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14 拗れた世界

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***颯太視点***

一之瀬の彼女は泣き腫らしたような酷い顔をしていた。
それを見ている俺に気付いた一之瀬は、途端に眉間に皺を寄せて凄い形相で俺の事を睨みつけてきた。

(はっ、そうなんだよ…、お前は、いっつも、そう言う事をする奴だよ…)

桃ちゃんを泣かせて…
その女の子を泣かせて…
なのに、僕に向けるその敵意は、一体何なんだよ?

奴の様子に苛立った僕はあえて余裕を見せるように冷笑して見せる。
そして、一之瀬が連れている女の子の顔を、笑顔をつくり、至近距離で覗き込む。
出来るだけ、優しく見える様に。

理由はただ一つ。
それに対しての、を見てみたかったから。

ずっと蟠っていた疑問の答えを知りたかった。
何故、彼女がいるはずの一之瀬が、ああまで露骨に桃子ちゃんと自分の邪魔をするのか。

―――どっちも好きだなんて、そんなふざけた結論は認めない

「凛子ちゃん… だったかな? 大丈夫?…もう落ち着いた?せっかく可愛い顔が台無しだね、もしかして、一之瀬に酷い事されちゃったのかな?」

至近距離の僕に、彼女は、ビクッと肩を震わせた。
そして、泣き腫らした目で怯えるように一歩あとずさった彼女は迷うように、僕を見つめている。

女の子からこんな警戒した目を向けられるのは珍しい。別に、今更こんな事くらいで傷ついたりはしないけど、高校に入ってから、僕は周りの女の子達の反応をみて、それなりに自分の容姿が彼女たちにどう映っているのかくらいは察していた。

―――僕の中身は最悪だ

そんな事、自分が一番よく分かっている。
だけど、一之瀬みたいに強面でもないし、きっと、僕の器だけは、女の子達の合格基準があるとしたら、通常よりは幾分かは上回っているのだろう。

そして、ただ、それだけの事だ。

桃子ちゃんに近づいた僕をあれだけ警戒する一之瀬を
僕は見極めようとしていた。

桃子ちゃんに対してそうなら、今、こいつの隣にいる彼女に近づいたら、一体、こいつはどんな反応をするのか。

冷える心とは裏腹に、作り慣れた笑みを浮かべる。

「どうしちゃったのかな、凛子ちゃん、涙、たくさん、泣いちゃったんだね?可哀そう……」

そう言って、固まる彼女の顔に手を伸ばしかけた瞬間、一之瀬はハッとした様子で、彼女のか細い手首を掴み庇うように彼女を自分の背に回した。

その瞬間、双方に緊張が走る。

――ふん、そうかよ

俺は目を細めて、そんな一之瀬を侮蔑するように睨み付けた。一之瀬もまた、顔を歪めたまま厳しい視線を向けてくる。

「てめぇ、気安く、凛子に話かけてんじゃねえよ… 」

そう低い声で唸るように言い放つ一之瀬に、僕は皮肉に顔を歪めて微笑んだ。

「へぇ… 随分、大事にしてるんだ?だもんね?」

こんな繊細そうな彼女がいる癖に、桃子ちゃんに執着する一之瀬に嫌悪感を抱き、僕は皮肉たっぷりにそう言った。

「っ…、うるせえ、テメェには関係ねぇって言ってんだろが?毎度毎度、関係ねぇ首突っ込んできやがって」

一之瀬もまた僕の態度に僕が言わんとする嫌味をしっかり感じ取ったのだろう。
苦々しく表情を歪ませ、話題を摩り替えるように俺に問いかける。

「お前こそ、こんな所で、何してた?」

きっと、いなくなった桃ちゃんの事を気にして、道場近くにまだ僕がいる事に、不快を感じているのだろう。不機嫌を顕わにした表情で、そう問いかける一之瀬に、僕はあえて冷笑を浮かべ答える。

「うん… 今の今まで、彼女とここで、二人で食事をしてたんだよね。時間みたいだから、たった今、見送ったところ。お前も今から稽古? ご苦労様… 」

あえて少し微笑み、飄々とした態度で一之瀬にそう言った。本当は余裕なんて微塵もないのに。

それでも、僕がそう口にした瞬間、一之瀬の肩は予想以上にぴくりと反応して、身に纏う空気が一気に重くなるのを感じた。

「はっ……」

同時に、顔が引き攣り、向けられる敵意が増強する。

「お前… さっきのは、一体何のつもりだ?」

「うん…?」

「あんな人目のある場所で、あんな根も葉もないこと言いやがって…」

きっと、僕が桃子ちゃんと「付き合っている」と公言した事を言っているのだと気付き、僕は凛子と呼ばれた彼女をチラリと見て目を眇めた。

(この場で、…お前からそれを言うのか?)

そう思ったが、この状況には、とことん嫌がらせをしたたくなる自分もいた。
そして、やはり感じずにはいられない違和感の原因を突き止めたい衝動に駆られて、再び自らの顔に笑みを貼り付ける。

「んー、…何のことかな?」

今、こいつの隣には、彼女がいる。
隣にいる彼女の誤解を恐れるならば、この男こそ、あの状況に助けられた一人のはずだ。

だけど、こいつは、今、彼女が傍にいながら、桃子ちゃんの事を口にだした。本来ならこの場で触れられたくない話題のはずなのにだ。

違和感を感じ、真意を探るように、僕は一之瀬を見つめた。隣には涙に濡れた一之瀬の彼女。

――この状況は一体何だ?

そうするうちに、一つの可能性に思い当たってハッとした。

――もしかして…

再び泣き腫らした一之瀬の彼女を見つめて僕は瞳を曇らせた。痛々しくて憔悴した顔。

(まさか…すでに、別れ話でも切り出した後じゃないだろうな…?)

事がデリケートなだけに、彼女の前で容易く聞く事は出来ない。

(だけど、まさか……)

そんな、焦りと不安に胸を支配された。
痛そうに、耐えている凛子ちゃんを見つめる。

(一之瀬、お前って奴は一体、人の気持ちを、何だと思っているんだ!?)

そう嫌悪感に胸を支配された瞬間、俺は自分の不可解な気持ちにハッとした。

何年か前の、不誠実な父親に対する嫌悪感と今の気持ちがシンクロしたように思えた。

(おかしい…こんな感覚、もう自分じゃなくなっていたはずなのに。なんで、自分はまたこんな…? )

僕自身、立て続けに三人もの女の子と付き合ってきて、大した愛情もかけることができず、出会いと別れを繰り返し、その事を引きずりもしなかった。

所詮はあの父の息子なのだと、そんな薄情な自分を受け入れて生きてきた。そしてどこか、もう傷まなくなった胸に安堵していた。

――そのはずなのに、僕は

今、桃子ちゃんへの感情とは全く別物だけど、他人であるはずの一之瀬の彼女が傷ついている事さえ、切なく感じる。

そんなはずはない。
でも、そうだとしたら…

それは、僕の中の何かが変わりはじめているからなのか。

「っ……」

そんな自分が分からない苛立ちも手伝って、一之瀬に唸るように問いかけた。

「お前… 一体 何が、…したいんだよ?」

ただ一つ分かっている事がある。

(こいつが、例えどんな奴だって、やってる事が、どんなに滅茶苦茶だって、桃ちゃんは、どうしたって、こいつが、好きなんだ……)

僕の問いかけに対して、一之瀬は一瞬、苦境に立たされたように顔を歪めた。

「っ……」

だけど、次の瞬間、一之瀬は刺すように僕を睨みつけて、怒りを顕わにして言い放った。

「そんなこと、お前には関係ねえって言ってるだろ?だけど、言っとくがな、梶原」

「………」

「絶対、お前の思い通りにはさせないからな!俺達には、があるんだ!! 」

「くっ……」

「そこに、お前のいる場所なんてない!桃子は、あいつは、どこにも行かないし、絶対行かせない!」

そう威嚇したような顔付きで、僕にそう告げた一之瀬は、次の瞬間、彼女の手首を掴んで「凛子行くぞ」と呟いて足早に俺の傍を去った。

「たっくん…」

彼女は、混乱したように一之瀬に手を引かれて行く。
彼女は一度、僕を切なげに振り返った。

僕は、心の中で一之瀬の言葉に悪態を吐いた。

――そんなの、とっくに分かってるんだよ

(だけど、相変わらず、と、の意味が分からねえんだよ、お前……)

俺は拳を握り締めて、一之瀬の背中を見送った。

そうしてしばらく経った頃、小さくなった二人のシルエットは何やら辛そうに言い争いをしていた。
その様子に眉を寄せ、僕は遠目にそれを見つめていた。

(やはり、別れ話がでているのか?)

一之瀬の手を払い、泣きながら、それでも縋るように一之瀬に何かを訴える、彼女。
それに困ったように、首を振り、時に怒りを顕わにしながら何かを言い返している様子の一之瀬。

だけど次の瞬間、彼女が悲しそうに俯いて、それを宥めるように彼女の顔を下から覗き見て頭をなでる一之瀬。ポロポロと泣く彼女を一之瀬は困ったように抱きしめて、途方に暮れたように、嗚咽する彼女の背中を撫でている。

(なんなんだよ…、やっぱり、別れ話か…?それとも、別れきらないのか…)

眉を寄せてその光景を見つめた。

(彼女も、僕と同じなのだろうか…、僕も、まだ少しでも、桃ちゃんの傍にいたい……)

“違う世界”を生きる人間に恋をして、別れを切り出されても諦められないのだとしたら、哀れだと思った。そして、いつの間にか拳の爪が肉に食い込むほど強く握り締めていた。

(一之瀬が桃子ちゃんを好きならば…、ちゃんと、その気持ちに向き合って、大切にしていたならば、あんな繊細そうな子を傷つける必要だって、なかったんだ…)

もし、自分なら…
今の僕に、桃ちゃんが傍にいてくれたら…
きっと、世界は見た事のない色を帯びるのに…

――目に映る景色全てが、きっと愛しいものに変わるのに

叶う事の無い、一方通行の想いに自嘲して、二人から踵を返し、俺は空を見上げた。

すっかり近くなった青い空が、梅雨が明けて、夏が訪れた事を告げていた。

桃ちゃんの夏……
僕の夏……

その空を僕はいつになく神妙な思いで仰いだ。
こんな不毛な思いを抱えていても、その空は以前よりも、ずっとずっと鮮やかに見えるのは気のせいだろうか?

――気のせいじゃない

その事に、本当はもう気づき始めている。

僕の心を締め付ける嫌になるくらい青い空…
喉元を重くする苦い味……

何故だろう、桃ちゃん
君に出会ってから僕、世界が違って見えるんだ…

だけど、桃ちゃん…
今の僕には…
この世界は、ちょっとまだ、眩しすぎるみたいだ……

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