★駅伝むすめバンビ

鉄紺忍者

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【第8話 白薔薇と黒薔薇】2037.09

① 夏のトンネル抜けて

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未だによく思い出す。あの夏。あの夜。あの鈴の音——。私は、もう一度走ってみようと思う。約束を果たすために。

* * *

9月に入った。

朝の空気はひんやりとして清々しく、肺いっぱいに吸い込むと心が洗われるようだった。長かった夏合宿が、ついに終わりを迎える。

かえでにとっては、特にケガをしてからの毎日はとてつもなく長く、鬱々とした時間だった。横浜の寮に戻ったら、もうそろそろ走り出したいと、切実に思った。

最後の朝練を終え、立花監督が総括をした。

「長野・岐阜と、約40日間にわたる長期合宿、お疲れ様でした。ここで頑張れた分ね、秋になって涼しくなったらもっと走れるようになると思います。10月の本番まで、一日ずつ大切に過ごしていきましょう。いいね?」

「「はい!」」

合宿初日の、涼子さんが一緒に乗っていた車内の景色を思い出すと、40日と言われて、もっと長かったようにも感じる。それだけ毎日が濃かったということだろうか。楓の体感で言えば、初日とはもうほとんど別人である。

今日の午後は、蓮李れんり先輩が出場する日本インカレという大きな試合がある。要は、春にお手伝いをした関東インカレの全国版にあたるらしく、陸上部のトラック種目・フィールド種目の大学生が、全国各地から集結するのだという。大学生の日本一を決める大舞台に、チームメイトが出場する。それだけで誇らしかった。

楓はこの日を楽しみにしていた。長野合宿で絶不調に陥っていた蓮李先輩が、最近の練習では徐々に調子を取り戻しつつあるのだ。監督が言うには、状態は60から70パーセント。

楓が楽しみな理由はもうひとつあるのだが、それはまた後の話。

寮母の咲月さつきさんが運転する車は、合宿所のある山岳地帯を降り、長良川ながらがわ陸上競技場へと到着した。この日に備えて同じ岐阜県内を拠点にしていたわけだけど、それでも車で3時間ほどはかかったと思う。

「わあー、お客さんがいっぱい」
「みなと駅伝の予選でもビックリしましたが、今日はもっといますネー」
「くぅー、この雰囲気、たまらん!」

競技場内を見渡し、人の多さに圧倒されている楓・ヘレナちゃん・ラギちゃんの一年生ズに対し、二年生の柚希ゆずき先輩が得意げに語った。

「そりゃ、あれは "関東" 予選だから。こっちは "日本" インカレ! 応援だって日本全国から集まっているのよ」
「へぇー」

(そんなすごい大会に、蓮李先輩は出るんだな~!)

太陽は高く、空には雲ひとつない青空が広がっていた。強い陽射ひざしが降りかかり、何もしていなくとも頬に汗が滴り落ちてくる。

陽炎のように揺らめくグラウンドを見下ろすと、手前のエリアでは走幅跳はしりはばとびの競技が始まるところで、観客たちが手拍子で盛り上げている。トラックでは、スタッフの人たちがハードルを運んで片づけている最中だった。

準備のために蓮李先輩と先に到着していた立花監督が合流した。今日は監督も勝負服で、藍色のネクタイに、パリパリのグレーのワイシャツ姿である。ランナーだからシルエットもシュッとしているし、なかなか決まっている。

日陰で、かつ9人で固まれそうな長椅子を探し歩きながら、立花監督が言った。

「ちなみに初日の1万メートル優勝は、ジャスミン大学の神宮寺じんぐうじエリカ。そして準優勝が、みんなもよく知っているデルフィ大学の黒田涼子だ」

(エリカさんと涼子さん!)

「ラッキーだなぁ、楓は。優勝・準優勝、どっちの選手とも一緒に走ったことがあるんだから」
「えへへ」



無事に席に座ることができ、しばし雑談していると。

「あっ、ねぇ! 蓮李先輩が入場してきたわよ!」

柚希先輩が興奮気味に教えてくれた。みんなが話している間も、ずっと待ち構えていたんじゃないだろうか。

楓は急いでグラウンドに視線を下ろすと、選手たちが端っこのほうで列を成してゾロゾロと歩いてきて、入場ゲート前の待機スペースに収まっていく。みんなそれぞれ自分の荷物を入れた大きいビニール袋を提げている。

その中に、アイリスの黄色いシーズンユニフォームに身を包んだ蓮李先輩を見つけた。秋の駅伝の時はまた違うカラーになるとのことなので、見られるのは今日が最後になるかもしれない。

「「せーのっ、蓮李せんぱーーーい!」」

みんなで息を合わせて声をかける。あっ、気づいてくれた。と喜ぶのは、妹の心枝このえ先輩。楓も声援を送ったが、蓮李先輩の後ろから入場してきた選手に思わず目を奪われてしまってもいた。

(エリカさん……!)

実は、エリカさんは今日の5000メートルにもエントリーしており、楓は道場破り事件以来久しぶりに生のエリカさんの走りを拝むことができるのだ。そのせいで今日はずっとソワソワしていた。

あれからもう二ヶ月以上が経っている。この夏、楓はどれだけ彼女に近づけただろうか。もしかしたら、エリカさんはもう楓では絶対届かない領域に到達していて、前よりもっと差が開いているかもしれない。

楓は自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいた。

ううん。今でこそケガをしているけど、合宿の前半、練習試合の日なんか特に、自分でも手応えが出てきていた。足が良くなれば、また竹馬の練習だって再開するつもりだ。少なくとも、予選の時よりは確実に強くなっているはず。

エリカさん、初日に1万メートルで、三日目の今日には5千メートルで出場するんだ。なんだか、5月に関東インカレで初めてエリカさんの走りを見た時の衝撃を思い出した。

「バンビ、どっち応援するか迷っちゃうんじゃないか?」
「えっ!?」

エリカさんに見惚れている楓に気づいたのか、朝陽あさひ先輩がからかった。

「もう、蓮李先輩を応援するに決まっているじゃないですか!」
「ホントかなー? いひひひ」

楓は慌てて否定したが、朝陽先輩の目には、楓の心の動揺が全て見透かされているようだった。

「じゃあ、精一杯応援しようね」
「はい!」

蓮李先輩もエリカさんも、楓にとっては大切な存在だ。その二人が同じ舞台で走る姿を見られることに、楓の胸は高鳴っていた。

立花監督がプログラムの冊子を開き、話しだした。

「今日の注目は神宮寺だけじゃないぞ。昨年のみなと駅伝優勝チーム、ローズ大学の白薔薇・黒薔薇のダブルエースも揃い踏みだ」
「なんですか? 白バラ、黒バラ、って」

楓は見知らぬフレーズに驚いた。特に黒薔薇なんて、あまり馴染みのない単語だった。

「あぁ。ローズ大のキャプテン・副キャプテンは伝統的にそう呼ばれるんだよ。白薔薇がスタミナエースの松永まつなが悠未ゆうみ。黒薔薇がスピードエースの姫路ひめじかおる。この4年生二人は相当速い。持ちタイムで言ったら、神宮寺ともほぼ変わらない」
「ええっ!? エリカさんくらい速い人が二人も?」

さすが去年の優勝チーム。ローズ大学の強さを思い知らされた瞬間だった。

「さあ、そろそろだな。みんな、気を引き締めて応援しよう」
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