たかが子爵家

鈴原みこと

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第一章 シルヴァーベルヒ

Ⅴ 貴族たちの噂話

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 貴族の屋敷には、正門の他に裏門が、正面玄関の他に裏口がある。基本的には使用人の出入りに使われているが、身内や親しい友人が裏の入口を利用することも多い。
 裏口からシルヴァーベルヒ邸に入ったユリウスは、召使いフットマンの出迎えを受けた。
「ようこそお越しくださいました、ベルツ伯爵」
 ユリウスの父親はステファンの親友だった。長年に渡って両家の交流は続いており、使用人の中にも見慣れた顔が多い。
「ステファンきょうはいるかな? 取り次ぎ願いたいんだが」
かしこまりました。客間サロンでお待ちいただけますでしょうか」
 出迎えてくれた召使いフットマンは、慣れた様子で案内する。
「ありがとう」
 ごく短い遣りとりで意志疎通できるこの雰囲気は、いつ来ても落ち着くものだった。
 召使いフットマンが取り次ぎに走るのを見送って客間サロンに向かおうとしたとき、後ろから声をかけられた。
「ユリウス兄さん!」
 振り向くと、赤毛の少年が無邪気な笑顔で駆け寄ってくるのが見えた。その後ろには、ウリカの侍女であるハイジの姿もある。
「久しぶりだな、ジーク」
「お久しぶりです、ユリウス兄さん。お会いできて嬉しいです」
 二人は本物の兄弟ではないが、それに近い関係にある。ジークベルトの母親であるクリスティーネは、ユリウスの父エーリッヒの妹にあたる。つまり二人は従兄弟いとこ同士なのだ。
 ジークベルトは、活発で体を動かすのが好きなウリカとは正反対の性格をしている。落ち着きがあって、読書好き。十三歳とは思えない大人びた雰囲気を持っているが、ユリウスの前では年相応の表情を見せることが多かった。
 兄弟のいないユリウスにとっては『兄』と呼んで慕ってもらえるのが素直に嬉しい。姉のウリカに可愛いげがないから余計かもしれない。
「元気にしていたか?」
「はい」
 答えたあと、ジークベルトの表情が曇る。
「エーリッヒ様のことは、残念でした……」
 ユリウスの父親であるエーリッヒは一月ひとつき半ほど前に、原因不明の病で命を落とした。
 父が病床についてから息を引きとるまでの二ヶ月間、仕事や雑事に追われて、シルヴァーベルヒ邸に来る余裕がなかった。だからジークベルトと会うのは本当に久しぶりだった。
「僕がもっと大人だったら、少しはユリウス兄さんのお役に立てたかもしれないのに……」
 十三歳の少年が気に病むことではない。そう思うが、ジークベルトの大人びた思考は、それを許してくれないのかもしれない。
「俺は大丈夫だよ、ジーク。心配してくれてありがとう」
 赤銅しゃくどう色の頭をなでてやると、困惑しながらも、安心したような微笑を見せた。
(ウーリもこのくらい可愛ければなぁ……)
 無意味な思考を巡らせているところに、ハイジが歩み寄ってくる。
「立ち話もなんですから、客間サロンに移動しましょう。私はお茶を用意してまいります」
 気の利くメイドに促されて、ユリウスたちは客間サロンに向かうことにした。
 シルヴァーベルヒ邸には一階に二つの客間サロンがある。ユリウスが来訪した際に通されるのは、決まって屋敷の奥のほうにある陽当たりのいい部屋だった。今もそちらに向かって従弟の少年とともに廊下を歩き始める。
 その道すがら、ジークベルトはクライルスハイム伯との縁談について説明してくれた。ウリカの脱走から、ジークベルトの推察まで。
 すべてを話し終えるころには客間サロンに到着していた。
「相変わらず、ステファン卿はブレないな」
 ソファーに腰を下ろしながら、苦笑まじりの感想をもらす。
 ジークベルトもすぐ側のソファーに座って、同種の笑みを浮かべた。
「隙がなさすぎて嫌になりますよ……とはいえ、そのおかげで僕たちが好き勝手できているわけですから、あまり文句も言えなくて」
 ジークベルトが冗談めかして肩を竦めたところで、ハイジがお茶とともに到着した。
 カップに注がれるお茶を眺めながら、ユリウスは会話を続ける。
「ジークは相変わらず、読書三昧?」
「だといいんですけど、ウチにある本はだいたい読み尽くしてしまって、最近ちょっと手持ち無沙汰なんです」
 事もなげに言うが、シルヴァーベルヒ邸の蔵書数は他の貴族屋敷とケタが違う。ステファンが家督を継いだ際に、画廊ギャラリーにあった美術品のほとんどを売り払って、空いたスペースに本棚を設置したからだ。書斎ライブラリーにある本と合わせれば膨大な量になる。
 ジークベルトの知識量はすでにユリウスを越えているかもしれない。
 ユリウスは感心しながら紅茶を一口飲むと、ジークベルトに提案した。
「それなら、うちに来るか? ここにはない本がたくさんあるはずだよ」
 何故そんなことを知っているかというと、昔から、ステファンがベルツ邸に本を読みに来る姿を見ているからだ。
「いいんですか?」
 ジークベルトが緑色の瞳を輝かせながら、嬉しそうに身を乗りだした。
「好きなときに遊びに来るといい。ハインツにも話を通しておこう」
「ありがとうございます!」
 無邪気に喜ぶ従弟の笑顔に、ふと別の少年の顔が重なった。
 ついさっき別れてきたばかりの、ユリウスがあるじと仰ぐ皇子。彼が十四の歳を迎え、成人してすぐに近衛騎士になった。それから二年が経つが、あの皇子が本心から笑うところは見たことがない。不敵に笑うその裏で本心を隠して泣いているように見えることもあって、不安になるのだ。
 目下の、ユリウスが抱える懸念材料だった。
「人の息子を勝手にナンパしないでもらえるかな」
 冗談めかした声が聞こえて、ユリウスは沈みかけた思考の波から浮上する。
 視線を上げて振り向くと、客間サロンの入口に赤銅色の頭髪と碧い目を持つ子爵の姿があった。
 彼がここにいるということは、クライルスハイム伯爵はもう帰ったのだろう。もしかしたら、ユリウスと入れ違いだったのかもしれない。
「ここに来るのは久しぶりだね、ユリウス。思ったより元気そうで、安心したよ」
 ステファンがユリウスの対面に腰を下ろすと、ハイジが心得た様子でお茶を注ぐ。
「ここ最近は大変なことも多かったですけど、ステファン卿にサポートしていただいたおかげで、何とか乗り切れました」
 エーリッヒが倒れてから今日まで、ステファンは仕事や家督相続の手続きなど、ユリウス一人では手が回らないことを手伝ってくれていた。
「今日は思いがけず時間ができたもので、久しぶりに来てみたのですが、間が悪かったようですね」
「いや、いいところに来てくれたよ。聞きたいことがあったんだ。ユリウスはクライルスハイム伯爵を知っているか?」
「クライルスハイム伯……」
 しばし黙考して記憶を掘り起こす。
「確か北西のマグデブルク公爵領に領地を持っている社交性の高い人物だったかと」
「会ったことが?」
「一度だけ声をかけられたことがあります。近衛騎士になった直後に、その就任を祝ってくれましたが、あまりいい印象は受けなかったですね」
 ステファンが笑う。苦笑と失笑を混ぜたような笑い方だった。
「その様子だと、ジークの予想通り、今回の縁談はあまり良い話ではなさそうですね」
「昼食がてら伯爵と話をしたんだが、彼はウーリよりも君に興味があるみたいだったよ」
 含みのある言い方だ。だがそれだけでは、まだ話が見えてこない。
「何かと君の話を引きだそうとしていた。人柄を特に知りたがっているようだったね」
 ステファンが意味深に笑う。この腹黒子爵のことだ。そう簡単に情報をくれてやるはずはない。決定的なことは何も言わず、相手を煙に巻く姿が容易に想像できた。
「それと、彼は宰相の地位にも強い関心を持っているようだ」
 たかが会食の雑談でそこまでの情報を相手から引きだすステファンに空恐ろしさを感じるが、いま重要なのはそこではあるまい。
「宰相の地位……つまりディルクハイム侯の後釜か、あるいは失脚を狙っているかもしれない、ということでしょうか?」
「その可能性は高いと思うよ」
 現在宰相を務めるディルクハイム侯爵は五十六歳で高齢だ。そろそろ世代交代の話が出てもおかしくはない。だが一方で、皇帝からの信頼が厚く、身体の続く限りその地位を降りることはないだろう、という予想が有力でもある。
 クライルスハイム伯の二十六歳という若さを考えると、後継の座を狙っている可能性のほうが高そうだが、待ちきれなくなれば失脚を狙うこともあり得るかもしれない。
「仮にそうだとしても、それがどうウーリに繋がるのでしょうか?」
「それなんだが……どうやら彼は、君とウーリが特別な関係にあると思っているようなんだ」
「……は?」
 眉間にしわが寄るのを自覚する。ユリウスにとっては、小生意気な幼馴染みでしかないウリカである。あの少女を女性として見たことは一度もなく、まさに寝耳に水というやつだ。
 ステファンが苦笑する。
「一部でこんな噂がある……ユリウス卿はウリカ・フォン・シルヴァーベルヒに想いを寄せていて、彼女が大人になるまで待っているのではないか、とね」
 心外な話だった。
「何故そんな話に……?」
「十九歳になってもいまだ、結婚はおろか浮いた噂ひとつ出てこないからだよ」
 確かに結婚を考えて不思議のない年齢ではある。しかしそれにしても……と思うのだ。
 ユリウスは眉間を軽く親指で押さえる。
「だとしても、短絡すぎませんか?」
「ユリウス、何でも自分を基準にして考えてはいけない。人の多くは短絡的なものだ」
 そう指摘を受けても、熟考型のユリウスには、首肯し難いものがあった。
「上級貴族の中には、噂の通りだと都合がいい、と考える者も多い」
「都合……ですか?」
 怪訝に眉をひそめると、それを見たステファンの表情から笑みの成分が消えた。
「ユリウス……君は周りからの評価をもう少し気にしたほうがいい。俺たちがいる貴族社会は、常に他人の目が光っている場所だ。自分がどう見られているか、きちんと把握しておくべきだよ」
 忠告めいたその言葉に、若干の反感情が生まれる。
「俺は他人の評価に踊らされたくありません。人にどう批評されようと、俺自身の価値や存在意義が失われるわけじゃない」
 これまで貴族社会の理不尽さにずっと晒されて生きてきた。ユリウスはユリウスなりにその理不尽と戦ってきた自負がある。だから少し意地になった。
 ステファンが苦笑する。
「若いねぇ……本質的にはエーリッヒにそっくりなくせに、どうして妙なところだけ俺と似てるのかな、君は」
 ステファンはどうやら自嘲しているようだった。
「俺も、昔は同じように思っていたよ。他人の評価を気にしてなんになる。自分には関係ない。そう思って、無関心を気どって満足していた」
 目を伏せて、小さく息を吐くと、ステファンは続けた。
「そのせいで、大切な友人を失ったよ」
 その声には実感が嫌というほどこもっていた。実体験による後悔の念。それがあるからこそ、忠告せずにはいられなかったのかもしれない。そう気づいて、ユリウスは自分の浅く軽率な思考を恥ずかしく思った。
 数秒の沈黙が客間サロンを支配する。
「驚きました」
 沈黙を静かに破ったのは、やや呆然としたジークベルトの一言だった。その直後には、呆れを含んだ口調でこんなことを言う。
「父上にエーリッヒ様以外の友人がいたんですね」
「横合いから微妙に傷つく茶々を入れないでもらえるかな、ジーク」
「先に話の腰を折ったのは父上でしょう。ユリウス兄さんと姉上がどうのとかいう非現実的な噂話と、今回の縁談がどう繋がるのか、早く説明してください。時間がもったいないです」
 息子にジト目で責められたステファンは、両手を上げて降参のポーズをとる。
「悪かったよ、話を元に戻そう」
 紅茶を一口含んで気をとり直すと、改めてユリウスに視線を合わせた。
「ユリウスは今、一番の出世株として、多くの貴族たちから注目を浴びている。当然そこには多種多様な感情も集まる。嫉妬、羨望……それに、打算」
 打算――それこそがこの話の焦点なのだろう。
「打算で動く貴族たちには、ユリウスと繋がりを持ちたがる者も多いだろう。手っとり早いのは婚姻を結ぶことだ。ユリウスはこれまでに結婚の打診をいくつ受けた?」
 ユリウスは言葉に詰まる。正直、多すぎて数まで覚えていないからだ。
数多あまたあるそれを、君はすべて無視してきた」
 この言い分に対しては、反論の余地がない。
 実際、これまでに申し込まれた見合い話はすべて黙殺してきた。顔も知らない娘を妻にどうかと言われても、興味の持ちようがない。娘を政略の道具としか思っていない貴族たちの思考に、嫌悪も感じる。
 男性優位の貴族社会。爵位にかかわらず、婚姻における基本的な選択権は男のほうにある。それをいいことに、ユリウスは徹底した無関心を決め込んでいた。
 その先の結果にまで、考えが回らなかった。
「誰にもなびかないユリウスの姿は、打算で動く貴族たちにとって理解し難いものだ。君が実は恋愛感情に疎いだけの朴念仁なのだと知らない彼らは考える」
「父上、言い方。もっとオブラートに包んでください」
 ステファンのあまりの言い草に、ジークベルトがフォローを飛ばす。しかし内容に一切言及しなかったことが、微妙にユリウスの心を抉っていた。
 ステファンは意地悪く笑っただけで、すぐに話を再開する。
「縁談を頑なに断り続けるということは、一途に想う相手がいるに違いない。そしてユリウス卿が親しくしている年頃の令嬢で思い当たるのは、シルヴァーベルヒ子爵令嬢くらいのものだ。そうであれば却って都合がいい、ということになる」
「ああ、なるほど」
 納得したような声を上げたのは、ジークベルトだった。
「出世欲の強い有力貴族にとっては、手に入らない強力な手札が他の上級貴族のものになるのは困るってことだね。だからその想い人が姉上だったら都合がいい」
 ジークベルトの理解が早いのは、考え方がステファンと似ているからだろう。それを言うと本人は嫌そうな顔をするが、やはりジークベルトはステファンの息子なのである。
 口調、雰囲気、表情、それらを見ていると、二人は親子なのだと実感する。こうして並んでいると余計だ。違うのは瞳の色くらいのものだろう。
 ともあれジークベルトの言葉で、ユリウスにもステファンの言いたいことが少し分かった。
「つまり、俺との婚姻によって『自分以外の貴族が余計な力をつけるのは避けたい』と考える貴族が多数いる、と」
「ついでに言えば、有力貴族と繋がることで君の権力が必要以上に肥大化するのも防ぎたい」
「ユリウス兄さんが、姉上――つまり何の権力も持たない子爵家の令嬢としか婚姻を結ぶ気がないのだとしたら、まさに一石二鳥というわけですね」
 ここまでは理解できた。しかし納得できない部分もまだ残っている。
「でも『姉上がユリウス兄さんの想い人だ』なんて、憶測にすぎないわけですよね。いくらそうであったほうが都合がいいんだとしても、現実問題として、事実を無視することはできませんよ」
 同じ疑問を抱いたジークベルトが、そう代弁してくれた。
 しかし至極もっともに思えた質問にも、ステファンは淀みなく答える。
「彼らにとって、事実であるかどうかは、大した問題じゃない。それが事実だと、材料さえあればいいんだよ」
「どういうことですか?」
 ジークベルトが首をかしげる。
 父親の言葉にピンとこないという風情だ。だがそれはユリウスも同様だった。事実は必要ない、とでも言いたげなステファンの論説に理解が及ばない。
 結果、ユリウスも従弟とともに首をひねるのであった。
 そんなに呆れるような視線を寄越して、ステファンは説明を補足する。
「ジーク……皆がみんな、お前のように事実を暴きたがると思わないほうがいい。人というのは自分に都合のいい事柄を信じたがるものなんだ」
「なぜ?」
 ジークベルトがきょとんとした顔をする。それを見たステファンは、困ったような表情を浮かべた。
「そうしたほうが事実に向きあうより楽だからだよ」
「楽?」
「言い方を変えれば、そうすることで平常心を保とうとする、ということだ」
 貴族社会は常に緊張感が漂っているような世界だ。心の平常・平静バランスを保つのは簡単ではない。それゆえに責任や圧力プレッシャーに耐えかねて現実逃避する者も確かにいる。
 だがジークベルトは、なおピンとこないという顔で言ったものだ。
「そうしないと平常心は保てないものですか?」
「うん。お前の精神力メンタル怪物バケモノ並みなのは知ってるが、心底不思議そうに言われると、もう説明のしようがなくなるね」
 ステファンはどこか諦めたように呟いた。ユリウスとしても、感心していいのか、呆れるべきなのか、判断に迷う。
「とりあえずジークは、自分が稀有な存在であることを自覚しなさい。その上で、人間とはそういうものなのだと理解することだ」
「……分かりました。人間の多くは自分に都合のいいものを信じたがる傾向にある。それを踏まえた上で考えればいいんですね?」
 存外素直にうなずいたのは、人生経験において、父親のほうがはるかに上回っていることを分かっているからだろう。
「まず、ユリウスとウーリの噂が、それを好都合と考える貴族たちを中心に広がっていった。そして、その内容を事実だと信じたがる者たちの間で、信憑性を帯びるものに変化していった。そうして、思い込みによる噂話は、彼らの中で事実と相違ないものになった」
「クライルスハイム伯爵は、その噂を信じた者のひとりなんですね」
「そういうことになるだろうね。彼には元々、君に婚姻話を持ち込める材料がなかった。そういう状況で、この噂話はさぞ都合が良かったことだろう」
「しかし、だからといって、どうしてウーリに求婚しようなんて話になるんでしょうか?」
 その質問に答えたのはジークベルトだった。
「ユリウス兄さんの気を引くためではないでしょうか。仮にくだんの噂が真実であった場合、姉上が求婚されて無視はできないでしょう?」
「まあ……そうだな」
 実際のところは、『一緒にいるとなんだか疲れる妹分』くらいにしか思っていないから、縁談の話を聞いても、あいつもそんな年齢になったんだなぁ、としか思わなかったわけだが。
「どんな形でも、とりあえず気を引くことができれば良かったんだと思います」
「悪感情を好意にすり替える方法なんて、いくらでもあることだしね」
 ステファンがそう補足するが、そんなことをさらりと言えてしまうのが、この子爵の恐ろしいところだ。
「つまりクライルスハイム伯爵は、ウーリをきっかけにして、俺と親しくなろうとしている、ということですか?」
「君は次期皇帝最有力候補である第一皇子の唯一のお気に入りだからね。ユリウスと親しくなれれば、上級貴族を出し抜いて宰相の座が手に入るかもしれない。クライルスハイム伯がそう考えたとしても不思議はない」
「だとしても、宰相の座とは……大胆なことを考える」
 例がないわけではないが、上級貴族を差し置いて伯爵が宰相になるのは、簡単なことではない。宰相になること自体が難しい上、なったあとも厳しい目で手腕を問われることになる。それでも本当に目指そうというのだろうか。
 ステファンがくすりと笑う。
「彼は自分の政治的才覚にずいぶんと自信があるみたいだったからね」
 揶揄的だが、どこか同情めいた響きがある。ステファンに底知れなさを感じるのはこういうときだ。
「よく伯爵本人から、それだけの情報を引きだせましたね」
「相手を侮って下に見ると、人は口が軽くなるものだ」
 『無能な当主』を演じていた一番の目的は、相手を油断させることだったのだと、この発言でよく分かる。
 つくづく敵に回したくない人だ。
 紅茶を飲み干してひと息ついたジークベルトが、どこか浮かない表情で口を開く。
「話をまとめると、勘違いと願望から広まった噂をうっかり信じた伯爵が、見当違いの縁談を持ち込んだあげく、今ここで物笑いの種になっているということですね……社交界って怖いなぁ」
 身も蓋もない総まとめをして遠い目をする。
「まあ……迷惑な話ではあるな」
 ステファンが同意するようにうなずいてから、ユリウスに視線を移動させた。
「ユリウスの気を引きたいなら、君に直接求婚すればいいものを……」
「目が本気です。怖いです。やめてください」
 反射的にそう返答していた。だって殺気が飛んできて本気で怖い。
 自分の可愛い娘がダシに使われて腹立たしいのは分かるが、これに関してはユリウスも被害者だ。責められても困る。
「父上。くだらない冗談でユリウス兄さんを困らせるのはやめてください」
 ジークベルトから冷たく突っ込まれて、ステファンは笑う。人の悪い笑みだ。冗談なのに殺気を飛ばしてくるなんて、悪趣味が過ぎるというものだろう。
「とりあえず、今後しばらくはクライルスハイム伯爵の動向に気を配っておくことにします」
 鳥肌のおさまらない左腕をさすりながら、ユリウスは吐息した。
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