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【4区 5.4km 歌川 茉莉(4年)】
③ 夢舞台
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「覚えているんでしょう? 約束」
その声に、蓮李は驚き振り返った。アイリスの茉莉、ローズの瑠莉、お互いのチームの4区の選手に声をかけた直後のことだった。
松永悠未だ。ローズ大学のキャプテンでありエース。そこに立っているだけで威厳と迫力がある。蓮李にとっては、かつてのチームメイトでもある。
妹のいる本牧第一中継所に寄った後で、この野島第四中継所にやってきた。それから待機している間もずっと、松永とはなんとなく目を合わせられなかった。
少し間が空いて、蓮李は答えた。
「……忘れたことはないさ。一日たりとも、あの約束を思い出さない日はなかったよ」
高校1年の冬。全国の高校から有力選手が招待された選抜合宿で、蓮李たち7人は約束をした。
「ローズ大学に入って、7人全員でみなと駅伝を走ろうよ」
当時高校のチームメイトであった姫路薫が、知り合った他校のメンバーに積極的に声を掛け、同じ大学に進もうと誘った。普段付き合う人間を選ぶ薫にしては、少々珍しい行動のような気はしたが、力を認めた相手ならそういうこともするのかもしれないと思った。
この7人が全員同じ大学に集結したら、きっと凄いチームになる。
長野・佐久東高校の二神蓮李と姫路薫に加え、福岡・北筑女学園の松永悠未。神奈川・片瀬湘南の歌川茉莉。広島・メープル大附属三原の佐伯日菜。兵庫・須磨実業の坂本史歩。栃木・リンドウ芸大附属女子の郡司智香。
合宿の日程が進むに連れ、蓮李はせっかく仲良くなったメンバーと離れ離れになるのが名残惜しいと感じていた頃だったから、また「みんなで」何かできるかもしれないと思うとワクワクした。
「アンタは、約束を守り抜いたんだよ」
松永は、蓮李の瞳を力強く見つめて言った。
「あの日の7人は、それぞれ形は違うけど、大学最後の年にこうして全員がこの場に揃った」
怪我で競技を断念せざるをえなかった郡司智香も、今日は4区で瑠莉の付き添いを担当していたらしい。今では立派なマネージャー長だという。
「私は……、せめて同じ舞台に立てたらと思って、ここまで走ってきた」
蓮李の言葉に、硬い表情こそ崩さないが、松永は何も言わずに頷いた。
「だが、レースは別だ。絶対に追いついてやる」
「うん。こっちも負けるつもりはないよ」
二人はお互いの健闘を誓った。去り際に、松永が言い残した。
「薫はきっと、蓮李が約束を反故にしたと思っているのだろう。レースが終わったら、二人でよく話したらいい」
「そうだね、うん……。そうするよ」
一人になると、中継所のすぐ近くの海から吹き込んできた生暖かい風が頬を撫でた。スタート前まで降っていた小雨は止み、雲の合間から少し陽が射し始めている。走り出したら、さらに気温が上がってくるかもしれない。
そんなことを考えながら、フットギアの設定の最終調整をする。最初からフルスピードで飛ばしていけるよう、ソールの材質はハード。5区のコースから一つ脇道に逸れた直線コースを何往復か試走して、微調整する。
辺りを見渡すと、本当に凄いメンバーが揃っている。ローズ大の松永悠未、ジャスミン大の神宮寺エリカ、デイジー大の三浦琴美……。
エースは、チームの命運を握っている。誰が来ようが、この5区に逃げ場はない。エース同士が激しくぶつかり合い、レースが終われば勝者と敗者が明らかになる。
前半を走った後輩たちにこれだけお膳立てしてもらって、自分が試合を壊すわけにはいかない。
右脚が妙に冷える感じがする。左脚と比べて固いような。だが、不安要素を挙げ始めたらキリがなくなる。この弱気をのさばらせれば、まだスタートもしないうちに、いとも簡単にエース区間の重圧に飲み込まれてしまうだろう。
硬いと感じる右脚だけでなく、その周りの筋肉から順に、丁寧にほぐしていく。胸の内の不安が肺を満たしている。それを払拭したくて、連李はフッと強く息を吐き出し、速くなる鼓動を落ち着かせようとした。
高校生の頃、走れるのは当たり前だった。足を踏み出すだけで、身体は誰よりも前へと飛んだ。
けど、それは決して当たり前じゃなかった。大学の四年間で、それがよくわかった。
この舞台へ戻ってくるまで、ひと筋縄ではいかなかった。支えてくれた人たちのおかげで、ここに立てている。
高校時代の自分を知っている人が大勢見ている。今の自分の姿を見て、どう思うだろうか。多くの人の目に晒されることを考えるたび、蓮李は怖くなっていた。でも、決心がついた。
(今日は、ここへ連れてきてくれた人たちのために走ろう)
◇
【さて、レースは4区の3・3キロまでやってきました。先頭、アイリスの歌川茉莉は、「かながわの橋100選」にも指定されています観光の名所、夕照橋——現在は「ゆうしょうはし」とも呼ばれる橋に差しかかっています。それでは3区、個人の区間順位です】
★3区8.0km 区間順位
1位 25分08秒 安藤 ヘレナ (アイリス1年)
2位 25分19秒 洋見 伊織 (ジャスミン1年)
3位 25分31秒 松浦 花音 (ローズ3年)
4位 25分42秒 古賀 由羽 (プラム4年)
5位 25分45秒 三浦 珠美 (デイジー4年)
【スーパールーキー対決を制し、区間賞を獲得したのは、アイリス女学院大学の安藤ヘレナ・シェフェールでした。25分08秒は去年ローズの松永が3年生の時に樹立しました区間記録まであと3秒と迫る好タイムでした。続いて区間2位が、ジャスミン大学の洋見で、25分19秒。こちらも区間歴代5位のハイレベルな記録でした。それでは、区間賞の安藤ヘレナ選手のインタビュー、準備ができたようです】
——はい、それでは、見事区間賞を獲得しました、安藤選手です。おめでとうございます。
「ありがとうございます」
——2位で受け取ったタスキ、1位に押し上げて渡しましたが。
「はい。ワタシは4区の茉莉センパイに憧れて日本に来ましたので、トップで渡せて嬉しいデス」
——その茉莉先輩から、タスキリレーの際、何か声は掛けてもらいましたか?
「でかした。おつかれ。って言われマシタ(笑)」
——そうでしたか(笑) では残りの区間の仲間に、メッセージをお願いします。
「ゼッタイ優勝しましょう!」
——3区区間賞を獲得しました、安藤ヘレナ選手でした。ありがとうございました。
「ありがとうございました」
その声に、蓮李は驚き振り返った。アイリスの茉莉、ローズの瑠莉、お互いのチームの4区の選手に声をかけた直後のことだった。
松永悠未だ。ローズ大学のキャプテンでありエース。そこに立っているだけで威厳と迫力がある。蓮李にとっては、かつてのチームメイトでもある。
妹のいる本牧第一中継所に寄った後で、この野島第四中継所にやってきた。それから待機している間もずっと、松永とはなんとなく目を合わせられなかった。
少し間が空いて、蓮李は答えた。
「……忘れたことはないさ。一日たりとも、あの約束を思い出さない日はなかったよ」
高校1年の冬。全国の高校から有力選手が招待された選抜合宿で、蓮李たち7人は約束をした。
「ローズ大学に入って、7人全員でみなと駅伝を走ろうよ」
当時高校のチームメイトであった姫路薫が、知り合った他校のメンバーに積極的に声を掛け、同じ大学に進もうと誘った。普段付き合う人間を選ぶ薫にしては、少々珍しい行動のような気はしたが、力を認めた相手ならそういうこともするのかもしれないと思った。
この7人が全員同じ大学に集結したら、きっと凄いチームになる。
長野・佐久東高校の二神蓮李と姫路薫に加え、福岡・北筑女学園の松永悠未。神奈川・片瀬湘南の歌川茉莉。広島・メープル大附属三原の佐伯日菜。兵庫・須磨実業の坂本史歩。栃木・リンドウ芸大附属女子の郡司智香。
合宿の日程が進むに連れ、蓮李はせっかく仲良くなったメンバーと離れ離れになるのが名残惜しいと感じていた頃だったから、また「みんなで」何かできるかもしれないと思うとワクワクした。
「アンタは、約束を守り抜いたんだよ」
松永は、蓮李の瞳を力強く見つめて言った。
「あの日の7人は、それぞれ形は違うけど、大学最後の年にこうして全員がこの場に揃った」
怪我で競技を断念せざるをえなかった郡司智香も、今日は4区で瑠莉の付き添いを担当していたらしい。今では立派なマネージャー長だという。
「私は……、せめて同じ舞台に立てたらと思って、ここまで走ってきた」
蓮李の言葉に、硬い表情こそ崩さないが、松永は何も言わずに頷いた。
「だが、レースは別だ。絶対に追いついてやる」
「うん。こっちも負けるつもりはないよ」
二人はお互いの健闘を誓った。去り際に、松永が言い残した。
「薫はきっと、蓮李が約束を反故にしたと思っているのだろう。レースが終わったら、二人でよく話したらいい」
「そうだね、うん……。そうするよ」
一人になると、中継所のすぐ近くの海から吹き込んできた生暖かい風が頬を撫でた。スタート前まで降っていた小雨は止み、雲の合間から少し陽が射し始めている。走り出したら、さらに気温が上がってくるかもしれない。
そんなことを考えながら、フットギアの設定の最終調整をする。最初からフルスピードで飛ばしていけるよう、ソールの材質はハード。5区のコースから一つ脇道に逸れた直線コースを何往復か試走して、微調整する。
辺りを見渡すと、本当に凄いメンバーが揃っている。ローズ大の松永悠未、ジャスミン大の神宮寺エリカ、デイジー大の三浦琴美……。
エースは、チームの命運を握っている。誰が来ようが、この5区に逃げ場はない。エース同士が激しくぶつかり合い、レースが終われば勝者と敗者が明らかになる。
前半を走った後輩たちにこれだけお膳立てしてもらって、自分が試合を壊すわけにはいかない。
右脚が妙に冷える感じがする。左脚と比べて固いような。だが、不安要素を挙げ始めたらキリがなくなる。この弱気をのさばらせれば、まだスタートもしないうちに、いとも簡単にエース区間の重圧に飲み込まれてしまうだろう。
硬いと感じる右脚だけでなく、その周りの筋肉から順に、丁寧にほぐしていく。胸の内の不安が肺を満たしている。それを払拭したくて、連李はフッと強く息を吐き出し、速くなる鼓動を落ち着かせようとした。
高校生の頃、走れるのは当たり前だった。足を踏み出すだけで、身体は誰よりも前へと飛んだ。
けど、それは決して当たり前じゃなかった。大学の四年間で、それがよくわかった。
この舞台へ戻ってくるまで、ひと筋縄ではいかなかった。支えてくれた人たちのおかげで、ここに立てている。
高校時代の自分を知っている人が大勢見ている。今の自分の姿を見て、どう思うだろうか。多くの人の目に晒されることを考えるたび、蓮李は怖くなっていた。でも、決心がついた。
(今日は、ここへ連れてきてくれた人たちのために走ろう)
◇
【さて、レースは4区の3・3キロまでやってきました。先頭、アイリスの歌川茉莉は、「かながわの橋100選」にも指定されています観光の名所、夕照橋——現在は「ゆうしょうはし」とも呼ばれる橋に差しかかっています。それでは3区、個人の区間順位です】
★3区8.0km 区間順位
1位 25分08秒 安藤 ヘレナ (アイリス1年)
2位 25分19秒 洋見 伊織 (ジャスミン1年)
3位 25分31秒 松浦 花音 (ローズ3年)
4位 25分42秒 古賀 由羽 (プラム4年)
5位 25分45秒 三浦 珠美 (デイジー4年)
【スーパールーキー対決を制し、区間賞を獲得したのは、アイリス女学院大学の安藤ヘレナ・シェフェールでした。25分08秒は去年ローズの松永が3年生の時に樹立しました区間記録まであと3秒と迫る好タイムでした。続いて区間2位が、ジャスミン大学の洋見で、25分19秒。こちらも区間歴代5位のハイレベルな記録でした。それでは、区間賞の安藤ヘレナ選手のインタビュー、準備ができたようです】
——はい、それでは、見事区間賞を獲得しました、安藤選手です。おめでとうございます。
「ありがとうございます」
——2位で受け取ったタスキ、1位に押し上げて渡しましたが。
「はい。ワタシは4区の茉莉センパイに憧れて日本に来ましたので、トップで渡せて嬉しいデス」
——その茉莉先輩から、タスキリレーの際、何か声は掛けてもらいましたか?
「でかした。おつかれ。って言われマシタ(笑)」
——そうでしたか(笑) では残りの区間の仲間に、メッセージをお願いします。
「ゼッタイ優勝しましょう!」
——3区区間賞を獲得しました、安藤ヘレナ選手でした。ありがとうございました。
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