上 下
1 / 1

興味がないことでも人間はすらすらと書けてしまう

しおりを挟む
 太っており、まったく興味が湧かない女性に対しても、人間とは面白いほど文字を書けてしまう。逆にいうなれば、興味がないものでも、記憶という媒体を頼りにするならば、まったく共通点がなくとも書ける。たとえば、上記の女性であれば、エンシュアHを28日間分初めて出してもらった女性という点で記憶できる。要するに、セックスの対象ではないが、エンシュアHを貰っているということに関してのみは、興味が湧いたことになる。しかも、「初対面」であり、「異性」という言葉が、おそらくは脳の記憶する媒体を擽「くすぐ」るのだろう。つまりは、「異性」として見ていたということは、セックスの対象であったということになる。自分は気付かずに、こんな人間には自分は興味がないと思えばおもうほどに、記憶の媒体は、「くすぐられる」ことになるのだ。そして、その記憶とは、太っていた女性を完備で出来た女性だったと記憶を摩り替えてしまう。Aはたしかに巨体であり、セックスの対象ではなかったが、結局は穴があることに変わりはなく、穴があればよいという男性であれば、相手が「みてくれ」が多少は「ごわついた」人形であっても、すり替えが可能だということになる。そして、Bという女性を思い浮かべて、細くて「みてくれ」が最高だった女性へとBへと変化出来るということになる。記憶などというものは、案外役には立たない。BでなくてもAという対象物が「異性」という点で、興味は十分に湧いたことになる。その証拠に、Aを思い浮かべて、自慰が可能かと問われれば、それは無理と判断されるが、人の顔面偏差値などは、直ぐに挿げ替えられてしまう。Aでもなく、Bでもなく、一番上等な顔面へと自慰の最中に挿げ替えられてしまうのである。Aに対して本当に興味がなかったと示すには、人間とは相当な覚悟が必要になる。セックスの対象でもなければ、「異性」であるというだけでも得意点なのに、それに興味を示さずに、バストはこれくらい、と過去の女性のデータをもとに目方を量りだす。本当にバストが小さければ、興味が示さない範疇のバストへとなるだろう。Aの胸であるのだが、いままで抱いてきた数の女性の中でも普通よりも大きかったとするならば、それだけでも興味は十分にあるとなる。それに加えて、例えばだが、その女性のお尻を思い浮かべられれば、ベストな体位が思い浮かぶだろう。セックスの際に「体位」は非常に重要となる。自分のものが入らない女性とは交尾できないからである。このように、一見無理だ、記憶には余り無かったからという内容でも、すらすらと書けてしまう。

 そしてこう思うのだ。「あー面白かった。」もしくは、「あーつまらなかった。」これくらいの感想であろうか。本当には興味がないからである。そして、その媒体を「弄る」のであれば「ここ」からであろうか。ブスでデブがさーっといっても、他者には初めて話されることの場合は、何のことだかさっぱりとなる。その場合は、上記のように特徴を話した後で、エンシュアHを28日間で20本しか出して貰えなかった。初めてなのに、20本ってやばくないー!?と強調しながら語るのである。しかも、「やばくないー!?」はイントネーションが上がる。人をこけ脅す際に、よく使われる手法である。この場合は、結論に「だってデブだから」を強めたいのために、太っていたり、胸までこけていたんだよーを「強調」するのである。これにより話の展開は、「異性」の話では急になくなるのである。「同姓」を馬鹿にする場合は、大した理由もないケースが多い。しかも馬鹿にするために、気を遣う必要がない。

 この気遣いを示すで思い出したのだが、大作家さんの癖して「漢字もしらねーのかよー」と思った話を盛り込むならば、さらにはなしの話題性は増す。この増したり減ったりとは、馬鹿みたいに増減を繰り返す。本当はまったく思い出したくない相手を何百回も話の構成に盛り込み、忘れないことが可能である。登場人物とは、脇役も含めるとここまでの話で三名の女性が登場した。AとBと最高の女性Cである。もしくはそれ以上がいるかも知れない。それに加えて、最低な女性というジャンルも幾らか登場しそうである。

 どうでもよい話とは、これほどまでに好都合なことはない。相手の尊厳をどんどん踏み潰せるからである。踏みにじり、踏みあさり、その後のことは、憂うことすらしない。それが人間という本心なのかも知れない。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

「憂う人生」内容:「金がない事への脅え、脅迫観念」

すずりはさくらの本棚
現代文学
人工知能の使い方「使う」、「覚える」、「アウトプット」、「使う」、「覚える」、「記憶の排出」、「デメリットの追加」、「アウトプット」、ラストは「会員限定部分のセンシティブ解決へ。」、「アウトプット」。これの繰り返しである。 小説の冒頭:「憂う人生」内容:「金がない事への脅え、脅迫観念」の中で犇めき合う人生。ひた隠しにした過去。転がり続けた女性宅への連続変ドラマを描く。5つくらいの細かな連続性の家族風ドラマ「メロドラマ、恋愛、ちょいエロ、憎悪、憎しみ、法廷へ」5つのドラマを軽く描き、全ての頂上を法定刑に処する。刑事裁判へ。無罪か有罪か。ついには金が尽き、人生を憂う。何が正しいのか。何が誤りなのか。を問う内容へと仕上げる。ドラマを作成する。抗うことの出来ない人生哲学論を披露する。自動行動パターンをAIに任せる場面をぼやーっと描く。なんだ、AIの物語だったのか!?と思わせる内容へと仕上げます。中篇:「納得がいかない事だらけの人生哲学を描く。」勉強をする:「独学による。主人公はAIを駆使して人生へと抗う様子が描かれます。」転がり続けた人生を憂う。終わり:「伏線解消と伏線打開。お金持ちへの概念と経緯をざっくりと解説する。ここは簡単明瞭でよい。人は人の幸福には余り興味がないから。人の不幸に興味があることを述べて終わるとする。」この小説の終わりまで読者として読んでくれた「あなたが大好きです。」と綴られていた。言伝へ「ことづてへ」。

のどのどか「エッセイ集」

すずりはさくらの本棚
現代文学
 今年も上野にて「モネ展」が開催される。芸術を見ていると落ち着く。久しぶりに、足をはこぼうかと思う。レッサーパンダの「ファンファン?シャンシャンでしたー」は、今年で七歳だという。記憶の片隅では「ファンファンしか覚えていない。」きりんやぞうも好きな動物のひとつです。ちけっとぴあを眺めていると、さまざまなもようしものが、半年先まで埋まっていた。乃木坂関連は六月で締め切っていた「夏のコンサート。」いきなり行く気になり、しかし、お金はなく、真夏に動きたくはない。しかし、真夏に思い出を・・・。そこで、「モネ展」などを調べた次第である。なんだか、つまみ食いに似た感情が襲う。親に怒られる。あの感じだ。実際に食べすぎなければ親は怒りはしない。いったい人の記憶とは、どれだけ都合よくできているのだろう。  新巻の「PHP」8月号は届いた。今月は「ダリア」が綴られていた。しかし、7月号の「かすみ草」に一目ぼれをしてしまい、7月号ばかりを眺めている。季節の草花は、移り変わり、2月に散歩をしはじめてから、あっという間に、梅や桜の季節が終わりを告げた。いまは、日本の四季折々の花々が、花屋の店頭を彩る。そして、6月に購入した雑誌を含めた新巻たちは、たいして読まれずに、積み本となる。今年に入ってから読み終えた本は、まだ数えるほどしかない。買うときだけは、「るんるん」でその世界を無双した気分になるのだが、アマゾンなどにて購入できるようになった今、神保町まで行き、苦労して、予約して、やっとの思いで手に入れた本とは違い、ただお金だけが飛んでゆく。さらには、機種変更に伴い、または、OSの入れ替えに伴い、データを消してしまうために「理由はアカウントのハッキングやクラッキングによる乗っ取りや、キャッシュカードなどの悪用が原因でアカウントの削除」、新たな生活へと飛び込む。今回もデビットカードを止められた。現在は足腰が悪いために、銀行へは行けない。そんな状況の中、暮らしている。  周囲は努力はしているというが、実を結ばない、が続き、天職と呼べるのだろうかと思ってしまう。もともと、お金には、興味がないような?嘘をつけ!と自分の中の誰かが叫んでいる。なんども何度も騙し取られたり、アカウントをハッキング乗っ取られているうちに、真面目に働く気が失せた。働いても、働いても、ただ働きが続く。その度に、YouTubeなどは削除してきたが、いまとなっては、放置するようになった。真面目に働くことは悪くない。本当にそう思う。しかし、足の引っ張り合いをするような根性もない。ないないづくめの私にできることといえば、素知らぬ振りをして、不利を認めるだけだった。

おたっしゃナース(医療エッセイ)

浅野浩二
現代文学
生意気なナースのエッセイです。

保育士だっておしっこするもん!

こじらせた処女
BL
 男性保育士さんが漏らしている話。ただただ頭悪い小説です。 保育士の道に進み、とある保育園に勤めている尾北和樹は、新人で戸惑いながらも、やりがいを感じながら仕事をこなしていた。  しかし、男性保育士というものはまだまだ珍しく浸透していない。それでも和樹が通う園にはもう一人、男性保育士がいた。名前は多田木遼、2つ年上。  園児と一緒に用を足すな。ある日の朝礼で受けた注意は、尾北和樹に向けられたものだった。他の女性職員の前で言われて顔を真っ赤にする和樹に、気にしないように、と多田木はいうが、保護者からのクレームだ。信用問題に関わり、同性職員の多田木にも迷惑をかけてしまう、そう思い、その日から3階の隅にある職員トイレを使うようになった。  しかし、尾北は一日中トイレに行かなくても平気な多田木とは違い、3時間に一回行かないと限界を迎えてしまう体質。加えて激務だ。園児と一緒に済ませるから、今までなんとかやってこれたのだ。それからというものの、限界ギリギリで間に合う、なんて危ない状況が何度か見受けられた。    ある日の紅葉が色づく頃、事件は起こる。その日は何かとタイミングが掴めなくて、いつもよりさらに忙しかった。やっとトイレにいける、そう思ったところで、前を押さえた幼児に捕まってしまい…?

それからの日々

佐倉 蘭
現代文学
あの地震のあと、夫と二人の娘を捨て、愛する男と一緒にこの街を出たみどり。 あれから二〇数年が経ち、またこの街に戻ってきた… ※ 「偽装結婚はおさない恋の復活⁉︎」および「きみは運命の人」のネタバレを含みます。

100000累計pt突破!アルファポリスの収益 確定スコア 見込みスコアについて

ちゃぼ茶
エッセイ・ノンフィクション
皆様が気になる(ちゃぼ茶も)収益や確定スコア、見込みスコアについてわかる範囲、推測や経験談も含めて記してみました。参考になれればと思います。

想い出写真館

結 励琉
キャラ文芸
<第32回岐阜県文芸祭佳作受賞作品>  そのさほど大きくない私鉄の駅を降りて駅前の商店街を歩くこと数分、そろそろ商店街も尽きようかという少し寂しい場所に、その写真館は建っている。正面入口の上には福野写真館という看板がかかり、看板の下には昔は誰でもお世話になったカラーフィルムのロゴが今も残っている。  入口の左右のウインドウに所狭しと飾られているのは、七五三や入学記念、成人式といった家族の記念写真。もう使われなくなったのか、二眼レフのカメラも置かれている。   どこにでもある写真館、いや、どこにでもあった写真館と言った方が正しいか。  デジタルカメラ、そしてスマートフォンの普及により、写真は誰でも、いつでも、いくらでも撮れる、誰にとってもごくごく身近なものとなった。一方、フィルムで写真を撮り、写真館に現像や引き延ばしを頼むことは、趣味的なものとしては残ってはいるが、当たり前のものではなくなっている。  人生の節目節目に写真館で記念写真を撮って、引き延ばした写真を自宅に飾るということは根強く残っているものの、写真館として厳しい時代となったことは否めない。  それでも、この福野写真館はひっそりではあるが、三十年以上変わらず営業を続けている。店主は白髪交じりの小柄な男性。常に穏やかな笑顔を浮かべており、その確かな撮影技術とともに、客の評判はよい。ただ、この写真館に客が来るのはそれだけ故ではない。  この写真館は客の間で密かにこう呼ばれている。「想い出写真館」と。

処理中です...