★駅伝むすめバンビ

鉄紺忍者

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【第9話 結実の秋】2037.10

① タルト・フランベ

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二神蓮李ふたがみれんり栗原楓くりはらかえで。横浜みなと駅伝のエース区間・花の5区を、二人のうちどちらが走るのか——。

それを決める予定だった9月下旬の青葉区記録会は今日、両者不戦敗というまさかの結果に終わった。発端となった楓の「5区宣言」の頃には、想像もしていなかった結末だった。

夏合宿中のある一時期に原因不明の大スランプに陥っていた蓮李先輩は、先日の日本インカレに向けて急ピッチで仕上げることになった経緯から、その反動も考慮し、記録会を欠場することとなった。

楓のほうは言わずもがな。早い段階で欠場が決まっていた。左足の故障で、1か月前からずっと別メニューで調整をしていたためだ。

でも今は、「していた」と過去形にできるのが嬉しい。五日前、楓はついに医師から練習許可が降りたのだ。

そんな二人に立花監督は、焦らず来月10月の本番に備えるよう伝えた。そして、今日は他のメンバーの応援に力をそそいでほしい、とも。

心枝このえ、中段取れよ!」

5000メートルのレース前、立花監督が声をかけるも、心枝先輩には聞こえていなかったようだ。隣にいたヘレナちゃんが肩をトントンと叩いて伝言すると、ようやく何か言われていたことに気づいたみたい。

「あっ、はい」

(心枝先輩、相当緊張しているなぁ)

お願い、この人は絶対に報われてほしいんだ。気づくと楓は祈るように指を組んで念じていた。気配り屋さんで、いつも自分よりみんなのことを優先させちゃうような人。そんなお淑やかな先輩が、夏合宿では遅れそうになっても歯を食いしばって粘るシーンを幾度となく見てきた。すごく頑張っていたもの。

監督も今日ここへ来る途中で言っていた。自己ベストはチーム内で一番下の16分56秒だけど、今日それを更新できるのはまず間違いない。あとは何秒更新できるかだ。って。

「ヘレナ!」

監督がヘレナちゃんにも声をかける。

「大丈夫だ、タルトフランベ食べたから」

楓はそれを聞いてズッコケそうになった。監督、ヘレナちゃんにはどんな作戦を指示するのかなって注目していたら、昨日の晩御飯の話ですか……。

でもヘレナちゃん、笑ってスタートラインに向かっていった。よかった。心枝先輩もそれに一緒に和んで、ガチガチの構えがいくらかほどけたみたいだった。うん、良い感じだ。

ちなみにタルトフランベっていうのは、ヘレナちゃんの出身地であるフランス・アルザス地方の郷土料理。デルフィ大学との練習試合があった時、出走メンバー外になって落ち込んでいたヘレナちゃんを励まそうと、寮母の咲月さつきさんがレシピを調べて作ってくれたのだった。

タルトって名前だけど、実際は薄焼きのピザみたいな感じ。パリパリの食感に、ヤギのチーズがアクセント。最初は、焼け始めにオーブンから漂ってきた独特なニオイが強烈すぎて、つい鼻をつまんじゃったけど、口にしてみるとこれがまたクセになる味なんだ。

チームのみんなにも大好評だったことを受けて、記録会前日の食卓にも再度並んだのだった。わかる気がする。慣れ親しんだ味って、心がホッとするよね。これからヘレナちゃんを勇気づける必要があるたびに、また食べられるんじゃないかなんて考えていると。

『On your marks——』

いけない、もう始まる。お腹が空く回想はこのへんにしておこう。

本音を言えばもちろん楓だって走りたかった。けれど、今日これから白線の向こう側で走り出すのは、一緒に練習を乗り越えてきて、自分のことのように応援できる仲間たちなんだ。

夏の間にたっぷり生い茂ったであろう草木。その揺れが止まると、カラッとしたピストル音がかすかな煙とともに空中で弾けた。秋の力試しタイムトライアルがスタートした。



「ヘレナちゃん、心枝先輩、ファイト!」

青葉区記録会独特の、選手と同じ高さからの声援。楓の言葉は、ブルートラックの大海原に向かって、真っ直ぐに響き渡った。

監督の立花も、両手のストップウォッチをがっちりと握りしめながら、すかさず声をかけた。

「駅伝のラスト1キロだと思って出し切れ、40切れるぞ!」

二人は5000メートル15分40秒切りを目標に設定された組に出場し、順調にレースを進めていた。

ヘレナは集団の前方で実業団ランナーたちに混じって、上手くリズムを貰っている。まもなくしてラスト一周の鐘が鳴ると、今度は第二集団で力を溜めていた心枝が一気に抜け出してきた。

「トレーニングの成果、出ているな。心枝の長い手足だったら、『腕を振れ』は間違いで、勝手についてくるのが理想なんだ」

立花はそれを傍にいた楓に言っていたつもりだったが、半分は、自分の指導が間違っていなかったことを噛み締めていたのかもしれない。

「ハァ、ハァ、ヘレナちゃんがいたから、途中キツいところでも頑張れたよ」
「ワタシも。後ろから心枝センパイ……ついてきているのが見えて、嬉しくって……」

ゼッケンを回収され戻ってきた二人は、爽やかに汗を滴らせながら、晴れた表情でお互いを称えていた。

結果は、ヘレナが15分25秒、心枝が15分33秒。二人とも目標を大幅に上回る自己ベスト更新だった。特に心枝は、従来の自己ベストから1分23秒も記録を縮めた。心枝は昔の自身を周回遅れにしたことになる。

先日の日本インカレ5000メートルでの蓮李の7位入賞は、チームとして盛り上がりはしたものの、元々力はあったわけだし、どこか別世界の話のようにも感じていたと思う。けれど今日のは、普段同じメニューをこなしている他のメンバーが「自分にもできるかもしれない」と思えるような躍進だ。

「よく頑張ったな、二人とも!」



さてと。立花にはこれから、声をかけにいくべきもう一人の選手へちょっかいを出しにいく用事がある。

「よう、久しぶりだな。最後の最後で自己ベストおめでとう」
「先生、なんで私のベストタイムなんか知っているんですか」

宮沢みやざわ千種ちぐさは、立花が地元の長野で陸上教室のコーチをしていた時の教え子。蓮李と同じ代だから、彼女も大学4年ということになる。当時教えていた中学生たちは各地に散らばっていったけど、大学まで競技を続けている子はもうほとんどいない。

「当たり前だろ。教え子はずっと気にしているよ」
「蓮李とは、さっきそこですれ違って。心枝ちゃんなんか、到着してすぐ律儀に挨拶に来てくれましたよ。さて、立花はどこで何をしていたんでしょうかねぇ?」

千種はオロオロと泣く真似をしてみせる。

「私、もしかして忘れ去られてるんじゃないかって、寂しくて寂しくて」
「ウソつけ!」
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