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前編 サプライズは公開告白?

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「授賞式?私が??て、言うことは顔出しですか???」

 それはまさに青天の霹靂だった。
 目の前で編集の青森さんがにんまりと大きく頷くのを見てあがり症を自覚する私は途方に暮れる。

「………顔出し、で、でも」
「大丈夫ですよ、彩羽いろは先生こんなに可愛いのだもの!!」
「煽ててもダメです、そんなこと言われたことないです!」

 先生だの、授賞式だの、顔出しだの、全てが突然過ぎて嬉しさより不安と怖さが上回る。

 私の名前は林原彩羽、職業は作業療法士。
 そう、小説家ではないのだ。
 そんな私が、秋山彩というペンネームで、長年趣味として投稿を続けていた小説賞を受賞したとの知らせを受けたのはほんの一ヶ月前のことだった。

 母を早くに亡くした私は昔からお婆ちゃん子だった。
 いつも暇を持て余していた幼少時代から私は、絵や話を考えるのが好きでよく空想に耽りながら、本を読み、絵を描き、やがて趣味で拙い小説を投稿するようになったずぶの素人である。

 しかも世間的には明らかに陰キャと言われる種族で、人から注目されることに免疫がないのだ。

「でも、この賞で授賞式なんて、いや、ありがたいですけど、ちょっと、ちょっとだけ、大袈裟なんじゃないかなぁ、なんて?」

 そんな私の言葉に編集の青山さんは狐のような目を細めた。
 出版社の前で、受賞を過小評価する発言はよくない、うん、よくないのだ!
 だけど、どうしても胸に渦巻くこの違和感のやり場に私は困っていた。

「まあ、通常はそうなんですけどね、今回は特・別・なんですよ、うふふふっ」
「だ、だから、何なんですか?」
「それを言ってしまうと台無しじゃないですか?特別ゲストに来てもらえるというくらいしか今は……」
「と、特別ゲストですか?」
「はい、先生の作品がとーっても好きな特別ゲストに参加いただくことになりそうなんです、きっとお互いいい宣伝にもなると思うんですよ♡」
「せ、宣伝ですか………」

(………無名の私の授賞式に態々来てくださる、特別ゲスト?)

 この時、私は烏滸がましい、いけない、とは自制しながら、密かに期待してしまったのだ。
 私が愛してやまない名だたる憧れの作家先生を紹介して貰えるかもしれないことを。

「じゃあ、彩先生OKということでよろしいですね?」
「は、はい………」
「よかったぁ!!それでは早速先方にもご連絡しておきますね♡」

 何故か授賞式というものまで開いてもらえることとなった私は予定外の顔出しに未だ躊躇しながらも、その日を迎えた。

「まったく、器用貧乏だとずっと思っていたあんたがね……」
「い、言わないで、沙羅ちゃん、自分が一番そう思ってるんだから……」

 昔からそこそこに絵が描けて先生に褒められたり、銅賞程度の受賞は度々あったり、趣味で絵本や小説を投稿しては、そこそこの閲覧数と奇特な読者の方から温かい励ましの言葉を貰ってそれを励みにはしてきた。

 だけど、それを仕事にしたり、賞を取ったりなんていう想定はどこか自分ではしていなくて、近所のお年寄りと交流することの多かった私は、作業療法士の仕事に興味を持ち専門学校に進んだ後、読書や作品作りの経験を生かしてコミュニケーションをとり働ける職場として支援学校に就職した。
 そこで出会う不安や障害を抱えた子供達と一緒に少しずつ創作することの楽しさを共有して心を通わせて、一歩一歩に寄り添う日々を過ごしているのだ。
 難しい事が多くて、まだまだ毎日こちらが学ぶことの方が多いような日々だけど、適性や遣り甲斐も感じていた。
 そんな日々のなかでの受賞だった。

「いや、でも、私は嬉しいよ?」
「本当?喜んでくれる??」
「そりゃあそうだろう!なんたって親友の作品が認められたんだ!!あたしゃあんたのファンでもあるしね!!」
「沙羅ちゃーん!!」
「泣くなってメイクがよれるから!!」
「ご、ごめん!!」

 今、こうして身支度を整えてくれているのは親友の沙羅ちゃんで、駆け出しのメイクアップアーティストである。

「おっ、いいじゃん、いいじゃん、可愛いじゃん!!」

 そんな友人にメイクを施されて、七五三よろしく晴れの日を迎える。
 本当に夢みたいな話だ。
 だけど、この時の私は、その後、もっと夢みたいな予想外の経験をすることになるとは思ってもいないことだった。

 まず、授賞式の規模が予想外だった。
 少なくとも私の予想していた十倍以上の人がいて、マスコミらしき人達も慌ただしく行動をしている。

「き、聞いてません………」
「言いましたよ?スペシャルゲストがいらっしゃるから賑やかになるって………」

 青森さんがそう言って、もはや絶対逃げられない圧を醸し出しながら微笑んだ。

「さぁ、先生、ご挨拶にまわりましょう」
「は、はい………」

 目が回りそう、何なら視界が真っ白になりそうななかで、私は青森さんに促されるままに会場で挨拶運動を繰り返し、壇上で挨拶をするころには、もう吐いてもおかしくないというくらいの緊張状態だった。

―――もう、自分がどこにいて、何を言っているかも分からないよ?いいの、これ??

 そんな状態でも、何とか喋ることが出来ていたのか、会場は大きな拍手に包まれ、私はと言えば、この緊張から解放されるその時を、ひたすら心待ちにしていたのだ。

 そんな時、会場に聞き覚えのある旋律の音楽が突然流れてきたのだ。
 それに周囲が待ってましたとばかりに騒めき立つ。
 私が壇上に立ったときとは、周囲の熱気が明らかに違うのだ。

―――えええっ、なに??なにが始まるの????

 知っている曲だった、歌い手の事は知らないが最近本当に街でよく耳にするようになった印象的な曲なのだ。心をギュッと掴まれるような切ない感覚があり、だけど前向きに進む愛によりモチベーションが上がるような不思議な余韻に浸れる曲。

『それでは本日のスペシャルゲストから、お祝いの言葉をいただきます!シンガーソングライターの日比谷雨音さんの登場です!!』

―――ふぇ!?誰、それ??

 大歓声と共に近づいてくる人影に目を向けた私は眉を寄せた。
 スラッとした長身の男性は、彼を訝し気に見つめる私の二メートル程の場所で足を留めた。そのまま眉目秀麗という言葉がピッタリな男性に微笑まれたのだ。

―――なに、このイケメンは誰??

 サラサラとした黒髪と少し日本人離れした艶やかなグレーの瞳が印象的なイケメンを私は知らない。

―――ど、どちらさま、でしょうか??

 その瞬間、驚きより焦りが上回って、私の思考は迷走を始めた。

―――これ、もの凄く不味くない??芸能人?芸能人ってことだよね???

 背中から冷や汗が噴き出るなか、私は困り果てていた。
 恥ずかしながら私は自他共に認める芸能界音痴であるのだ。

 もし田舎に住んでいて、突然有名芸能人が一晩泊めてくれと言ってきたら、「どなたでしょうか?」と空気の読めない発言をして周囲を凍り付かせる自信があるレベルなのだ。

 特に今までそれで困る事はなかった、だけど流石にこの状況で相手のことを全く知りませんというのは失礼にも程があるだろう。

―――ダメだ、詰んだ

 そう思い、今にも倒れそうな私は引き攣った笑顔のまま絶望的な気持ちでいた。
 そんな時、目の前の男性と目があった、彼は戸惑う私に一瞬困ったような顔をして微笑んで、そのままマイクで挨拶を始めた。

「あー、先ほど紹介いただきました、シンガーソングライターの日比谷雨音(ひびやあまね)と申します、彩先生、この度は受賞おめでとうございます!」

 そう切り出した彼は、ペコリと頭を下げる私の方を少しだけ目尻を下げて見つめて、挨拶を続けた。

「シンガーソングライターといってもまだまだ駆け出しなので、僕の事を知らない方もこの会場には大勢いらっしゃると思いますので、今日は僕の紹介と、彩先生の一ファンとしての感謝の気持ちを伝えたくてこの場にお邪魔しました!」

 会場には《キャー!!雨音くうん♡》《皆、知ってるよぉ!大好き!!》なんて声も飛び交っていて、私は必死に情報を整理する。

―――曲だけは知ってる、知ってるのに。

 街で耳にする度に、あぁなんていい曲なんだろう、どんな人が歌っているのだろうって思うのに、自分はそういった事を調べる習慣がなくてそのままになっていて……
 きっとあの曲はまだ駆け出しだと自称するこの男性が歌っていて、名前は日比谷雨音さんというらしい。
そして、本当か宣伝か、はたまた頼まれたのかは別として、この人は私のファンとしてここに来てくれた、らしい……

―――それが今日のサプライズということだよね?もう、そうなら事前に教えて欲しかった!!

 事前に伝えたらサプライズにならないことは分かるけど、当事者の私が彼の事をろくに知らないのは大変に気まずいではないか、と恨めしい気持ちで一杯になる。

 そんな余裕のない私の横で、雨音さんは明るい声で、私の作品との出会いを語っている。
高校生の時に私の投稿作品を初めて読んでくれて、その後も新作が投稿される度にチェックしてくれていて、今回ヒットした彼の作品にも私の小説の影響が少なからずあったのだと……

―――え?私の小説の影響を受けた作品があれ??う、嘘でしょう???

 余りの衝撃に目を白黒させている私の前で彼は私の作品の良さを恥ずかしくなるほど雄弁に話続けた。

「そんな風に、彩先生の作品と言葉は常に、思春期で葛藤する自分の心に寄り添ってくれました、だから、今日、僕はこの機会をいただいて、秋山彩先生に僕の長年の想いを伝えようと思います」

―――いや、褒めすぎでしょう???これ以上褒められたら逆に居たたまれないから!!

 私は嬉しい気持ちと居心地の悪さに自分で自分を抱きしめた。

「彩先生、大好きです!どうか僕と交際をしてください!!必ず貴女を大切にすると誓います!!!」

―――ふ、ふぇぇぇぇぇぇ!!!????

 咄嗟に理解不可能な言葉と共に会場が一瞬静まり返って、その後悲鳴と騒めきに包まれる。

―――なに、この展開??

 そして、司会者が待ってました、とばかりに会場を盛り上げる。

《日比谷さんからの愛の告白です!これは実に羨ましいですねぇ!!》
《彩先生はこれにどう返事をされるのでしょうか!?》

―――へっ?返事????

 寝耳に水のこの状況で返事を求められた私は狼狽えるしかなかった。

―――待って、待って、待って!?

 おかしいでしょうこの状況。
 しかも相手は今を時めく新進気鋭のシンガーソングライター??って、芸能人だよね???しかも今、存在を知ったばかりの????

 相手の事を考えたら、こんな場所で頷く事も、断る事も適切とは思えない崖っぷちに立たされた私は、これまた正解ではないかもしれないけれど、引き攣りながらようやく言葉を発した。

―――正解とは??

「あー、ありがとうございます?た、大変光栄なことではありますが、そ、その件につきましては色々と熟考の必要がありますので、か、考えさせてください………?」

―――もうやだ、やだやだやだ!面白くない返しで本当にごめんなさい!!
   だって素人なんだもん!!!

 完全な人選ミスが恨めしい。
 顔を真っ赤にして居たたまれない思いでそう口にした瞬間、会場が吹き出すような笑いや、悲鳴や、ブーイングなどに包まれる。

 同時に、ガッツポーズをとるように拳をギュッと握りしめた日比谷さんは、はぱぁぁとクールな面差しに華やかな笑顔を湛えて起き上がり「考えてくださるとの言葉をいただけて本当に嬉しいです、これからOKを戴けるように日々精進しようと思います!!」とマイクを通して高々に宣言した。

 すると「いいぞぉ!雨音頑張れ!!!」とか「イヤー!!!雨音くん!!」なんて声と共に大きな拍手に包まれて、私達はマスコミのカメラのフラッシュに包まれた。
 そして茫然自失の私は、その後司会者の声を朧げに聞いていた。

《さて、皆さま、雨音くんの告白が半・分・成・功・したところで、本日最期のサプライズをお伝えします。受賞作品、“影の絆”はテレビドラマ化が決し、その主題歌を日比谷雨音さんに担当いただくことになりました、彩先生と雨音さんのコラボ、楽しみですね!放送予定は来年の秋ごろを予定しておりますので皆さま、ドラマも主題歌も楽しみにしていてくださいね!》

―――ド、ドラマ化???

 惚けたようにその場から崩れ落ちた私を見て、フッと笑った日比谷さんは私に手を差し出した。

「大丈夫ですか?彩先生、いい作品に出来るようお互い頑張りましょうね?」

 そう言って引き起こされた私は、バクンバクンと高鳴る心臓を聞きながら、ようやく悟った。

―――サプライズはドラマ化だったのだ


 それからの事はよく覚えていないけれど、逃げるように控室に駆け込んだ私は沙羅ちゃんの巨乳に涙混じりの顔を埋めていい子いい子をされながら、放心していた。

「いや、頑張った!張ったよ!!彩羽、あんた人見知りで、あがり症なのにね!!!」
「沙羅ちゃーん!!!」
「おー、よしよし!!」
「もうさ、嬉しいんだか、悔しいんだか、恥ずかしいんだか分からないよ、私!!!」
「頑張れ、現役作業療法士!!」

 そう言って揶揄う沙羅ちゃんを恨めしく見つめる。

「もう!それ、本当に気にしてるんだから言わないで!!お互いに根が人見知りだから分り合えることもあるんだよ!!!」
「冗談だよ、悪かったって!でも凄いじゃん、受賞作品いきなりドラマ化って!!」
「そうだけど、それにしてもドッキリなんて酷い!!!」

 こんな面白くもない自分に宣伝にあんなドッキリを仕掛けるなんてと涙がこみ上げる。

「えっ、ドッキリ?ドッキリなのかなぁ??あれ、日比谷雨音、あんなに真顔で語っちゃってたけど……」

 その言葉を聞いて私は益々顔を歪めた。
 その言い方から、彼は沙羅ちゃんまで知ってる有名芸能人だと改めて思い知ってしまい、恥ずかしさと申し訳なさが何度も何度も再燃される、もう嫌だ。
 
「そんなの!ドッキリに決まってるよ!もう、本当に恥ずかしい!!!あっ、もしかして、ドラマ化や受賞もドッキリなのかも………、酷い」

 そう言って突っ伏す私を呆れたようにポンポンと慰める沙羅ちゃん。

「おいおい、流石に被害妄想!!素人騙してあそこまでの大がかりなドッキリしかけて需要なんてあるわけないでしょうが!!誰が喜ぶんだよ??」
「そ、そっか……、そっか………」
「もう!ひよらない!!!そろそろ帰る支度しないといつまでも居座っても迷惑だよ!!」
「ご、ごめん………」

 その時、コンコンとドアを叩く音がした。
 すると、返事の後に、日比谷さんが爽やかな笑顔で立っていた。

「先ほどはどうも、ありがとうございました」
「ど、どうも…………」

 そう言われた私は引き攣ったと同時に一つのことを思い立った。

―――きっと、ネタをバラシにやってきたのだ

「先生……」
「や、やめてください、先生なんて…、居心地悪いですから」

 そう戸惑う私に、日比谷さんは少し恥ずかしそうに尋ねた。

「じゃあ、名前でお呼びしてもいいですか?」
「ど、どうぞ……」
「あ、彩さん…」
「あ……、それはペンネームなので、ごめんなさい、全然呼ばれ慣れてなくて」
「ペンネーム?そうでしたか、それでは本名を教えていただいても?」
「は、林原彩羽といいます」
「彩羽さん……、可愛い名前ですね」

 目尻を下げて微笑むイケメンの破壊力に居心地が悪く思わずコンプレックスを暴露してしまう。

「あ、ありがとうございます、名前負けをしちゃってて、いつも凄く恥ずかしいんですが……」
「そんなことはありません、とてもお似合いの名前です」
「っ………」

 さすが芸能人、私と違ってそつがない。
 本来興味がないだろう相手にも、あれほど好感を持っている演出ができるのだから。

「あの、先ほどの話ですが………」

 少し恥ずかしそうにそう切り出された私は、背筋を伸ばしてコクコクと頷いた。

「わ、分かっていますから、本気じゃ……」

 さぞ気まずいだろうと、こちらからあれは会場を盛り上げる為のリップサービスであり、本気ではないことは分かっていると切り出そうとした瞬間、私の言葉はかき消された。

「僕、本当に、凄く嬉しくて、がっついてるみたいで恥ずかしいんですけど、連絡先を交換してください、気が変わらないうちに…」
「え…………?」

 その言葉の意味が分からなくて固まる私の元に、傍で見ていた沙羅ちゃんが反応して私のスマホを鷲掴みにして、強引に私に握らせる。

「か、貸して貰っていいですか?」

 恐る恐るといった様子でそう尋ねる日比谷さんに、沙羅ちゃんが答える。

「どうぞ、どうぞ!」

―――おい!沙羅ちゃん!?

 (沙羅ちゃんの)同意を得た日比谷さんは、素早く作業を終えて、私にスマホを返して微笑んだ。

「ありがとうございます、これから、沢山アピールしようと思うんで、よろしくお願いします」
「は?はぁ………」
「ちなみに、この後、お時間はありますか?」

 そう聞かれた私は、戸惑いながらもこの後の予定を答えた。

「はぁ、今日はこれから、身内でお祝いをしてもらうことになっていて……」
「そうか……、残念だな、だけどそれじゃ邪魔する訳にはいかないな……」
「ふっ……え?」
「今日は諦めます、今度は是非付き合ってくださいね?彩羽さん、本当に楽しみにしてますから!」

 優しそうなグレーの瞳を細めて日比谷さんは微笑んだ。

「…………、は、はい?」
「また、連絡します、それじゃ、お友達もさようなら」

 艶のある低音の声のはまるでコンサートの締めくくりのような余韻を室内に残した。
 私達は閉められた扉の前で立ち尽くしていた。
 暫くして夢が覚めたような気持ちで、私達は顔を見合わせた。

「ど、どういうこと………?」
「そ、そういうことなんじゃない??」

 そして、その数時間後にLIMEに日比谷さんからの初のメッセージが入り、その翌日には、《日比谷雨音公開告白》の記事がネットを踊り、その反響に巻き込まれた地味な一社会人である私は話題の人となってしまった。

 それからというもの日比谷さんからのメッセージは一日に五件は毎日入ってきて、それは日常的なものだったり、投稿小説やSNSへのフォローだったりで、仕事相手との関係作りなのかとも思ったけれども、それにしては少し行き過ぎている気がして私は戸惑いを隠せなかった。

―――な、なんで?

「また食事に誘われた?ちょっと、あんた、どうするのよ??」
「え……、なんだか、流石に理由をつけて毎回断り過ぎてるから、どうしようかと…」

 あれから半月ほどが経過していた。

「……雨音くん、本気なのかな?」
「―――えっ、だって、あんなの、きっとただの余興、だよね?」

 そう焦る私に、沙羅ちゃんも計りかねるように首を傾げた。

「……余興、確かに、ちょっと悪趣味かな、とは思うけど、その線は確かに強いよね」
「でしょう?やっぱり、面白がられてるのかなあ、私……」
「もしくは、今話題の日比谷雨音と作家、彩のコラボって形ならマスコミに取り上げられてもドラマの宣伝効果抜群だよ?そう考えたら、お互いに利害が一致する関係にいるから注目を浴びる位置を維持させようって狙いがあるのかね、いいじゃん、それならそれで彩羽に損はないんだし…」

 その言葉に私は顔を歪めた。

「もう、他人事だと思って!!それは私の自業自得かもしれないけど、作業療法士の仕事にも差支えが出て困ってるんだよ!」
「あー………」
「悩みを抱えている人も多い職場環境のなかで、日々こんなお祭り騒ぎなんて正直申し訳なくて、この間なんて、職場に記者みたいな人まで来るし………」
「そりゃ、まぁ、そうだろうね……、でもさ、いい機会だから言うけどさ、彩羽も正直考え時だと思うよ、この先、どっちを本業として生きていくのかをね……」

 身体だってさすがに心配だしさ、絶対睡眠時間足りてないでしょう、と付け加えられた私は黙り込んだ。
 それは私がずっと考え続けていながら、答えを出せずにいることだった。

「うん、そうだね、そうだよね、それは、分かってる………」

―――身体はひとつしかない、心だって、無限に割ける訳ではないのだ


◇◇

 その後、私は悩みに悩んだ結果、作業療法士の仕事を退職した。
 小説を本業として仕事に専念することを選んだのだ。

 それは私にとっては苦渋の決断ではあったけれど、作業療法士の仕事は一気に増えた小説に関わる仕事と両立できるほど簡単ではなかったし、誠実に向き合うべき重責だと思ったからこそ導き出した答えだった。

「おめでたいことだけど、寂しくはなるわ」
「本当に勝手言ってすみません、せっかく今までご指導いただいたのに」
「いいのよ、数年間、あなたと一緒に働けて、私も色々と学ばせてもらったから」

 引継ぎはキッチリと終えたけれど、やはり職場の反応は様々で、未だ一人前とは言い難かった学びの途中での路線変更には罪悪感が伴わないかといったら嘘になる。
 これで会う機会を失ってしまう支援者にも後ろ髪を引かれる気持ちがある。

「これ、良かったら、時々、覗いてみてくれると嬉しいな!」

 そう言って、無料投稿サイトの絵本作家としてのURLと手書きのイラストを差し出すと子供達からわぁ、可愛い、と歓声があがる。

―――これだけは、少しずつでも続けていきたいな、順風満帆の時にも辛い時にも

 子供達と共有してきた創作すること・の喜びを自分なりにこれから先も伝えていきたい。

 そう強く思うのは、ここでの経験が私にはとても貴重なものだったからだ。
 ここでの触れ合いは人として、胸が痛かったり、温かかったり、心が震える瞬間もあった。
 
 知らなかった感情や、感覚、感性は、私達が普段常識としている基準から離れても、個として強く立派に確立された尊いものであり、それが激しいものであればあるだけ個性であるのに、生き辛さともなる。
 持って生まれた価値観を時には生きていく為に、適切な形に転換していくことも必要で……
 必要だけど、本当にそれが正しいかと問われたら、未だ内心では言葉に詰まることも沢山ある未熟な自分だった。

―――だけど、創作はいつだって自由であってほしい

 そんな願いを持っているからこそ、描ける世界もこの先きっとあるのだと、私は自分をそう納得させた。

―――誰一人、同じ人生を送っている人なんていないから

(素敵な経験を積ませてもらって、ありがとうございました………)

 私は感謝の気持ちで職場を後にして、待ち合わせの居酒屋に向かった。

「そう、最終日終わったんだね、お疲れ様」
「ありがとうございます…」
「………やっぱりちょっと寂しくなっちゃうよね?」
「それは、まあ、そうなんですけど、自分で決めた以上、仕方ないことですから………」
「………敬語」
「あっ、ごめんなさい、……ご、ごめん?」

 私が二十四歳で、日比谷さんが二十五歳と言っても、私達は学年上は同級生になるらしい。
 歳が近いのでお互い敬語はやめようと合意したことをすぐに忘れてしまう私に日比谷さんは困ったように小さく笑った。

 未だに慣れないけれど、あれから結局、日比谷さんとは何度か食事をしている。
 最初の数回は沙羅ちゃんも含めて食事をして、今では時々二人でも会うようになった。
 今は少し緊張も抜けて、烏滸がましい話ではあるが、ちょっとしたお友達同士みたいな関係になっている。
 人懐っこい沙羅ちゃんが『雨音っち』なんて呼ぶようになって、今では私も雨音君、と呼んでいる。

 来年の秋に始まるドラマの主題歌のイメージをすり合わせたいからと割と頻繁に呼び出されて、毎回、曲の進捗状況やイメージをスマホから聞かせてもらったり、本当に読んでくれているらしい私の小説の感想を貰ったりを繰り返しながら、それぞれのプライベートの会話なんかも少し交えて少しずつ親睦を深めているように思う。

「美味しかったね、行こうか?」
「う、うん………」

 毎回食事で少しだけお酒を飲んで、暗くなった公園を散歩したりして、最後はきっちり家に送り届けてくれる雨音君はとても紳士的で信頼できる。

 ただ、正直なところ、雨音君と居るのは周りの目が痛すぎる。

 それもその筈で、ドラマの宣伝の思惑があるのか日比谷さんは私の授賞式での公開告白をネタだと未だに否定していない。
 だから、地味で普通な私だけ歩いていて、それが私だと気付く人は皆無なのだけれど、少しだけ変装した雨音君に気付いた人は高確率で私が誰であるかに気付くようなのだ。

「あっ、あれ雨音じゃねぇ?雨音と、あれあれあれ、小説家の………誰だっけ??」
「えっ、嘘だ!本当に付き合ってるんだ!?」
「え~!釣り合わない!!!」
「ちょっと声が大きい、聞こえちゃうよ!!」
「だって、雨音の相手なら、女優の小坂莉奈か、柳真央くらいじゃないと納得できないんだもん!!」

(うっ…、凄くごめんなさい、誤解をさせていて………)

 そう、こんなことが日常茶飯事なのだ。

―――一あぁ、一体、こんな日がいつまで続くのだろう?どこかでしっかり訂正しないと

「彩羽ちゃん……」
「っ、はい……」
「行こう、何も知らない奴らのいうことなんて気にしないで……」

―――そうだよね、皆、何も知らないから、言いたい放題なんだよね

 ドラマが始まる頃までこんな関係が続くとしたら正直長いなぁ、と思う。
 何度か食事をして、お互いに素が出てくるなかで、気付いたこともあるからだ。

 雨音君はあの日演じていただろう、明るい陽キャというよりは寧ろ、口数があまり多くない穏やかで朴訥なアーティストタイプだと思う。
 そして、それが会う度に私にはそれが妙に居心地がいいと感じてしまうのだ。
 そう感じた彼の性格を少しだけ指摘すると、最初雨音君は困ったように「ごめんガッカリさせたかな?」と眉を寄せて聞いたけど、寧ろそっちの方がいいです助かってます、と云った私に凄く嬉しそうな顔で微笑んでくれた。

 その顔は本当に恰好よくて、アーティストだけじゃなくて、モデルや俳優だって何でもこなせる美貌と雰囲気を持ち合わせている。
 だから、私なんかへの偽の告白なんて多少ドラマの宣伝効果があると仮定しても、雨音君にはプラスマイナスで考えたとき大きなマイナスにしかならないのに、とどうしても私は思ってしまうのだ。
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