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11 好きでいる覚悟

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颯太くんに手を引かれながら、さっきまでのやり取りが走馬灯のように頭をめぐる。

たっくん、そう言われていた拓海。
必死でひたむきで、傷ついたような彼女の顔。

―――桃子さんも、好きなんですよね?

私は、それに何も答えられなかった。
隠す事しか出来ない私の想いは、拓海を好きだと密かに思い続ける事は、そんなにも罪深い事なのだろうか。

(どうして誰も、この気持ちを放って置いてくれないのだろうか……)

―――私は、何も望んではいないのに

―――本当に、そう言えるのだろうか?

たぶん私は割り切れなかったのだと思う。
拓海の隣にああして並んでいるのが自分ではなかった事が、そしてその事実が私を途方もなく孤独にする。

―――私に拓海が側にいない未来なんて、今更想像できるのだろうか?

初めて感じる恐れと同時に持て余す薄暗い気持ち。
鉛が詰まったように黒くて、重くて自分すら傷つけるその正体は、きっと独占欲。

人通りのない体育館の脇道に入った瞬間、溜まっていた涙が零れ落ちた。後はもう駄目だった。

「あれっ、…ごめん、わたし…」

「桃ちゃん…」

颯太君は私の頬に手を伸ばした。
親指で一度涙を拭ってくれた颯太くんに、再び謝ろうとした瞬間、私は視界を失った。

 「泣いていいよ… それが、一之瀬を思う涙だって僕、構わないから」

 その言葉に嗚咽が込み上げた。
この人は私の気持ちなど、初めから全てお見通しなんだと、改めてそう思った。

 「ごめん… ごめんね。颯太君。ごめん……」

 私は肩を震わせて颯太くんの胸の中で泣いた。
 颯太君は私の背中をいたわるようにそっと撫でてくれる。

「うん……」

「……ごめんなさい」

 「僕の事は、いいよ… だから気にしないで、今は泣いて……」

そう言ってくれる颯太くんのワイシャツをギュッと掴んだ。

その後、どれ程そうしていただろう。
まるで二度目の失恋をしたような気分だった。

―――きっと拓海を好きでい続ける限り、私はこれからも何度だって、こんな思いをするのかもしれない。

―――でも、それでも…
   私の中の拓海は消えることはないだろう。

颯太くんは涙で酷い顔になった私を隠すように歩いて、コンビニで軽食を買ってくれた。そして私たちが初めて出会った道場近くの、あの痴漢騒ぎのあった公園のベンチに座り、にっこりと微笑みかけてくれた。

 「ここだったら、道場近いから、さぁ、桃ちゃん、ご飯、食べよう?体力つけなきゃ!サンドイッチに、おにぎりに、肉まんもあるよ? 」

「うん、…ありがと、ね」

「うん、稽古に向かう気持ちになるまでいいから、傍にいさせて?」

そう言って、微笑む颯太君の優しさに罪悪感で胸を締め付けられる。

一緒にいてもらってるのは、私の方なのだ…。

 居た堪れなくて、惨めなあの状況から、逃げられないで、ただ硬直する事しか出来ないでいた私を、出来るだけ傷つけない方法で連れ出してくれたのは、颯太君なのに…

私は、颯太君の想いを利用してばかりのような気がして罪悪感で苦しくなった。

「……私、やな女だね…」

「……そんな事ないから?」

 私が落ち着くのを待った頃、颯太君はサンドウィッチを手渡しながら言ってくれた。

 「ねえ… 桃ちゃん。僕、格闘技ってやったことないけどさ…、大事な大会で、もし始めから負けちゃうって、思ったとしたら…」

突然そう問われた私は首を傾げた。

「あっ、もちろん、一流のアスリートは、元々そんなネガティブな人なんていないかも知れないけどさ…、もし、仮に、一生懸命準備した大事な大会で、一回戦目から、『あぁ…こりゃ敵わないな』って思ってしまうような、そんな強敵とあたっちゃたら、戦わない道を選べたら、選ぶ?」

 颯太君は小さく笑って私にそう問いかけた。
 私は少し首を傾げて答えた。

 「引かないよ。『負けないって、大丈夫だ』って、そう自分に言い聞かせて最後まで戦うよ?自分の努力の成果や、未熟さも含めて突き詰めて、それでも、今より上を目指したいと思うから。」

そう答える私に、颯太君は静かに頷いてくれる。

「……それにね、相手の強さにだって、脅威や劣等感を感じるのはもちろんだけど、それ以上にね、何ていうのかな、…感動したり、ワクワクしたりもするんだ。私はやっぱり、それをしっかりとこの五感で確かめたい。確かめる為には『勝てる』と思って、全力で胸を借りて戦うしかないから…」

私のその言葉に、颯太君は微笑んだ。

 「そっか、多分、君の周りにいる人達は、そういう人ばかりなんだろうね。きっと、一之瀬も…」

 拓海の名を出して、颯太君はちょっとだけ苦い笑い方をした。

(拓海……)

小さな体で負けても、負けても、それでも勝つ気持ちで挑み続けた、拓海の過去のひたむきな姿を思い浮かべ目を細めた。

「…そうだね、拓海は典型的にそうだね、今はあんなに大きくなっちゃったけどね」と小さな笑みを浮かべる。

勝利の感覚が得られずに、向かないから、と道場を後にする子供は多い。拓海はそこを克服してここまできている。今にして思えば、拓海は何故あそこまで強くあり続けられたのだろう。

 「だから、かな。君たちを見てると、自分がここで何もせずに停滞している事が、本当に馬鹿みたいに思えてきて……、あぁ、僕って小さいなぁって…」

その言葉に、私は眉を寄せた。

「颯太くん…?」

その時、颯太君は少し寂しそうな笑顔を浮かべていた。

「僕、自分でも嫌になるくらいヘタレなんだ。それなのに、『それでも仕方がない』って、ダメな自分の、ダメな理由ばかりを突き詰めて、それで自分を納得させようとしてた」

「……」

「ずっと、そうだった」

そう言って颯太君は、自嘲するように空を見上げた。

「…でも、桃ちゃん達を見ていたら、そうじゃないんだ、それじゃきっと駄目なんだって、まず、今の自分を明らかに認めて、そこから自分なりの世界を、価値観を創りださなきゃ、きっと何の意味もないまま無為に時を過ごしちゃうんだって、そう思ったら、怖くなった。」

「自分なりの、世界?」

私は、颯太君を伺った。

「そう、気付いちゃったんだ」

そう言って一度眩しそうに空を見上げた颯太くんと再び瞳が合った時、彼は言った。

「世界はね、桃ちゃん、きっと、見てる人によって違って見えてるんだ」

そう言って颯太くんは、凪いだ瞳を細めて私を見つめていた。

「それを、僕に気付かせてくれたのが、桃ちゃん、君だよ?」

「わたし……?」

戸惑う私に、颯太君は優しく頷いた。

「うん、……だから、僕が見つめる君は、とっても、素敵に輝いてるんだ」

「………」

「僕もね、今回は、相手がそんな桃ちゃんだから、そして、多分、敵が、一之瀬っていう強敵だから、『あぁ、きっと負けちゃうなぁ』って、分かってても、それでも、まだ諦めたくないって、今だって、本気で思ってる」

「颯太君……」

淡い色彩の瞳でジッと見つめられる。

「君を、まだ、見ていたいから……」

「………」

そう言われた私は何も言い返す事ができなかった。
私には、きっと颯太君の気持ちに応えられる日はこない。きっと聡い颯太くんはそんな事はとっくに察している。

それでもきっと颯太君には颯太君の尊重されるべき意思がある。

私には、颯太くんの気持ちに応える事以外に、何か出来ることがあるのだろうか。そんな事を考えてしまう事自体偽善なのだろうか?

―――自分は、拓海の優しさが、自分を一層辛く追い詰める事を知っているのに。

「……やだな、桃ちゃん、そんな難しい顔しないでよ?」

「だって…」

「桃ちゃん、僕ね、夏休みに入ったら、しばらく家を離れて旅に出ようと思うんだ」

そう言って微笑む颯太君。
その笑顔は以前よりもどこかさっぱりしていると思うのは気のせいだろうか。

 「え、旅? どこに?」
そう問う私に、颯太君は微笑んだ。

 「ん~、旅行? 行き先は未定のスケッチ旅行かな。あっでも、絵も描くけど、それ自体が目的じゃなくて…」

そう言って、颯太君は少し考えるように、黙った。

「……僕、やっぱり『描きたい』と思う自分を、取り戻したいんだ」

そう言った後、颯太君は、再び黙った後、困ったように言い換えた。

「あっ……やっぱり、少し違うかも、描きたいと思う自分と、初めてしっかり向き合う時間を作ろうと思うんだ」

「向き合う…?」

「うん、今なら、探せそうな気がするんだ。僕の瞳で映し出した、僕だけの世界」

そう言う、颯太君の瞳は今までとは違う、真剣な色を帯びていた。その顔が、今までにないくらい綺麗で、私は眩しいものを見るように目を細めた。
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