天使の隣 〜駅伝むすめバンビ〜

鉄紺忍者

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【第9話 結実の秋】2037.10

(番外編) 優雅なひととき

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茉莉まつり先輩も戻ってきていたんですね。これからお出かけですか」
「えぇ。ちょっと遅めのランチに。どうですかな、バンビ殿もご一緒に」
「はい、ぜひっ! 喜んでお供します」

* * *

嬉しい巡り合わせだった。

長野・岐阜での夏合宿と、蓮李れんり先輩が出場した日本インカレ5000メートルが、無事に終わった。

アイリス駅伝部は、一度横浜の寮に帰ってから、改めて五日間ほどプチ帰省の期間が設けられた。けどお盆の時のようなリラックス休暇ではなくて、今度は秋学期への準備のためといった感じ。

かえでは、夏季休暇中のレポート課題のため大学図書館で借りていた本の返却日の関係で、岡山から一日早く横浜へ戻ってきた。用事を済ませ、キャリーケースを引きずりながら駅伝部の寮へと帰ってきた。

(ただいま!)

誰も居ないと思いきや、玄関にはすでに茉莉先輩の靴箱にだけ、真新しい白いスニーカーが入っていたのだった。

楓はそれを見てなんだか緊張した。アイリス駅伝部の場合、四年生の先輩と二人きりだから怖いというニュアンスにはならない。

そう。これはまさしく、夏休み明けにクラスメイトと再会する時のあのドキドキと同じだ。夏合宿中は毎日一緒だったからか、たった四日ぶりの再会でも、なんか変な感じなのだ。

そうだ。実家から持ってきたお土産があるから、茉莉先輩のお部屋を尋ねてみよう。合宿前にランニングフォームについて相談した時以来だ。

ええと、まずノックしてみて、もし返事が無かったらその時は——なんてシミュレーションをしていたところに、一階の床に足音がした。

茉莉先輩一人なのだから話し声が聞こえるわけもなく、居場所の手がかりがなかったけど、逆に向こうからしたら、何者かが玄関に入ってきたという音は丸聞こえだったみたい。

現れた茉莉先輩は、いつもよりおしゃれに着飾っていた。薄紫色のシャツにグレーのタックパンツを合わせ、小さめのショルダーバッグも肩にかけている。普段の茉莉先輩は、ファッションに無頓着というわけではないけれど、もっと機能性重視の印象が強かったから、ちょっと意外だった。



「お待たせしましたー!」

楓もひとまず二階の自室に荷物を置いてきて、一緒に外へ出た。この二人の組み合わせでご飯って結構珍しい気がする。あれっ。というか、もしかして初めてかもしれない。

(ええと、茉莉先輩も図書館の返却日……?)

楓はふと気になって、予定日より一日前に戻ってきている理由を尋ねてみたのだが。

「最後かと思いましてな。誰も居ない寮を見るっていうのも」

あら、そんな。寂しい答えが返ってきて、楓はうろたえた。

(しかも、楓はその貴重なおひとり様時間をぶった斬ってしまったわけか。いやいや、でもこうしてお昼に誘ってくれたんだから、大丈夫だと思いたいけど……)

茉莉先輩は、歩きながら感慨深そうに寮の周辺の木々を眺めているようだった。

アイリス女学院大学の運動部寮が並んでいる洋館通りから、一本隣の道へ出てくると、「みなとの見える丘公園」が近づいてきた。

「近くにこんなオシャレなカフェがあったんですね」

名前は、ローズカフェ。まるで人形のお家のような可愛らしい木造の建物だ。駅伝部の寮とは目と鼻の先。けれど、公園の一番端っこにたたずむこのカフェのことは全然知らなかった。

「えぇ、たまに一人で来るんです」

へぇ、そうなんだ。集団生活の中でごくたま~に息苦しくなるような時、こんなふうにひょいと抜け出して自分のリズムを取り戻している時間が、茉莉先輩にはあったんだ。まるでこのカフェみたい。ずっと近くにいるようで、全然知らなかった。

楓は、茉莉先輩の意外な一面を知れたようで嬉しくなった。今日は、そんな一人時間を上手に過ごせる茉莉先輩がわざわざ声をかけてくれたのだ。秘密の隠れ家に招待してもらったみたいで、楓の足取りは一層軽くなった。夏でなければ、店の外のテラス席で食べたいくらいだった。

店内に入り、カランカランと鐘が鳴る。ウェイターさんがマナー研修の教習映像みたいに綺麗に腰を折って「いらっしゃいませ」とお出迎え。茉莉先輩が「2名です」と伝えると、するするとお店の奥へと案内してもらった。

何だろう、この異世界感は——。

そこには女の子の憧れの世界が広がっていた。レトロな内装も、テーブルに並んでいる高価そうな食器も、何から何までカワイイ。心の中の空耳で「お姫さま二人、ご来店です」なんて、案内されたような気分に浸っていた。

座席について、メニューを広げる。色とりどりのケーキや紅茶のリストに、楓の心は踊った。

(薔薇のケーキ? 初めて見た!)

「わぁ~、私どれにしよう!」

ところが、はしゃぐ楓とは正反対に、茉莉先輩はほとんど表情を変えず、何を見ても山のように動じない。

「茉莉先輩って大人ですよね。なんというか私、このままボーッと生きていたら、きっと子どもみたいな4年生になるんじゃないかって気がしてきました」
「ふふ。私はむしろ羨ましいですがね。未知の事柄に目をキラキラさせられるというのは、それだけ若い証拠ですから」
「あ、いえ、あの、そういう意味ではなくって……」

しまった。もう少し落ち着こう。何を見てもいちいち驚くというのは、かえって失礼なことかもしれないと思えてきた。

茉莉先輩にとっては、これから始まるみなと駅伝本番に向けた追い込みの前に立ち寄っておきたかった、ホッと落ち着ける場所なのだろうから。

「4年生と1年生の違いっていうよりも、どうしたらそんなに落ち着いていられるのかなって思ったんです」

楓は少し緊張しながら言葉を続けた。

「なんでしょうな。味わっているんです。この空間に存在する自分を」
「この空間に存在する自分、ですか」
「えぇ。例えばちょうどその掛け時計のあたりにカメラがあって、そこから自分たちの姿を見ているように」

茉莉先輩は頭が良すぎて、時々何を言っているかわからないことがある。それでも、難しい言葉を使わないようにしゃべってくれているのは伝わってくる。

「ドラマのワンシーンみたいに、ってことですか」
「うん、そういうことです。私は、その時見たもの、触れたもの、感じたこと、聞いたこと、話したこと、どれもじっくり堪能して、少しでもココに残しておきたいんです」

茉莉先輩は自分のこめかみをトントンと指さした。心臓を指すのではないところが、この人らしい気がした。

同じことをやろうとしても、楓の脳みその容量では心もとない。楽しかった、嬉しかった、そういうことはよく覚えているけど……。あとは、悲しかった、とか。

「この先いつか機会があるだろうと思っていることでも、案外その "いつか” は来ないまま時間は過ぎてしまうものですのでね」
「そんな、悲しいこと言わないでください……」

いつか聞いてみよう、いつか一緒に行きたい。先輩たちとのやりたいことリストが貯まっていっても、これからみなと駅伝があって、それが終わったらほんの数ヶ月で、あっという間に茉莉先輩と蓮李れんり先輩は卒業を迎える。そういう意味に受け取った。

なんだか、茉莉先輩の背後にある掛け時計の秒針が、急に生き生きと進んでいってしまうように感じた。

「ははは。別にしんみりしてほしかったわけではないのですが」

茉莉先輩は微笑み、「ふむ、そうですな……」と少し間を置いた後で話してくれた。

「我々が生きている一日一日は、一見代わり映えしないようであっても、実は今後何度でも思い出す一日になるかもしれない。もちろん忘れていいこともありますが、とっておきたいと思う記憶は、やはり何度思い返しても良いものです」

(そんなふうに考えて生きたこと、なかったな……)

注文したローズティーがふたつ運ばれてきた。お行儀が悪いからあまりクンクン嗅ぐわけにはいかないけど、今はこの香りを思いっきり吸い込んでおきたくなった。これは、思い出の引き出しのカギ。同じメニューを注文すれば、いつでも茉莉先輩のことを思い出せる。

楓はゆっくりとカップに手を伸ばした。



ローズカフェからの帰り道、空は茜色に染まり、木々の影が長く伸びていた。穏やかな風が吹き、楓の髪をやさしく揺らした。

自分たちが住むケヤキ館へ戻る前に、茉莉先輩はちょっとした寄り道を提案してくれた。茉莉先輩のお気に入りの場所、と言って連れられたのは、なんとビックリ、アイリス駅伝部の寮だった。

「意外とエノキ館のほうへは来たことがないでしょう」
「はい。練習機材を取りに来る時ぐらいしか」

エノキ館の横から、生い茂った草花をかきわけて小道を奥へと進む茉莉先輩に、楓もついていく。

「このあたりのカエデ。秋になると色付くんです」
「カエデ、ですか」
「えぇ。バンビ殿と同じ名前です」

楓は茉莉先輩が指さす先を見上げた。立ち並ぶカエデの木々は、まだ緑で若々しく、風にそよそよと揺れている。

「これからは、バンビ殿の季節です」
「私の、季節……」

楓はつぶやきながら、いつの間にか口に残っていたはずのローズティーの香りが薄れていることに気づいた。

「茉莉先輩」
「ん?」

(私、ずっと覚えています。今日の楽しいひとときを)

「また行きましょうよ、ローズカフェ」

コロ、コロリ。鈴虫の鳴き声が聞こえ始めた。だんだんと辺りが暗くなる中で、茉莉先輩の表情が優しくそっと微笑んだ。
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