たかが子爵家

鈴原みこと

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第一章 シルヴァーベルヒ

Ⅰ 変わり者の邂逅

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 プレスブルク皇国はミッテルラント大陸の広大な領土を支配する大国である。他の国は海を挟んだ先にしか存在せず、独自の文化が根づいていた。
 だが一方で、他国との交流に乏しく、閉鎖的な一面も持っている。
 錬金術れんきんじゅつの普及率が異様に低いのは、その影響といえるだろう。
 物質に対して魔力干渉を行うことによってその元素を変質させ、全く違う物を作りだす技術。それが錬金術である。人工的にきんを生みだす可能性も示唆されており、大陸の外では熱心に研究を続ける錬金術師も数多い。時に国が資金や設備の支援をする例もあるほどだ。
 しかしプレスブルク皇国ではいまだ関心も低く、国に存在する錬金術師は数える程しかいない。当然、大々的な支援など得られるはずもなく、細々とした研究だけでなんとか食いつないでいるという者がほとんどだ。
 そして、王都であるドルトハイムに身をおく錬金術師は、たったの一人だけだった。
 二十五歳の若さですでに多くの技術を修得し、さらに多方面に渡る知識の深さで他者を驚かせるその人物は、ウィリアム・フィッツシモンズという。
 一部で『変わり者』と囁かれる反面、天才錬金術師としても知られていた。


 街外れにぽつんと佇む家がある。大きな二階建てのレンガ造り。その一階に彼の工房アトリエはあった。
「う~ん……」
 乱雑に物が置かれた広い部屋の中央で、一冊のノートを睨みつけながら唸り声を上げる。ウィリアムは研究に行き詰まっていた。
 苛立ちに任せて砂色の頭髪をがしがしとかきむしる。
 認知度の低い未知の事象を研究しようというのだから順調に進むはずはない。そんな事は端から承知していた。それでもいまだ取っかかりすら掴めないとあっては、フラストレーションが溜まるのも仕方ないことだろう。
 情報量が圧倒的に少ないのが致命的だ。そもそもの手がかりすら見つけられない状態なのに研究が進むはずがない。
 それでも、その研究を続けなければいけない理由が彼にはあった。
「はあっ……」
 疲れを追い払うように、ひとつ大きな息を吐く。玄関に備えつけた呼び鈴の音が聞こえたのはそのときだった。
 リンリンリン、と軽やかな鈴のが耳をうち、反射的に砂色の瞳が玄関のほうを向く。
(誰だ、こんな時間に?)
 最初に思ったのはそれだ。
 壁に掛けられた時計の針は六時を少し回ったところだった。
 まだ早朝といえる時間。こんなタイミングで訪ねてくる人物に心当たりがないわけではない。
 だがウィリアムは頭に浮かんだ相手の顔をすぐに振りはらった。『彼』であれば呼び鈴など鳴らさず勝手に入ってくるだろう。
 次に浮かんだのは街医者だ。急患があれば急いで薬をとりに来ることもあるかもしれない。しかしそれならば、もっと何かしらのアクションがあっていい気がする。今のところ焦りを滲ませた声もドアを叩く音も聞こえてこない。
 普段の彼であれば無視していたかもしれない。
 考え疲れた頭を少しばかりリフレッシュさせたいという思いは確かにあった。
 結果として、ウィリアムは来客にうっかり応じてしまったのである。


 玄関を開けると、見慣れない少女が立っていた。
 一言でいうと美少女だ。緩くウェーブのかかった長い金髪に碧眼。まるで人形のような容姿をしている。だが、血色のいい健康的な肌色とイキイキと揺れ動く瞳が、生身の人間であることを主張していた。
 ウィリアムより頭ひとつ低いくらいの身長。このくらいの年齢の少女としては少し高めといえるかもしれない。そのぶん手足がすらりとして見える。
 淡い水色のドレスは一目で絹製シルクだと分かった。雨上がりの湿った砂利道を歩いてきたのだろうか。花飾りの付いた子洒落た靴が無惨に汚れている。
 一見して貴族の令嬢を思わせる出で立ちだ。しかしただひとつ、両腕に抱えた一振りの剣がその印象を裏切っていた。
 雑木林に囲まれた辺鄙な場所にある一軒家。立派な長剣を抱きしめて佇む美少女がひとり。
 違和感しかない。
「あ、あの、ウィリアムさんですか?」
 意表をつかれて反応し損ねていたら、人形もどきに声をかけられた。
「……そうだが」
 ためらいがちな口調になる。正直イヤな予感しかしない。
(急に別の用事を思いだして帰ったりしてくれないかな……無理だよなぁ……)
 少女はウィリアムの愚にもつかない考えを振りはらうように明るく微笑んだ。
「私はウリカと申します。あなたが高名な錬金術師であると伺ってまいりました。私をあなたの弟子にしてください!」
 少女は身を乗りださんばかりの勢いで言い募って、深々と頭を下げる。
 ウィリアムの悪い予感は的中した。
(やっぱり出なければ良かった)
 ただでさえ自分の研究で手いっぱいなのだ。このうえ弟子足手まといを抱える余裕など、どこにあるというのだろう。
 どうして客人の正体を確かめもせずにドアを開けてしまったのか――疲労で判断力が鈍っていたにしても浅慮せんりょが過ぎるというものだ。
 今さらながらに激しい後悔が胸中に広がっていくのを感じていた。
 反省の念は募るものの、今は悠長に後悔を友としている場合ではない。とにかくこの場をやり過ごさなければなるまい。
 ウィリアムは理性をかき集めて無表情を装った。
「断る」
 ごく簡潔シンプルな返答。そして即座に扉を閉める――いや、閉めようとした。
「待ってください!」
 焦りを帯びた少女の声が響き、次いで、がつっ、という鈍い音とともに硬い感触が手に伝わった。同時に、閉じかけた扉の動きも停止する。
 何が起きたのか、すぐには判断できなかった。
 わずかに開いたドアの隙間から必死の形相でこちらを睨む少女の顔が見える。自分の手元に視線を下ろすと、扉を閉め損ねた原因が判明した。
 鞘に収まったままの剣――それが扉の間に挟まっている。本来とは異なる役目を負わされてとても窮屈そうだ。
 ウィリアムは唖然とした。
(何なんだこのは!?)
 常識がお昼寝中なのだろうか。
 良家の子女のはずだが、この大胆さは貴族令嬢の常道を激しく逸脱しているのではないだろうか。年齢的には社交界デビューも済んでいるはずだ。その令嬢がこんな奔放なことでいいのか? 親の教育はどうなっているんだ?
 思考が一息に駆けめぐる。だが気を散らしていられたのもその数瞬だけだった。
 外開きの扉が強い力で引っ張られたからである。
 すぐに両手で応戦したため、辛くも扉の開放は免れた。だがそれでも気は抜けない。相手も同じような態勢で扉に圧力をかけてくるからだ。
「どうして話も聞かないうちに閉めちゃうんですか~!」
「話ならさっき聞いた! 俺は弟子はとらん!」
 二人とも全力で扉の引っ張りあいをしているせいで息も口調も荒い。
「そんな固いこと言わないでくださいよ! ドルトハイムここで錬金術を学ぶには、あなたにお願いするしかないんです~!」
「なんと言われようと断る! そんな面倒事はごめんだ……諦めて、帰ってくれ…っ……」
 女の子なのに何て力だ。たったひと呼吸の気の緩みでもうっかりすると負けそうになる。
 ウィリアムとてずっと部屋にこもって研究だけしているわけではない。錬金術師というものは意外と多様なスキルが必要になるものだ。財力がなければ余計である。
 材料を手に入れるために様々な場所を歩き回る体力。重いものを運ぶ筋力。崖登りや採掘における技術力など。
 賊の類いと出くわして荒事に巻き込まれることだってある。どんな事態でも己の力量ひとつで切り抜けてきた経験と自負がウィリアムにはあった。
 なのにこの少女は、それに拮抗できるだけの力を見せている。
 場に漂う緊張感は賊に対峙したときの比ではなかった。
(早く帰ってくれ!)
 半ば本気で祈った。他力本願は嫌いだ。
 でも今は祈りたい。
 膠着状態のなか、先に変化を見せたのは少女のほうだった。
 一瞬で身をひるがえしたかと思うと、扉に挟まれたままの長剣を鞘から抜きとる。そして直後には、扉と壁のわずかな隙間に刀身を滑り込ませたのである。
 剣の切っ先はウィリアムの顔の真横で静止していた。
 不敵な錬金術師もこの時ばかりは二の句が継げなかった。
「ロクな話も聞かずに追い払うというなら、いっそこの扉を切り裂いてでも……」
 少女の声音からは明確な殺気が感じとれた。
 彼女は本気だ――それを肌で実感したウィリアムは、抵抗の無駄を悟って扉から手をはなした。
 不本意な圧迫からようやく解放された鞘が、乾いた音をたてて地面に転がった。
「なんて危険な子なんだ、君は……」
 もはや驚きを通り越して呆れるしかない。
「大体、君みたいな身なりのいい子が、どうしてそんな物騒なものを持ってるんだ」
「これは護身用にって、お父様が……」
「そうか……父親が非常識なんだな」
 妙に納得してしまい、ウィリアムは諦めとともに嘆息した。
「好奇心旺盛な子爵令嬢が、今度は錬金術に興味をお持ちか……面倒なことだ」
 少女が首をかしげる。
「私のことを知っているんですか?」
「人のことを言える立場じゃないが、変わり者の貴族令嬢として、君は有名だからな」
 今年で十五の歳を迎えた子爵令嬢ウリカ・フォン・シルヴァーベルヒは、好奇心が強く、かつ飽きっぽいことで知られていた。
 幼少のころに父親をまねて剣を握ったのが始まりらしい。メイド、シェフ、執事など、目にするものに次から次へと挑戦したがり、ひと通りこなせてしまうと、興味はまた別のものへと移る。
 そんな調子で最近では市井しせいの学校に通い、一般庶民の子供たちと机を並べ、理学に数学、さらには経済学や魔術学まで習っていると聞く。
 そしてついに錬金術ここにお鉢が回ってきたというわけだ……。
「私、あなたみたいな錬金術師になりたいんです」
「やめておいたほうがいい。君には向いていない」
 手っとり早く追い払うため――ではなく、正当な根拠のもとにそう告げる。
 もちろんそれで少女が納得するはずはない。
「どうしてですか?」
 案の定、彼女は食い下がった。説得には時間がかかりそうである。
 ウィリアムの口から再度ため息がもれた。
「立ち話もなんだから、入りなさい。お茶ぐらいなら出してやる」
 そう促すと、冷たい視線を向けられたにもかかわらず子爵令嬢の表情は華やぐのであった。
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