵ではないか。
 十五歳で士官学校を卒業して最年少記録を塗り替えた人物だ。しかも次席卒業というおまけつきである。さらにその翌年には第一皇子の首席近衛騎士に就任。眉目秀麗な容姿も手伝って女性人気が高く、市井しせいでも噂の飛びかう、いわば『時の人』である。
「名高きベルツ伯爵がこんな場所までお越しとは……失礼だが、ウリカ嬢とはどういった関係かな?」
 好奇心もあるが、安全上の観点からも一応確認しておく必要がある。見知らぬ男にほいほいと少女の身柄を預けるのは、無責任な気がしたからだ。
 ベルツ伯は少し驚いたような表情を見せたが、それも一瞬のことだった。ウィリアムが貴族相手に敬語を使わなかったせいだろう。だが特に不快な様子も示さず、彼は質問に答える。
「従兄妹で幼馴染みだ。父親が友人同士だったのもあって、昔から家ぐるみで交流が多い。彼女の父親に頼まれて迎えにきた」
 過不足のない説明は、『それ以上でも以下でもない』とでも言いたげな雰囲気をかもしていた。
 ともあれ、取り次いで問題はなさそうだ。
「分かった。少し待っていてくれ」
 ウィリアムが工房アトリエに戻ると、少女は一人で錬金術の本を読み漁っていた。
 悩み飽きたからなのか、考えが煮詰まって一時的な逃避行動に走ったのか……。何にせよ、奔放な娘であることは間違いない。
「従兄殿が迎えに来たぞ」
 声をかけると、ウリカがはっと顔を上げた。そして、怪訝な表情で首をかしげる。
「ユリウスが?」
 子爵令嬢でありながら伯爵の名を呼び捨てにしているところに、二人の親しい関係性が表れている。しかしこの違和感は何だろうか。少女は心の底から不思議そうな顔をしていた。
「従兄妹で幼馴染みなんだろ? 仲良いんじゃないのか?」
「う~ん……どうなんでしょうね。普通くらいじゃないかと……」
 少女からは無関心な空気が漂ってくる。先刻のベルツ伯爵の言動と似た印象だ。
 なんとなく、二人の距離感が分かった気がする。
 ウリカはいかにも面倒くさそうに、渋々といったていで玄関へと向かった。
「なんでユリウスが迎えに来るの?」
 従兄と顔を合わせた直後、彼女の開口一番がそれだった。しかしベルツ伯爵は気にした様子もなく言葉を返す。
「ステファンきょうに頼まれたんだよ。それよりお前、今日が見合いの日だって忘れてただろ」
「え? 見合い……」
 眉根を寄せてしばし考え、はっとする。
「あっ!」
 少女の顔が一瞬で青ざめた。
 見合いがあるのをうっかりころりと忘れて、ここへ来てしまった――普通に考えれば信じ難いことだが、それがこの子爵令嬢にとって日常茶飯事であるのだと、従兄の表情が物語っている。呆れというよりは憐れみに近い表情を浮かべているのが、ウィリアムにはなんだか印象的だった。
「どうしよう……ウィリアムさんのことを聞いたら、どうしても会ってみたくなって、お見合いのことなんてすっかり……あれ? でも昨晩ウィリアムさんここのことを教えてくれたのは、お父様だったんだけど……?」
 ベルツ伯爵がそっと視線を外す。
 何があったのかは知らないが、シルヴァーベルヒ家の腹黒当主が何かしらの画策をしたらしい、ということだけは、ウィリアムにも分かった。
 伯爵は小さく吐息したあと、従妹に呆れ顔を向けた。
「もう少し落ち着いて行動したほうがいいんじゃないか?」
「余計なお世話よ」
 ウリカ嬢が不機嫌顔でそっぽを向く。
 少女の言動が急に幼くなったような気がするが、冷静に考えたら逆なのだろう。年相応になっただけだ。
 貴族社会は年若い頃から大人であることを求められる。普段外向きに見せている姿は、貴族社会で生きていくために身につけた虚勢なのだ。その仮面を目の前の青年が剥ぎとっている。そう見えた。
 なかなか興味深い。二人の様子を観察しながら、ウィリアムは無責任な感想を抱く。
「そんなことより、私の質問に微妙に答えていないわ!」
 ウリカ嬢は気をとり直したように従兄に向きあうと、そう文句を言った。
「お父様に頼まれたからって、わざわざユリウスが来る必要あった? ジークにでも任せちゃえばいいじゃない」
「お前は弟を何だと思ってるんだ。振り回されるジークが可哀想だろう」
「ユリウスはいっつもジークに甘い!」
「話がズレてる」
 またしても不毛な言い争いに発展しそうだったから、思わず横槍を入れてしまった。
「そう! 話がズレてる」
 ズラした本人が乗ってきた。
「お前が余計なことを言うからだろう」
 ベルツ伯のため息まじりの指摘が、しくもウィリアムの脳内ツッコミと一致する。
「わざわざ俺が来たのは、母上がウーリに会いたがっているからだ。そのためにステファン卿から許可ももらってきた」
「えっ? カタリーナ様が戻ってきてるの?」
 途端に少女の目の色が変わった。どうやら従兄よりもその母親とのほうが、仲は良好であるらしい。
「そういうことなら早く行……」
 状況を忘れたように元気よく出て行きかけて、直後に彼女ははっとする。そして、ぎこちない動きで首を回し、ウィリアムに視線を向けた。
 どうやら本当に一瞬だけ状況を忘れかけたらしい。確かに落ち着きが足りないかもしれない。
「あの……」
 遠慮がちに声をかけられる。その姿が妙にしおらしく見えた。
「迷惑をかけているのは分かってます。まだ、ウィリアムさんに言われた『反論』の答えも分かりません……でも、どうしても諦めたくなくて……」
 ウリカとてかなり強引に家に上がり込んだという自覚はあった。そのせいで、次は入れてもらえないかもしれない。そう思うのは当然だ。
 先ほどまでの元気が嘘のように沈んだ表情を浮かべる少女を砂色の瞳に映して、錬金術師は皮肉げな感情を閃かせる。
 彼女は『常識知らずの変わり者令嬢』だと一部で囁かれているが、噂話というもののなんと当てにならないことか。所詮それが表面上の一部分を言い当てるものでしかないことを、ウィリアムは確認したのである。
 しかし、それはそれとして、どうしたものかと視線をさ迷わせたとき、ベルツ伯と目が合った。
 伯爵は困り顔で言った。
「こんなしょげ返った状態で返却されても困るんだが」
「いや……俺に言われても……」
 ずい分と無責任にものを言ってくれるな、と思ったが、伯爵の言い分には続きがあった。
「突飛な行動は多いが、よほどのことがない限り、他人に迷惑をかけるようなことはしないはずだ。少し前向きに考えてやってもらえないだろうか」
 幼馴染みをフォローしよう、という感じではなく、ただ端的に事実を述べているだけという雰囲気だ。それだけに妙な説得力があった。
 ウィリアムはひとつ息を吐く。
「宿題にしておこう」
「え?」
 少女が不意を突かれたように、きょとんとした視線をこちらに向ける。
「『反論』が見つかったら、また来なさい。その答えが納得のいくものだったら、君の話もちゃんと聞こう」
 一瞬で、ウリカに明るい表情が戻った。豊かな表情筋だ。特技は百面相だろうか。
「はい! 必ず答えを見つけてみせます」
 嬉しそうに答えたウリカ嬢は、今度こそ元気にウィリアム邸を出るのだった。
 ひとまず状況に満足して帰っていく二人を見送ったあと、空腹を思いだして台所キッチンに移動したウィリアムは、朝食の食器がきれいに片付けられているのを発見することになる。
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